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⌘第一幕⌘ 出会いと別れ編
第一夜 夜会招待
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『へえ……この子か。』
暗い暗い檻の中、ひんやりとした冬の寒さが冷たい牢獄に拍車をかける。体が凍えそうな真っ暗闇の中で少女を奇異の目で見つめる声が一つ二つ。
痛い、痛い……体中が痛い、それは少女の体についた無数の傷跡か?
怖い、怖いよ……人は怖い
夜毎悪戯に触れられる体に少女の心は壊れていた。硝子細工のように繊細なそれは粉々に砕けて涙となって零れ落ちる。
囚われの少女の瞳はまるで真紅のルビーのようね
瞳の奥に綺麗な花が咲いているようだわ。
欲しい……その瞳が欲しい。
そんな言葉を常日頃から一身に受けて少女は生きていた。
『…助けて……わたしは誰……?』
ある日のこと、その少女の前に一人、背の高い男の人が現れた。
その青年は少女にこう尋ねた
『ここから出たいか?』
仄暗くも真っ直ぐに少女を見つめる視線は同情か?
『出たい……寒いのは嫌だ、ここは怖い』
『そうか……それじゃあ、お前は俺の駒になって働け』
夜毎奇異の目に晒されて自由を奪われ、好き勝手に弄ばれる人生。
八歳の少女ですら解る程に此処の生活は生きた心地がしなかった。喜びも悲しみも全てを忘れて、ただ息をして過ごしている日々の中でやっと見つけた一筋の未来への選択肢、心が壊れてしまった少女は一つの希望を視る
『わたし…あなたについて行けば出れるの?』
『俺の手なり足となって働け。そうすれば出してやる』
幼い少女は躊躇うことなくその手をとった。
そうして、一つの人生を歩み始めることとなる……
ーーーーー
ーーーーーーー…時は大正末期、政界入り乱れる華やかな激動の時代……当時帝都で栄華を誇る華族である𧲸革財閥が政界を牛耳っていた頃のこと、財閥の長男である貂革巽、次男の貂革稔という二人の青年が居た。
長男である巽は、栗毛色の癖毛で襟足まで流れる毛先は柔らかそうな印象を受けるほどに緩やかで瞳は二重で濃い藤色。
涼しげかつ優しい印象を与える優しい雰囲気の青年だった。巽の年齢は十九で帝都学院大学の二年生である。
一方、弟の稔は兄と同じ栗毛色の癖毛と真逆の直毛で、兄とは違い輪郭に流れる髪は襟足よりも上程の長さで清潔感を表していた。
顔立ちといえば二重で冷静さを兼ね備えた藤色の切長の瞳である。巽とは正反対で、初めて会う他人には冷たい印象を与えてしまうような青年であり年齢は十八で兄の巽と同じく帝都学院大学の一年生だった。
そんな二人が良く赴く喫茶パーラー夢日和という場所に一人の少女が働いている。
少女の名前は駒草憂。
漆黒の髪色は光に照らされると藤色のような色味が見え隠れし、緩やかな癖毛は背中あたりまで流れており、仕事の時はその髪を上に結えている。紅が映える澄んだ奥二重の瞳は柔らかさとどこか不思議な印象を与えるもので、年の頃合いは巽と同じ年齢の少女だった。巽と稔は憂の事を気に入っており、だからこそ足繁もなく通い続けるのが日課だった。
『いらっしゃいませ!』
元気よく挨拶するその声の主は憂のものだ。当時、男女差別が厳しいこの時代に女性が働きに出るのは否とされていたにも関わらず、最近では社会進出による女性運動も増えてきており、洋装を取り入れてお洒落を楽しみ仕事に勤しむモダンガールも増えた。憂もある意味でそれと同等のようであるが、彼女の場合これは生きる手段でしかなかった。
『憂ちゃん、おつかれー!』
『巽様、今日もありがとうございますっ』
巽が店にやってくると、花の咲いたような笑顔を浮かべる憂のそんなところが巽は気に入っており、二人の仲良さげな会話を聞いて呆れ半分に背後で溜息をつくのが巽の弟である稔の日課だ。
『やれやれ…どんだけ通い詰めるんだか』
『そんなに言うなら稔は来なくていいよ、俺が憂ちゃんに会いたいんだからさ』
『は、なにそれ。巽が一人で此処に来たら絶対長居するでしょ。だから保護者代わりとしてボクがここに居てあげてるの、わかる?』
『はいはい解ってるよ』
次男である彼が嫌味にも似た言葉を吐き捨てるが、それに動じないのが長男というもので、いくら稔が辛辣に巽へと言葉を投げかけたとしても結局は巽に敵わないのだった。そんな二人の様子を見て笑いあうそんな時間が憂は楽しかった。
『ふふ、仲良しですねっ』
『そうかな?』
『そんなことないから。』
否定はしないが疑問符をつけて言葉を紡ぐ巽と、否定的な態度を徹底するのが稔。性格も併せ持つ空気感も正反対の兄弟も珍しい。
二人がやってくると、必ず落ち着かなくなる店内も既に見慣れた光景だった。おそらく二人が財閥の御子息だからだろう。
『いつも仕事を頑張っている憂ちゃんに贈り物』
二人が頼んだのは当時、喫茶店で頼むとそこそこ値が張るホットケエキというスイーツ。現代でいうホットケーキだが、当時は一般市民の中でカステラに続き滅多に食べられる代物では無かったと言う。それを巽が三人分注文し、一つは憂にご褒美と注文してくれた。
『え!?いいんですか?けれど…そのような気遣いをしていただくのは…』
『いいんだよ、言ったでしょ?贈り物って。そろそろ仕事も終わりだろうし、一緒に食べよう』
最初は遠慮して断っていた憂だったが、他でもない想い人である巽からは『遠慮される方が悲しいよ、男としての俺の顔をたててやって?』と、言葉巧みに告げられたなら憂からはもう何も言えないのだ。身分不相応だと理解しているが、然りげ無く優しく接してくれる巽に憂は恋心を抱いていたのだから店主に許可を得てから着替えて戻ってくると、既に巽と稔は手元のスイーツを食していたので彼女も席に着き、早速と言わんばかりにフォークとナイフでケーキを切り分ける。口に運んだあとは、ほんのりと柔らかい甘さが口の中に広がった。
憂自身、この看板メニューを食べたことがなかったのでこんなに美味しいものだったのだと今日初めて知って、口の中に広がるフワフワとした食感にも頬を緩めた。そして他愛無い雑談をするのがいつもの日課だったのだが、それが今日は違っていた。
『ああ!実はもう一つ憂ちゃんに贈り物があるんだ』
『え?なんですか?』
『全く、巽は一度言い出したら聞かないからね。』
ホットケーキを口に頬張る彼女、巽からの贈り物の検討がつかないままに差し出されたのは一枚の封書。
『これは?』
『開けてみて』
封に蝋がされており、その刻印は𧲸革家の紋様である。
それは憂の心を弾ませて、逸る気持ちそのままに封を切ると入っていたのは洒落た招待状だった。
『え、これって!』
『うん、夜会の招待状。𧲸革家主催のね憂ちゃんに来て欲しい』
『はぁ、父さんに絶対ダメって言われるよって言ったんだけどね…コイツ聞かないんだ。もうちょっと立ち居振る舞いに気をつけなよって言ってるだけど……』
普通ならば一般市民は招待されることなど無い煌びやかな当時の夜会は、社交界で大切な役割を担っていたのだった。
政治の繋がりも出来るならば、華族にとっての利益に繋がるやりとりが盛んに執り行われる場所であって、さらに言うならこういう公の集まりでは婚約者との顔合わせやその相手の選出なども行われる大切な社交界の場である。そこに憂を招待するという突然の𧲸革家次期当主の誘いだった。
『こんな……私、それに夜会ドレスなんて持ってないですし』
『俺が買ってあげる。憂ちゃんにとびきり似合う夜会ドレス』
まるで…お姫様みたいだと憂は思う。
こんな幸せがあっていいのだろうか…と、巽の優しさに甘えてみたいけれど、それは許されないことだからと自分を叱咤する気持ちと、やはり年頃の少女、煌びやかで華やかな集まりに憧れを抱く気持ちもあるからこそ、どう返事をしたらいいか悩んだ。
しかし巽からの誘いとなれば一般市民の彼女にとって断り難いものであることも彼は理解した上で誘ってくるのだからずるい。正直に言ってしまうなら彼と彼女の立場を考えても、少女にはもとから拒否権などないのだ。
『明日、学校終わったら迎えにくるから用意して待ってて』
『巽様…こんな事あってはいけないのに……』
承諾はしたものの、二人が帰るその時まで、悩んで答えを出そうとしてまた悩んで堂々巡りのなか二人の背中を見送った。こんなことあってはいけないのに。そう呟く憂の声は冬も近い夜空の虚空に消えていった。
ーーーーー𧲸革邸宅ー
『ちょっと巽?』
遠慮気味にも軽快な音を立てて扉をノックする音が廊下に響く。その部屋の主が開ける前に部屋の扉は開かれた。そこには不機嫌そうな稔が腕を組んで立っている。遠慮なしに部屋の中へ入って来ると、部屋の主の背後で不服そうな声をこぼした。
『聞いてる?』
『なに?』
巽は大学院の課題をこなしている最中で、稔の声に応じるものの視線は課題に向けたままに人の話を聞く姿勢とは縁遠い態度を示している。彼が決めた事に意見される時の不遜な態度は日常茶飯事なのでこれといって稔も気にする素振りは無いように見えたが、今回ばかりは違っており巽が鎮座している机へと身を乗り出した。
『ねえ、憂のことだよ!夜会に誘うってどう言うつもり?一般人だよ?というか今回の夜会は巽の……』
『わかってるよ、今回の夜会は俺の婚約者を決めるもので、ただの夜会じゃない。父さんが俺を次期当主として披露しようとしてるのも理解してる』
『だったらなんで?… …ちょっと待って、まさか巽…アイツのこと……』
『うん、俺の婚約者にしようと思ってる』
巽の口から出た言葉は絶対に許されるはずも無いものである。しかし普段から巽が憂の事を好いているのは誰が見ても明らかで、この最悪な事態を聡い稔が予測してなかったわけではないけれど、非現実的に上手くいくものでも無い事だと稔は勿論、巽も理解しているはずだったのだが、巽は憂を今度の夜会で婚約者だと発表するつもりのようだった。
『そりゃ、アイツも…巽のこと好きなのは見ててわかるけど…父さんが許さない』
『それも理解してる、けどダメなんだ…俺あの子じゃないと無理』
『どうしてそんなにアイツがいいの?』
『……幸せにしてあげたい、それだけなんだ』
稔にとって憂は決して嫌いな相手ではない。むしろあの笑顔や柔らかな雰囲気に好意をもっている方だ。然し身分違い故に結ばれることなど絶対不可能な相手であることは理解していて、こんな想いを抱くこと自体が間違っていることだと思っていた。
だが巽の考えは違っているようで、どうしても彼女でなくてはダメだという。そこまで彼女にのめり込む理由を問いただすも、巽から出た言葉は幸せにしてあげたい…という切なる願いだけ。この理由が明かされるのはまた少し先の未来の話になる。
ーーー
ーーーー
『…ほう、都合がいいな……𧲸……革家を徹……的に…し……つ…しろ、その瞳があれば、楽勝だろ?』
『……はい』
……月明かりに照らされて、一筋の雫が頬を伝う。
漆黒の髪を月明かりの下靡かせて、夜毎舞い踊る闇、帝都を見下ろすその視線は…どこか冷たく空虚…そして、遠い遠い愛おしい人を想う…悲哀にも似た感情と共に…未来へ切なる渇望を抱いていた…
第一夜 夜会招待 完
暗い暗い檻の中、ひんやりとした冬の寒さが冷たい牢獄に拍車をかける。体が凍えそうな真っ暗闇の中で少女を奇異の目で見つめる声が一つ二つ。
痛い、痛い……体中が痛い、それは少女の体についた無数の傷跡か?
怖い、怖いよ……人は怖い
夜毎悪戯に触れられる体に少女の心は壊れていた。硝子細工のように繊細なそれは粉々に砕けて涙となって零れ落ちる。
囚われの少女の瞳はまるで真紅のルビーのようね
瞳の奥に綺麗な花が咲いているようだわ。
欲しい……その瞳が欲しい。
そんな言葉を常日頃から一身に受けて少女は生きていた。
『…助けて……わたしは誰……?』
ある日のこと、その少女の前に一人、背の高い男の人が現れた。
その青年は少女にこう尋ねた
『ここから出たいか?』
仄暗くも真っ直ぐに少女を見つめる視線は同情か?
『出たい……寒いのは嫌だ、ここは怖い』
『そうか……それじゃあ、お前は俺の駒になって働け』
夜毎奇異の目に晒されて自由を奪われ、好き勝手に弄ばれる人生。
八歳の少女ですら解る程に此処の生活は生きた心地がしなかった。喜びも悲しみも全てを忘れて、ただ息をして過ごしている日々の中でやっと見つけた一筋の未来への選択肢、心が壊れてしまった少女は一つの希望を視る
『わたし…あなたについて行けば出れるの?』
『俺の手なり足となって働け。そうすれば出してやる』
幼い少女は躊躇うことなくその手をとった。
そうして、一つの人生を歩み始めることとなる……
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ーーーーーーー…時は大正末期、政界入り乱れる華やかな激動の時代……当時帝都で栄華を誇る華族である𧲸革財閥が政界を牛耳っていた頃のこと、財閥の長男である貂革巽、次男の貂革稔という二人の青年が居た。
長男である巽は、栗毛色の癖毛で襟足まで流れる毛先は柔らかそうな印象を受けるほどに緩やかで瞳は二重で濃い藤色。
涼しげかつ優しい印象を与える優しい雰囲気の青年だった。巽の年齢は十九で帝都学院大学の二年生である。
一方、弟の稔は兄と同じ栗毛色の癖毛と真逆の直毛で、兄とは違い輪郭に流れる髪は襟足よりも上程の長さで清潔感を表していた。
顔立ちといえば二重で冷静さを兼ね備えた藤色の切長の瞳である。巽とは正反対で、初めて会う他人には冷たい印象を与えてしまうような青年であり年齢は十八で兄の巽と同じく帝都学院大学の一年生だった。
そんな二人が良く赴く喫茶パーラー夢日和という場所に一人の少女が働いている。
少女の名前は駒草憂。
漆黒の髪色は光に照らされると藤色のような色味が見え隠れし、緩やかな癖毛は背中あたりまで流れており、仕事の時はその髪を上に結えている。紅が映える澄んだ奥二重の瞳は柔らかさとどこか不思議な印象を与えるもので、年の頃合いは巽と同じ年齢の少女だった。巽と稔は憂の事を気に入っており、だからこそ足繁もなく通い続けるのが日課だった。
『いらっしゃいませ!』
元気よく挨拶するその声の主は憂のものだ。当時、男女差別が厳しいこの時代に女性が働きに出るのは否とされていたにも関わらず、最近では社会進出による女性運動も増えてきており、洋装を取り入れてお洒落を楽しみ仕事に勤しむモダンガールも増えた。憂もある意味でそれと同等のようであるが、彼女の場合これは生きる手段でしかなかった。
『憂ちゃん、おつかれー!』
『巽様、今日もありがとうございますっ』
巽が店にやってくると、花の咲いたような笑顔を浮かべる憂のそんなところが巽は気に入っており、二人の仲良さげな会話を聞いて呆れ半分に背後で溜息をつくのが巽の弟である稔の日課だ。
『やれやれ…どんだけ通い詰めるんだか』
『そんなに言うなら稔は来なくていいよ、俺が憂ちゃんに会いたいんだからさ』
『は、なにそれ。巽が一人で此処に来たら絶対長居するでしょ。だから保護者代わりとしてボクがここに居てあげてるの、わかる?』
『はいはい解ってるよ』
次男である彼が嫌味にも似た言葉を吐き捨てるが、それに動じないのが長男というもので、いくら稔が辛辣に巽へと言葉を投げかけたとしても結局は巽に敵わないのだった。そんな二人の様子を見て笑いあうそんな時間が憂は楽しかった。
『ふふ、仲良しですねっ』
『そうかな?』
『そんなことないから。』
否定はしないが疑問符をつけて言葉を紡ぐ巽と、否定的な態度を徹底するのが稔。性格も併せ持つ空気感も正反対の兄弟も珍しい。
二人がやってくると、必ず落ち着かなくなる店内も既に見慣れた光景だった。おそらく二人が財閥の御子息だからだろう。
『いつも仕事を頑張っている憂ちゃんに贈り物』
二人が頼んだのは当時、喫茶店で頼むとそこそこ値が張るホットケエキというスイーツ。現代でいうホットケーキだが、当時は一般市民の中でカステラに続き滅多に食べられる代物では無かったと言う。それを巽が三人分注文し、一つは憂にご褒美と注文してくれた。
『え!?いいんですか?けれど…そのような気遣いをしていただくのは…』
『いいんだよ、言ったでしょ?贈り物って。そろそろ仕事も終わりだろうし、一緒に食べよう』
最初は遠慮して断っていた憂だったが、他でもない想い人である巽からは『遠慮される方が悲しいよ、男としての俺の顔をたててやって?』と、言葉巧みに告げられたなら憂からはもう何も言えないのだ。身分不相応だと理解しているが、然りげ無く優しく接してくれる巽に憂は恋心を抱いていたのだから店主に許可を得てから着替えて戻ってくると、既に巽と稔は手元のスイーツを食していたので彼女も席に着き、早速と言わんばかりにフォークとナイフでケーキを切り分ける。口に運んだあとは、ほんのりと柔らかい甘さが口の中に広がった。
憂自身、この看板メニューを食べたことがなかったのでこんなに美味しいものだったのだと今日初めて知って、口の中に広がるフワフワとした食感にも頬を緩めた。そして他愛無い雑談をするのがいつもの日課だったのだが、それが今日は違っていた。
『ああ!実はもう一つ憂ちゃんに贈り物があるんだ』
『え?なんですか?』
『全く、巽は一度言い出したら聞かないからね。』
ホットケーキを口に頬張る彼女、巽からの贈り物の検討がつかないままに差し出されたのは一枚の封書。
『これは?』
『開けてみて』
封に蝋がされており、その刻印は𧲸革家の紋様である。
それは憂の心を弾ませて、逸る気持ちそのままに封を切ると入っていたのは洒落た招待状だった。
『え、これって!』
『うん、夜会の招待状。𧲸革家主催のね憂ちゃんに来て欲しい』
『はぁ、父さんに絶対ダメって言われるよって言ったんだけどね…コイツ聞かないんだ。もうちょっと立ち居振る舞いに気をつけなよって言ってるだけど……』
普通ならば一般市民は招待されることなど無い煌びやかな当時の夜会は、社交界で大切な役割を担っていたのだった。
政治の繋がりも出来るならば、華族にとっての利益に繋がるやりとりが盛んに執り行われる場所であって、さらに言うならこういう公の集まりでは婚約者との顔合わせやその相手の選出なども行われる大切な社交界の場である。そこに憂を招待するという突然の𧲸革家次期当主の誘いだった。
『こんな……私、それに夜会ドレスなんて持ってないですし』
『俺が買ってあげる。憂ちゃんにとびきり似合う夜会ドレス』
まるで…お姫様みたいだと憂は思う。
こんな幸せがあっていいのだろうか…と、巽の優しさに甘えてみたいけれど、それは許されないことだからと自分を叱咤する気持ちと、やはり年頃の少女、煌びやかで華やかな集まりに憧れを抱く気持ちもあるからこそ、どう返事をしたらいいか悩んだ。
しかし巽からの誘いとなれば一般市民の彼女にとって断り難いものであることも彼は理解した上で誘ってくるのだからずるい。正直に言ってしまうなら彼と彼女の立場を考えても、少女にはもとから拒否権などないのだ。
『明日、学校終わったら迎えにくるから用意して待ってて』
『巽様…こんな事あってはいけないのに……』
承諾はしたものの、二人が帰るその時まで、悩んで答えを出そうとしてまた悩んで堂々巡りのなか二人の背中を見送った。こんなことあってはいけないのに。そう呟く憂の声は冬も近い夜空の虚空に消えていった。
ーーーーー𧲸革邸宅ー
『ちょっと巽?』
遠慮気味にも軽快な音を立てて扉をノックする音が廊下に響く。その部屋の主が開ける前に部屋の扉は開かれた。そこには不機嫌そうな稔が腕を組んで立っている。遠慮なしに部屋の中へ入って来ると、部屋の主の背後で不服そうな声をこぼした。
『聞いてる?』
『なに?』
巽は大学院の課題をこなしている最中で、稔の声に応じるものの視線は課題に向けたままに人の話を聞く姿勢とは縁遠い態度を示している。彼が決めた事に意見される時の不遜な態度は日常茶飯事なのでこれといって稔も気にする素振りは無いように見えたが、今回ばかりは違っており巽が鎮座している机へと身を乗り出した。
『ねえ、憂のことだよ!夜会に誘うってどう言うつもり?一般人だよ?というか今回の夜会は巽の……』
『わかってるよ、今回の夜会は俺の婚約者を決めるもので、ただの夜会じゃない。父さんが俺を次期当主として披露しようとしてるのも理解してる』
『だったらなんで?… …ちょっと待って、まさか巽…アイツのこと……』
『うん、俺の婚約者にしようと思ってる』
巽の口から出た言葉は絶対に許されるはずも無いものである。しかし普段から巽が憂の事を好いているのは誰が見ても明らかで、この最悪な事態を聡い稔が予測してなかったわけではないけれど、非現実的に上手くいくものでも無い事だと稔は勿論、巽も理解しているはずだったのだが、巽は憂を今度の夜会で婚約者だと発表するつもりのようだった。
『そりゃ、アイツも…巽のこと好きなのは見ててわかるけど…父さんが許さない』
『それも理解してる、けどダメなんだ…俺あの子じゃないと無理』
『どうしてそんなにアイツがいいの?』
『……幸せにしてあげたい、それだけなんだ』
稔にとって憂は決して嫌いな相手ではない。むしろあの笑顔や柔らかな雰囲気に好意をもっている方だ。然し身分違い故に結ばれることなど絶対不可能な相手であることは理解していて、こんな想いを抱くこと自体が間違っていることだと思っていた。
だが巽の考えは違っているようで、どうしても彼女でなくてはダメだという。そこまで彼女にのめり込む理由を問いただすも、巽から出た言葉は幸せにしてあげたい…という切なる願いだけ。この理由が明かされるのはまた少し先の未来の話になる。
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『…ほう、都合がいいな……𧲸……革家を徹……的に…し……つ…しろ、その瞳があれば、楽勝だろ?』
『……はい』
……月明かりに照らされて、一筋の雫が頬を伝う。
漆黒の髪を月明かりの下靡かせて、夜毎舞い踊る闇、帝都を見下ろすその視線は…どこか冷たく空虚…そして、遠い遠い愛おしい人を想う…悲哀にも似た感情と共に…未来へ切なる渇望を抱いていた…
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