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第三章

2.「逃げる?」*真奈

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「すみません、もう時間なので少し出かけてきます。その間に医者が来ますが、彼は絶対に余計な事は口にしませんから、きちんと治療を受けて下さいね?」
「……はい」

「何かあったら、こちらの電話で呼び出してください。私の番号が登録されています」

 サイドテーブルに、スマホが置かれた。頷いたオレに、「ゆっくり休んでくださいね」と言って、西条さんが姿を消した。

 本当に、どうしたら良いか、分からない。
 ……俊輔に、会いたくない。俊輔が怖いと、思ってしまってる。

 安心して眠れるタイムリミットは、今夜まで。
 ……西条さんの言葉なんて、なんの救いにも聞こえない。

 落ち込んでるとか。……ほんとかって感じ。

「――――……」

 お粥を少し口に運んで、すぐにサイドテーブルに避けた。 
 食欲なんか、ある訳がない。
 ベッドに沈んで目を閉じていると、しばらくしてノックと共にドアが開いて、白衣を着た男が現れた。
 
「おはようございます。少しは楽になりましたか?」
「……はぃ」

 昨日は気を失っている間に治療が済んでいたので、羞恥は無かった。
 でもこの人に、昨日、色々見られたのかと思うと、どうにも、視線をまっすぐ向けられない。

 もう今日は大丈夫だと言うオレに対して、必ず治療するように言われていると、医者は頑なに言う。
 心の中では半分泣きながら、オレは仕方なく治療を受ける事になった。

 男にやられて、こんなに傷が出来た事も、手首が縛り上げられたものである事も、全部ばれてる訳で。
 余計な事は言わない医者だと、西条さんが言っていたので、辛うじて耐えることが出来た位だった。

 点滴と、解熱剤などの薬を処方してから医者が帰っていき、やっとほっとする。
 けれど何だか本当に精神的に疲れ切っていて――――……ぐったりと、ベッドに沈んだ。


 その時。
 また静かにドアが開いて――――…… そこから顔を覗かせたのは。

 梨花、だった。

「…………」
 
 何で、ここ――――……。
 咄嗟に肘をついて起き上がった瞬間。

「お医者様が出ていくのが見えたから」

 オレの疑問を悟ったのか、そう答えながら、梨花は後ろ手にドアを閉めた。

「あなたがここにいるのは……俊があなたを傷つけたからなの?」

 キツイ視線に、何も答える言葉が無くて、梨花から視線を外して、俯いた。

「どうして、そんな事までされて、ここにいるの? ……そういうのが趣味な人なの?」

 よくわからない質問だなと思う。
 ……趣味って何……?

「……そんな訳無いし……」
「――――……じゃあ、何? 何でいるの?」

「事情があって……友達、助けてもらう代わりに……来たから」
「何それ……」

 流石に驚いたようで、梨花はそう言って、しばし言葉を失った。

「じゃあその友達のことがなければ、あなたはここから出ていってくれるの?」
「……オレを追い出したいっていう気持ちより…… オレが出たいって気持ちの方が強いと思う……」

 そう返すと、またしばらく無言が続く。

「……じゃあ――――……出してあげる」
「え?」

「あたしが出してあげる」
「……だけど…… 」

「友達のことは大丈夫。俊はあたしに甘いし。それに、西条さんだってそのこと、知ってるんでしょ? 基本的に西条さんは反対してると思うから、西条さんを説得して、その人のことも手を出させないって約束する」
「――――……」

「あたしのことは信じられなくても、西条さんのことなら信じられるでしょ?」
「……本当にそんなこと、出来るの?」

 何とか梨花の顔を見上げると。

「あたしは、あなたに出ていって欲しいのよ。その為なら何だってする。あなたが出ていってくれるなら、その友達のことだって絶対助ける」
「――――……」

 ……完全に、梨花の言うことを信じた訳じゃない。
 だけど……何だかもう頭が、考える事を拒否していた。

 西条さんの連絡先は、今ここにあるスマホで分かる。頼み込めば、多分彼は、そんなに話の分からない人じゃない。俊輔の為になることなら、どんなことでも厭わずやってしまうような気もしてしまうけれど、俊輔の為にならないようなことは、多分、止めてくれる。

 間違いなく、オレのことは、俊輔の為にはなるはずもないんだし。

 
 そう思い至ると。色んなことを考えるのがもう、嫌で。 
 オレは、頷いていた。

 梨花は、少し嬉しそうな表情になった気がする。


「当面あなたが暮らしていけるお金も、用意する。 だから、絶対に戻ってこないで」
 

 強い口調と言葉に、オレがもう一度頷くと、梨花は、また来ると言って部屋を出ていった。
 

「――――……」

 疲れ切って、両目を右腕で覆う。

 ここから――――……出る、なんて。 出られるなんて、考えもしていなかったこと。
 突然降って沸いたこの状況に、少し混乱する。
 

 逃げて良いんだろうか、とか。
 ……逃げたオレの頼みを、西条さんが聞いてくれるだろうか、とか。

 多分俊輔に逆らって、オレをここに隠してくれている西条さんの立場は、どうなるんだろう、とか。
 後ろめたい気分が、消せない。
 

 それでも。

 ただ、何よりも強い想いは。


 もう二度と。
 ……あんな俊輔に、会いたくない、という気持ちだった。
 

 心底怖くて、何より、訳の分からない痛みで、心臓が、痛くて痛くて。
 あんな想いをするくらいなら。

 逃げたと言われても――――…… もう、どう思われても良い。
 そんな風に思ってしまう自分が居た。
 

 何だか情けなくて。 

 深い息を、吐いた。

 

 
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