上 下
17 / 105
第2章「振られた翌日の、悪夢みたいな」

5.最大限で。

しおりを挟む

 保健室を出て、職員室に戻る途中。
 前方の社会科準備室から、さっそく、強敵が出現しちゃった。

 ――春樹。

 早めに出勤したから、まだ時間はある。
 まだこっちに気付いていないから、今ここで迂回することも可能だけど。

 でも。
 ……ずっと逃げている訳にはいかない。
 どうせ、すぐ会うんだから。

 昨日、春樹から離れた時の私じゃないはず。
 泣くのをただ堪えてた、私じゃない。
 がんばれ、私。

 は、と息を整えて。春樹の所に向かう。

「おはようございます」

 そう声を掛けたら、春樹が驚いたように振り返って、私を見た。

「あ、琴葉……」

 そう言った。――何。琴葉って。すっと、私の心が冷たくなった。
 今まで、一度も職場で呼んだこと無かったのに。
 バカだな。……うろたえすぎだよ、春樹。

「森本先生、おはようございます」
 私は、自分でも驚くくらい、冷静に、声を出せた。春樹が、狼狽えてるから。そうなれたのかも。

「……おはよう、ございます」
 私が、まっすぐ見つめてくるのが不思議なのか、春樹は、戸惑った声でそう言う。

 元カレ。元婚約者。
 ……あれ。この人って、こんな顔だっけ。

 恋とか。好きとか。そんな気持ちが解けたら。
 何だか、全然知らない人みたいに、見えた。

 昨日まで、一生一緒だと、思っていた人なのに。

「――――」
 まっすぐに、春樹を見つめた。

 私ね。……昨日、ただ泣いてた訳じゃないんだよ。
 あなたより、多分、めちゃくちゃ上手な人と、一晩過ごしたの。
 素敵な夜だった。
 そのおかげで、泣かずに、こうして、あなたの前に居られる。

 ……そう言ったら。傷つくかな。
 ――千里が言ったみたいに、痛い目、見せれるかな……。
 
 そんな風に、ちらっと嫌な気持ちが浮かぶけど。でも、そんなことをしても、何の意味もない。

 言わない。

 ほんの少しの間、無言で見つめ合っていたら。
 社会科準備室のドアが開いて、「待ってくださいよー」という甘い声。
 うわ。……ラスボスも登場、だ。

 私が春樹と向かい合ってるのを見た池田先生は、あ、と止まって。それから。

「中川先生、おはようございますー」

 春樹の隣に並んで、甘い声で私に挨拶する、多分こうなってしまった「元凶」。でも、元凶がこの人でも、そうなることを決めたのは、春樹だし。この人を、責める気は無い。

「池田先生、おはようございます」
 この上なく、にっこりと、笑顔で挨拶をしてみせる。

 多分、二人は、そんな風に来るとは思ってなかったんだろうと思う。
 言葉に詰まってる。

 並んだ二人のその表情を見て。ますます気持が冷めた。
 この感じだと……私に別れを告げたことをこの二人は話して、その状況を共有してて。
 私が今日、泣きながらやって来て、二人を避けるとでも、思ってたのかな。
 そう思うと。ほんとに、馬鹿らしくなってきた。

「昨日の件は気にしないでくださいね。むしろ、状況が固まって動けなくなる前に、色々分かって本当に良かったと思ってるので……あと、これからは……」
「――――」
「もう二度と、名前で呼ばないでくださいね?」

 にっこり笑って言った私に、春樹は、ぐ、と言葉に詰まってて。
 何か言おうとしたけど、何も、言えないみたいだった。

 私は、返事も聞かずに、くる、と踵を返す。
 職員室とは逆の方向に。

「きゃー、こわーい……」
 ひそひそした声で、後ろで池田先生の声が聞こえてくる。

 春樹はあれに、何て返事をするんだろう。
 もう。……どうでも、いいけど。

 せめて聞こえないように言えばいいのに。
 ……何が、怖い、よ。
 最後のラスボスのセリフに、少し心が乱れた。

 落ち着け、私。
 大丈夫。
 今出来る、私の最大限で、頑張って乗り切ったはず。
 ちゃんと、笑顔で。普通に。
 
 大丈夫。
 落ち着いて。

 私は。唱えながら、
 ある場所に、向かって、足を速めた。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寡黙な彼は欲望を我慢している

山吹花月
恋愛
近頃態度がそっけない彼。 夜の触れ合いも淡白になった。 彼の態度の変化に浮気を疑うが、原因は真逆だったことを打ち明けられる。 「お前が可愛すぎて、抑えられないんだ」 すれ違い破局危機からの仲直りいちゃ甘らぶえっち。 ◇ムーンライトノベルズ様へも掲載しております。

【完結】【R18】男色疑惑のある公爵様の契約妻となりましたが、気がついたら愛されているんですけれど!?

夏琳トウ(明石唯加)
恋愛
「俺と結婚してくれたら、衣食住完全補償。なんだったら、キミの実家に支援させてもらうよ」 「え、じゃあ結婚します!」 メラーズ王国に住まう子爵令嬢マーガレットは悩んでいた。 というのも、元々借金まみれだった家の財政状況がさらに悪化し、ついには没落か夜逃げかという二択を迫られていたのだ。 そんな中、父に「頼むからいい男を捕まえてこい!」と送り出された舞踏会にて、マーガレットは王国の二大公爵家の一つオルブルヒ家の当主クローヴィスと出逢う。 彼はマーガレットの話を聞くと、何を思ったのか「俺と契約結婚しない?」と言ってくる。 しかし、マーガレットはためらう。何故ならば……彼には男色家だといううわさがあったのだ。つまり、形だけの結婚になるのは目に見えている。 そう思ったものの、彼が提示してきた条件にマーガレットは飛びついた。 そして、マーガレットはクローヴィスの(契約)妻となった。 男色家疑惑のある自由気ままな公爵様×貧乏性で現金な子爵令嬢。 二人がなんやかんやありながらも両想いになる勘違い話。 ◆hotランキング 10位ありがとうございます……! ―― ◆掲載先→アルファポリス、ムーンライトノベルズ、エブリスタ

婚約者の番

毛蟹葵葉
恋愛
私の婚約者は、獅子の獣人だ。 大切にされる日々を過ごして、私はある日1番恐れていた事が起こってしまった。 「彼を譲ってくれない?」 とうとう彼の番が現れてしまった。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

【R18】寡黙で大人しいと思っていた夫の本性は獣

おうぎまちこ(あきたこまち)
恋愛
 侯爵令嬢セイラの家が借金でいよいよ没落しかけた時、支援してくれたのは学生時代に好きだった寡黙で理知的な青年エドガーだった。いまや国の経済界をゆるがすほどの大富豪になっていたエドガーの見返りは、セイラとの結婚。  だけど、周囲からは爵位目当てだと言われ、それを裏付けるかのように夜の営みも淡白なものだった。しかも、彼の秘書のサラからは、エドガーと身体の関係があると告げられる。  二度目の結婚記念日、ついに業を煮やしたセイラはエドガーに離縁したいと言い放ち――?   ※ムーンライト様で、日間総合1位、週間総合1位、月間短編1位をいただいた作品になります。

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【R18】国王陛下はずっとご執心です〜我慢して何も得られないのなら、どんな手を使ってでも愛する人を手に入れよう〜

まさかの
恋愛
濃厚な甘々えっちシーンばかりですので閲覧注意してください! 題名の☆マークがえっちシーンありです。 王位を内乱勝ち取った国王ジルダールは護衛騎士のクラリスのことを愛していた。 しかし彼女はその気持ちに気付きながらも、自分にはその資格が無いとジルダールの愛を拒み続ける。 肌を重ねても去ってしまう彼女の居ない日々を過ごしていたが、実の兄のクーデターによって命の危険に晒される。 彼はやっと理解した。 我慢した先に何もないことを。 ジルダールは彼女の愛を手に入れるために我慢しないことにした。 小説家になろう、アルファポリスで投稿しています。

処理中です...