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8日目 鎖なんてなくたって、これからもずっと ②

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 いづみさんが306号室のインターホンを鳴らした。
「……はい」
「神奈川県警新鶴見しんつるみ署地域課の中条と申します」
「警察、ですか」
 訪問者が警察関係者と分かるや否や、相手はいぶかしげな口調になった。
「近所で発生したコンビニ強盗について情報を集めています。少々お時間よろしいでしょうか」
「…………はぁ、いいですけど」
 少し間があったけど、対面での聞き込みを許してもらえた。
 向こうの反応は僕が初めていづみさんから声をかけられた時に似ていた。警察パワー恐るべし。
「はい」
 玄関扉が開かれ、スウェット姿の若い男性が姿を見せた。中肉中背の体型といい、コンビニ店長が話していた特徴といくつか一致している。
 玄関に視線を落とすと、白いスニーカーが置かれていることに気がついた。
 男性はいづみさんの美しい顔に一瞬目を奪われたけど、すぐに警戒の表情に塗り替えた。
「お手数をおかけしてすみません。先ほど近所のコンビニで強盗が発生しまして。捜査のためにお話を伺いたいのですが、何か知ってることはありませんか? 例えば怪しい人物を見かけたとか」
 いづみさんが事件についてと犯人の外見的特徴を説明するも、
「うーん、怪しい人物は見てませんね」
 首を傾げた男性からは有力な手がかりは出てこなかった。
「そうですか。ちなみにお名前伺ってもよろしいですか?」
「……田口たぐち雄基ゆうきです」
 田口さんはスウェットのポケットから財布を取り出して、その中から学生証を引っ張り出していづみさんに手渡した。
「あら、鶴見つるみ美術びじゅつ大学だいがくの学生なのね」
「僕も鶴見つるみだい生なんですよ」
 同じ大学の学生とはなんたる偶然。いやぁここからだと通学が徒歩圏内で羨ましいなぁ。
「あ、そうなんですね」
 けれど、それ以上大学の話が広がることはなかった。
「最後に一つだけ確認させてもらってもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
 いづみさんが最後と言った瞬間、田口さんの表情がほころんだ気がする。警察官のプレッシャーから解放されることによる安堵あんどの感情だろうか。
「今日の十時頃はどこで何をしていましたか?」
「十時ですか? えーっと……大学でレポートを作ってました」
 いづみさんが田口さんの証言を手帳にメモする。
「了解です。ご協力ありがとうございました」
 挨拶を交わすと田口さんは玄関扉を閉めた。
「田口さん、どうでしたか」
 マンションの階段を降りる傍らでいづみさんに聞いてみた。
「私はクロだと思ってる。けど――」
 いづみさんは厳しい表情を崩すことなく続ける。
「もっと情報が必要ね。今の段階では彼を犯人と決めつける決定的な手札がない」
 確かに今の情報だけでは蓑田パターンの二の舞になってしまう危険性も残っている。
「一旦被害を受けたコンビニに向かいましょう」
 いづみさんの一声で僕たちは強盗が発生したコンビニへと向かった。
 コンビニに着いて中へと入ると、店内は何事もなかったかのように営業していた。
「お忙しい中ごめんなさい」
「いえいえ、こちらこそ調査していただきありがとうございます」
 コンビニ店長に監視カメラの映像を見せていただくことに。
 映像を確認すると、店長が証言した通りの男が映り込んでいた。黒マスクのせいで顔はよく分からない。分からないけど――
「田口さん、怪しいですね」
 先ほど聞き込みをした田口さんに似ている気がする。こう思い込むともう彼が犯人としか思えなくなってくるけど、僕の件もあるので早合点は禁物だ。
 と、ここでいづみさんのスマホに着信が来た。
 いづみさんは手帳にメモをしつつ通話を済ませた。
「村上さんからよ。田口さんの友人を特定したとのこと」
 通話を切った彼女は通話相手と用件を教えてくれた。
 村上さんが田口雄基でSNSアカウントを検索した結果、発見できたそうだ。顔写真がないアカウントだけど、プロフィールに鶴見つるみ美術びじゅつ大学だいがく在籍と記載がある。ほぼほぼ本人だろう。
 友達一覧から同じ大学、同じ学科の同級生を洗い出したところ、見つけられたとのこと。
 更に友人の名前で検索した結果、某呟きSNSサイトのアカウントが見つかり、今大学にいることも分かった。
「……村上さんさまさまですけど、SNS時代って改めて怖いですね」
「そうね。いとも簡単に個人を特定できてしまうものね」
 僕はこれからもSNSはやらないぞ。仮にやったとしても絶対に本名は使わない。
鶴見つるみ美術びじゅつ大学だいがくに行って田口さんの友人たちに聞き込みをするわ」
 そんなわけで僕たちは鶴見つるみ美術びじゅつ大学だいがくへと向かった。

「ここに来ると、蓑田君との馴れ初めを思い出すわね」
「そうですね……」
 あの日から二人をつむぐ物語ははじまった。
 もちろんお互いにとっていい出来事ではなかったけれど、今思えば僕にとってのターニングポイントだった。
傲慢ごうまんな私が勘違いで蓑田君を捕まえて」
「それが今や僕が中条さんを捕まえてしまいました」
 視線を交錯こうさくさせて笑い合うも、すぐに気を引き締める。
「四号館まで案内お願いできるかしら」
「もちろんです」
 田口さんの友人は今キャンパスの四号館でサークル活動中とSNSで呟いていた。タイミングがずれなければまだいるはず。
 四号館サークルの二階へと上がり、【オセロサークル】と書かれた表札がかかった扉を開ける。
「失礼します。神奈川県警の中条と申します。近藤京二こんどうけいじさんはいらっしゃいますか?」
 中に入ると、オセロはしておらず歓談かんだん中の面々がいた。
「僕が近藤ですけど」
 近藤さんは困惑した表情で手を挙げた。
 近藤さんは鶴見美術大学つるみびじゅつだいがく三回生の男子学生で、オセロサークルに所属している。
 サークル室にいる全員が何事かといづみさんと僕を交互に見ている。
「田口雄基さんについてよろしいでしょうか」
「田口ですか? いいですよ」
 いづみさんが事情を説明すると、近藤さんは快く協力してくれた。
「今、彼がどこにいるか分かりますか?」
「体調が悪くなったと言って今日は帰りました」
「帰ったのは何時頃のことでした?」
「えーっと、十一時過ぎくらいでしたね」
「十一時までは一緒にいたんですね?」
「はい、九時からオセロで対戦してました」
「オセロ以外は?」
「たまにだべってただけですよ。オセロと雑談の繰り返しでした。ウチはそういうサークルなんで。なぁみんな」
「近藤の言う通りですよ」
「間違いありません」
 近藤さんの証言に嘘偽りはなさそうだ。
 コンビニ強盗事件の発生時刻は午前十時頃。田口さんは同時刻にここで近藤さんとオセロをしていたことになる。
 そしてここから田口さんの自宅マンションまでは徒歩十五分程度。
 僕たちが彼の部屋を訪問した時刻が正午前くらい。
 つまり田口さんのアリバイが立証された形となる。
「なるほど。楽しんでるところごめんなさいね。ありがとうございました」
 近藤さんから証言をもらい、オセロサークル室をあとにする。
「情報は集めたので刑事課に引き継いでいいんじゃないですか?」
 先ほどからいづみさんが刑事の仕事をしているけれど、所掌しょしょうじゃないよね?
「刑事課にお任せしたかったんだけど、未だに人員がいないらしいわ。引き続ききんね」
「出払いすぎでは……」
 他の事件とやらが結構な規模なのだろうか?
 近藤さんの話を聞いて田口さんは、、、、、シロだとはっきりと分かったけど、いづみさんにはギリギリまで言わないでおく。
 あなたが持っている冷静な判断能力で、田口さんや近藤さんの証言に基づいて正しい決断をしてください。
 僕の誤認逮捕のトラウマに負けずに頑張って。
「もう一度田口さんのマンションに向かいましょう」
 近藤さんの証言を得た僕たちは再度田口さんの自宅マンションへと向かった。
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