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第三章

13.「取引」*真奈

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 凌馬さんがふと気付いたように立ち上がって、机からペットボトルをもってきてくれた。

「水、飲めそうか?」
「……はい」
 
 ゆっくりと体を起こすと、ペットボトルのキャップを開けて、渡してくれる。強そうで一見怖そうだけど、優しい人なんだろうなと思う。
 水を飲んで、ふ、と息をついたら、凌馬さんもため息をついて、また横に座った。

「……何が、あったンだよ?」
「……」
「俊輔が真奈ちゃんに、そんな真似すんなんて、さ」
「……」
 
 何が? ……拒否したことがそれにあてはまるのかな……。
 
「真奈ちゃんにそんな、傷つける程縛り上げるなんて、何かなきゃありえねえだろ」
「……もう、嫌だって……言って……」
「言って? そんで?」
 
 そんで? と言われても。別に続きがある訳でもなく。
  
「……それだけです……けど……?」
  続きがないとマズイのだろうか? そう思いながら答えると、凌馬さんは呆れたような表情を見せた。
 
「そんだけ? ……今更嫌って言われた位で、そんなキレたのか?」
 
 そんだけって……そんなこと、オレに言われても。
 確かに、あの時、元々苛々はしてたんだと思うけど……。
 曖昧に頷くと、目の前の凌馬さんの顔が少し歪んだ。
 
「……にやってんだ、アイツ……」
 
 大きなため息に、特に何も言えない。
 
「……そんで真奈ちゃんは、何で泣いてたの」
「……」
「痛いから泣いてるってな感じじゃないだろ?」
「……自分でも……良く分からないです」
 
 首を傾げながら、何とかそう答えると。
 
「……ふうん……」
 
 再び大きな息をついて、凌馬さんは前髪を掻き上げた。
  
「……さて。どうしようかな。……オレは、アイツの一応親友なんだよな」
「……」
「真奈ちゃんが逃げたなら本当なら真っ先に教えてやんなきゃいけないんだ、とは……思うんだけど……」
「……」
 
 それも、凌馬さんの姿を見た時から覚悟していたことだったのだけれど。
 俊輔を思い起こすと、唇を噛みしめていないと、震えてしまいそうで。
 
 思わず俯いたオレの頭を撫でて、降り仰いだオレに苦笑いを浮かべた。
 
「……だけどなあ……こんな姿見ると、なんかそれも出来ねえ訳。さて。どうしたら良いかね?」
 
 どうしたらいいかなんて言われても、逃げ出してきてしまった今となっても、自分がどうしたら良いのかすら分からない。
 
「……もう俊輔の側には居たくないか?」
「……」
  
 微かに戸惑いながらも、小さく頷いたオレに、凌馬さんは困ったような顔をした。
 
「真奈ちゃんは俊輔と取引したんだよな?」
「……?」
「真奈ちゃんが俊輔のモノになるかわりに、アイツは誰かを助けたんだろ? オレは確かそう聞いたけど。違うのか?」
 
 凌馬さんのその言葉に、しばし考えて、小さく頷いた。
 確かにあの時、秀人のことを助けてくれて、多分オレのことも助けてくれた。……そのかわり、全部の生活捨てて俊輔のところに、なんて、そんな要求だった。確かに、取引と呼べるものだったかもしれない。 
 
「……とはいってもな。こんな事する今のあいつんとこに真奈ちゃん返すの、可哀想だしな。そんで真奈ちゃんが死にでもしたら、オレ、一生後悔する気がするし……」
「え」
「いや、マジでな……」
 
 冗談なのか本気なのか。苦笑いして見せた凌馬さんに、オレも思わず、ふ、と笑い返す。
 すると、凌馬さんは途端に、嬉しそうに笑った。
 
「……笑うと、普通に可愛いよな」
 
 よしよし、と撫でられて、思わず無言で凌馬さんを見上げた。
 
 もしあの時、この人のとこに、オレが乗り込んでたら。
 ……今こんな風にはなっていないだろうなぁ、と思う。
 
 思うけれど、それもまたそういう運命なんだろうかとすぐに諦めた。
 そんなオレの目の前で、凌馬さんは腕を組んで座り直した。
 
「まあ取引って言っても、取引内容はどーせ後から告げられたんだろ?」
「……一応最初に……」
「俊輔、最初にちゃんと言ったのか?」
「……今の生活捨てて、オレのモノになるなら、て言われたので……」
「それ言われて、意味分かってたか?」
「……」
 
 ぷるぷるぷる。小さく首を振ると、凌馬さんはポリポリと首の後ろを掻いて、首を竦めた。
  
「……なんっかどーも、無条件に俊輔に返すの、良心が痛むんだよな……」
「……」
 
 オレの命って。
 ……今この人が握ってるんだよな、きっと。
 戻されたら、やっぱり殺されるかな……。
 
 ぼんやりとそんなことを考えていると、凌馬さんはふ、と気付いたように、オレを覗き込んだ。

「水はもういい?」 
「はい。……ありがとうございます」
「ん。 ……ほんと、普通の良い子、だよな」
 
 クスクス笑う凌馬さんは、ペットボトルを受け取って蓋をしめた。
 
「……いつからちゃんと食えてねえの?」
「え?」
「飯。食べれなくなってどの位だ?」
「……四日位ですけど、 でもそれまでもあんまり食欲はなかったんで……」
 
 どれ位、だろ。
 ……そういえば、少し痩せたかな……?
 
 答えると、一体何回目なんだか。また大きく息を付いて、椅子に座り直すと、凌馬さんはゆっくりと言葉を口にした。
  
「……真奈ちゃんが決めて良いぜ」
「え?」
「戻りたいか 戻りたくないか」
「……」
 
 そんな聞かれ方をしたら、間違いなく戻りたいないと答える。

 その筈なのに。
 咄嗟に声が出なかった。




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