公爵令嬢の辿る道

ヤマナ

文字の大きさ
上 下
78 / 139
花枯れた箱庭の中で

おいで

しおりを挟む
「……いあれ、む…いあ…。 愚………リス……の血に……………」

それは、地の底より響くような、嗄れた老人の声であった。
時は流れ、歳を重ね、皺くちゃの顔になって今にも枯れてしまいそうな程に痩せ細った老人は、前にもこの場所に顔を見せた、泣き虫の男………であったと思う。
人の姿は移ろうもので、我らにとって些細な時の流れであっさりと変わってしまう故に、ああまで変貌してはまるで判りはしない。
けれど、今となっては人に見捨てられて朽ちかけているこの場所に訪れて涙を流すような人間など、あの泣き虫男以外には見当がつかなかった。
嗄れて、喉に痰でも絡まるのか時に詰まる言葉を口にしている。 前来た時は泣きながらもスラスラと言葉を並べていたというのに、移ろう種族である人間は、実に難儀な生き物である。
しかし、男は見れば見るほど、以前来た時と何もかもが違う。
目が隠れる程に伸びた前髪は見る影も無く禿げ上がり、張りのあった瑞々しい肌は触れれば崩れ落ちそうな枯れ葉の如く。 
偶に前髪の隙間から覗き見えていた瞳は光彩を失って、見えているやらいないなら。
我らが愛を抱えて連れて行った力強い腕も足腰も衰えて、今や枝木が如くポキリと簡単に折れてしまいそうな程に細い。 
だからか、男は今、動く椅子に座っている。 道具に頼らねば動く事さえままならぬ程、生き物として衰えていた。
人の生は短く、朽ち果てる時は少しずつ枯れていく。 
対して、終わる種族である人間とは違い、我らはこの世の理の種。 故に感じる気配によれば、この男は今まさしく死にかけている。 
死を前にした、一つの命だった。
死とは、よくある事象。
人は死ぬものであり、その命は短く、そして死を恐れるもの。

「侵させは……せぬ……。 あやつら……に、この場所を、踏み躙らせて、なるものか」

それは、いつかの誓いの言葉の延長だった。
死を目前に、それでも男は我らが愛だけを見ていた。 まるで自らの事など、どうでもいいと、老いた男は未だ情熱を燃やしている。
しかし、その朽ちかけている身体で、天へと召されかけている魂で、この男に何ができようか。
既に、我らが愛の住まいであったこの宮は何度も、好色な人の王が連れ帰った娘を囲うための仮宿のように扱われてきた。 何度も何度も、入れ替わり立ち替わり違う女が住まうようになったが、そのどれも、我らが愛には遠く及ばない者ばかりだった。
けれど、所詮は世界の理の種でしかない非力な我らは抵抗も出来ず、せいぜい庭園の花々を絶やさぬようにするのが関の山で、結局、誓いなど何一つ果たせてはいなかった。
それは、この男とて同じであろう。
我らが愛が還るその時まで庭園を守ると誓っておきながら、結局は人の王を止められなかったのだから。
我らと男は、揃いも揃って無能者であった。
片や、力無き人。 
片や、人の世に介せぬ世の理の種。
あの時、大切なものを守るには、我らと男とではあまりにも力不足だったのだ。

「ああ……お前、達。 力を、私に……今こそ奴らに………」

ただ、無力であったあの頃と違ったのは、男が人間と我らの境界に介する存在になっていたという事。
そして今、我らの力を求めた。
現世を生きる人間が、決して交わる事の無かった者が、我らを呼んだのだ。

呼ばれたのなら、応えよう。
望まれたのなら、祝福しよう。

所詮は座興。 
我らが愛にまた巡り会うその時までの、ほんの些細な暇潰しのようなもの。
……しかし、我らとて、我らが愛を虐げていた者どもの事は腹に据えかねていた。 ならば今こそ、我らが愛を死に追いやったその罪を、償わせよう。


呪いあれ、報いあれ。
かの血筋、愚なる王の血族に呪いあれ。
アリステル王家の血が絶えるその時まで、孫子の先の、ずっと末までも報いを受けよ。
その罪深い血の果てに、次は貴様らが枯れるといい。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


夢に見たのは、悲しい呪いの声だった。

目が覚めて、机に突っ伏す姿で眠っていた私は、体勢悪く眠っていた結果痛む身体を伸びをして関節の鳴る音と共にほぐしながら、直前まで見ていた夢を思い返す。
いつも見る、私が殺したあの男の悪夢とは違う夢。
時たま見る、知らない誰かの嘆きの夢。
正体不明の語り部と、車椅子に乗った老人。
それらは揃って、アリステル王家への呪詛を囁いていた。
愚なる王、好色の王。 
血族全てに呪いあれ。
以前、似たような話を何処かで目にした記憶がある。
それは確か、エイリーン学園の図書館で、私の生の繰り返しを止める方法を模索するために色々な本に手を付けていた時だったか。

机の上をチラと見れば、そこには私が昨夜まで目を通していた書籍がある。
最近では、深緑の宮と石碑について調べるために王城の図書館を利用して調べ物ばかりしている。
時には夜遅くまで貸し出された本の字をなぞる事も多く、故にサリーが「夜更かしは厳禁です!」と私をベッドへと押し込むのだけれど、サリーが去った頃合いを見計らって、非常用のランプを使ってこっそりと本を読んでいる。
どうやら昨日は、そのまま寝落ちしてしまったらしい。
寝る時間を割いても、深緑の宮と石碑についてわかった事などそう多くはない。
故に、今日もまたあの場所へと向かい、胸の何処からか湧いてくる探究心のままに図書館で本を漁るのだ。
……その時、学園で一度だけ読んだ、あの本も探してみようかしら。
などと、今日の予定を考えていれば、扉が勢いよく開いて、大きな声と共にサリーが入ってきた。

「お姉様、朝ですよ! 今朝は卵が良い具合に半熟に焼けたので急がないと固まってしまい……お姉様、頬に何か痕が付いてますよ? どうかなさったのでーーー」

「おはよう、キリエル嬢。 ……痕? あ」

言われて鏡を見てみれば、頬にはくっきりと痕が付いていた。
何の痕かと問われれば、それは机に突っ伏して寝た時に付くそれである。
そして、サリーが視線を向ける机を見れば、そこにはオイルの切れたランプと開かれた本が置かれている。

「お姉様………また、夜更かししましたね?」

状況証拠が揃っている故、言い訳など無意味である。
つまりまあ、そうなると、次にはお説教が待っているわけである。

その後、ガミガミと私を叱るサリーのお説教はそこそこ長く続いた。
いつの間にやら、お説教は私の髪や肌のケアがどうのという話に変わっていたけれど、それらも全て、私は知らぬ間にとっていた正座の姿勢で甘んじて受け入れた。
今のお説教モードのサリーの状態が、異国の表現にある『オカンゾクセイ』というものかしら、などと胡乱な事を考えていればそれが伝わったのかサリーは最後にこう告げた。

「反省、してませんね? では、ちゃんと寝なくなってしまうので、夜中はランプと本は没収します!」

言われて反論しようとすれば、ジトリと睨まれたので黙るしかなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】名ばかりの妻を押しつけられた公女は、人生のやり直しを求めます。2度目は絶対に飼殺し妃ルートの回避に全力をつくします。

yukiwa (旧PN 雪花)
恋愛
*タイトル変更しました。(旧題 黄金竜の花嫁~飼殺し妃は遡る~) パウラ・ヘルムダールは、竜の血を継ぐ名門大公家の跡継ぎ公女。 この世を支配する黄金竜オーディに望まれて側室にされるが、その実態は正室の仕事を丸投げされてこなすだけの、名のみの妻だった。 しかもその名のみの妻、側室なのに選抜試験などと御大層なものがあって。生真面目パウラは手を抜くことを知らず、ついつい頑張ってなりたくもなかった側室に見事当選。 もう一人の側室候補エリーヌは、イケメン試験官と恋をしてさっさと選抜試験から引き揚げていた。 「やられた!」と後悔しても、後の祭り。仕方ないからパウラは丸投げされた仕事をこなし、こなして一生を終える。そしてご褒美にやり直しの転生を願った。 「二度と絶対、飼殺しの妃はごめんです」 そうして始まった2度目の人生、なんだか周りが騒がしい。 竜の血を継ぐ4人の青年(後に試験官になる)たちは、なぜだかみんなパウラに甘い。 後半、シリアス風味のハピエン。 3章からルート分岐します。 小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。 表紙画像はwaifulabsで作成していただきました。 https://waifulabs.com/

【完結】 悪役令嬢は『壁』になりたい

tea
恋愛
愛読していた小説の推しが死んだ事にショックを受けていたら、おそらくなんやかんやあって、その小説で推しを殺した悪役令嬢に転生しました。 本来悪役令嬢が恋してヒロインに横恋慕していたヒーローである王太子には興味ないので、壁として推しを殺さぬよう陰から愛でたいと思っていたのですが……。 人を傷つける事に臆病で、『壁になりたい』と引いてしまう主人公と、彼女に助けられたことで強くなり主人公と共に生きたいと願う推しのお話☆ 本編ヒロイン視点は全8話でサクッと終わるハッピーエンド+番外編 第三章のイライアス編には、 『愛が重め故断罪された無罪の悪役令嬢は、助けてくれた元騎士の貧乏子爵様に勝手に楽しく尽くします』 のキャラクター、リュシアンも出てきます☆

目が覚めたら異世界でした!~病弱だけど、心優しい人達に出会えました。なので現代の知識で恩返ししながら元気に頑張って生きていきます!〜

楠ノ木雫
恋愛
 病院に入院中だった私、奥村菖は知らず知らずに異世界へ続く穴に落っこちていたらしく、目が覚めたら知らない屋敷のベッドにいた。倒れていた菖を保護してくれたのはこの国の公爵家。彼女達からは、地球には帰れないと言われてしまった。  病気を患っている私はこのままでは死んでしまうのではないだろうかと悟ってしまったその時、いきなり目の前に〝妖精〟が現れた。その妖精達が持っていたものは幻の薬草と呼ばれるもので、自分の病気が治る事が発覚。治療を始めてどんどん元気になった。  元気になり、この国の公爵家にも歓迎されて。だから、恩返しの為に現代の知識をフル活用して頑張って元気に生きたいと思います!  でも、あれ? この世界には私の知る食材はないはずなのに、どうして食事にこの四角くて白い〝コレ〟が出てきたの……!?  ※他の投稿サイトにも掲載しています。

『欠落令嬢は愛を知る』~妹に王妃の座も人生も奪われましたが、やり直しで女嫌いの騎士様に何故か溺愛されました~

ぽんぽこ狸
恋愛
 デビュタントを一年後に控えた王太子の婚約者であるフィーネは、自分の立場を疑ったことなど今まで一度もなかった。王太子であるハンスとの仲が良好でなくとも、王妃になるその日の為に研鑽を積んでいた。  しかしある夜、亡き母に思いをはせていると、突然、やり直す前の記憶が目覚める。  異母兄弟であるベティーナに王妃の座を奪われ、そして魔力の多い子をなすために幽閉される日々、重なるストレスに耐えられずに緩やかな死を迎えた前の自身の記憶。    そんな記憶に戸惑う暇もなく、前の出来事を知っているというカミルと名乗る少年に背中を押されて、物語はやり直しに向けて進みだす。    

どうして私が我慢しなきゃいけないの?!~悪役令嬢のとりまきの母でした~

涼暮 月
恋愛
目を覚ますと別人になっていたわたし。なんだか冴えない異国の女の子ね。あれ、これってもしかして異世界転生?と思ったら、乙女ゲームの悪役令嬢のとりまきのうちの一人の母…かもしれないです。とりあえず婚約者が最悪なので、婚約回避のために頑張ります!

妹に全てを奪われた令嬢は第二の人生を満喫することにしました。

バナナマヨネーズ
恋愛
四大公爵家の一つ。アックァーノ公爵家に生まれたイシュミールは双子の妹であるイシュタルに慕われていたが、何故か両親と使用人たちに冷遇されていた。 瓜二つである妹のイシュタルは、それに比べて大切にされていた。 そんなある日、イシュミールは第三王子との婚約が決まった。 その時から、イシュミールの人生は最高の瞬間を経て、最悪な結末へと緩やかに向かうことになった。 そして……。 本編全79話 番外編全34話 ※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しています。

転生した元悪役令嬢は地味な人生を望んでいる

花見 有
恋愛
前世、悪役令嬢だったカーラはその罪を償う為、処刑され人生を終えた。転生して中流貴族家の令嬢として生まれ変わったカーラは、今度は地味で穏やかな人生を過ごそうと思っているのに、そんなカーラの元に自国の王子、アーロンのお妃候補の話が来てしまった。

【完結】悪役令嬢に転生したのでこっちから婚約破棄してみました。

ぴえろん
恋愛
私の名前は氷見雪奈。26歳彼氏無し、OLとして平凡な人生を送るアラサーだった。残業で疲れてソファで寝てしまい、慌てて起きたら大好きだった小説「花に愛された少女」に出てくる悪役令嬢の「アリス」に転生していました。・・・・ちょっと待って。アリスって確か、王子の婚約者だけど、王子から寵愛を受けている女の子に嫉妬して毒殺しようとして、その罪で処刑される結末だよね・・・!?いや冗談じゃないから!他人の罪で処刑されるなんて死んでも嫌だから!そうなる前に、王子なんてこっちから婚約破棄してやる!!

処理中です...