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「タイミング」
しおりを挟む「タイミング」
私が上がる時間を過ぎて、お渡しの予定時間になっても、清水さんは来なかった。ぴったりきてくださいって訳じゃないし、閉店まではまだあるんだけど。
「先輩、清水さんが来ないので、眼鏡の引き渡し、お願いしてもいいですか?」
「あ、そうね」
先輩は時計を見て、んー、と考える。
「了解。でも退勤してから覗いてみたら? せっかく来てくれたんだし」
「分かりました。じゃあ、顔出しますね」
私は残ってる先輩達に挨拶をして、バックヤードのロッカーへ。制服を着替えながら、ふと、スマホに着信があったことに気づく。
『今日、早上がり? 上がったら電話して』
駿からのメッセージを通知だけで読んで、既読にはしないで、閉じた。
一応、シフトは決まった時点で写メしてるから、それ見て連絡くれてるんだと思う。後で電話しよう。別に喧嘩してる訳じゃないけど。ちゃんと話せる状態で電話したい。一人になったら。
社員の出口から一旦出て売り場に戻ると、先輩の居るカウンターに清水さんが座っていて、耳や鼻のかかり具合の調整をしていた。
「あ、清水さん、すみません」
後ろから声をかけると、清水さんが、振り返って微笑んだ。
「あがる時間だったので」
そう言うと、清水さんは「いやいや」と笑った。
「あの後、店に行って、少し仕事してたら、電話が来て、それが長くて」
清水さんが苦笑しながらそう言う。
先輩が最後の調整を終えたみたいで、「こちらでどうですか?」と清水さんに眼鏡を渡した。
ゆっくりかけて、少しあたりを見回してから、鏡で確認して、ふ、と微笑む。
「良い感じ。ありがとう」
「いえ」
そう言う清水さんの笑顔は、新しい眼鏡が似合ってて、素敵だった。先輩も、にっこり笑って、「お似合いです」と伝える。私も横で、頷いて見せる。
こういう眼鏡をお渡しして、満足そうに嬉しそうに笑ってくれる時、この仕事は、楽しいなあと思う。
「こっちをかけて帰ろうかな」
ぜひ、と先輩が言う。元の眼鏡を新しい眼鏡ケースに入れて、清水さんは立ち上がった。
「ありがとうございました。また、お店に行きますね」
「はい、ぜひ」
先輩と清水さんが話しているのを隣で聞いていると、清水さんが私に視線を向けた。
「水野さんは、駅まで帰りますか?」
「あ、はい」
「じゃあ一緒に行きましょうか」
一瞬考えたけど、別に駅まで位、と思って、頷く。
「じゃあ先輩。私明日お休みなので、また明後日」
「はいはーい。……って、あ、そうだ」
先輩が、急にキラキラしだした。
う。なんか、変なこと考えてそう……。
「良かったら三人で、ごはん行きません?」
「え」
清水さんはとっても戸惑っている。
せ、せんぱーい……?
「あ、レストランのお客とはダメとか決まりがあるなら無理にではなくて」
「そんなのは別に決まってはいないですけど……まあ、お誘いしにくいですけどね」
「ですよね」
ふふ、と先輩と清水さんは、楽しそうに笑ってる。
「度々お話してますし、たまには一緒に席に座って、っていうのも良くないですか? もちろんご無理じゃなかったらですけど」
「えーと……水野さんは? どうですか?」
清水さんに聞かれて、私が先輩を見ると、先輩は私に、意味ありげににっこり笑った。
そうきちゃったかぁ、先輩。
……さっきの会話を思い出す。他にも目を向けた方がいいとかなんとか。絶対それな気がする。
正直今から断れる感じではない。ていうか私こういうの、ほぼ断れない。清水さんと先輩だし、すごく嫌っていう訳じゃないけど。
「清水さんが、いいなら」
「じゃあ……軽く行きましょうか」
清水さんの言葉で決定してしまった。
「じゃあ、二人、先に行って、お店決まったら、連絡ください。私上がったらすぐ行きます」
「了解です」
ニコニコの先輩と別れて、店を出て、清水さんと歩き出す。
「なんかすみません。先輩、あんな感じで、誰とでも仲良い人なので」
「分かります。うちのレストランでも、僕に話しかけてくれますし」
「すごいですよね、先輩」
「ですね」
ふふ、と二人で笑う。清水さんは、穏やかな感じなので、居心地は悪くない。こんな感じなら話すくらい平気かも。二人きりとかちょっとどうしようかと思ったけど、良かった、とホッとしながらも、先輩の思惑にはちょっぴり疲れつつ。
「お店、どういうところがいいですか?」
「僕の店じゃなければどこでも」
そんな風に言う清水さんに、「そうですよね」と、クスクス笑いながら。
「先輩、すごく強いので、お酒が揃ってるとこが好きなんですけど……」
「ああ、強そうですよね」
「ふふ、強そうに見えます?」
「見えます。というか、うちでも結構飲まれてますよね」
「あ、そうでした」
可笑しくて、笑ってしまう。その笑顔のまま、なんとなくエスカレーターですれ違った人に視線を向けた。ふと、視線を感じたからだと思う。
――――え。
駿??
振り返ったらやっぱり駿で、駿も私を振り返っていた。駿は上に、私は下に離れていく。咄嗟に、「待ってて」と声を出した。
下までたどり着いてから、清水さんに「すみません、待っててもらえますか?」と聞いた。「とりあえず、そこのベンチにいますね」と言ってくれたので、すぐに上に向かった。
駿が、エレベーターの上り口から少し離れた所で待っててくれたので、駆け寄る。
「どうしたの? 何でここに……?」
「花音、全然電話でないから。早番になってたから、とりあえず来てみたんだけど」
そう言ってくれたら、待ってたのに。そう思った時、思い出した。「あがったら電話して」って書いてあったメッセージ。
「……ごめんね」
そう言うと、駿は下の方に視線を向ける。
「今の人は? 待ってる?」
「あ、うん……でも」
「同僚の人?」
「あ、ううん、あの……良く行くお店の店長さん」
「店長?」
「うん、あの、眼鏡作りに来てくれて……」
……あやしい。
めちゃくちゃ、あやしいな、私。
全然やましいことなんか、無いのに、なんか言い訳してるみたいに聞こえる。
どうしよう。なんか。
「待ってて、駿、今から断ってくるから」
「約束してるの?」
「あ、うん食事……あ、二人じゃないよ、先輩も一緒なんだけど」
……なんか話せば話すほど怪しいけど、とりあえず今は、先に先輩と清水さんに話して、今日は無しにしてもらおう。それで落ち着いて、ちゃんと駿と話そう。
「待ってて、あの……」
その時、駿が手に持ってたスマホが振動を始めた。駿は少し眉を寄せる。
「もしもし? ……え? それは明後日で良いって話になったけど? ……どうしても明日? ……分かった、今から戻る。少し時間かかるから」
そう言って、ため息をつきながら、電話を切った駿。
「――花音、オレ、会社戻る」
「……ぁ、う、ん……」
「行かないと。……いいよ。約束してたんだろ。行ってきな」
「……駿、あの……」
「また連絡する。じゃな」
――すごく怒ってる訳じゃないけど。絶対あやしいし、連絡もしてない私に、何か思ってるはず。
駿は、エスカレーターを下りて、行ってしまった。
こないだに引き続いてまた、駿が離れてく後ろ姿を見てしまって。胸が痛い。
せっかく、来てくれたのに。
なんか、色々タイミングが悪い。
清水さんが早く来れてたら、私は店に寄ろうとしてないから、電話したかもしれないし。
駿がもう少しだけ早く来てくれたら、帰るところだったし。
……こういうのが、些細なずれが続いて、人って、別れちゃうのかもしれない。
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