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辿り至ったこの世界で
想い馳せし未来の理想図
しおりを挟む「えぇ! そうなんですか、お姉様!?」
けれど、そんな私の決意に意を唱える、という程ではないにせよ、衝撃を受けたかのように驚嘆して大声を上げる者がいた。
もっとも、恒例とはいえ王太子であるジークとの食事中にそんな声を上げ、そして私の事をお姉様と呼ぶ者なんて彼女くらいのものだろうけど。
「そうよ、サリー。 私、記憶を取り戻したら平民として市井で生きようと考えているの」
まあ今の私はユースクリフ公爵家を勘当され、この身の保証をしていた貴族としての名前が取り上げられているので、既に平民に片足を突っ込んでいるようなものなのだけれど。 とはいえ、勘当されて尚こうして王城に置かせてもらっているのでただの平民ともまた違う立ち位置にあるだろう。
今となっては貴族として帰る家がある訳ではなく、しかし平民として身一つで市井に捨て置かれる事もなかった。
……帰るべき場所は何処にも在りはせず、けれど仮宿を与えられてその厚意にもたれ掛かって暮らしている。
要するに今の私は、貴族とも平民とも言えぬ宙ぶらりんな立場の人間なのだ。
けれど当然、いつまでもこの時が続かない事も承知の事。
いつかは今のような時間も終わり、私はユースクリフ家に捨て置かれた末路の続きを行かねばならなくなるのだ。
言わば、王城に置かせてもらっている今は猶予期間のようなもの。 そしてそろそろ、見切りを付ける頃合いなのだ。
「ユースクリフ家には良い思い出なんてあまり無いの。 だから、そんな家になんてもう帰りたくない。 マルコだって私をどうするつもりで引き戻そうとしているか分からないし、父にももう関わりたくない……まあ、何一つ未練が無いという訳ではないけれど、それは仕方がないわ」
脳裏に私の味方であり理解者であったアリーの顔が過ぎり躊躇しかけたけれど、その衝動もなんとか堪える。
正直、とても離れ難くて出来ればこれからも一緒に居たかった。
でも、それはもう無理である。
一つの進展には、別れもまた付きもの。
ならば、これは私が新しい生活を得るための必要な過程なのだ。 そして、それは今のような時間についても同じように。
けれど、それはあくまで私の都合の話。
私への好意を前面に押し出し、そこには表裏の概念さえ皆無なのではないかと思う程に純朴なサリーには、私の言葉は酷なものとなってしまったのだろう。
「そうですか……また、お姉様と学園に通えるようになるの楽しみにしてたのに」
「ごめんなさいね。 でも……」
「それは、エリーナ嬢が貴族籍を取り戻しても無理だろう。 今の状況でエリーナ嬢を学園に復学させる訳にはいかないからな」
私は、ジークの言葉に同意して頷く。
ジークの言う通りなのである。 学園、ひいては社交界に戻ろうものなら、私はすぐさま好機の的になってしまうだろうから。
今の私は、ジークから聞く客観的要素を纏めて評するならば『殺人令嬢』と呼ぶのが相応しいだろう。
私が犯した殺人は、あくまでも「正当防衛」であり結果的には罪人の悪行を未遂にとどめるに至った行いであった。 そして王族は王城内部で起きたその事態を、多少の脚色と隠蔽を含んで貴族間に公開した。
それは私の名誉を守る事と、他国による侵略の恐れがあるとの無用の混乱を招かぬための配慮である。
しかし、貴族社会の人間はいつだって耳聡い。
どこから聞き付けたのか、それともどこから漏れたのか「ユースクリフ公爵家の令嬢が殺人を犯し、王城に幽閉されている」との噂話が貴族間には広まっているのだ。
その噂は、半分が真実で半分が出鱈目。
けれど事実が混じっている以上、情報の漏洩は間違いなく発生している。
故に、きっと今の私が社交界に出れば言われ無き批難と嘲笑の標的となるだろう。
まして、貴族社会の縮図とも呼べるエイリーン学園もまた同じように。 いや、精神性の幼い貴族令息令嬢らならば、稚拙でありながらより残酷な行いに打って出ないとも限らない。
事実、そのような多方面からの攻撃を避けるために父は蜥蜴の尻尾の如く私を切り捨てたのだから。
それだけ危険な場所なのだから、復学も当然しない方が賢明だという判断である。
サリーには悪いけれど、どちらにせよ私がエイリーン学園の校舎に立ち入る事は今生ではもう2度と有り得ない事なのだ。
「では、お姉様はお城を出てからはどうなさるのですか?」
「そうね。 市井に降った後は、公爵家からの手切金で暫く生活出来るだけのお金はあるし、王都で住まいを見つけて、それから仕事を探すしかないわね。 手に職を付けて安定した生活を確保しないといけないもの」
公爵令嬢エリーナ・ラナ・ユースクリフとはとうに過去の事。 今の私はただのエリーナなのだから、その身に合う位にまで降るのは必然である。
だったら、くよくよもめそめそもしていられまい。
捨てられ、一人で生きていく事になる今など一生の一時でしかなく、人生はこの心の臓が止まるまで終わる事はないのだから。
それに、一人で生きていく事は過酷だろうけれど、悪い事ばかりでもないでしょう。
だって、自身の全てを自身で決められるのだから。 縛られず、意思の決定権は常にこの身に有り続ける。
その、なんと素晴らしい事だろうか。
「ではでは! もしかして、お姉様がご近所様になるだなんて素敵な事もあったりするのですか!? 毎晩お裾分け持ってお伺いします!」
「貴方も一応貴族令嬢なら住まいは貴族街の方でしょう。 私が住まうとしたら、庶民街の家が関の山でしょうに」
考えた事も無かったけれど、自由に友を呼ぶ事だって叶うだろう。
人と表面ばかりの関わりを持って『お友達』を作っていた頃とは違う、腹の内に何を抱えるでもなく何も警戒する事の無い、普通の友人関係だって。
……無論、サリーも。
「もし新しい住まいを見つけて落ち着いたら、そうね……以前、ジーク殿下と街へと行った時に屋台の串焼きを買っていただいた公園があるのだけれど、そこのベンチで待っているわ。 私の新居に招待してあげる」
「……このサリー、たとえ雨風に吹かれようともお姉様をお待ちいたしましょう」
「いえ、もっと気軽でいいから」
「いえいえ~、だって一人暮らしのお姉様の家に初めて招かれるのですよ。 初めて、このサリーがその栄誉を得るのですよ!」
……この子はどれだけそんな事が嬉しいのかしら。 私に抱き付いて、鼻息まで荒くしちゃって、まあ。
でも、喜ばれるのは悪い気分ではないわね。
そう考えて少し絆されていると、抱き付いた姿勢のままサリーはジークの方を見て彼に対して「フッ」と鼻で笑った。 なぜか、勝ち誇った様子で。
いや、嬉しいのは分かるけれど、そういうのは不敬だと何度言えば……。
「……サリー、不敬。 撤回するわよ」
「もうしわけありませんでしただからそれだけは平にご容赦をぉぉぉ!!?」
ちょっと脅したら、今度は抱き付いていた体勢から数秒も満たずにサリーは土下座の体勢になって、なぜか私に向かって謝り始めた。
謝る対象が違うでしょうに。
そう思ってジークの方を見やれば、一連の流れが愉快だったのか彼は口元を押さえて笑っていた。
「ふふっ、いや気にしなくて構わないよ。 キリエル嬢に関してはいつもの事だし、面白いものも見れたしね」
いや、使用人が雇用主に対して不敬な態度を取る事を「いつもの事だし」と流すのもどうかと思うけれど。 まあ、ジークが良いのなら構わないでしょう。
「しかし、君が城から出ていくとなると寂しくなるな。 仕事が忙しくて君が待つ公園のベンチには辿り着けそうもないし、キリエル嬢が素直にエリーナ嬢の家の場所を教えてくれる訳ないだろうしね」
「まあ、何を仰いますのジーク殿下。 ジーク殿下は以前私を連れ立ってくださった時のように市井にはよく出掛けているのでしょう? でしたら、そこでバッタリと再会するかもしれないじゃないですか。 その時でよろしければ、ご案内いたしますよ」
多分ジークの社交辞令で本当にそんな事になるとは思わないけれど、そうなる時があるならばと、私は期待半分にそう答えた。
半分が社交辞令で、もう半分が本心。
私とジークは既に遠き間柄にある故、普通ならば起こり得ない事象であるのだから。
今のような時間もそれに付随するジークとの距離感も、近いうちに終わりを迎える。 そうなれば望めども言葉を交わす事さえ叶わず、きっと一生その機は訪れまい。
けど、きっとそれが自然な流れである。
でも……。
「ああ、その時はよろしく頼む。 土産として串焼きも何本か買って行こうじゃないか」
ジークはそのように笑いながら言うのである。
進展とは、時に過去を切り捨て先へと至るための行い。
ユースクリフ家との関係性が切れる事も、ジークとの別れも、全ては必要な犠牲であり切り捨てるべき事象である。
なのに、そんな風にあっさりと再会した時の事を約束されてはその決意が鈍ってしまう……。
「で、では! そのためにも、まずはマルコと話をしなくてはなりません。 招待を受けたのは明々後日の事ですから、今のうちにユースクリフ邸に赴く準備をしておかなければ! それでは、今朝はこれで失礼致します!」
あまりにも自然にまだ未定の理想の未来の話を進めるジークの様子に耐えられなくなり、強引に話を切って離席する。
ジークに見られたろうかと熱の上る頬を両手で押さえ、心を沈めるように目を閉じる。
……今の関係性も、いずれは終わる。
それは自覚している。
なのに、ジークからは離別する気配も無ければ離れていくどころか少しずつ距離が近付いているように感じてしまう。 勿論、私の自意識過剰であろう。
でも、そんな自意識過剰でも、この心の臓の動悸を激しくする要因になるのだ。
本当に、心臓に悪い。
でも、もしも近い未来、さっきジークが言ったように私が新たな住まいに移ったとしても会えるならば……。
それは、理想論に塗れたIFの妄想。
確かに都合良く、そして甘いだけの、現実とはかけ離れた理想であろう。
けれど、それは近い未来の可能性であり、否定しきれない一つの道。 0%と切り捨てられない憧憬である。
だから、願うのだ。
ただ甘いだけだと知りながらも素敵な、理想の未来を。
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