バッドエンドの異世界に悪役転生した僕は、全力でハッピーエンドを目指します！

さよなら世界、こんにちは異世界

32.ばあやのおもいは

　坊ちゃまが眠りから覚めない日が、もう４０日も続いている。まるで、魂の抜けた人形のようにピクリとも動かないで、呼吸も浅く胸の動きも分からない。
寝台に横になっている姿は、美しさは損なわれる事はなく、精巧に作られた人形のように見える。

　その今にも息が止まってしまいそうな儚い、その姿を見ては涙がこぼれてしまう。
　
　私が、坊ちゃまの側使えとして雇われたのは、あれはそう……２才の頃だ。

　初めてお会いした時は、まだおむつも取れて取れてなくて、よちよちと歩いていた。

　私が膝をついて挨拶をすると、抱っこと手を伸ばしてきてせがんできて。抱え上げると、肩に頬をすりすりしてきた。手が痛くなったから降ろそうとすると、もっと抱っことせがまれた。にこにこと笑う姿は子どもらしく可愛らしかった。坊ちゃまのぬくもりに、私がどんだけ救われたか……。
　
　当時、私は離婚をしてすぐさま家を出なければならなかった。他国から嫁いで来たので、生家に戻る事も金銭的に難しくて急いで仕事を探した。結婚前に貴族のお屋敷でメイドをしていたので、その口利きで住み込みの仕事を探したら……たまたま坊ちゃまに会えた。

　初めてエディ様にお会いした時に、年恰好が似ていたので、私のところに息子が帰って来たと思ってしまった。

　１歳で死んだ、私の子。喪失感と悲しみに苛まれていた心を、その愛らしい存在で坊ちゃまは優しく絡んだ糸を解くように私の心を軽やかに慰めてくれた。

　その日から、エディ坊ちゃまと私の２人の生活が始まった。アンディスール公爵家では、坊ちゃまはいない者のようなあつかいをされていた。

別館とはいえ、広間に客間など部屋数は多くて、私1人だけでは掃除が行き届かないと公爵様に訴えると、週に２回ほど本館からメイドがやってきて無言で掃除をして去って行った。
　
　最初は坊っちゃまに対しての仕打ちが酷いので、抗議をしようと思ったけど。
　いつしか、反対にうるさい事を言ってこない自由な生活と思うことにした。
　
　２歳の坊っちゃまは、とても愛らしくて、エディ様が私の子どもだったらいいのにと何度も考えては打ち消した。けれども、いつしか側付きの立場を越えて、坊っちゃまに我が子と同じ愛情を持って接していた。

　言葉が遅い坊っちゃまに、ゆっくりと話しかけた。小さな手をつないで、屋敷の庭を散歩する。

　季節の移り変わりと花や草の名前。小さな虫の一生。雨が降る前の、水気のある空気の匂い。

　春には、春の歌を一緒に唄い。夏にはきつい日差しと、通り雨のあとに空にかかる虹を追いかけた。秋には虫の音に耳を傾けて、枯れ葉を踏みしめた。冬には、庭で雪だるまを作って、暖かい日に溶けて消えていくからさよならをした。
　
　坊っちゃまがこれから先、どのような人生を歩むとしてもこの穏やかな日々が彼の支えになる事を、ずっと祈っていた。