公爵令嬢の辿る道

ヤマナ

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花枯れた箱庭の中で

赦す者

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どこか色褪せているかのようにくすんだ、まるで現実から剥離した妄想の産物であるかの如く色彩の薄い庭園。
その通路を歩くエリーナの姿をしたアイリーンと、彼女に車椅子を押されている老人。 
そんな2人の後ろを、ジークは静かに付いて歩いていた。

「ああ……王妃様。 覚えておいでですか、あの花を」

「あら、懐かしいわ。 貴方が初めてこの庭園を訪れた時に花の種を植えたのよね。 ……まだ、咲いてはいないのね」

「ええ。 でも、きっそのうち咲きましょう。 王妃様が願うなら、きっと……」

2人はそんな他愛の無い話をしながら、まるで今は無き昔を、流れ行く現在であるかのように語っていた。
アイリーンとて、理解はしていよう。 
この場の全ては、夢であると。
この庭園は、願望であると。
故に現実ではなく、ただの、そう望んだ者の心を慰めるだけの嘘であると。 
けれど、彼女は車椅子の老人に合わせるようにして話す。 それはきっと、彼女自身もまた、懐古に浸っているというのもあったのだろう。
アイリーンも、車椅子の老人も、とうに死して尚、現世に未練を残す故人。
失われた未来に何も無く、その先さえもありはしないならば、過去に救いを求めるのは自然な流れ。 
だって、既に死しているが故に、死という救済さえも2人にはありはしないのだから。
ならば、生者の世に歪みを撒き散らす呪と成り果ててしまった2人の救いなど、きっと、今のような時を過ごすより他に無いのだ。
仲睦まじく、2人は談笑を楽しみながら庭園を散歩して回る。
時折、車椅子の老人は言葉に詰まる。 アイリーンはその度に言葉を切って、ただ黙って老人の二の句を待っていた。
けれど言葉は続かず、やがて再び昔話に花が咲く。
ジークはそれを訝しみながらも、ここに至るより以前にアイリーンに言われた通りに成り行きを静かに見守った。
そうして、やがて庭園を一周すれば、次にはアイリーンがお茶会の提案をする。

「それは良い……ああ、君。 茶の準備を頼むよ」

アイリーンの言を受けて、車椅子の老人はここで、これまで一度たりとも干渉する事の無かったジークへと声を掛けた。
その声音はなんとも事務的でありながら、どこか親しみの篭ったもの。
けれどジークにとって、老人など知らぬ人。
アイリーンより伝え聞き、彼こそが王族を呪っていた首謀者であると知ってはいるが、敵意こそ無ければ親しみさえあるその声に、彼は驚きを隠せなかった。

「いいえ、この庭園の主人は私なのよ。 だったら、お茶を振る舞うのは私の役目。 ほら、貴方は座ってて。 久し振りだけど、とびっきりのお茶を淹れますから」

そう言ってアイリーンはジークの背を押すと、老人の横の席へと座らせる。

「よかったねぇ、君。 王妃様が直々に淹れて下さる御茶だなんて、望もうともそういただけるものではないからねぇ……」

老人は、これまた親しげにジークへと語りかける。
その双眸は弛んだ瞼に隠されて見えず、そも老人はジークの方へと視線を向かわせず、テーブルに向かう姿勢のままであった。 ジークの存在を、正しく認識しているかさえ怪しいものである。

「王妃様が君を連れてきた事には驚いたよ。 君はあの方と面識など無かった筈だからねぇ」

「……はい。 ここに来て、初めてお目に掛かりました」

事実、ジークが数百年も前に亡くなった人物に出会うなど、此度のような事態でも無ければ起こり得ない奇跡であろう。 
それは当然、目の前の老人にも当て嵌まる要素である。 けれどもなぜかこの老人はジークに対して妙に親しげで、そして以前より面識があったかのように喋っていた。
何故かとジークは内心首を傾げていたが解など出よう筈も無く、やがて茶を淹れて、アイリーンが戻ってきた。

「はい、どうぞ。 久し振りだけど、味は保証するわ」

「ええ。 いただきます……ああ、懐かしい。 ずっと昔、私と王妃様が初めて出会った時にも振る舞って下さったものと同じ、ハーブティーだ……」

「ええ、そうね。 あの時は、それくらいしか淹れられなかったから。 ずっと一人のお茶会に貴方が来てくれるようになったあの日から、新しいお茶のレパートリーを増やそうって思ったの……貴方が、来てくれなくなってからも、ずっと」

コトリと、アイリーンがティーカップをテーブルに置くと、その場の空気は一変した。
それは、一つの転機。
思い出の時間は、もうこれまで。 これより先は、未来の話。
彼ら死した者達が辿るべき末路と、この世に在るべきでない呪いを祓うための……全てを終わらせるための、お話だ。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「……私は貴女を救う事が出来ませんでした」

それは、彼の告解であった。
彼にとってのそれは、少なくとも彼が罪であると認識するもの。 
例え、かつてどのような理不尽と彼の想いを阻む障壁があったのだとしても、その上で拭い切れない後悔こそ彼が抱く罪の根源なのだから。
故に、彼は自らを許す事が出来ない。
そして同時に、自らを裁く事さえ出来ない。
自罰意識こそあれど、人とは自らの罪を拭えぬもの。
罪の赦しは誰かから与えられるものであり、それは他者より判定されて重さが決まるもの。
ましてや罪とは、当人が真に後悔する事であればあるほどより重く、大きく感じるものなのだ。 
それ故に、彼は自らを赦す事など到底出来はせず、罰する事さえも出来ず、燻る後悔を憎悪に摺り替えて、理不尽を呪って、その末にここまで来てしまった。
なれば、彼に必要なのは、罰と赦し。
そして、この世に在ってその双方を彼に施せる者など、ただの一人しか居はしない。
彼自身が罪悪感を持ち、かつて救う事叶わず命を散らせてしまった人。 ……儚い気持ちをその胸に宿しながら、けれども決して伝えられなかった、その相手。
アイリーンだけが、彼に赦しと救いを与えられる存在であった。
でもアイリーンとて、彼に与える罰は無い。
なぜなら、罰など彼は長い間ずっと受け続けてきただろうから。 
人が生きるべきでない、悠久にも等しい時間こそが彼に科された罰だったのだから。

『罰とは、罪人に赦しを与えるためのもの』

彼が犯した罪など、科された罰から差し引けばとうに赦しに足る。 犯した罪がいくら深かろうとも、赦されぬ罪業などありはしないのだから。
まして、罰を受ける彼こそが呪いの根源であるならば、赦しこそ道理であろう。

「……私は、貴方をずっと待っていました」

けれど、アイリーンの口から漏れ出るのは、赦しと毛色の違う言葉。
彼女とて、一度死して永き生を渡り歩いた者なれども、聖人ではない。 
積もる想いもあるだろう、言いたい言葉もあるだろう。 想いなど、事ここに至っては留めるべきではないのだから、彼女は全てを吐き出していく。

「貴方が居ない時間はとても寂しかった。 いつ来てくれるのかと、とても心待ちにしていたわ。 ……でも、いつまでも私の元に来てくれなくて、だから、私は待ちきれなかった……でも、それは貴方のせいではない。 全て、私がわがままだっただけなのよ」

アイリーンは、その手を再び彼の手に重ねる。
二人に温もりなどありはせず、あるのは互いの存在を確かめ合うだけの感触のみ。
かつての、独りぼっちのアイリーンが求めた人の温もりなどそこに在りはしない。 けれど、ここにおいては寂しさを紛らわせる温もりなど不要。
そこに互いが在る。 
ただ、それだけが重要であった。
だって、零れ落ちる独り言など、虚しいだけだから。 赦し合うために、伝え合う言葉でなければならないのだから。

「あの頃は、側に居てくれるならば誰でもよかったの。 私ずっと寂しくて、愛してくれる人なんていた事が無かったから。 ……でも、愛してほしいくせに、愛する事を知らなかったのよ、私。 そんな私のわがままで、ずっと、ずっと貴方に、無理を強いてきてしまった……」

「いえ……いいえ。 でも私は、私こそ貴方を救えたのです! それなのに、あんな愚王の命に従って戦に赴いた……一時とて、貴女様の側を離れてしまった。 そのせいで、貴方に……首を、吊らせてしまったのです」

そこに在ったのは、想い合うが故のエゴのぶつかり合い。 その果ての、すれ違いであった。
無知蒙昧に愛を渇望したアイリーンと、盲目なまでの一途さでもって想い人の幻想に取り憑かれていた彼。
ベクトルは互いを向いていた筈なのに、寄り添い合えなかった二人。 
その果てに、何もかもとうに廃れてしまった。
だからこその今。 互いを赦し合う、終わりの時なのだ。

「こんな、どうしようもない程に愚かな私を、ずっと想っていてくれてありがとう」

「私こそ………この不忠の身の罪を赦し、弔って下さり、ありがとうございました。 ……やっと、やっと消える事が出来るのです。 最期に貴女様とまた過ごせた喜びを胸に、消える事が出来る。 ああ、なんと……なんと、幸福な事か」

彼はそう言い残すと、静かに目を閉じ、身じろぎはおろか呼吸の一つもしなくなった。
アイリーンと重ねるその手の感触も薄れていって、雲散するように少しずつ消えていく。
やがて、眠りの一時を切り取ったようなその姿から、小さな光が一つ飛び立てば、辺りの精霊達は騒ぎ始める。

「……さようなら、愛してくれた貴方。 きっと、私と貴方が会える事は、もう永遠に無いのでしょう。 だからどうか、生まれ変わった先では幸福な生を……」

それは小さな光達の乱舞の中で、密かな弔いの言葉であった。
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