公爵令嬢の辿る道

ヤマナ

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辿り至ったこの世界で

※無力な人。 抗うヒト

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「にしても相変わらずスゲェなァ、コレ。 ほんのチョイッと指を弾きャあ獲物を射抜けやがる。 遠距離の武器と言やァ弓矢だがよォ、コイツは弓矢なんぞより随分と楽なモンだなァ」

頭領は、倒れ伏し流血している足を押さえて悶えているジークと、地に投げ出されたエリーナを見下ろしながら、煙を吐く黒光りの筒を愉快そうに翳して嬉々としながら使用感について所感を口にしていた。
その様は、まるで幼子が新しく手に入れた玩具を自慢するかのよう。 もっとも、倒れている2人とも、まともに頭領の話を聞ける状態になどありはしないのだけれど。
それでも、頭領は構いはしない。
圧倒的優位に立ち、弱者を踏み躙るのが頭領にとっての悦なのだから。 獲物の反応など、悲鳴以外はどうだっていいのだ。

「姐さんが言ってたがよォ、他所サンの国はスゲェよなァ。 こんな、人をブッ殺すための愉快な玩具を作っちまうんだもんなァ!」

「ハァーッ、ハァーッ! ……他所の国、姐さん………? お前らはまさか、帝国の間者か……ッ!」

傷口を庇い、息も絶え絶えながら、しかしジークは頭領の言葉を聞き逃す事はなかった。
とはいえそれは確証があるわけではない問い掛け。 しかしながら、現状のアリステルにおいてジークとエリーナを、隠されていた場所とは言えどもわざわざ王城に出向いてまで捕らえようとする輩など、思い当たるのはただ一つ。
売国奴の元辺境伯ヤザルを抱き込み間諜として扱っていた大元……アリステルより遠く離れた異邦の帝国である。
しかし、頭領はその問いに「アァ?」と首を傾げる。

「ンなモンは知らねェよ。 俺らは死んじまったヤザルの旦那の代わりに来た姐さんからコイツを借り受けてるだけだ。 『銃』っつーんだとよ、この玩具!」

「ヤザルだと? やっぱり、お前らも……ぐあぁっ!!」

「まァ、ンなこたァどうでもいいだろ。 また逃げられても面倒だからなァ、半殺しくらいで許してやる。 姐さんからも殺すなって言われてるしなァ!」

ヤザルと、帝国との関係を持っていた故人の名前がここで浮かんだ事に、ジークは間違いなく此度の誘拐事件の背後には帝国、もしくはそれに順じる何者かの存在を確信した。
しかし、確信したとて現状に関係などありはせず。
ジークの近くまで寄った頭領は、倒れるジークの射抜いた方とは逆の足に銃弾を撃ち込んで、再び激痛に悶えるジークの腹を更に蹴り飛ばした。 死なないように、しかし抵抗する意志を全て削り取るように、丁寧に入念に徹底的に痛め付けていく。
与えられる暴力に、ジークに抗う術などそう無い。
両足は射抜かれ血が噴き出して、両の手はただ身を守るのみに使うしか出来ない。 
それでも手を引き剥がされてしまえば次には蹴りが足に入り、鉄製の銃身で殴られる。
撃たれ、殴られ、蹴られる。
その様は、なんとも無力なものであった。

「まァ、こんだけ痛め付けりャ動けねェだろ。  どっちも連れて来いって言われてるがよォ、姐さんの一番の目的はこの嬢ちゃんだからなァ。 先に嬢ちゃんだけ貰ってくぜ。 オメェは……まあ、中でバタバタやってる馬鹿野郎どもでも呼んできてやるから待ってろよ。 逃げてもいいゼェ、逃げられるんならなァ!」

ジークの無力を嘲笑うように、頭領はわざわざ逃げる機会をくれてやる、だなどと口にする。
そうならないようにジークの身体を痛め付け、壊し、気力を削ぐように執拗に暴力を振るっていたのに、である。
しかし、それだけの侮辱を受けながら、足が機能不全に陥って無力にも立ち上がる事さえ出来ないジークには何も言い返せはしない。 その侮辱の全て、事実であるが故に。
無力。
無力であるのだ。
どれだけ、ジークがこれまでの人生において誘拐犯から逃げ延びた事があろうと、剣術大会で優勝した事があろうと、王城のパーティーで暗殺者に奇襲されながらもそれを撃退した事があろうとも、今この時はただの無力な人間でしかない。
ただ圧倒的な暴力に呑まれ、抗う術の悉く通じなかった弱者の結末なのだ。
そして、淘汰された弱者は全てを失くす。
その身も、命も、守りたいと願った者も。
頭領は銃を手に持ったまま、エリーナを肩に担いで去ろうとする。 それは当然の事、頭領の最優先目的はエリーナであるのだから、その言葉の通りにエリーナを連れ去ろうとしている。
ジークに、抗うだけの手立ては無い。
このままでは、エリーナは連れ去られて、ジーク自身もやがては頭領の部下に拾われて彼らの雇い主であろう『姐さん』なる人物に献上される。
そうなれば、後は………。
少なくとも、完全な手詰まり。
自らのこれから、アリステルの未来……いや、そんな長期的な事ではなくて、もっと目先の、確かな事。
エリーナを守り、助ける事が出来なくなる。
故にこそ、ジークは諦めるわけにはいかない。

「……アァ? ンだテメェ、まだ動けたのか。 つーかなんだよコラ、手ェ離せよ」

「……ッ………!」

現状は、抗う術の無い、完全ではないけれど9割がた詰んでしまっているという悲惨なもの。
今のジークだって、這いずり、去ろうとする頭領の足首を右手で掴んで逃さないようにするという悪足掻きしか出来ていない。 そしてこの状況から、ジークに出来る事なんて何も無い。
故に頭領も鬱陶しげに足を払ってジークの手を退けようとするが、ジークの手はそれだけでは離れなかった。
むしろ逆に、ジークはもう片方の手でも足首を掴ませて、更に逃さないという意志を明白に示す。

「おうおう、なんだよ。 気張ってんなァ。 まともに歩けもしねェクセに、そうまでして女を取り戻してェか。 ッたく、ガキの癖に色気付いてんなァ……まァ、そういうのは嫌いじャねェからよ、心意気だけは買ってやるよ」

そうして、頭領は容赦無くジークの頭に拳を落とし、足首を掴んだ手は払われる。
悪足掻きも、それで終わり。
もう、何も出来はしない。
無力故に、闘争も、抗いも、足掻きさえ。
己の無力が故に、意志のみ在りて力の足らぬが故に。

「待て……待て、行くな! エリーナ!!」


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


嗅いだ事のある、赤錆の匂いがした。
不快で悍ましい記憶を呼び起こすようなその匂いは、誰のものだろう。 
誰だって、皆同じだから分からない。 誰も彼も、私でさえも、同じ匂いの赤黒くて生温い液体が身体の中を流れて生きている人間という生き物なのだから。
せいぜいが生きてきた環境や摂取した食物による成分の違いがある程度のものであり、そこに本質的な差異は何も無い。
だから、私が●したあの男の血も、私が毒を飲んだ●の間際に気管より吐き出して口内に広がった血も、全ては同じものであり、今この時に漂う血の匂いもまた同じ。 全て等しく、人間より零れ落ちた命の雫である。
血は、誰かの●の時に流れる。
私の、知っているお話ではそういうもの。 ●を知らせる、悲劇の呼び水であった。
じゃあ、今血を流しているのは誰だろう。
次に私の目の前で●んでしまうのは誰だろう。
まぁ、どうだっていい。
どうせ、死ぬのは絶対に私ではないのだから。
そう思って、なんだかひどい倦怠感に包まれているせいでとても眠くて、だからまた眠ってしまおうかと考えて……。

「行くな! エリーナ!!」

そこで、そのように必死に名前を呼ぶ声が聞こえた。
だから、私は眠ってしまうのをやめた。
それは間違いなく、ジークの声だったから。 
眠るのをやめて、ずっとずっと頭にかかっていた靄を払うように思考を整理して、そこで初めて自らの状況を理解した。
大柄の男に担がれて、何処かへ運ばれている。
女性を扱うのにまるで丸太を運ぶかのような粗雑さは、とても紳士の所業ではない。 
そして……男から漂う、堪らない臭気。
これは、嗅いだ事がある。
ああ……本当に、忘れたくても忘れられない、消し去りたくても消せない記憶。 
悍ましい、まぐわい。
なら、この男は『あの』悪人だろう。
私を蹂躙した男達の内の、1人だろう。
そして、ジークが近くに倒れていて、血の匂いがする。
血は、人の命の雫。
それが流れれば、人は死ぬ。
少なくとも、私の辿ってきた全ての道はその結末を迎えた。 全ての道で殺され、殺され、殺してきた。
でも今、血を流しているのはジークだ。
凍える牢獄で死に、毒を飲んで死に、首を絞められ死に、高くから跳び下り死に、悪と断じた男を復讐心と共に殺したのは私だ。
全て、死んだのは私と、悪人だけだ。
だからよかった。 まだ、よかった。
死にたくはなかったけれど、今となってはよかったのだ。
でも、このままでは次に死ぬのは間違いなくジークだろう。 だって、血を流しているのは彼だから。
だから、それだけで理解には十分だ。
状況と、私自身がするべき事を察するのには十分な情報量だ。
だから、後は動くのみ。
私を担ぐ男の腰辺り。
そこに、短刀が下げてあるのが見えた。
ほんの少し手を伸ばせば届きそうな位置。 だから私は手を伸ばして、鞘よりそれを引き抜いた。 
短刀は、手入れなんてされていないのか刃は欠け刀身はボロボロで、錆びていた。
繊細な捌きは望めまい。
けれど、『あのとき』のように刺す事は出来るだろう。

「ん……んッ!」

自分の血でも、他人の血でも変わらない。
どうあれ元より、この身はそのどちらにも塗れているのだから。
だから……。

「………ぇぃ」

手の届く範囲、男の脇腹に思いきり短刀を突き立てる。

「は……? がァッ!?」

「っ……ッ………!!」

ぐりぐり、ぐりぐり。 
いつかのように、突き立てた刃で抉るように手首をスナップさせて脇腹の傷口を広げていく。 抉れた場所から噴き出る血で手を濡らして、刃先が骨に触れる感覚に不快感を覚えながら、それでもこれはジークの命を守る為の手段だからと手は止めない。
死ね、死ね、死ね、死ね。
そう念じながら、血塗れの手を動かし、抉る。
やがて男はビクビクと痙攣しながら膝から崩れ落ち、担がれていた私も同時に地面へと放り出される。 
殺せたかどうかは分からないけれど、解放されたのならばどうでもいい。 最も大事な事は、ジークの安否なのだから。
ただ、ジークに死んでほしくなかった。
あの男を殺そうと短刀を突き立てた理由は、それだけに尽きるのだから。

「ジーク様、大丈夫ですか」

そして、何の事も無く声を掛ける。
でも、それは誤魔化しの意味もあった。
だってこれで、私はもう逃げられなくなったから。
血塗れの殺人者で、既にこの身は複数の男達に穢されていて、私はそれはもうどうしようもない程に救いの無い大罪人であるのだという事実を晒してしまったのだ。
一番知られたくなかった人に、●しい人に、知られてしまったのだ。
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