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辿り至ったこの世界で
ある騎士のくだらない約束
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酒場で、酒に口も付けずに肴である炒った豆ばかりを食らい、誰かを待っている男がいた。
ほんの些細な、口約束程度の「戻ったらメシ奢れよ」だなんて、そんなしょうもない約束のために待っている男がいた。
……もっとも、待ち人が来ない事など、男には百も承知であるのだけれど。
その待ち人は、きっと今も屍山血河を築く鬼として、捧げるべき相手を見失ってしまった剣を振い続けているのだから。
「おっさん、豆ばっか食ってねぇで呑みなよ」
「いや、俺はいいんだ。 酒とメシ奢ってくれる筈のダチ公がバックれやがったんでな」
「なんだよそりゃあ。 なら、俺が奢ってやろうか?」
「あー……アレだ、俺これからお勤めでなぁ。 それに、今は呑む気になれんのよ」
そう言って、齧った豆の代金を机上に置いて、男は酒場を後にする。
酒場で彼と見知った仲である常連客がその様子に「あのサボり魔が、お勤め……?」などと、失礼な評を漏らすのさえ気にも留めずに。
目に見えて、どこか気落ちしたように肩を落として。
「……あ~あ。 あの糞馬鹿野郎、今頃死んじゃあいねぇだろうな。 死ぬなよ。 死ぬんならせめて、約束守ってから死にやがれよ……なあ、アルよぉ」
トボトボと気怠げに歩を進めながら、今は国境付近の遠征先にいる自らの友人に対して独りごちる。
憎まれ口を叩きながら、しかし、その身を案じるように。
遠征に出ている王国騎士の中では年を重ねている方で、加えて、戦場において敵兵の殲滅という意味では大した戦力にもならないが故に伝令兵としての任を拝して辺境の遠征先と王城を頻繁に行き来しているオジサン騎士のレイニードは、あまりにも憐れな友人の騎士であるアルダレートの生存を願うのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「現状、敵さんはちょっかい程度の襲撃を辺境の町村に仕掛けて略奪行為に誘拐にとやりたい放題してるようで。 ただまあ、王国騎士団が現れれば末端の兵士を捨て駒に退くくらいのモンなんで、規模としてはたかが知れてますが」
アリステル王国の王城にて、レイニードは伝令兵としての任を果たしていた。
報告先は、王太子ジーク。 此度の、国境付近にて頻発している賊による辺境の町村襲撃、その捜査における人員の管理責任を持つ監督官である。
本来であれば、今回の件などわざわざ王太子が出るようなものではない。
しかし、此度の件はその例外であるとして、国王ディーレリアによる直接の指示の下に、王太子ジークが事件の捜査を担当する事となったのだ。 そして、それには当然ながら明確な理由も存在する。
即ち、現アリステルにおける秘匿事項が故に。
「ーーー以上が、国境沿いの秘匿戦線部隊伝令兵レイニードの報告となります。 ただ……こうも頻繁に仕掛けてくるなんて、帝国の奴ら随分と調子に乗ってるようで」
依然、アリステル国内においては市井に混乱が波及しないようにとの措置にて、この地より遠くに位置する帝国という侵略者による脅威の手が及ばんとしているという事実は、一般の民衆や下位貴族らには伏せられている。
現状においては帝国側の動向を探る斥候より本格的な派兵の動きは無いとの報せもあり、また、実際にも国境付近で小さな小競り合いを仕掛けてくる程度の事しかしてこないため、要らぬ混乱を避けるのを優先しての判断である。
そして、この事実を知り得るのは王族を中心とした政の上層部と、王国騎士団第3隊までの人間のみ。
当然、レイニードもその内の1人である。
それ故に、今このように王太子であるジークの前に出て、現場からの言葉を伝えられているのだ。
……しかし、それはあくまで公的な事。
それ以外の事も、2人は毎回話している。
「……それで。 この話し方、もうやめていいですかねぇ。 王子サマ」
「ああ、構わないよレイニード。 報告が終わったのなら、ここから先の話はプライベートのものだ。 それに、君からは友人として見たアルダレートの現状を聞きたいからな」
それで、どうなのか。
そう、ジークは視線でレイニードに話を促す。
実はこの2人は、それなりに面識がある。 なにせ、お互いにアルダレートを友に持つ者同士として、何度も言葉を交わしあった事があるのだから。
そもそもジークは、そう頻繁ではないものの騎士団の稽古に参加していたし、騎士達を下に見る事も無くよく交流もしていたのだ。
そんな中で、元よりジークの友人であったアルダレートの友人であるという、彼らよりも一回り年上のオジサンに対してもジークの気性は同じように働いた。 すぐに打ち解け、元よりあまり喋る方でなかったアルダレートよりも、むしろ会ったばかりのジークとレイニードの方がよく話すくらいであった。
それからは、アルダレート関連でそれなりに関わる事もあって、今となっては会えば気軽に雑談をする事もあるくらいの仲である。
そして、今の彼らの間で交わされる話題と言えば、専ら彼らの『友人』に関してであった。
「アイツなら相変わらずッスよ。 敵と見掛けりゃあ後先考えずに飛び込んでって、んで、血塗れになって帰還する。 コッチの静止も知らん顔で無視しやがって、狂戦士面で大剣片手に特攻かましやがる」
「……そうか」
レイニードの話に、ジークの表情は曇っていく。 話に聞く友人の様は、自棄を起こした人間のそれであったから。
そして彼は、そんなになるまで思い詰めていたのかと、友人に対して何も察せてやれなかった事を悔いていた。
その兆候は、確かにあったというのに。
アルダレートの様子がおかしくなってしまったのは、あの王家主催のパーティーにおける暗殺事件。 その裏で起きた殺人事件が、契機であった。
事件の内容は、1人の令嬢が自らを拐かそうとした貴族に抵抗し、結果として滅多刺しにして殺したというもの。
そしてその令嬢というのが、以前よりアルダレートが気にしている様子であった令嬢であり、彼は令嬢を守れなかったどころか心に深い傷を負わせてしまったと自らの無力さを嘆き、そして、深く後悔していた。 守ると誓っておきながら致命的な場面に間に合わないなど、と。
それから、アルダレートは見ていられない程に剣に傾倒していった。
まるで自らの無力を呪うように、自らの無力だった過去を祓うように。
そして、今では先にレイニードが語った通り。
病的にも、自罰的にさえも見えるような、狂戦士じみた剣で敵兵を鏖殺する戦場の鬼と成ってしまった……。
あの時、自分には他に何が出来たかと、あの夜に一心不乱に剣を振るっていたアルダレートに何を言えたかと、何を言えば励ませたのかと、ジークは考える。
友の苦しみは、いったいどうしていれば祓えたのかと、今更な事を。
「なに、気にせんでくださいよ」
しかし、そんなジークの思考をレイニードの軽い一言が打ち消した。
それは、なんとも軽薄な言葉であった。
思い悩む人間にかけるべきでない調子の言葉であるが、しかし、レイニードの人となりをある程度知っているジークは、その言葉に一度、今更どうにもならない『もしも』を考えるのをやめて、彼の言葉に耳を傾ける。
「そう難しく考えなさんな。 王子サマは俺らが死なないように仕事を指示して、後は仕事終えて凱旋する俺らに給金をたんまり弾んでくれりゃあいいんです。 切った張ったと戦り合うのは兵隊の仕事なんでね。 ……それに、現場での仲間の士気だののアレコレも。 そこはオジサンらに任せてもらわんと」
レイニードの言葉の調子は、軽薄である。
しかしその内容は、ジークにとっては頼もしいもの。
今のジークは、アルダレートに対して何も出来はしない。
そもそも、憂えている相手は遠く辺境に征き、直接的に彼が言葉を伝える術なんてありはしない。 せいぜい、言伝を頼むのが関の山だ。
そんなものでは、きっとアルダレートの悩みなんて解消出来まい。
だからこその、レイニードだ。
ジークと同じくアルダレートの友であり、しかし、ジークと違ってアルダレートの元へ行って直接言葉を伝えられる存在なのだから。
「分かった。 彼の事を頼む」
「もちろん、せいぜいアイツが死なないように見ときますよって。 まだ約束を守ってもらってないもんですからね」
「約束?」
「ええ。 まあ、くだらん約束ですよ。 メシ奢って貰うっていう、しょうもない約束です。 んじゃ、俺はそろそろ出なきゃなんで。 これにて失礼をば」
そう言って、レイニードはジークの執務室を去ろうと扉の取っ手に手を掛ける。
けれどその時、何かを思い付いたように「あ」と声を漏らして、再びジークの方へと向き直るとこう尋ねた。
「そういや、アイツがご執心だったお姫さんは今どうしてるんで? 猪武者やってるアイツでもお姫さんに関する話なら、もしかしたら聞くかもしれんので」
「ああ、エリーナ嬢か……。 彼女は、元気にしているよ。 うん、元気に……元気過ぎて、いや、どうにかならないものかな本当に」
なぜか「うんうん」と唸り始めたジークを不審に思いながら、しかし「元気にしている」という言葉を額面通りの良い意味であると捉えたレイニードは「はい、了解」となんだか面倒くさそうな雰囲気を出し始めたジークを放っておいて、そそくさと退散する。
そして、帰りの廊下でジークから聞いた、アルダレートの執心していたご令嬢は元気にしているという話を反芻しながら、これであの猪馬鹿の頭から血が抜けりゃあなと、友人の事を考えていた。 道中の廊下ですれ違った、たくさんの紙束を抱えて、小走りでさっきまでレイニードがいたジークの執務室方面に向かって駆けていく女性の姿を目で追いながら「眼福、眼福」と思う以外には、ずっとそうであった。
そうして、レイニードは馬を駆って次の戦場へと向かう。
自らの友人が死んでいないようにと、願いながら。
「ああ、豆齧るだけじゃなくて、肉の一枚でも食ってきゃあよかった! 酒呑みてぇ!!」
ついでにそう嘆きながら、いつか戦場から凱旋したその時にアルダレートに約束を守らせて、分厚いステーキと山盛りのマッシュポテトを食べ、それから冷えた酒を共に呑み交わす時が来るようにと、むしろさっさと来いとその時が来る事を信じて疑わない精神で、彼は馬を駆りて戦場へ向かう。
2人とも生きて帰るのだと、この約束の本質を誓いながら。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
辺り一面、血塗れだ。
自らもまた、血塗れだ。
そうして憂いのままに空を仰げば、陽は傾いて空もまた燃えるように赤い。
何処もかしこも、赤、赤、赤。
……あの時もまた、そうであった。
絨毯は赤黒い血に塗れ、彼女を拐かそうとした男も、そして彼自身が守ると誓った彼女さえも、皆一様に赤く染まっていた。
「我が君。 俺も、貴女の苦痛を共に背負いたい。 しかし、未熟な俺にはきっと貴女の苦しみに寄り添い守る事さえ出来ません。 だから、いずれこの身の咎を拭えたその時こそ、再び貴女に見えん事を…」
今となっては血肉の塊と成り果てたソレに突き立てた剣を引き抜いて、そして肩で息をする彼はそれを杖のように突いて、跪くようにしゃがみ込む。
その様は、まるで物語の一幕において姫君に忠を誓う騎士のよう。
しかし、其処には姫など居はしない。
そもそも、彼自身の姫君は、唯一。
ならば、例え目の前に広がるのが物語のような栄光ではなく、血と屍肉の散る不浄の戦場跡であるとて変わりはしない。
彼にとっては、唯一の、ただ1人に再会する権利さえ得られるのならば、其処が地獄であろうとも最期まで戦い抜くのだと、とうに覚悟を決めているのだから。
……そんな事など気にせずに、会えばよいというのに。
ほんの些細な、口約束程度の「戻ったらメシ奢れよ」だなんて、そんなしょうもない約束のために待っている男がいた。
……もっとも、待ち人が来ない事など、男には百も承知であるのだけれど。
その待ち人は、きっと今も屍山血河を築く鬼として、捧げるべき相手を見失ってしまった剣を振い続けているのだから。
「おっさん、豆ばっか食ってねぇで呑みなよ」
「いや、俺はいいんだ。 酒とメシ奢ってくれる筈のダチ公がバックれやがったんでな」
「なんだよそりゃあ。 なら、俺が奢ってやろうか?」
「あー……アレだ、俺これからお勤めでなぁ。 それに、今は呑む気になれんのよ」
そう言って、齧った豆の代金を机上に置いて、男は酒場を後にする。
酒場で彼と見知った仲である常連客がその様子に「あのサボり魔が、お勤め……?」などと、失礼な評を漏らすのさえ気にも留めずに。
目に見えて、どこか気落ちしたように肩を落として。
「……あ~あ。 あの糞馬鹿野郎、今頃死んじゃあいねぇだろうな。 死ぬなよ。 死ぬんならせめて、約束守ってから死にやがれよ……なあ、アルよぉ」
トボトボと気怠げに歩を進めながら、今は国境付近の遠征先にいる自らの友人に対して独りごちる。
憎まれ口を叩きながら、しかし、その身を案じるように。
遠征に出ている王国騎士の中では年を重ねている方で、加えて、戦場において敵兵の殲滅という意味では大した戦力にもならないが故に伝令兵としての任を拝して辺境の遠征先と王城を頻繁に行き来しているオジサン騎士のレイニードは、あまりにも憐れな友人の騎士であるアルダレートの生存を願うのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「現状、敵さんはちょっかい程度の襲撃を辺境の町村に仕掛けて略奪行為に誘拐にとやりたい放題してるようで。 ただまあ、王国騎士団が現れれば末端の兵士を捨て駒に退くくらいのモンなんで、規模としてはたかが知れてますが」
アリステル王国の王城にて、レイニードは伝令兵としての任を果たしていた。
報告先は、王太子ジーク。 此度の、国境付近にて頻発している賊による辺境の町村襲撃、その捜査における人員の管理責任を持つ監督官である。
本来であれば、今回の件などわざわざ王太子が出るようなものではない。
しかし、此度の件はその例外であるとして、国王ディーレリアによる直接の指示の下に、王太子ジークが事件の捜査を担当する事となったのだ。 そして、それには当然ながら明確な理由も存在する。
即ち、現アリステルにおける秘匿事項が故に。
「ーーー以上が、国境沿いの秘匿戦線部隊伝令兵レイニードの報告となります。 ただ……こうも頻繁に仕掛けてくるなんて、帝国の奴ら随分と調子に乗ってるようで」
依然、アリステル国内においては市井に混乱が波及しないようにとの措置にて、この地より遠くに位置する帝国という侵略者による脅威の手が及ばんとしているという事実は、一般の民衆や下位貴族らには伏せられている。
現状においては帝国側の動向を探る斥候より本格的な派兵の動きは無いとの報せもあり、また、実際にも国境付近で小さな小競り合いを仕掛けてくる程度の事しかしてこないため、要らぬ混乱を避けるのを優先しての判断である。
そして、この事実を知り得るのは王族を中心とした政の上層部と、王国騎士団第3隊までの人間のみ。
当然、レイニードもその内の1人である。
それ故に、今このように王太子であるジークの前に出て、現場からの言葉を伝えられているのだ。
……しかし、それはあくまで公的な事。
それ以外の事も、2人は毎回話している。
「……それで。 この話し方、もうやめていいですかねぇ。 王子サマ」
「ああ、構わないよレイニード。 報告が終わったのなら、ここから先の話はプライベートのものだ。 それに、君からは友人として見たアルダレートの現状を聞きたいからな」
それで、どうなのか。
そう、ジークは視線でレイニードに話を促す。
実はこの2人は、それなりに面識がある。 なにせ、お互いにアルダレートを友に持つ者同士として、何度も言葉を交わしあった事があるのだから。
そもそもジークは、そう頻繁ではないものの騎士団の稽古に参加していたし、騎士達を下に見る事も無くよく交流もしていたのだ。
そんな中で、元よりジークの友人であったアルダレートの友人であるという、彼らよりも一回り年上のオジサンに対してもジークの気性は同じように働いた。 すぐに打ち解け、元よりあまり喋る方でなかったアルダレートよりも、むしろ会ったばかりのジークとレイニードの方がよく話すくらいであった。
それからは、アルダレート関連でそれなりに関わる事もあって、今となっては会えば気軽に雑談をする事もあるくらいの仲である。
そして、今の彼らの間で交わされる話題と言えば、専ら彼らの『友人』に関してであった。
「アイツなら相変わらずッスよ。 敵と見掛けりゃあ後先考えずに飛び込んでって、んで、血塗れになって帰還する。 コッチの静止も知らん顔で無視しやがって、狂戦士面で大剣片手に特攻かましやがる」
「……そうか」
レイニードの話に、ジークの表情は曇っていく。 話に聞く友人の様は、自棄を起こした人間のそれであったから。
そして彼は、そんなになるまで思い詰めていたのかと、友人に対して何も察せてやれなかった事を悔いていた。
その兆候は、確かにあったというのに。
アルダレートの様子がおかしくなってしまったのは、あの王家主催のパーティーにおける暗殺事件。 その裏で起きた殺人事件が、契機であった。
事件の内容は、1人の令嬢が自らを拐かそうとした貴族に抵抗し、結果として滅多刺しにして殺したというもの。
そしてその令嬢というのが、以前よりアルダレートが気にしている様子であった令嬢であり、彼は令嬢を守れなかったどころか心に深い傷を負わせてしまったと自らの無力さを嘆き、そして、深く後悔していた。 守ると誓っておきながら致命的な場面に間に合わないなど、と。
それから、アルダレートは見ていられない程に剣に傾倒していった。
まるで自らの無力を呪うように、自らの無力だった過去を祓うように。
そして、今では先にレイニードが語った通り。
病的にも、自罰的にさえも見えるような、狂戦士じみた剣で敵兵を鏖殺する戦場の鬼と成ってしまった……。
あの時、自分には他に何が出来たかと、あの夜に一心不乱に剣を振るっていたアルダレートに何を言えたかと、何を言えば励ませたのかと、ジークは考える。
友の苦しみは、いったいどうしていれば祓えたのかと、今更な事を。
「なに、気にせんでくださいよ」
しかし、そんなジークの思考をレイニードの軽い一言が打ち消した。
それは、なんとも軽薄な言葉であった。
思い悩む人間にかけるべきでない調子の言葉であるが、しかし、レイニードの人となりをある程度知っているジークは、その言葉に一度、今更どうにもならない『もしも』を考えるのをやめて、彼の言葉に耳を傾ける。
「そう難しく考えなさんな。 王子サマは俺らが死なないように仕事を指示して、後は仕事終えて凱旋する俺らに給金をたんまり弾んでくれりゃあいいんです。 切った張ったと戦り合うのは兵隊の仕事なんでね。 ……それに、現場での仲間の士気だののアレコレも。 そこはオジサンらに任せてもらわんと」
レイニードの言葉の調子は、軽薄である。
しかしその内容は、ジークにとっては頼もしいもの。
今のジークは、アルダレートに対して何も出来はしない。
そもそも、憂えている相手は遠く辺境に征き、直接的に彼が言葉を伝える術なんてありはしない。 せいぜい、言伝を頼むのが関の山だ。
そんなものでは、きっとアルダレートの悩みなんて解消出来まい。
だからこその、レイニードだ。
ジークと同じくアルダレートの友であり、しかし、ジークと違ってアルダレートの元へ行って直接言葉を伝えられる存在なのだから。
「分かった。 彼の事を頼む」
「もちろん、せいぜいアイツが死なないように見ときますよって。 まだ約束を守ってもらってないもんですからね」
「約束?」
「ええ。 まあ、くだらん約束ですよ。 メシ奢って貰うっていう、しょうもない約束です。 んじゃ、俺はそろそろ出なきゃなんで。 これにて失礼をば」
そう言って、レイニードはジークの執務室を去ろうと扉の取っ手に手を掛ける。
けれどその時、何かを思い付いたように「あ」と声を漏らして、再びジークの方へと向き直るとこう尋ねた。
「そういや、アイツがご執心だったお姫さんは今どうしてるんで? 猪武者やってるアイツでもお姫さんに関する話なら、もしかしたら聞くかもしれんので」
「ああ、エリーナ嬢か……。 彼女は、元気にしているよ。 うん、元気に……元気過ぎて、いや、どうにかならないものかな本当に」
なぜか「うんうん」と唸り始めたジークを不審に思いながら、しかし「元気にしている」という言葉を額面通りの良い意味であると捉えたレイニードは「はい、了解」となんだか面倒くさそうな雰囲気を出し始めたジークを放っておいて、そそくさと退散する。
そして、帰りの廊下でジークから聞いた、アルダレートの執心していたご令嬢は元気にしているという話を反芻しながら、これであの猪馬鹿の頭から血が抜けりゃあなと、友人の事を考えていた。 道中の廊下ですれ違った、たくさんの紙束を抱えて、小走りでさっきまでレイニードがいたジークの執務室方面に向かって駆けていく女性の姿を目で追いながら「眼福、眼福」と思う以外には、ずっとそうであった。
そうして、レイニードは馬を駆って次の戦場へと向かう。
自らの友人が死んでいないようにと、願いながら。
「ああ、豆齧るだけじゃなくて、肉の一枚でも食ってきゃあよかった! 酒呑みてぇ!!」
ついでにそう嘆きながら、いつか戦場から凱旋したその時にアルダレートに約束を守らせて、分厚いステーキと山盛りのマッシュポテトを食べ、それから冷えた酒を共に呑み交わす時が来るようにと、むしろさっさと来いとその時が来る事を信じて疑わない精神で、彼は馬を駆りて戦場へ向かう。
2人とも生きて帰るのだと、この約束の本質を誓いながら。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
辺り一面、血塗れだ。
自らもまた、血塗れだ。
そうして憂いのままに空を仰げば、陽は傾いて空もまた燃えるように赤い。
何処もかしこも、赤、赤、赤。
……あの時もまた、そうであった。
絨毯は赤黒い血に塗れ、彼女を拐かそうとした男も、そして彼自身が守ると誓った彼女さえも、皆一様に赤く染まっていた。
「我が君。 俺も、貴女の苦痛を共に背負いたい。 しかし、未熟な俺にはきっと貴女の苦しみに寄り添い守る事さえ出来ません。 だから、いずれこの身の咎を拭えたその時こそ、再び貴女に見えん事を…」
今となっては血肉の塊と成り果てたソレに突き立てた剣を引き抜いて、そして肩で息をする彼はそれを杖のように突いて、跪くようにしゃがみ込む。
その様は、まるで物語の一幕において姫君に忠を誓う騎士のよう。
しかし、其処には姫など居はしない。
そもそも、彼自身の姫君は、唯一。
ならば、例え目の前に広がるのが物語のような栄光ではなく、血と屍肉の散る不浄の戦場跡であるとて変わりはしない。
彼にとっては、唯一の、ただ1人に再会する権利さえ得られるのならば、其処が地獄であろうとも最期まで戦い抜くのだと、とうに覚悟を決めているのだから。
……そんな事など気にせずに、会えばよいというのに。
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