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2日目 いづみお姉さんとの同棲生活 ①

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 三月某日水曜日。
 衝撃的なイベントから一夜が明けた。
 当然ながら昨夜は眠れなかった。僕が自由の身ならば、コーヒーを飲みたいところだ。
 単に緊張していたっていうのもあるけど、僕の睡魔を吹き飛ばした決定的な要素がこれだ。
「すぅ、すぅ」
 僕の眼前では中条さんが寝息を立てている。
 しかも彼女はフリーの右手で僕の背中に手を回して全身を僕に密着させて寝ているものだから、寝息が僕の顔にかかるわ、寝顔が拝めてしまうわ、密着した女性の身体の柔らかさ、華奢さがダイレクトに伝わってきて――もう、睡眠どころではなくなってしまった。
 僕はさながら抱き枕かぬいぐるみか。
 ここで中条さんのスマホのアラームが鳴った。
「んん……」
 中条さんはゆっくりと目を開けて、その瞳が僕を捉えた。
「……あ」
 至近距離で見つめ合う形に。
「ご、ごめんね! 私、寝相がよろしくないみたいで……っ」
「い、いえ、こちらこそ」
 顔を真っ赤にした中条さんは僕から勢いよく離れたため、手錠によって僕の右手が引っ張られてしまった。
「ゴホン。お、おはよっ」
「おはようございます……」
 中条さんがアラームを解除すると、お互いに朝の挨拶を交わす。
 僕たちは朝っぱらから何をやっているのだろうか。

「「いただきます」」
 バタートーストを咀嚼そしゃくする。トーストであればトースターで焼いてバターを塗り、ハムを挟むだけなので今の状況でもわりかた簡単に作れる。
 かじったパンを飲み込んでから、僕は口を開いた。
「あの、家賃半分出しましょうか?」
 僕の提案に、トーストを頬張る中条さんが怪訝けげんそうな表情を向けてきた。
「どうして?」
「なし崩し的にですけど、僕が転がり込む形になりましたし」
「そんな、いいよ。何度も言うけど、原因は私だから」
「でも……」
 僕は一応派遣で日雇いバイトをしているのでまとまった貯金はある。
「その気持ちだけで十分お腹いっぱいよ」
 トースト一枚と僕の気持ちだけで満腹になったのなら何よりだ。
 朝食を食べ終えた僕たちはお互いに用を足してから洗面所で歯磨きと洗顔を済ませた。
「さて、と。メイクをしなきゃだけど……」
 中条さんの左手は僕の右手と手錠で繋がれてるため自由に操れない。
「ま、片手でなんとかなるか」
 中条さんがメイクをはじめたので僕は視線を逸らす。
 ファンデーション、アイブロウ、リップ等々。メイク時間はさほどかからなかった。
「待たせてごめんなさい。では出勤しましょうか」
「了解です」
 こうして、中条さんと二人仲良く職場へと向かうことに。
 ……こう表現すると、トキメキ感しかないんだけどなぁ。

    ◆

「お二人とも、おはようございます!」
「おはよう」
「おはようございます」
 鶴見つるみ交番に到着すると、先に出勤していた平木田巡査が元気に挨拶してくれた。
「中条せんぱーい、昨晩はお楽しみでしたか?」
「平木田さん、朝から下品な話題はやめなさい」
 中条さんが平木田巡査をキッと睨む。完全に仕事モードで凛としている。
 二人は鶴見つるみ交番で勤務している。
 新人警察官の平木田巡査は朝から元気だ。元気があるのはいいことだ。
「蓑田さん、昨晩手は出せましたか?」
「下世話な話はやめなさい。そんなわけないでしょ。彼は誠実なんだから」
 平木田巡査、お願いですからデカイ声で僕と中条さんの話をするのは遠慮してください。
 あと手を出されたのは僕の方です。ベッドで抱擁ほうよう的な意味で。
「僕と中条さんは健全な間柄ですよ」
 手錠で繋がれた状態で述べても事情を知らない人からしたら説得力ゼロだろうけど。
「蓑田氏、中条姫の城を攻め崩せず――ん?」
 平木田巡査は引っかかりを覚えたようで、小首を傾げた。
「中条、『さん』?」
 違和感の正体に気づいた彼女は僕をまじまじと見て、
「距離縮めるの早くないですか? 蓑田さん、実はロールキャベツ系男子なんですか?」
「いや、えっと……」
「私から巡査呼びはやめてとお願いしたの」
 中条さんが助け船を出してくれた。非常にありがたいです。
「ふーん」
 平木田巡査は真顔で反応すると、すぐに何か企んだような笑みを浮かべた。
「蓑田さんっ」
「ん?」
「私のことも巡査抜きで呼んでください!」
 彼女は後ろ手を組んで、歯を見せてにこやかに微笑んだ。
 中条さんが美しさの骨頂ならば、平木田さんは可愛いの骨頂だ。
「了解です。平木田さん」
「敬語も抜いてもらっていいですよー。蓑田さんの方が年上ですし」
「なら、遠慮なくそうするよ」
 平木田さんは僕がフランクな話し方に切り替えると嬉しそうに頬をほころばせた。いちいち行動が小動物っぽくて愛着が湧きそうになる。
「平木田さんは僕より年下なのに、立派に働いてて尊敬するよ」
 随所に不思議ちゃんが炸裂してるけど、昨日は熱い一面も覗かせていた。十代で警察官の仕事に情熱を注いでいるのは素晴らしい。ファンタスティック。
「もうっ、ちょおーっとおだてられてコロッと落ちるほど、私はチョロい女じゃないですよぉ」
 平木田さんは僕の腕を軽く叩いてきた。
 言葉とは裏腹に声色こわいろと表情はたいそう上機嫌に見えるけど。顔も赤いし。
「……平木田さん。お喋りばかりしてないで仕事仕事」
「はぁーい」
 中条さんから注意を受けた平木田さんは事務椅子に座ってパソコンを操作しはじめた。
「あの、僕でも手伝えそうな仕事は――」

「おっ、君が蓑田君かい?」

 中条さんに仕事の指示を仰ごうとしたところで、柔らかな男性の声が響いてきた。
 交番の入り口に視線を送ると、三人の男性警察官が立っていた。
「あ、はい。蓑田利己です」
「昨日坂町警部から事情は聞いたよ。災難だったねぇ。僕は鶴見つるみ交番所長の平林宗嗣ひらばやしむねつぐ。今年で四十一歳。階級は警部補。お見知りおきを」
 平林所長はこれまた警察官らしからぬ物腰の柔らかい、温厚そうな中年男性だ。
「俺は岩船健吾いわふねけんご。巡査長、三十二歳だ」
 岩船さんは平林所長とは対照的でいかにも警察官らしい精悍せいかんな顔立ちに、長身で引き締まった肉体を持っている。いかにも真面目そうな壮年男性だ。
「オイラは巡査の村上重樹むらかみしげきッス! 年齢は二十七ッス!」
 オ、オイラ? 個性的な人だな。
 特徴的な話し方の村上さんは眼鏡に低身長の痩せ型男性だ。制服を着ていなければ警察官だとは思われない体躯たいくだ。
 村上さんは何かを『落とし物BOX』と書かれた箱に入れた。
「落とし物ですか?」
「恐らくマンションの鍵ッス。最近鍵の紛失が多いんスよ」
 村上さんは平木田さんの問いに答えた。
「誰かさんも手錠の鍵を失くしたしね」
「うっ」
 平林所長の冷たい視線に、中条さんはビクリと肩を震わせた。
「昨日もご挨拶しましたが、私は巡査の平木田なぎさですっ」
 最後に平木田さんが自己紹介をしてくれた。
「以上、この五名が鶴見つるみ交番担当の日勤メンバーだ。夜勤メンバーもいるけど蓑田君が会うことはないから割愛するよ」
「皆さん、よろしくお願いします」
 僕が一同に頭を下げると、皆さんが拍手で歓迎してくれた。ちょっと気恥ずかしい。
「中条のお目付け役とは、重大な役どころだな」
 岩船さんが真顔で漏らしたけど、そんな崇高すうこうな役割は僕には荷が重い。
「いえ、あくまで僕は中条さんの付属品みたいなものですから」
「何を言ってるんだ。中条の精神的支柱しちゅうが君のミッションだよ」
 平林所長はハハハと笑う。つかみどころがない人なので冗談なのか本気なのか分からない。
「そうでしたか……」
 致し方なく行動をともにしてるに過ぎないと思っていたのは大いなる勘違いだったのか。
「違いますよね。けど、蓑田君にはご迷惑をおかけして重ね重ね申し訳ないわ」
「迷惑とかは思ってないですよ」
 やはり違ったんだ。安心した。
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