「今日でやめます」

悠里

文字の大きさ
上 下
24 / 38

第23話 分かる

しおりを挟む


 稲垣 和史いながき かずしくんと言うらしい。……先生の苗字、初めて知った。

 短髪、肌は白い。先生は黒いけど、肌の色以外は、やっぱり先生に似てる。真面目そうで、パッと見、冷たそう。でも、笑うと、急に優しい感じになる。
 声のトーンが落ち着いてて、医者っぽいな、と思った。


 帰れなくて、温泉に泊まってた。

 和史くんはため息をつきながら、そう言った。オレと慎吾は、また顔を見合わせた。

 来たばっかりのオレでも、なんとなく想像できる。
 帰るって言って都会の医大に行ったまま、帰らず、そっちで医者をやってる、あの先生の息子。

 帰ったら、バトルだろうな……。

「……なんとなくわかります。大変そうですよね」

 思わず言うと、和史くんは、えっという顔でオレを見た。まだオレは、自分の名前と慎吾の同級生って話しかしてないので、まあ当然か。
 何で分かるんだって思うよな。と苦笑してると。

「あれ、君って、ずっと居たの? 違うよな、バス停聞いてたくらいだし」
「碧は、めぐばあちゃんの孫なんだよ。むかーし、二年くらい居たの、覚えてない? オレらが小一とかの頃」

 うーん、と考えた後、和史くんは首を傾げた。

「ごめん、覚えてない。めぐばあちゃんの孫かぁ……」
「大丈夫です、オレもほとんど覚えてないんで」
「まあ、学年違うしね。一緒に通学してないから、会ってても忘れるよね」

 慎吾の言葉に、皆で、だよね、と頷く。和史くんが「碧、くんは」と言い出したので、「碧でいいですよ」と伝える。

「碧、は、何で分かるって思うの? 大変そうって」

 そう聞かれて、んー、としばし悩んだ後。

「オレも、ずっと帰ってなくて、ばあちゃんが体調悪いって聞いて、会社辞めて帰ってきたとこなんです。んで、ばあちゃんの先生が……和史くん、て呼びますね?」
「ああ」
「和史くんのお父さんで……オレ、超嫌がられてます」
「――――?」

「ずっと帰って来なかったくせに、とか、今更心配してるとか、みたいなちくちく、責められてます」
「――――……」

「つか、オレ、どっちかっていうと孫なので、田舎には、一時住んでただけで、むしろあそこで暮らす方がイレギュラーで。もし帰ってないとか言われるなら、それは、オレの父さんのほうなんじゃって思うんですけど」
「……そう、だよね」
「まあ和史くんのことが、オレに重なるんじゃないかって皆に言われて、なんとなく分かるから、まあ我慢してます。ここ数日」

 あー、と、和史くんは、困ったような声を出した。

「なんか、ごめんね」
「ほんと。なんか理不尽は感じてますけど。……まあ、それだけ、和史くんに帰ってきてほしいんだろうなと……」

 そこでふと、気付く。

「……今って、帰ろうとしてるんですか? それとも、一回話し合いにきただけとか?」

 そう聞くと、和史くんは、んー、と黙り、はー、とため息をついた。

「帰ろうと、思ってきたんだけど」

 おお。じゃあ、この人が帰れば、オレに対するあたりは、弱まるんじゃ? 理不尽な八つ当たりもどきも、なくなるのか? と喜んでいると。

「やっぱり、やめようかな……」
「は??」

 オレが思わず、発した言葉に、慎吾が横で笑ってる。

「碧、お前、分かりやすすぎる」

 そんな風に言われて笑われて、首を傾げる。
 オレ、分かりにくいと言われてたけどな。前の職場。すかしてるとかよく……。

「碧は、和史くんが帰れば、先生の態度が軟化すると思ってそうだけど」

 ぷぷ、と笑う慎吾。 ……あれ、ほんとに完璧に、ばれている。


「帰ろうと思ってきたの? 和史くん」
「……ああ」
「それは、一生、こっちで医者やる覚悟でってこと? それともちょっとだけ休むとか?」
「――――こっちで、医者、やろうかと」

 その言葉に、オレと慎吾、また顔を見合わせて、ほー、と頷き合う。

「やっぱりやめようかなって何?」

 慎吾の言葉に、和史くんは、ため息。

「すみません、日本酒のメニュー下さい」
 と店員に話しかけて、あれこれ頼んでる。酒がすぐ運ばれてくると、ぐい、と煽って、ため息。

「……でかい大学病院でさ。なんでもあるし、なんでもできるって思ってた。都会は、色んなものが揃ってて、田舎には無いものがたくさんあるって」

 まあ確かに。そう思う部分も、ある。
 頷いていると。

「でもなんか――――違うんだよなって、気付いた」

 また酒を一口。
 それから大きなため息。

「曜日ごとで外来を担当して、たくさんいる入院患者をざーっと見て……日々たくさんの人を見るから、まったく覚えていられない。目の前の症状を見るだけ。……つか、オレは、なんか……ああいう医者になりたかったわけじゃないんだって、ずっと思ってて。でも忙しいし、担当抜けられないし、で、ずっと、きたんだけど……三十目前にして、考えて、やめるって伝えた。伝えてから、実際やめられるまで、三か月かかった。まあその間も、やめないようにっていう圧がすごくて。やっとのことで、最後の出勤を終えた時は、ほんと、最高に疲れてたけど……」
「大きい病院ってそうですよね。外来、二回目とか、違う先生になることも多いし」
「……たくさんの人を見れる、治療できる、みたいに思ってたけど……まあ、それは確かにできるし、経験もつめるし……」

 そこでまたため息。

「でも……父さん、みたいな医者が……」

 そこまで言って、黙ってる。
 黙ったまま、肘をついて、顎を乗せて、そのまま固まってる。視線を落としてるので、黙って待っていると、とても静かなトーンで、言ったのは。

「――――オレは、父さんみたいにはなりたくないなーと思ってたんだよな……毎日忙しそうで。往診とかめっちゃ多くて大変そうで。ボランティアか? って思うようなことも多々あるし」

 ……確かに。
 あの畑の昼のあれとか。絶対、お金とかもらってないよな。

「……でもなんか、でかい病院で、綺麗な病院で、ずっと働いてる内に浮かぶのは――――なんか、父さんが診ていた人達の、笑った顔、とかで」

 和史くんは、そこまで言って、はー、とため息。苦笑しながら。


「絶対いやだって、思ってたのにさー、ほんと意味分かんないけど」

 オレと同じように黙って聞いてた慎吾が、不意に、はは、と笑った。

「分かる。あんな医者、大変そうだもんね」
「分かる?」
「分かる。ボランティアみたいって思う部分、オレから見てもそう思うし」

 うんうん、と慎吾が頷く。

「すっげーでかい綺麗な病院に居て、来る患者だけ診て、綺麗な病棟を回って、看護師さんもいっぱいいて……とか、の医者とは、全然違うよねー。知らなくても、そう思う」
「だよな。そうなんだよ」

 慎吾の言葉に、うんうん頷いてる、和史くん。

「でも、先生、めっちゃ好かれてるよ」

 ふ、と笑いながら言った、慎吾の言葉。
 和史くんは、頬杖をやめて、慎吾を見て。それから、視線を落として、小さく頷いた。


「分かってる」

 そう言って、苦笑してる。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

『別れても好きな人』 

設樂理沙
ライト文芸
 大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。  夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。  ほんとうは別れたくなどなかった。  この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には  どうしようもないことがあるのだ。  自分で選択できないことがある。  悲しいけれど……。   ―――――――――――――――――――――――――――――――――  登場人物紹介 戸田貴理子   40才 戸田正義    44才 青木誠二    28才 嘉島優子    33才  小田聖也    35才 2024.4.11 ―― プロット作成日 💛イラストはAI生成自作画像

人間だった竜人の番は、生まれ変わってエルフになったので、大好きなお父さんと暮らします

吉野屋
ファンタジー
 竜人国の皇太子の番として預言者に予言され妃になるため城に入った人間のシロアナだが、皇太子は人間の番と言う事実が受け入れられず、超塩対応だった。シロアナはそれならば人間の国へ帰りたいと思っていたが、イラつく皇太子の不手際のせいであっさり死んでしまった(人は竜人に比べてとても脆い存在)。  魂に傷を負った娘は、エルフの娘に生まれ変わる。  次の身体の父親はエルフの最高位の大魔術師を退き、妻が命と引き換えに生んだ娘と森で暮らす事を選んだ男だった。 【完結したお話を現在改稿中です。改稿しだい順次お話しをUPして行きます】  

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

『Goodbye Happiness』

設樂理沙
ライト文芸
2024.1.25 再公開いたします。 2023.6.30 加筆修正版 再公開しました。[初回公開日時2021.04.19]       諸事情で7.20頃再度非公開とします。 幸せだった結婚生活は脆くも崩れ去ってしまった。 過ちを犯した私は、彼女と私、両方と繋がる夫の元を去った。 もう、彼の元には戻らないつもりで・・。 ❦イラストはAI生成画像自作になります。

20年かけた恋が実ったって言うけど結局は略奪でしょ?

ヘロディア
恋愛
偶然にも夫が、知らない女性に告白されるのを目撃してしまった主人公。 彼女はショックを受けたが、更に夫がその女性を抱きしめ、その関係性を理解してしまう。 その女性は、20年かけた恋が実った、とまるで物語のヒロインのように言い、訳がわからなくなる主人公。 数日が経ち、夫から今夜は帰れないから先に寝て、とメールが届いて、主人公の不安は確信に変わる。夫を追った先でみたものとは…

処理中です...