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いつか見た夢の世界で
こわれたもの
しおりを挟むパーティー会場の襲撃事件、並びに、王太子の暗殺未遂事件から数日が経過した。
あれだけの騒ぎの割に、多少の器物損壊があった程度の被害で収まった此度の一件は、下手人の多くが早期に捕らえられていた事で、既に収束を迎えていた。
各種関係者及び下手人の証言に、密書や非合法の武具などの物的証拠の押収、並びに今回の一件の裏で手を引いていたとされる反王太子派貴族の一斉検挙。
おおよその事は、とうに完遂しているのだ。
反王太子派の犯行動機は、案の定という他無いほど極めてシンプルなもので『目の上の瘤であった王太子の暗殺』と『幼い第二王子を次期王太子へと祭り上げて傀儡とし、自分達が実質的な国のトップに座そうとした』との事だった。
何とも浅はかな、それでいて一歩間違えればアリステル王国を衰退に陥れかねない、非常に迷惑かつ悪辣な動機であった。 第二王子が毒牙にかかる前に、不埒者どもを検挙できた事は幸いと言えよう。
反王太子派は小悪党の集まりで、以前より国の膿として危険視されていた故、この機に排除できたのは、政を担う者たちにとっては非常に喜ばしい事である。
よって、そうした、陳腐で杜撰な小悪党の群れによって為された王家主催のパーティーでの襲撃事件と王太子暗殺未遂事件は、もう既に解決の見通しが立っていた。
表向きには、な。
此度の一件における調査報告書に目を通し、最後にそう評する。
まだ解決していない事柄の方が多いという事を、今まさに思い知らされている最中である故に、そうした皮肉が脳裏に浮かんだ。
「……今日もまた、変わらずか」
今日もまた、その言葉を吐かずにはいられなかった。
現在、貴賓として王城の一室に、令嬢を1人住まわせている。
その令嬢に付けた数名の侍女の内、最も階位の高い筆頭侍女は、今日もまた、期待している報告とは違う、代わり映えのしない報告を伝えてくる。
恭しく一礼をして去るその姿がいなくなってから、持っていたペンを投げ出し、王太子ジークは椅子に腰掛けたまま天井を仰ぎ見た。
資料作成に行き詰まった時の気分転換としているルーティンワーク。
その後に思う事はいつも同じ。
それを今日は、また口にした。
「変わらないなぁ……」
哀愁混じりに、ため息を一つ吐く。
そのまま、天井を見上げた姿勢のままで大きく伸びをして、弾かれたような勢いで執務机へと向き直る。
机の上には、先の事件に関する書類が山と積まれている。 雪崩が起きそうなほど不安定に積まれたそれらを捌ききるには、果たして何日かかる事か。
けれど立場ある身として、処理していかねばならない。
せめて、今日中に山一つ分程度は片付けてしまいたいところである。 よって、書類を一枚一枚、その内容を一文字だって見逃さず、確認していく。
それがジークの仕事であり、また、国王より与えられた王太子としての力量を測る恒常的なテストのようなものだからだ。
だから粗雑に扱う事は許されず、しかし、一枚の書類に、忙しなく動いていた眼が動きを止める。
それは先日、王城内部で惨殺された辺境伯に関する報告書であった。
「連日こうも、ご無理をしていては御身に障ります。 少し、休まれてはいかがでしょうか」
主人を気遣うその声に、ジークは意識を紙面の文字より現実に引き戻される。
見れば、ライアスが痛ましげにジークを見ていた。
「お気持ちは分かります。 ですが、ジーク様まで倒れられては……」
「俺は何ともない。 無理なんてしていないから、心配はいらないよ」
「以前、ユースクリフ嬢が同じ事を申しました」
言われて、ジークは「あっ」と口元を押さえた。
次いで、その口元を愉快そうに歪める。 ただし、目元には未だ、哀愁を漂わせて。
「………そうか。 このままでは、俺もエリーナ嬢の事をもう、とやかく言えないな………すまない、ライアス。 温かいミルクティーを頼むよ。 飲んだら、少し寝る」
「ええ。 それがよろしいでしょう」
主人の指示を受け、何処か安心したように破顔したライアスは、所望されたミルクティーを淹れに執務室を後にする。
残されたジークは1人、王城に住まう貴賓たる令嬢、エリーナを思う。
今度、時間をとって見舞いに出向こう。
その際、持参する花は何が良いだろうか。
そんな些細な事が、今も苦しむエリーナの、ほんの少しでも癒しとなるよう願いながら。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
パーティーでの襲撃事件と王太子暗殺未遂事件について、公にされている事実に偽りは無くとも、秘された事柄はある。
大衆の面前で起きた火矢によるパーティー会場の襲撃と、王太子ジークが暗殺者を撃退した一件。
それを表舞台として、その裏で密かに起こった事件。
此度の事件の根幹へと至る黒幕、ルーディック・ヤザル辺境伯が殺害された事件である。
現行犯として捕らえられたのは、血に塗れ、亡骸のすぐ側に立っていた、ユースクリフ公爵家の令嬢であるエリーナ・ラナ・ユースクリフ嬢。
エリーナを捕らえた騎士は、錯乱する彼女を貴族牢へと、勾留した。 精神状況を鑑みるに、事情聴取もまともに出来そうにないと判断したから、との事であった。
襲撃による騒ぎが収まり、来賓である貴族らもおおよそ王城を去った後、ジークは数ある報告の中より、その報せを耳にした。
パーティーの最中に行方不明となってから常に心の中でその身を案じていたエリーナが殺人を犯したと聞いて、外聞も忘れて彼女が勾留されているという貴族牢へと駆け出した。
数多く並ぶ貴族牢。 普段から1、2部屋程度しか使用されない、犯罪を犯したとされる高位貴族を勾留もしくは拘留しておくための、それなりの調度が施された、牢とは名ばかりの客室のような部屋だ。
しかし、今は事件の中で捕縛された貴族をそれぞれ留置しており、扉を叩く音や無実を訴える声が廊下一面に響いている。
エリーナは何処かと探し回り、ようやく見つけた一室で、彼女は這い蹲るように跪いていた。
その背は揺れ、嗚咽が響いていた。
「赦してください……赦してください……」
一心不乱に、祈りを捧げていた。
声を掛ける事すら忘れて、その悲痛な有り様を見ているしか、ジークにはできなかった。エリーナは、何かに取り憑かれたように祈りの言葉を繰り返す。 懺悔に及ばない、赦しを乞う言葉を、ただひたすらに。
やがて、祈りの言葉が止むと、エリーナはプツリと糸が切れたように倒れた。
慌てて抱きかかえると、腕の中のエリーナは静かに寝息を立てていた。 疲れて、眠ってしまったらしい。
そのエリーナの姿に、眉根を寄せて、歯噛みする。
自らの至らなさに対して、心底より苛ついたからだ。
エスコートの際より変わっていないドレスには、本来のデザインにありはしない赤黒い模様が浮かび、エリーナの頬にもそれは少量付着している。
抱きかかえたエリーナをベッドへ寝かせて、ジークは部屋を出た。
そして、見かけた侍女に、勾留している令嬢を着替えさせてやるよう指示を出して、自らの執務室へと帰っていった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
一晩を明かし、落ち着きを取り戻したエリーナは事情聴取に素直に応じた。
質問には丁寧に答え、時に目眩を起こしたり吐き気を催す以外には特に問題も無く、事情聴取自体はすんなりと終わった。
しかし、問題は語られた内容にあった。
今回の事件。
その影で暗躍し、反貴族派に取り入って支援し、時には扇動していたのが殺害されたルーディック・ヤザル辺境伯であるという事。
そのルーディック・ヤザル辺境伯が、遠く離れた帝国へとアリステル王国を売ってそちらに寝返ろうとしていたという事が明かされたのだ。
あまりにも突拍子の無いエリーナの証言は、初めは信じられなかった。
しかし、ヤザル辺境伯邸を家宅捜索すれば、そこには帝国との癒着の証からアリステル王国の重要機密が書かれた書類まで、エリーナの証言を裏付ける証拠が山のように発見された。
ルーディック・ヤザル辺境伯はこの時より改めて、売国奴として扱われるようになった。
やがて調査が進むにつれて、ルーディック・ヤザルの邸の執務室より、エリーナの実母であるイザベラ・ラナ・ユースクリフ夫人への執着を感じさせる日記の発見や、エリーナの誘拐を計画していたと思われるメモ書き、奴隷商との繋がりやヤザル邸の地下室に転がる無数の年若い娘御の遺体と、その異常性を示す証拠が数多と明らかになっていく。
エリーナの証言と合わせて、ルーディック・ヤザルは精神異常者であり、自らが一方的に執着していた女性の娘であるエリーナを手に入れようと画策していた危険人物であると認定されるまで、そう時間は掛からなかった。
そしてエリーナの殺人は、現場の状況や当事者の証言、及びルーディック・ヤザル本人より指示を受けて出国のための馬車の準備を整えていた下男の証言により、正当防衛が適用され、罪に問われる事は無い。
むしろ、ルーディック・ヤザルのような者がアリステル王国の重要機密を持って帝国へと渡る前にそれを防いだ事により、国王はその功績に大いに謝意を示した。
エリーナを王城の貴賓として迎え入れ、もてなした。
……しかし、当のエリーナはそれ以降、塞ぎ込んでしまった。
日がな床へと平伏して、必死に祈って神へと赦しを乞い続けるようになった。 食事さえも忘れて、倒れるか気を失うまでずっと、祈り続けるのだ。
何も食べないのは命に関わると説得して食べさせてみれば、食はまるで進まず、そして肉をまるで受け付けなくなっていた。 口にした途端、全て戻してしまうのだ。
今では少量のパンを食み、水で流し込むだけの質素な食事を続けているらしいが、それではいけないとして、寝ている所に重湯や野菜の汁を混ぜたものを飲ませている。
当然、その程度では身体に栄養が満足に行き渡る筈もなく、その身は痩せ細っていく一方だという。
そんなエリーナを慰める手立てを、ジークは何も持っていない。
彼女が苦しんでいる理由は、人を殺してしまった罪悪感からか、それとも、何か別の理由か。
それすらも、ジークには分からない。
人を殺すという事は、善悪で測れるものではないと聞く。
人の世において許されない行いであるという事は確かであるけれど、いざ戦争となればそれは『是』とされる。
平安の世においては、間違いなく『非』なる行いだ。
それほど、善悪が移ろい易い行いでありながら、人はそれを厭う。
それは偏に、恐ろしい行いであるからだ。
けれど、その恐ろしささえも、ジークは知らない。
それでも、エリーナを放っておく事など出来はしない。 故に、慰めるにはどうすればと頭を悩ませていた。
そしてもう一つ、エリーナに関して懸念事項があった。
ジークの執務机に重ねられた書類の山とは違って放り出される形で置かれているそれは、既に封を切られて中身が外に出ていた。
封蝋に押された印章はユースクリフ公爵家のもので、現当主であるアルフォンス・ラナ・ユースクリフ公爵より、その娘であるエリーナへと当てられたものである。
現状のエリーナはその手紙を受け取っても、まともに読めない程に精神的に不安定で、しかし公爵からの手紙を放置しておくわけにもいかずに、ジークが代理で内容を確認した。
内容は以下の通り、実に簡潔な文章で記されていた。
『エリーナ・ラナ・ユースクリフを、ユースクリフ公爵家より除名する。
以降、ユースクリフの姓を名乗る事、及び我が家に関わる事の一切を禁じ、また我が家からも関わる事も無い。
同封した手切れ金を受け取り次第、上文を有効のものとする。
ユースクリフ公爵家・当主 アルフォンス』
手紙と共に届けられた小包には金貨が20枚ほど入っていた。
貴族、ましてや公爵令嬢であれば端金であっても、市井で平民として生きるのであれば向こう数年は働かずとも生きていける金額だった。
つまり、エリーナをユースクリフ公爵家より勘当するという記述は、積まれた金貨の分だけ重い意味を持つ。
ユースクリフ公爵家という由緒正しき血族、その正統なる血縁者であり、公爵自らの実の娘を、捨てるという事だ。
「……さて、どうしたものか」
エリーナの今後を思い、慚愧に堪えない。
あの時、自らのパートナーになってくれなどと頼まなければ、エリーナは今のようになる事は無かったのだろう。
王太子のパートナーなど、気軽に頼むべき立場ではなかったのだ。
そのせいで、彼女は苦しみ、そして全てを失ったのだ。
だからせめて、思い至る事は全てしようと、そう思った。 それは償いと、そしてエリーナを想っての事だ。
そうしてジークは、ライアスがミルクティーを届けに戻るまでの間、エリーナのために出来る事を考え続けた。
救いとまではいかずとも、せめて彼女が安らげるようにと、思いながら。
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