公爵令嬢の辿る道

ヤマナ

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いつか見た夢の世界で

※ こころ

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恐怖の声がする。
逃げても、拒んでも、目を閉じても、耳を塞いでも、私へとその存在を告げる耳障りな声音。
悪夢の如き悍ましさを孕んだ、恐ろしくも腹立たしく、そして今すぐにでも静かにさせてしまいたい程に煩い、この一生を終えても二度と聞きたくない声だ。

「そもそも、本来ならばすぐに君を連れ出して僕の王都での別邸に招き、夜が明けるのを待ってから王都を発つ算段だったのに。 オルトリンの小娘が寄越した愚図がッ! 君を殴ったと聞いて、始末をつけざるをえなくなってしまった! 君をどうにかしていいのは僕だけなのに………クソッ! クソッ! クソォォッ!!」

一つ、また一つと蹴飛ばされ踏み潰されていく部屋に備え付けられていた調度品の数々。 それらは破壊されて、無価値な廃材となって床へと散らばっていく。 私の出来る唯一の抵抗は塞いだ目を開いて、暴力の余波から逃げ続けることだけだった。
対するルーディック・ヤザルは、相も変わらず情緒が不安定だ。
理性的な言葉を発したかと思えば、次の瞬間には口汚く罵りながら暴力を振るう。 狂気が、紳士の皮をそのまま被ったような男だ。
先程から怒りを振り撒く原因となっているらしい『オルトリンの小娘が寄越した愚図』とは、おそらく私を殴って気絶させた給仕服の者の事。
そして『始末』となれば………きっと、給仕服の者は既にこの世にいないのだろう。 狂人の衣服の袖口に見える赤黒い生乾きの何かから、そうなのだろうと察せられる。
快楽のために人を傷付け、壊す事を厭わないこの男ならばあり得ない話ではないだろう。

「……本当は、王太子暗殺の騒ぎの最中に城を出る予定だったんだけれど、仕方がない。 今、城の表門から君を連れ出しては目立ってしまうからねぇ、人の寄らない裏口付近に馬車を移動させているところなんだ。 準備が整い次第、報せが来る手筈だからそれまで待っていてくれよ。 ……ああ、それにしてもあと少しで夢にまで見たイザベラとの生活が始まるだなんて夢のようだ! 一生を掛けて幸せにすると誓うよ! だからどうか、僕の手を取っておくれ。 愛しい愛しい、僕のイザベラ!」

ルーディック・ヤザルは歓喜と共に、その手を私の前へと差し出す。
……私のものではない、名前を呼んで。
ああ、怖い……怖い。
ルーディック・ヤザルが見せた一連の狂乱を目にし、耳にし、あんなにも恐ろしいものを冷静に捉えている自分が心の何処かに居ながらも、身体は未だ恐怖に屈したままだった。
三度目の世界で殺された時と違う点など、この心の在り方でしかなく、それは抗うための決定打になりはしない。 
抗えるだけの勇気も気力も無く、しかし胸の内に渦巻く感情のみが混沌と化していく。
これまで繰り返してきた四度の生の中で、心は壊され、砕かれ、投げ捨てられた。 
踏み付けられて、価値の無いものと等しいゴミになった。
五度目の私は、そんなゴミが寄り集まってできた残りカスみたいなもの。 
そんな残りカスは、神からの赦しを得るために行動する中でその無形から少しずつ形を成し、やがて心となっていった。
形をくれたのは、多くの大切な人々との日々と、果たすと決めた使命。 
それは、最も大切で、最も大切にしなければならないものだったーーー

「ああでも、憂鬱だなぁ。 僕は帝国に渡っても暫くの間は休めそうになくてねぇ。 アリステルの情報を持っているのは僕だから、攻め入るための軍事会議に出なければならないんだ。 だから、君とゆっくり過ごすのはもっと先になる。 ごめんねイザベラ」

ーーーそれは、心底嫌だという風に、まるで愚痴であるかのように、軽く語られた言葉だった。 
そしてそれを契機にして、私の諦念に塗れていた心が少しずつ覚醒していく……。

「ああ、そういえば王太子は襲撃の中で生き残ったってさ。 まぁ、僕としては今ここで王太子が死のうが生き残ろうが、どちらでもよかったんだけどねぇ。 どうせ帝国に攻め入られれば王族は皆処刑だろうし、いつか死ぬなら何も結末は変わらないからね! 僕としては君の手をとってダンスを踊り、あまつさえ君の婚約者のように振る舞うあの小僧など、僕自らの手で八つ裂きにしてやりたいがねぇ………それは無理だから、帝国が攻め入った時に王族は出来る限り惨たらしく死ぬよう計略でも立てようか!」

……そうだ。
ルーディック・ヤザルは売国奴。
このままこの男が帝国に渡り、その謀略のままにアリステルが侵略されれば、これまで私と関係を結んできた人々はどうなる。 
それにジークは………きっと、間違いなく死んでしまうだろう。 この男の矛先は、今やジークにまでも向いているのだから。
そうなれば、私の贖いはどうなるのか。
失敗し、全ては無に帰し、死んでしまえばまた初めからやり直す事になるのだろうか。

「いや………いやよ」

さっきまで泣き、呻くしか出来なかったこの口から出た言葉は、否定。 
アリステルに住む大切な人々を帝国との戦争で危機に晒す事も、私が積み上げてきた五度目の生でのこれまでも、ジークが命を落とす結末も、全て受け入れるわけにはいかない。
私の使命は、贖罪は、運命の2人であるジークとサリーを結ぶ事。 
そのためには、どちらかがいなくなる事も、不本意な戦乱の時代も認められない。
使命を果たすために、私はここでルーディック・ヤザルを止めなければならないのだ。
もう、恐怖に震えて蹲っている時ではなくなったのだ。
大切な者達のために、使命を果たすために、赦されるために、今こそが立ち上がる時。 
この心の奥底にて燻っていた心の残骸……復讐心さえも燃やして、恐怖より身を守るために常日頃より備えていた切り札の鈍い輝きと共に、為すべきを事を為す時なのだ。

そうして私は、この仄暗い激情に、ほんの少しだけ残った理性さえも投げ出した。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


狂乱し、妄想と現実を行き来しながら理想を語るルーディック・ヤザル。
自らの愛する者の名を語りながら、しかしその空虚な愛によって目の前の少女を傷付けている事に気付かない、道化者。 愛を囁きその手を差し伸べようとも、その手の先に居る者の事など何一つ見えていない、視野狭窄な愚か者。
自らの望みばかりを口にしては、それを押し付けるばかり。
彼の語る愛とはエゴイスティックな所有欲。 つまり、対象を愛玩する事であった。

「さあ、僕のものになっておくれ! 一緒に帝国で幸せになろう、愛するイザベラ!」

けれど、そうとも知らずにルーディック・ヤザルは愛を宣う。
愛玩するしか愛を知らぬルーディック・ヤザルは、どうしたって自らの手で可愛がる事でしか愛情を表現出来ない。 激しく愛を語る事も、胸の内に猛る想いの表現として身に付いた技術であった。
イザベラという、自らが生涯の全てを捧げても惜しく無いと思えるほどの愛に出会い、そしてその愛が既に手に入らないと悟った時から、彼は自らの内に昂る愛を他所へとぶつけ続けていた。 その果てに、彼は愛玩する事でしか愛を感じられなくなったのだ。 
生来からのものか、それとも満たされぬ抑圧された欲求の末からか、彼にとっての愛玩とは、苦痛を与える事であった。
逆らえない者を連れてきては『可愛がり』続けて、自らの愛を与えて『お別れ』する時まで自らの欲求をぶつけ続けた。

「ああ………いいィ顔だ、イザベラ。 涙に濡れた頬も歪んだ泣き顔も、とても良い! 僕の手で、もっと歪めたくなる……!」

暴力的で加虐的。 
愛した者の苦痛の表情に性的な快楽を覚えたルーディック・ヤザルは、奴隷商よりイザベラと似通った要素を持つ少女を購入しては欲求の捌け口として扱うようになった。
奴隷であるが故に逆らう事なく、しかし人であるが故に苦痛を感じる。 
一方的に蹂躙して、壊れる時までその全てを愛玩し尽くす。 
悲鳴も嗚咽も命乞いも悲しみに歪んだ表情も苦痛の表情も、彼にとっては性と生の両方を絶頂と共に感じられる最高の愉悦であった。
病みつきになり、何度も奴隷を購入しては行為に及んだ。
好意の度に積み重なる奴隷少女達の屍が山となろうとも、一方的な暴力の果てに訪れる愉悦を前にしては抑えられなかった。

何度も何度も、快楽のために手を汚してきたルーディック・ヤザル。
ただ一方的に、弱者を蹂躙しては搾取してきたルーディック・ヤザル。
これまで、絶対的な強者であったルーディック・ヤザル。

だからこそ、彼は此度も何の気兼ねも無く、ようやく自らの手中に収まった少女へと手を伸ばす。
少女の泣き顔に唆られて、少し虐めたくなったのだ。
何の躊躇も無く。 そして、これまで一方的な暴力を振るう側であった彼には一切の警戒も無く。
実に無防備に、少女の頬に手を添えてーーーそして、ルーディック・ヤザルは少女に押し倒された。
少女に馬乗りにされ、加えて喉元には異物感があった。
自らの喉元より伸びる何かと、自らを見下ろす銀色の髪の少女。
ズブリズブリと喉元の何かが引き抜かれ、温かいぬらぬらとした朱色の液体が溢れ出てくる。
喉元より引き抜かれたそれがナイフであると悟ると同時に、ルーディック・ヤザルは納得した。
これが因果応報というものか、と。
そして、君にされるなら悪くない、と。

「……カカ、カフッ! カカカカカ……」

昂りと共に、喉元が裂けたせいで息が漏れ出て満足に笑う事もできないのに、それでも彼は溢れる衝動のままに笑い続けた。
振りかぶられた第二刃。 そのナイフの切っ先よりも、彼の視線は少女の顔へと向かう。

………その表情も、わるくない………。


第二刃は、容赦無く。 
彼の心臓を刺し貫いて、一捻り。
ルーディック・ヤザルは、口元と喉の傷口から大量の血を吐き出して、絶命した。
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