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第二章
31.「喪失感」*真奈
しおりを挟む目が覚めて。
バカみたいだけど、生きてるって、思った。
「……痛っ た……」
軋む体を、肘をついて何とか起こそうと動いた。
ベルトは解かれていたけれど、手首には血がこびりついて固まっていて。
口を縛っていたネクタイも縛り目だけ解かれていたようで、起き上がった拍子に、するりと滑り落ちてきた。
やっとの事で起き上がると、昨日散々痛めつけられたそこは熱く疼いて、激しく痛む。
つか。 ……座れ、ない、のかなこれ……。
力も、気力も失って、ベッドに俯せに沈んだ。
「……死なないんだな、人間て……」
……痛みのショック死とかならありえるかと思ったんだけど……。
あんなに、体も。……気持ちも、死にそうだったのに。
俊輔は……普通に出かけた、のかな……。
どうしよう。
今日またあんなことされたら…… 座れないどころじゃないよな。
それとも、わざとやりそう……かな。
深いため息をついて、それから、部屋を何とはなしに見回して。
ふと、窓に気づいた。
すごい音は立てていたけれど、強度のある窓なのか、割れてはいなかった。ただヒビみたいなのが入ってる。
ベッドの上を四つん這いで、窓の下が見える所に移動した。
昨日俊輔が投げつけた、バングルが、窓の下に落ちていた。
「――――」
ゆっくりと立ち上がって、二つのバングルを拾い上げた。
そのままベッドに戻って、もう一度寝転がった。
傷……ついてないんだ……。少なくとも目立たない。
あんなに、荒っぽく投げつけられたのに頑丈だな……。
息を付いた瞬間――――…… 昨日の俊輔が、甦った。
物を投げつけたり、縛り上げられたりするのは、完全に初めてだった。
……初めての時だって、あんなに、怖くなかった。
違うか……最初の頃はすごく怖かった気がする。
最近、優しい俊輔に慣れてきてたから。よけい怖かったのかも……。
何だか、胸が痛くて。
気付いたら、仰向けになった目尻から熱い物が伝っていった。
「……ッ……」
今の気持ちは……喪失感とか。そんな感じ。
何をなくしたのかは、よく分からないけど、胸にぽっかりと大きな穴が開いたような。
なんだか痛くて――――……たまらなかった。
その時、ノックの音が部屋に響いてきた。
「真奈さん、入ります」
西条さんの、声。
鍵が開く音がして、静かに扉が開いた。
返事が出来なかった。それでもこっちにくる事は分かっていたので、涙を拭って何とか起き上がった。
すると、少しして西条さんは寝室に顔を見せた。
「おはようございます。今、若が出かけたので……早くにすみません」
窓ガラスを目に映して、西条さんが眉を顰める。昨日、あの音、聞こえてたんだろうなと思った。
その後オレの方に視線を移して、表情を硬くした。
「怪我をしていますか?」
「え?」
西条さんの視線の先を追って、シーツに明らかに血の跡と取れる染みを見つけた。
どこからの出血かは、分かり切っていて。 カッと、顔に血が上る。
すると、不意に近づいてきた西条さんが、オレの足首を、掴んだ。
「西条さ、ん?」
「傷を見せて下さい」
「え」
……冗談じゃ、無い。
ブルブル、と首を振って、西条さんの手を遮る。
けれど、西条さんは、まっすぐにオレを見据えた。
「私は、若とあなたの関係を知っています。今更何も、驚きません。まして変な意味はありません。一瞬で構いませんから、傷を確認させて下さい」
はっきりとそう言い切られて、もう何だか――――……現実感がなくて。
訳も分からないまま、強い瞳に逆らえず、力を抜いた。
腰の辺りを掴まれて、うまく体を反転させられて、布団を捲られた。すぐに尻を掴まれて、左右に開かれた。
「―――――……っっ……」
ありえ、ない。
こんなの、まじで、アリエナイ……。
もう耐えられなくて暴れ出してしまいそうだったその時。西条さんは手を離して、オレにタオルケットを被せた。
恥ずかしくてまともに西条さんを見ることが出来ない。
そんなオレの視界の外で、西条さんは何やら少し息を付いた。
次の瞬間。西条さんは突然、オレをタオルケットごと抱き上げた。あまりに軽々と抱き上げられてびっくりして動けない。
「な……」
「暴れないで下さい。バスルームに行きます。……痛むでしょうが流して下さい。それから、医者を呼びます」
「――――……っ」
もう逆らう気力は完全に奪われて。
お姫様抱っこなんていう、ありえない姿でバスルームへと運ばれる事になった。
「……熱もありますね。――――……シャワーの後、今日は別の部屋にお連れします」
意外な言葉に西条さんを見つめると、西条さんはオレをまっすぐ見つめ返した。
「若が今までで最悪に機嫌が悪いのは分かったんですが……真奈さんに危害を加えるとは思っていませんでした。止めるべきでした。すみません、本当に」
「――――…… 」
無言で、西条さんの言葉に首を振った。
自分で飛び込んでここに連れてこられて、ここ最近ずっと普通に従ってたくせに、突然逆らった自分が悪いんだ。しかも……梨花に叩かれたオレを心配してた俊輔に、急に、ひどい言葉をぶつけた。
西条さんが謝るようなことは、無い。
「軽く流してきて下さい」
脱衣所に降ろされて、西条さんは出ていった。タオルケットを丸めて置いてからバスルームに入る。
シャワーを出してお湯を体にかけると、ズキンとしみるのは 散々犯された部分と、血がこびり付いている手首。
「……いた……」
俯いた瞬間。さっき止まった涙が、ぽつん、と溢れ落ちた。
別に痛くて泣いている訳じゃない。
ただ何でだかは分からないけれど――――……次から次へと、溢れ落ちてくる。
シャワーを頭から掛けて、涙を洗い流す。
次第に、頭が朦朧としてきて、床に崩れ落ちる。
なんか、寝ちゃいそう。オレ……。
バスタブに寄りかかって、その状態でどれくらい、お湯を浴びていたか。
時間の感覚が、無かった。
「真奈さん……?」
何だか、遠くで、声がする。
「真奈さん、大丈夫ですか?」
また、心配そうな声が、遠くで。
「真奈さん、入りますよ?」
ドアが開いて――――……それからまた、名前を呼ばれたような気がした。
曖昧ながらも、何となくは記憶があるのは、ここまで、だった。
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