公爵令嬢の辿る道

ヤマナ

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生きているこの世界で

羨望

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「か、会長……!?」

突然現れたジークの存在に、状況に対して思考が追いつかなくなった。 何より、こんな痴態を見られて沸騰した頭は上手く回ってくれない。
でも、つい数秒前の光景……私がサリーを押し倒してキスをしようとしているように見える図をジークに目撃されていたのなら、それは大問題だ。  
誤解だし、私とて淑女の端くれで同性に対してそのような劣情を抱いた事も無いし、キスだって初めては……もう貪られたわね、消し去りたい記憶だけれど。
火照って爆発しそうな程に熱くなっていた頭が急激に冷めてきた。 
不本意だけれど、不快な記憶のおかげで冷静さを取り戻した私は、まずジークに確認を取る事にした。

「会長におかれましては、とても大きな勘違いをしていらっしゃるようで。 弁明の前に、会長が何をご覧になったのかお話いただけますか?」

「ああ、構わないが……。 その、エリーナ嬢がサリー嬢を押し倒しているように見えたのだが?」

「えっ!? いえ、違います!! そ、そんな、私ごときがお姉様とだなんて……!」

ジークの言葉にサリーがすぐさま、あたふたと否定する。 
しかし、いくら弁解のために焦っているとはいえ、ああも挙動不審ではむしろ相手方の好奇心を刺激し、要らぬ詮索の的となってしまうだろう。 サリーには今度、体幹トレーニングの他にもいくつか仕込まなければならなそうだ。 差し当たって、まずはポーカーフェイスから。

「それは誤解です、会長。 私は会長ご自身の依頼で、キリエル嬢に貴族令嬢としての教養を付けようと指導していました。 さっきは、ダンスレッスンの際に起きた事故ですから、会長が仰るような不埒な事はございません」

ジークと結ばれるべきサリーが、私とそういう関係だと誤解されては困る。 特に、ジーク本人にそうした認識を持たれるのは、とても宜しくない。

「ああ、そういう事か。 しかし、ダンスの練習でああいう状況になるものなのか?」

「それは………私の指導力不足です。 これからは、もう少し指導法を変えてみようかと考えています」

上品な所作は日頃からの積み重ねによって身に染み付いていく。 ダンス然り、茶会の作法然り。
サリーにはそうした要素が根本から何もかも足りないのだから、基本を先に積ませるべきだったと反省すべきだろう。 サリーをジークに相応しい令嬢にしようと、結果を急ぎ過ぎた自覚はあるのだから。

「そんな。 お姉様のせいではありません! 私が鈍臭くて、何度も転けちゃうからいけないんです!」 

「だからそれは、私の指導力不足よ。 そもそも女である私が殿方のパートを踊る事自体が難しくて、上手く貴女をリード出来ていたわけでもないし」

「へぇ、エリーナ嬢は男性パートも踊れるのか、それは珍しい。 どこかで学んだ事でもあるのか?」

「……ええ。 昔、事情がありまして。 だから少しだけ経験がありますの」

幼少期に、私に歪んだ執着をしていた母の命令で習っていた事がある。 おかげで、多大な時間を無駄にして私の淑女教育が遅れた。 
今になって、あの頃の苦々しい経験が役に立つ日が来るとは思いもしなかったが。

「ふむ……経験があるとはいえ、やはり女性である君にとっては難しいだろう。 ダンスの練習だけでも他の者に頼もうか? 」

「いえ、大丈夫です。 せっかく会長から任されたのですもの。 必ず、キリエル嬢を立派な淑女にしてみせます」

「確かに俺から君に頼んだけど、君は最初、一度は断っただろう? なぜ、今はそんなにもやる気なのかな」

「むしろなぜ一度、会長からの申し出を断ったのか覚えていないのですけれど、私が教える事でキリエル嬢が1日でも早く貴族として成長できるなら、それは善い事だと思ったのです」

答えながら、そういえばあの時は忙しいからとサリーの教育係になるのを断ったのだという事を今になって薄ぼんやりと思い出した。
忙しい日々を過ごしているからか、最近はどうにも2、3日前の事すら思い出せない事もある。 
今のところ私生活や仕事に支障があるわけでもないので気にしてはいないのだけれど、少しは意識しておくべきかしら。
少し反省して、軽く記憶を整理する。 
そこでふと、目の前の会長について気になった点が1つ浮かんだ。

「そういえば、会長はなぜこちらにいらしたのですか? 私かキリエル嬢に何かご用でもございましたか?」

「ああ、そういえばそうだった。 エリーナ嬢に話があってね。 今日の生徒会は休みだと教えに来たんだ。 皆、最近は再来週の剣術大会の準備で疲れているだろうからね。 ……今日だけは君もちゃんと帰宅しろ。 君が1人残って作業しないよう、先生方にも言い含めてあるからな」

つまり、いつもの小言を言いに来たのね。しかも用事自体はジーク自身が来てまで伝える内容でもないのに。 
ジークは気にしすぎだろう。 生徒会が休みならば私もちゃんと帰るというのに。 
帰ってもまだ、するべき事が山のようにあるのだから。

「今日は久し振りの休みだからな。 エリーナ嬢は帰ったらよく休むように。 俺は、今は公務の方も落ち着いているし、城に帰ったら剣術大会に向けて訓練をするつもりだ。 今年もまた優勝を狙っているからな。 よければ、エリーナ嬢とサリー嬢も観戦に来てくれ」

「まあ、それは是非。 キリエル嬢も一緒に行きましょう」

「はい、お姉様とならどこへでも!」

よし、と内心拳を握った。
思わぬところでジークとサリーの関係を進展させるためのイベントが発生した。 これまで目立った進展の無かった2人を、この機会に急接近させるための手を考えなくては。 差し当たって、ジークとサリーにそれぞれお互いを意識させたいのだけれど。
そう考えて、今がちょうどいいタイミングだと思い至った。

「あの、会長。 この後、お時間はよろしいでしょうか」

「問題ないが。 俺に何か用事でも?」

「はい。 実はお願いがありまして、キリエル嬢のダンスの相手役をしていただきたいのです。 一度、本物の殿方のリードで踊ってみた方が、キリエル嬢も感覚を掴めるかもしれませんから」

先ほど、全霊をもってサリーを立派な淑女にしてみせると言いながら、すぐにジークに頼るのはいささか格好がつかない。 けれど、必要な要素なのだから、そんな恥くらい甘んじて受け入れよう。

「そういう事ならば構わない。 エリーナ嬢にばかり苦労を掛けるわけにもいかないのだから、そのくらいは協力しよう」


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


今このホールでは、運命の2人、ジークとサリーが踊っている。
ジークのリードは相手の女性を思いやり、無理をさせない立ち回りながらも美しいステップを刻んでいる。 
パートナーのサリーは、さながら売られそうになっている子鹿のように潤んだ瞳で私に助けを求めながらも、懸命に、ミスをしないようジークのリードに合わせていく。
サリーに萎縮があるせいか掛け合わないようなぎこちなさはあるものの、この世界での2人のファーストダンスはとても初心で、そして運命によって引かれ会えた幸福を体現しているように見えた。
ここに楽団が居て、爽快な曲の1つでも流れて居たのならば、きっとあの2人は心の向くままに、2人の世界を描いていく事だろう。

「はぁ……」

ホールの隅の方で2人を眺めながら、小さく吐息が漏れる。

……本当に、サリーが羨ましい。

今のサリーには、貴族として生きていくには足りないものが多すぎる。 
教養やダンスのスキルはもちろん、彼女はパーティに出た事もないようで社交術なども身に付いていないだろう。 感情は露わになりやすいし、思った事をすぐ口に出す。 正直な子だと言えば聞こえはいいけれど、それでは貴族としてやっていけない。 
彼女はこれから、ジークとの愛を育み、いずれは王太子妃、王妃となっていく。 国の象徴となる者として歩み始めるのだ。その道程は決して生易しいものではないだろう。
けれど、どれだけ辛い道を行く事になろうとも、努力さえ怠らなければ到達できるだろう。 サリーは頑張れる子なのだから。
だからこそ、サリーがいずれはハッピーエンドに到達できる事が、私には堪らなく羨ましい。
必死になって、いつか本当に死ねるようにと抗い続けている私に比べれば、なんと優しい道のりだろうか。 少なくとも、行き着くべき先が穏やかな未来のサリーと安らかな死の私とでは雲泥の差だ。

サリーとジークのダンスは緩やかに続く。
サリーが転けそうになっても、ジークが腰に回した片腕で支える。 
未熟なサリーをジークは笑顔で受けとめている。 足りないものばかりのサリーも、いずれは成長して、やがてジークと支え合えるほどになるのだろう。
それは羨ましくて、妬ましくて、でも私は既に諦めたものだ。 きっと、私には過分な幸福だろう。
だからこそ、私は2人のダンスを最後まで見届けた。
手に入れようとするべきではないと理解しながらも羨望する、妬ましいその光景を。


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