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8日目 鎖なんてなくたって、これからもずっと ③

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「度々お手数をおかけしてごめんなさいね」
「別にいいですけど、何度来られても証言は同じですよ」
 田口さんは気だるげな顔で玄関から顔を覗かせた。
「今日の十時頃、あなたは大学でレポートを作成していたのよね?」
「はい。さっきお話しした通りですけど」
「それは友達と?」
「そうですよ」
 田口さんはいづみさんから視線を逸らさずに堂々と受け答えをしているけど、いづみさんは目を細めて彼をじっと見つめ続ける。
「先ほど鶴見つるみ美術びじゅつ大学だいがくに行ってあなたの友人にもお話を伺ったところ、証言が食い違っててね」
 いづみさんの話を聞いた田口さんは眉を揺らした。
「友人曰くその時間はあなたと一緒にオセロと雑談をしていたという話だったけれど。不思議ね、あなたは分身の術を持っているのかしら?」
「いや、それは……」
「もう一つ質問なんだけど、田口さんは何のサークルに入ってるの?」
 田口さんは視線を泳がして少し考えた後、
「……漫画研究サークルですけど」
 小声でぶっきらぼうに答えた。
 友人たちの証言と矛盾しているな。どちらかが嘘をいていることになるけど――
「やっぱりね――これで田口さんの無実は証明されたわ」
「じゃ、じゃあ」
 いづみさんは表情を緩めて嘆息たんそくするも、
「――田口さんは、、、、、、ね」
 すぐさまキッと鋭い瞳で田口さんを射貫くように見据えた。
「あなたがコンビニ強盗犯ですよね?」
「俺を犯人扱いするんですか!?」
 いづみさんも僕と同じ結論に辿り着いた。
「コンビニの監視カメラにもあなたらしき人物が映っていたわ。鑑識で顔を拡大すればあなただと分かるでしょう」
 黒マスクをつけていたので特定作業は苦戦必至だけど、昨今の技術であれば決して不可能ではないらしい。
「それにあなたのアリバイも崩れた。それだけじゃない、虚偽の証言をしたのはあなたが強盗犯もしくはその仲間だから。違いますか?」
 いづみさんは迷いのない真っ直ぐな瞳でまくしたてる。
「そもそもあなた、田口さんじゃないですよね?」
 そう、この人は田口さんになりすました赤の他人だ。本物の田口さんは無実。それだけの話だ。
「先ほど見せていただいた学生証、あれ偽造してますよね?」
「してませんけど」
「だったら他の身分証明書も見せてもらえるかしら? 顔写真付きじゃなくてもいいから、あなたが田口雄基さんと分かる証明書をね」
 いづみさんは左手を出して身分証明書の提示を要求するも、田口さんはその場で硬直したまま動かない。
「SNSから鶴見つるみ美術びじゅつ大生を検索して適当な人の氏名を拝借したのよね」
「………………」
 田口さんを名乗る何者かは押し黙ったまま何も言わない。
「ずいぶんとずさんな考えね。偽造した学生証を作ったところでアリバイを証明できる人がいなければ意味ないわよ。よほど焦った精神状態での犯行だったのね」
 自称田口さんは下を向いて黙秘を貫いている。
「ねぇ、あなたが犯行時に着用してた赤いパーカーも、部屋の中にあるんじゃないの?」
 赤いパーカーというワードを聞いた瞬間、

「――チッ、こざかしい女警官だ!」

 自称田口さんは玄関扉の鍵もかけずに部屋の中へと走り出した!
「ちょ、待ちなさい!」
 中に入りたいけど、まだ令状がないので家宅捜索はできない。
「そうだ。俺がコンビニ強盗犯だよ!」
 自称田口さん改め強盗犯は男性の喉元に包丁を突きつけて玄関まで戻ってきた。
「俺たちは兄弟で暮らしてる。こいつは弟だ。けど――」
 包丁を僕といづみさんに向けて、
「目的のためなら手段は選ばねぇ! 出ていかないと弟の命はねぇぞ!」
「た、助けてください……!」
 弟さんが悲痛な表情で助けを求めてくる。
 兄も中肉中背でそこそこ筋肉はありそうだけど、弟は更にガタイがいい。けれども、眼前で刃物を向けられたら分が悪い。
「――退きましょう……!」
「は、はい」
 人質を取られてしまっては下手な行動はできない。
 しかしこれで奴は人質立てこもりの現行犯となったので令状がなくとも部屋への突入や逮捕が可能となった。
「まさか同居人を人質に取るとは」
「悪質ね」
 その後いづみさんが平林所長に連絡し、事情を説明した。
 ほどなくして平林所長、岩船さん、平木田さんがマンション前に到着した。
「コンビニ強盗犯が自分の弟を人質に取って立てこもるとは」
「厄介な事態になったね」
 岩船さんと平林所長が苦々しい面持ちでマンションを見上げる。
 全員でマンションの裏側へと回り、306号室の窓を見ると強盗犯が窓を全開にして顔を出してきた。
「余計な真似をしようものなら、火をつけてマンションごと燃やしてやる!」
 強盗犯は丸めた新聞紙とライターを持って脅しをかけてきた。
「人質を解放してほしけりゃ、一千万用意するこった!」
 強盗犯はこともあろうに一千万円もの身代金を要求してきた。
 当然、一千万などそう易々やすやすと揃えられる金額じゃない。
「落ち着いてください。まずは冷静になりましょう!」
 平木田さんが拡声器を使って強盗犯の説得を試みる。
 その間に平林所長には近隣の部屋や住宅の住民に避難するよう伝えるべく訪問してもらっている。
「消防にも連絡しておく必要があるな」
 岩船さんは消防に連絡しはじめた。
「先ほど管理会社に聞いたところ306号室の隣は空家とのことで、出火しても直ちに被害に遭う恐れはないのですが……それでも放火されたら一大事ですよ」
 平木田さんの言う通り、マンションの周辺には別のマンションや戸建て住宅が密集している。火の勢いが増せば簡単に燃え広がってしまう。
「――いえ、その心配はありません」
 けど、僕はそうなる可能性はかなり低いと考えている。
「このマンションは防火対策がしっかり施された鉄筋コンクリートぞうです。木造もくぞう鉄骨造てっこつぞうと違ってちょっと壁床を火であぶったところで簡単には出火しないですし、仮に出火したとしても燃え広がるまでには時間がかかります」
 僕の考察を警察官三人が静かに聞いている。
「それに火は下から上へと燃え上がります。強盗犯の部屋は三階建て鉄筋コンクリートマンションの最上階角部屋なので、他の部屋への被害は微々びびたるものです」
 隣室は多少燃えてしまうかもしれないけど、空家ならば人命を考慮する必要はない。
 ……マンションの大家や管理会社からしたらたまったものではないだろうけど。
 僕の話を聞いた岩船さんはきびすを返してその場を立ち去った。
 いづみさんと平木田さんは今一歩マンションへと近づいた。
「マンションに近づくなよ! チッ!」
 強盗犯はライターの火をつけて、
「ならお望み通りマンションを燃やしてやるよ!」
 新聞紙を燃やして壁にあぶってみせるけど、一向に引火しない。近頃の建物ってすごいよね。
「な――なんだこの壁と床!? 火をあぶっても燃えねぇじゃねぇか!?」
 昨夜は雨で今の天候も曇りなので湿気も多い。着火する上で最悪のコンディションだ。
「クソッ! 無駄に耐火性たいかせいが高い建物だなぁ!」
 強盗犯は至る所に火を向けてるみたいだけど、苦労虚しく成果は出ない。
 と、ここで――
 306号室の網戸が開けられ、中に人が侵入した。
「なっ、お前!?」
 侵入者は岩船さんだ。屋上から最上階の306号室のバルコニーに降りたのだ。強盗犯は放火に躍起やっきになっていたために岩船さんの侵入に気づいていなかった。
「犯人確保! このまま署まで連行する!」
 また人質に刃物を向けていなかったので岩船さんはいとも簡単に強盗犯を取り押さえた。
「ああっ!? チクショー!!」
 その後、岩船さんが玄関扉の鍵を解錠して平木田さんも部屋へと入っていき、強盗犯の手首には手錠がかけられ、強盗犯の弟さんは平木田さんに保護された。
「ふぅ。一件落着、かな?」
 いづみさんは安堵あんどの表情を浮かべている。
「迷いがない判断力、お見事でした。もう僕の誤認逮捕を引きずる心配はありませんね。住民や交番の面々の力も借りて解決できましたし、もう平気ですね」
「ええ、もう大丈夫!」
 僕を誤認逮捕した時に生まれたトラウマを払拭ふっしょくし、本来の自信を取り戻してくれて本当によかった。
「ありゃ。僕がいない間に解決したのか」
 僕たちのところに戻ってきた平林所長が感心の呟きを漏らした。
鶴見つるみ交番の方々は優秀ですね」
「所長の僕の出番はほとんどなかったよ」
 いづみさんに看破かんぱされた強盗犯が人質を取って籠城ろうじょうするとは思わなかったけど。
 岩船さんはミニパトに強盗犯を乗せて新鶴見しんつるみ警察署へと向かった。
「怖かったですね。もう大丈夫ですよ」
 平木田さんが強盗犯の弟さんの身を案じながら僕たちの元へと戻ってきた。
「でも疲弊されてるところすみません。被害者のあなたにも署でお話を伺わなければならないんです。急用がなければお願いしますね」
 平木田さんが強盗犯の弟さんをもう一台のミニパトに乗るよう促すと――
「キャッ!?」
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