平坂アンダーグラウンド

小鳥頼人

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Chapter3:富と地位と名声を犠牲にして自由を得る ①

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 七月下旬に差し掛かろうかという時期。俺がいた平坂高校もまもなく夏休みだろう。
 それでも俺がやることは変わらずで。
「さすがに外はあっちーなー」
 土曜日の午前中もこうして平坂市内を散歩している。
 もっとこう、生産的な趣味でもあれば有意義なニートライフが過ごせるんだけどな。
「生憎そんな崇高すうこうなモンはないしな……」
 あくびを噛み殺しながら住宅街を歩いていると、ふとこの場所に相応しくない物体が俺の視界に映り込んだ。
「テント、だよな……?」
 住宅街の一角のとある一軒家の庭に、オレンジ色のテントが我が物顔で佇んでいた。
 キャンプ場ならいざ知らず、こんな場所にあるのは違和感しかなく、街並みとマッチしていなさすぎる。
「失礼しまーす」
 例によって気になったのでテントの中に入ってみると、一人の男性が寝転んだままこちらに視線を向けてきた。
 年齢は五十代くらいだろうか。チョイ悪オヤジって感じで精悍せいかんな顔立ちだ。若い頃はさぞかし女をとっかえひっかえしてきたことは想像にかたくない。偏見だけどな。
「どうした小僧。何か用か?」
「ここはあなたの家の庭ですか? 変わった趣味ですね」
 自分の庭でキャンプとは、これまた個性が強いキャラクターが登場したな。
 キャンプといってもテントの中でゴロゴロしてるだけでバーベキューとかはしてないけど。
「違う違う。ここは俺の庭でもないし、家も俺のじゃないよ」
 オッサンはまるっきり赤の他人の家の敷地にテントを張っていた。
「追い出されないんですか?」
「平気平気。この家は留守が多いんだ。だからその隙をついてテントを張っている」
「お、おう……」
 はた迷惑な輩だな。俺が家主にチクりを入れてやろうか。
「近隣住民もダルいのか口を出してこないし警察も呼ばないから、今のところは弊害なく暮らせてるよ」
「周囲の目を一切気にしない無敵の人ですか」
 万が一、俺の家の敷地内にテントを張られた日にゃ全焼させてやるけどな。灯油をたっぷり
とまき散らしてやる。出血ならぬ出火大サービスだ。
「家主が帰ってきた時はネットカフェや河川敷とかで寝てるね。たまーに奮発してビジネスホテルに泊まることもあるぞ」
「ビジネスホテルに泊まるお金があるんですか?」
 ホームレスの寝所ねどこといえば河川敷の橋の下、公園、簡易宿所(通称ドヤ)のイメージがある。
 ドヤはドヤ街があるくらい、特に貧困層から需要がある。近頃は外国人バックパッカーから隠れた人気を誇るドヤ街もあるとかないとか。
「これでも元大手勤務だったからな。貯金はたんまりあるのよ」
「まさかの元勝ち組エリートでしたか」
 完全なるホームレスではないんだな。道楽でやってる半ホームレスって具合か。本場のホームレスの方々に失礼な気しかしないけど。彼らは毎日生きるのに必死なんだぞ。
 ま、かといって俺は何か支援したことはないんだが。
「収入はなくなったけど、ストレスフリーの気ままな半ホームレス生活は快適だ」
「気まますぎて人様の土地に不法侵入してますけどね」
 ストレスフリーになると思考までフリーダムと化すのか? 俺も浮浪者と大して変わらないけれど、こうはならないよう肝に銘じておこう。反面教師万歳。
「そう言ってくださんなって。俺にはしばらく心の休暇が必要なんだからさ」
「心の休暇ですか」
「激務で心身ともに疲労が溜まってぶっ倒れてしまってな。大手の役職持ちということもあって、上からのプレッシャーも激しくて。俺としてはスローライフを求めたかったわけよ」
 その結果がホームレスもどきってこれまた極端だこと。
「にしてもです。人様の庭でテントはいただけませんよ」
 困惑気味に非難するとオッサンは気だるげに立ち上がった。
 思いの外背が高いな。180センチちょいはある。
「仕方がない。日雇いバイトの時間も近いしテントを畳むか」
「バイトしてるんですか?」
「半ホームレスでも最低限生きる分の日銭ひぜには稼がないとだからな」
 気安く聞いてみたつもりだったが、予想外の正論バズーカが飛んできて動揺してしまった。
「身に染みるお言葉でございます」
 毎日親のすねをかじりまくってて申し訳ない。かといって改善する気は一切ないけどな。
「そう思うならお前も来いよ。人数は当日変動しても平気な現場だからよ」
「えっ、そういう展開!?」
 一人くらいの変動なら問題ない規模の現場なのか? だとしてもだ。派遣会社に登録していない俺に突然来られても現場は困惑するんじゃないの?
「現場には俺から連絡しておく。ちなみに日給は手渡しだ」
「手渡しだと働いたって実感が湧きそうですね。ですが、俺が行く意味って」
「社会勉強の一環だ」
「う、うっす」
 俺は社会などクソくらえと思ってるんだけどな。まさかの三話目にして社会の歯車に成り代わるとは、俺の信条もガバガバだぜ。ガバガバなのは世界観だけにしてほしいよな。
 俺の心のぼやきなど知る由もない半ホームレスのオッサンは、畳んだテントを担いで歩きはじめたのでなあなあでついていった。

    ◎

「ところで、大手の肩書きがあったのに結婚しなかったんですか?」
 大手勤務は年収が高い印象があるし、女性からの需要もあったのではなかろうか。
「俺は既婚だよ。娘も二人いる」
「えぇ……妻子持ちが半ホームレスごっこしてて家庭は平気なんですか?」
 世間体的には無傷なはずがない。自分の家族が同じことをしてたら俺はどんな気持ちになっていたことやら。家庭崩壊してそうだ。
「理解がある家族を持って幸せだよ」
 家族の詳細なやりとりは知らないけど、本当に優しいのか単に厄介払いできて清々しているのかは謎だ。真相は闇の中。
「娘さんはおいくつなんですか?」
「なんだ、狙ってるのか?」
 オッサンはニマっと挑発的な笑みを向けてきた。何を期待してるのか知らないけど、
「そうではないですけど」
 顔も性格も分からない女の子を狙うほど俺は性に餓えてない。お見合いじゃあるまいし。
 それに俺は自称ハードボイルドな男なのだ。
「ちなみに上が大学一年、下が高校二年だ」
「お年頃ですね」
 二人とも多感な年齢の娘さんだ。マイファザーがこれで本当にいいのか? 学校でイジメられてないかとても心配。
「どっちもフリーだ。紹介してやろうか?」
「大変嬉しい提案ですけど遠慮しておきます。俺今ニートですし」
 ニートの自分を棚に上げて、女の子とイチャイチャしたいと要求できる境地にはまだ達していない。普通にダサくてイタくて恥ずいしね。
 あと、父親が会ったばかりのどこぞの馬の骨とも分からぬ俺においそれと娘を紹介ってのもおかしいだろ。父親という生き物は娘に男ができるのを嫌がるイメージなのに。
「ウチはおおらかだからそんなん気に病む必要はないぞ」
「おおらかすぎやしませんか? あと病んではいませんけどね」
 ちょっとだけ開き直りかけてはいるけどね。
「自分で言うのもアレだけど、二人ともルックスは抜群だぞ。性格は――まぁ……」
 それ、外見は良いけど性格微妙と言外ごんがいに表してるぞ。
 ただの勘だが、いずれ娘さんが二人とも登場してくる気がして少しだけ憂鬱な気分になった。
「と、着いたぞ」
 オッサンが足を止める。
 辺り一面を見渡すと、なるほど。野外イベント会場だな。
「今日一件目のバイト先はここだ。仕事内容は野外イベントの設営」
「ん? 今、一件目って聞こえたんですけど空耳そらみみですよね?」
「安心しろ。お前の耳は正常だ。今日のバイトは二件ある」
 オッサンは無情にも右手でピースを作って笑顔を見せた。
 空耳そらみみであってほしかった。俺の心情はオッサンの顔とは対照的に暗雲が立ち込めた。願い叶わず無念なり。
「では、元気に作業するぞ!」
「は、はいぃ~」
 とりあえずオッサンについていく。
 人生初の労働。デビュー戦は重要だ。ここでつまづけば、社会不適合者として今後の労働も厳しいものとなるに違いない。
 ――あれ? なんで俺こんな必死になってるの? ニートなんだから関係ないじゃん。
 とも思うが、ひとまず邪念は振り払って作業に集中しよう。
 俺は自他ともに認めるクズ野郎だが、日給が支払われる以上は下手な仕事はできない。今日だけはニートキャラの看板を下ろしてやる。
「ボス! 指令をください!」
 大きな声で元気よく、仕事慣れしてるであろう半ホームレスのオッサンに指示を仰ぐ。
「人に聞く前にまず自分で動けぇ!」
「んな無茶苦茶な!?」
 自分でもなにも、現場どころか働くのが初めてなんですけど? 多少は教えてもらわないと困りますよ。
 仕方がないので勘で動いてみたものの、
「おいお前勝手な真似すんな!」
 現場のリーダーっぽい人に怒鳴られた。
 どないせぇっちゅーんや。俺、今なら泣いても許されるよね? 男泣きしていいよね?

 この仕事は野外音楽イベント会場の設営。
 小規模かつ作業内容がイベント前の準備のみのため、労働時間は四時間で設定されている。片付けは明日の人員で実施するとのこと。
「片倉君、倉庫から資材持ってきてー」
「了解でーす!」
 俺の仕事はというと、ひたすら資材運搬。オッサンはこの仕事に慣れているのか、テントの
組立てなどもきびきびした動作で進めている。腐っても元大手勤務の役職者、有能だ。
「結構重いな……!」
 運搬物はそこそこ重たい資材が多く、いい運動になっている。
 けれど、夏の野外ではかなりハードだ。汗が身体中からドバドバと垂れてくる。パイプ椅子を運搬するにしても、折り畳まれた状態で五脚いっぺんに持ち運ばないといけないのでしんどい。
「おう片倉! 精が出るなぁ!」
「お前なかなか動けるじゃねーか」
「お、お褒めに預かり光栄です」
 屈強な男性先輩たちから労いを受けるが、その度にお股を触られるセクハラを受けている。
 こう、精神的にくるものがある。精力が吸われてる気もする。ある意味確かに精が出ている。
 体力と精気を消費していると、半ホームレスのオッサンがやってきて俺の肩に手を置いた。
「元大手企業役職者の俺が紛れ込んでるとは現場の誰もが夢にも思うまいな」
「いつまで過去の栄光にすがりついてるんですか。ホームレスの風上にもおけませんよ」
 俺はニヤリとほくそ笑むオッサンに冷淡な返答をしておいた。
 こうして特にミスもなく、よどみなくイベント会場の設営作業は予定時間よりも早く終了した。
 それでも当初通りの日給がいただけるのは感謝しかないな!
 ちなみにちょくちょく間に挟み込まれた休憩時間に飲んだスポーツドリンクは支給品でタダということもあり、最高に美味しかった。
 汗水流して働くって悪くないとつい思ってしまったのだった。
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