公爵令嬢の辿る道

ヤマナ

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辿り至ったこの世界で

悔い、されども駆ける

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誘拐犯達の頭領の一声は、この廃屋敷に集う世間的認識上において『犯罪者』『悪人』『破落戸』とカテゴライズされている者達の毎夜の如く行われている酒盛りの宴席を、弱い者から略奪して生き永らえたり、私欲を満たす為の狩場へと変質させた。
酒があれば呑んだくれるロクデナシ達の楽しげな声は暴力的で享楽的な怒声に変質し、手に持つ酒瓶は各々ナイフや木剣や鉄剣へと代わる。 
後は其処に、獲物さえいれば暴力の始まりだ。
奪う事こそが本質で、生きる為なら容赦無く殺してでも手に入れる。 これは、そんな輩の、獣の如き狩りである。
そして、今宵の獲物は逃げ出した兎が2羽。
男が1人と女が1人。
どっちもオエライさんのお坊ちゃんお嬢ちゃんで、事ここにあっては、ただか弱く狩られる立場。
弱い者イジメを楽しむようなどうしようもないロクデナシ達には、きっと格好の獲物だろう。
それに、そんなロクデナシ達は今、新しい『玩具』に興味津々で使える機会を待ち侘びていたのだから、尚の事である。
そして、そんな獣は此処にも1人。

「しっかし、コイツはいいィモンだなァ! 剣でもねェのに、簡単に獲物を射抜いて殺しやがる。 当てるトコさえ気ィ付けりゃあ、殺さずに捕まえるのも簡単ときたモンだ! いいィ品だぜェ、姐さんよォ」

「……気に入ったようだけれど、仕事が終わったら回収するわよ。 それは、彼の国が開発したという新兵器なのだそうだし、貴方達のような者には不釣り合いよ」

「はッ! まァ、いいぜェ。 ンじゃあ、愉しんでくるわ。 久々に、活きの良い獲物だもんなァ……!」

悦びに打ち震え、頭領は部屋を後にする。
そんな誘拐犯達の頭領に、女は「これだから賎民は」と吐き捨てて、それでも気が治らないのかぐちぐちと罵詈雑言を並べ立てる。
品の無い破落戸ども、生意気な頭領の男、それから計画通りに捕まえられていないで逃げ出したジークとエリーナに対して、なんとも低俗な暴言を吐き続ける。 

「なんで、ワタシがまだこんな所に居なきゃならないのよ! おかげで計画に支障が出たらどうしてくれるというのかしら、あのクソ女とクソ王太子め!」

「………」

不満を並べ、ついには手に持つ扇子さえバキリとへし折り、女は何度も口汚く喚き続ける。
すぐ側で彼女を冷めた目でジッと見ている自らの付き人に、その底冷えしそうな程に昏い瞳の真意に気付かぬままに。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


恐慌状態に陥り自我を喪失しているエリーナを抱えて、ジークは己の愚かを悔いながら、怒声と大勢の足音が迫り来る廊下を駆けていた。
エリーナを横抱きから肩に担いで、空いた手には緊急の武器として拾っていた棒切れを握り、走り向かう先にて相対した悪漢どもを一太刀で薙いでは先を行く。 
しかし、ジークは単身でその上でエリーナを担ぎ、対する悪漢の群れは手慣れた武具を構えるのみとあれば、如何にジークが手練れで幾ら敵を薙ぎ払おうとも圧倒的に手数が足りない。 やがては、敵の物量に押し潰されるだろう。
その事実を今更になって自覚し、故に半開きになっている扉を発見した時に無視してそのまま逃げる事を優先しなかった己の愚かを悔いた。
あの時逃げていれば、廃屋敷の悪漢達に追われるなどという、こうまで最悪の状況にはならなかっただろう。 それに、エリーナだって自我を喪失する程のショックを受ける事だって無かった筈だ。
目先の好奇心と、誘拐犯とそれらに犯行を示唆した輩の存在に釣られ、結果として利となる情報の一つさえ得られぬままに、ただ危機のみを迎えている。
なんとも間抜けな話だと、ジークは逃げながら己を嘲笑う。
エリーナを守るなどと大口を叩いて、その結果がこれだ。 実の伴わぬそれは、ただの道化の戯言と変わるまい。
しかし、さりとてジークは諦めず。 
今の自らが道化であれど、どれだけ劣勢であろうと、その要素の全ては自らと守りたい者との生存を諦める理由足り得ないのだ。
足は止めず、棒切れを振るう手は敵の芯を打ち付け、やがて棒切れが砕ければ今度は護身用のナイフを構え、それが折れたならば次は己の拳を固めるのみと覚悟を決める。
過ちを濯ぐなら、実を持って最良たる結果を掴むしかない。
今のジークにとっての良とは生存であり、エリーナを連れてこの危機より脱する事。 故に、そのためにも目前の敵を払って進む。
そうして3階から階段を一つ降り、2階も駆け抜けひた進む。
駆けて、敵を薙いで、障害を超えて、進む。
幸いにも敵は統率の取れた騎士や兵に非ず、ただの破落戸。 烏合の衆たる悪漢達に連携という概念は無く、獣が如く我先にと獲物を求めて足を引っ張り合ったり、同士討ちして自滅する始末。 
その上、主たる戦場はそう広くもない廊下であり、ジークに襲い掛かれる人員も4、5人が限度というもの。 
故にこそ、未だジークは全体的な状況としては劣勢なれども致命的な敗北の瞬間を喫する事なく戦い続けられていた。 その足を止める事の無いままに、ただひたすらに駆けて。
何せ敗けなければ……己が死する事無く、エリーナを連れて逃げられれば、それこそがジークの勝利であるのだから。
そうして悪漢を蹴散らしながら駆け抜けて、2つ目の階段を降りれば、その先は一般的な貴族の屋敷の造りと大差の無い玄関ホールが広がっている。 即ち、其処は屋敷の出口と目鼻の先だ。
しかし当然ながら悪漢達も大勢待ち構え、その誰もが愉悦に満ちた狩り人の目をしている。
既にジークの持つナイフは歪み、ただのコケ脅し程の威もありはしない。 それでもジークは刃先を敵陣に向け構え、ジリジリと寄る悪漢達を牽制する。 
緊張の決壊はすぐに訪れた。
悪漢達は好き好きに己の武器、己の暴力を、目の前の疲弊した獲物へぶつけんと襲い掛かる。
対するジークもまた、とうに使い物にならないナイフを構え、それを大きく振りかぶって迫り来る暴力の波へと投げ付ける。
当然ながら、そんな小さな抵抗一つで止まるようなものではない悪漢達の勢いだけれど、それでもそれは多少の呼び水くらいにはなる。 何せ、相手は統率の取れていない烏合の衆。
数ばかり勝り、しかし一己の武人として赤子も同然である獣。 
信念も無く、ただ絶対的に優勢の暴力ばかりを好む破落戸は、ナイフを投げ付けられてそれが顔に命中したと、その程度の獲物の抵抗でさえ容易く怒りの沸点を迎えるのだ。
元より統率の無い中で、たった2人を貪る為に奪い合う仲。 そして彼らは同位体ではなく、それぞれが一己の獣達。 
なればこそ、その程度の怒りと言えども、不和を生むには十分であった。

「テメェらどけぇぇッ!! このクソガキッ、ブチ殺してやるッ!!」

「オイ待て抜け駆けすんなよ!! 俺がとっ捕まえて頭に褒美もらうんだよ!」

「誰だ今押しやがったのはァァッ! 痛かっただろうが!! ブッ殺してやるから出てきやがれぇッ!」

まさしく「短気は損気」と言うもの。
たった一つの不和が、不満が、元より統率も連携も無い者達に自然と最初の目的以外の暴力衝動を生んでいた。 その衝動に何の意味も利も無いと言うのに、である。
そして、彼らには加減も、ましてや容赦もありはしない。 
元より、仲間意識ではなく同類の利害の一致によってのみ寄り合っていただけの連中なのだから。
一つの決壊でさえ、殺し合う理由に足るのだ。
そして、そんな混乱の最中、得をするのはただ一人。

「…………」

ジークは放ったナイフが思わぬ効果を生んだ結果を好機と見て、隙を見て玄関口ではなく、2階に戻って窓を開け、其処から外へと跳び降りた。 
始めはエリーナの事を考えればその手段を取るのは好ましくなかったものの、今は状況が状況である。 
幾ら敵が同士討ちをしている乱戦の最中とて、それでも玄関から逃げるのは非常にリスキー。
なので、ジークは別口より逃げる事とした。
当然、なるべく怪我をして身動きが取れなくなるという事態を避ける為に下に植え込みが見える辺りを選んでの跳び下りだ。
そうして跳び下りて、多少の切り傷や擦り傷はあれども身体機能の無事と、未だ自我喪失状態にあるエリーナの様子を確認して、逃げるのに 不足無しと判断すると即座に駆け出した。
屋敷の内部より脱出が出来れば、後は容易い。
変わらず屋敷の敷地内であるという事に変わりないものの、それでも外壁伝いに進めば、やがてはこの土地の外へと出られる門があるだろうから。
エリーナを担ぎ、ジークはひたすら駆ける。
玄関ホールの乱戦とて、ずっと続く訳ではないだろう。 殺し合いに発展した騒ぎでもいつかは終わり、そこに2人の死体さえ転がっていないとバレれば奴らは再び追跡を始める。
だから、なるべく早く外へと逃げなければ。

「……っ、ぁっ………」

けれどもジークとて、見付かってから絶え間無く走り続けての脱出であったが為に息は絶え絶え、足は棒のようでいつ倒れてもおかしくない程の負担を負っている。
走らなければならないというのに、浅く速くなっていく呼吸と心拍では必要な酸素の供給さえ追い付かない。
それでも足を止めないのは、偏に気力による。
運動機能に支障を起こす程に酸素の足りていない身体故、ジークの脳はとうにまともに思考さえ出来ない状態にあるけれど、それでも行動の始めから持っていた意思だけはしっかりと継続されていたのだ。
即ち、「エリーナを連れて脱出する」事。
だから、足を止めない。
そして止めなければ、やがては到達するものである。

「………」

しかし、門に到達したジークに感慨は無い。
ただ、己の意志による行動意識のみが身体を動かし、命令を継続していた。
とはいえ、それでも現状の結果は目的の達成を目前としている。 何せ後は、門から出て姿を眩ますだけなのだからーーー。

「あァ? 逃すワケねェだろうがァ」

轟音が響いた。
破裂するような、超高速で何かが空気を裂いて疾るような音が響いた。

「……が、ァッ……!」

そしてその刹那、ジークはその場に倒れ伏す事となった。 足を貫く感覚と、瞬間に走った激痛に、立っていられなかったのだ。
飛んでいた思考さえ引き戻すような痛み。
夢現に彷徨う意識がまるで大量の水を頭にかけられたように覚醒し、そして現実を直視して、自身の太腿から大量に流れる血を目視して、渇ききった喉などお構い無しにジークに痛みを訴える野獣の如き叫びを上げさせた。

「ァァ、ガァァッッッ!!!?」

「おいおい待てよォォ! まだ狩りは終わってねェんだぜェ?」

痛みに悶絶し、野獣の叫びを上げるジークを見下ろしながら、男は言った。
煙を吐く黒い筒を手に、狂犬の如き笑みを浮かべながら。
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