公爵令嬢の辿る道

ヤマナ

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5度目の世界で

癒しの場所

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学園での早朝出勤生活によって早起きが習慣付いていた私は、早起きの意思さえもなかったのに陽がちょうど昇る頃に目が覚めてしまった。 
こうなると二度寝はできないほどに意識が覚醒してしまうため、仕方なく起きて今日着る予定のお忍び用の地味な服に着替える。
時間に余裕があり、田舎の綺麗な空気につられて散歩に出た。 とても気持ち良かったのだが、私を見たメイドが幽霊でも見たかのように悲鳴をあげて逃げ出したのだけは解せなかった。
その後、手持ち無沙汰で父に提出する予定の書類の誤字脱字の確認と内容の見直し、そして今日確認すべき箇所の最終チェックと孤児院への差し入れとして持って行くつもりのお菓子を忘れないようにと自身に念を押して、それらが終わる頃にメイドが私を起こしにやってきた。 
私が既に起床して、着替えまで済ませていることに驚いた様子のメイドには下がるよう言って、私は朝食の支度が整うまで部屋で待機する。 
やがて家令のアンドレイが呼びに来て、朝食の席でアンドレイと領地についての意見を交わし、そしてようやく屋敷を出る時間となった。

「視察と訪問が終わったらそのまま王都へ帰るわ。 その時の見送りはいらないから」

「畏まりました。 お嬢様、お帰りはどうぞお気を付けて」

「ええ」

そうしてアンドレイとの挨拶を淡々と済ませて領邸を離れ、護衛と共に領内を見て回る。
昨日見て回って問題有りとされた箇所、特に水不足の原因たる湖の水位減少などはすぐにでも解決しなければ、作物が育たず領民達の収入がガクリと落ちて領地運営に機能不全が起きるのは間違いない。
こう雨が降らない期間が長く続くと、当然ながら水不足となる。 つまりは今利用している湖では長期に渡る日照りのカバーは不可能ということだ。 
頭の中で解決案を模索し、検討し、浮かんだことをメモに残していく。 
そうして父に提出する領地の改善案を纏めながら歩いていると、知らぬ間に教会の前まで来ていた。 今日の最終目的地はここなので問題はないのだが、その外見はボロボロで手入れが行き届いているとは思えなかった。
通い慣れた王都の教会と比べるのも違うと思うが、それにしてもあまりにも酷い有様で、これでは参拝客も寄り付かないだろう。 見た目だけでいうなら、教会ではなく幽霊屋敷である。
教会の改修工事についても提案に入れようとメモに残し、護衛に馬車を取りに行くよう命じて教会に足を踏み入れる。

「失礼します、どなたかいらっしゃいますかー……」

教会で大声を出すわけにもいかないので控えめな声量で呼びかけてみるが返事はない。 仕方なく勝手に入り込んで、中を見て回ることにした。
外見に沿わず内部は意外と小綺麗で、礼拝堂には長椅子が6脚置かれ、ステンドグラスに囲まれた狭くて薄暗い室内は王都の教会とは違って、どこか秘密基地に居るような好奇心を刺激されるものがある。
王都の教会は陽がよく差し込む大きなステンドグラスと20脚以上の長椅子にオルガンもあって週に一度は信徒の方やご老人方が主な参加者として賛美歌を合唱する。 私も一度だけ参加したことがあるけれど、ここで複数人が歌ったら外まで丸聞こえだろう。

「何か御用でございましょうか」

後ろから声をかけられて驚いて慌てて振り向くと、そこには修道服に身を包んだ背の高い女性がいた。

「あ、えと私……すみません、勝手に入ってしまって」

「いいえ、構いません。 ここは教会です。 迷える子らの家なのですから、どのような身分のどのような事情をお持ちの方であろうとも来ていただいて構いません。 むしろ、貴女様をお出迎え出来ず申し訳ありませんでした」

「いえ、そんな。 どうぞお構いなく………あの、ここには貴女1人で住んでいらっしゃるのですか? ……えっと」

「あら、失礼いたしました。 わたしはピューラ。 ここでシスターとして務めさせていただいております。 よろしければ貴女様のお名前もお聞かせいただけますか?」

「あ、はい。 ……ラナ、ラナ・クリフトといいます」

答えた偽名はいつもと同じ、ミドルネームから。 姓はユースクリフを少しもじって、即席の偽名を名乗る。

「ラナさんですね、よろしくお願いします。 それで、ラナさんはわたしがここに1人かと聞かれましたが、確かにここには他のシスターも神父様もおりません。 教会の運営は実質的にはわたしが全て担当しております。 ですが、ここは教会であると同時に身寄りの無い子らの家でもあります。 ですから、皆と協力してなんとか生活していますよ」

「孤児院も併設されているのですね。 よろしければ、子供達に挨拶をしに行かせていただいてもよろしいでしょうか? 差し入れのお菓子も持って来ているので、ぜひ子供達に」

「まあ! わざわざありがとうございます。きっとみんな喜びますわ。 ささ、どうぞこちらへ」

ピューラに案内されて出た先は、教会の裏手にある煉瓦造りの小さな家だった。 建物のすぐ側には小川が流れていて、そこで小さな短髪の少年とお下げ髪の少女が水を汲んでいるところだった。

「エルマ、ワイリー、お客さんが来たからみんなを呼んでお出迎えの準備をしてくださーい」

「あっ、ピュー姉! おきゃくさんってそのひと?」

ピューラの声に元気な反応で返したのはピューラにワイリーと呼ばれた少年の方だった。 活発そうな、年相応に明るい男の子だ。
対してエルマと呼ばれた少女の方は内気な性格なのか、元気のいい少年の後ろに隠れるようにして私を見ている。

「そうですよ。 みんなとお話しをしたいんですって。 それにお菓子も持って来てくださったから後でみんな一緒にお礼を言いましょうね」

「おかし!」

2人の子供のうち、ワイリーの方がピューラの発したお菓子という単語と、私が手に持っている箱を目にしてすぐに駆け出した。 

「エルマ、はやくみんなよぼう!」

「あーっ!  まってよワイリー!」

取り残されて少し遅れたエルマが視線を私とワイリーとに彷徨わせ、結局走っていくワイリーの後を慌てて追いかける。

「エルマー、そんなに急いだらこけてしまいますよー。 ……もう、あの子達ったらはしゃいでしまって。 すみませんねラナさん、騒がしい子達で」

「いえ、そんなことは……とても元気な可愛らしい子達でしたね。 ただ、エルマという子には嫌われてしまったかしら」

「そんなことはありません。 エルマは少し人見知りな子なだけで、きっとラナさんもそのうち仲良くなれますよ。 後の子達も紹介したいので、どうぞ中へ。 ようこそ、わたし達の家へ」


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


 「ねえねえピュー姉ピュー姉、これはやくたべていい? たべていい?」

「まちさいよワイリー、まずはどうきったらきんとうにみんながたべれるようにできるかかんがえなきゃ」

「わたしお皿とってくる」

「兄さん兄さん、こんなおいしそうなおかしははじめてです!」

「ぼくもはじめて! おいしそうだね!」

家に入った途端、子供達がキラキラと期待した目でピューラと私を見るので挨拶よりも先に机の上でお土産として持って来た苺のタルトが入った箱を開けると、皆群がってそれぞれ顔を突き出してタルトの前ではしゃいでいる。 なんとなく餌を出された子猫達が我先にと群がるのを思い出して、ほっこりとした気持ちになった。

「ほらみんな、確かに美味しそうなタルトだけれど、先にタルトを持って来てくれたラナさんにお礼を言いましょうね」

「ありがとうラナ姉!」

「ありがとうございます、ラナさん」

「ラナお姉ちゃんありがとー」

「「ラナおねーさんありがとう」」

なんと可愛らしいものだろうか。
私は、タルト一つでこんなにも輝くようなキラキラとした笑顔を咲かせられるような精神は既に持ち合わせていないけれど、つい触発されて頰の筋肉が弛緩する。
ついでに、こんなにも喜ばれるなら次に来る時はもっとたくさんのお菓子を持って来ようと頭の中にメモ書きした。
私が密かに癒されている間に、年の割にしっかり振る舞いのお姉さん分らしい女の子がタルトを7等分に切り分けて皿によそってそれぞれの前に置いていって、

「それではみんな。 主への祈りを ーー偉大なる我等が主よ、お恵みを分け与えてくださることに感謝いたします」

「「「「「かんしゃいたします」」」」」

「……感謝いたします」

ここでのしきたりがわからないので、とりあえず子供達に合わせてみた。
家ではいつも、祈るように手を合わせることも感謝の言葉を言うこともなく、ただただ無言で早く食べ終えて、父と義母と義弟のいる食卓から一刻も早く離れるようにしていたので、こうした習慣もゆっくりと味わいながら食卓を囲むのも新鮮だ。
言葉が終わっても、子供達もピューラも目を瞑ってまだ祈っていたので私もそれに合わせる。 時間にして数秒程度祈り、そして私が漸くフォークに手を伸ばした時、

「あ~~っ! ワイリーがいちごいっことったー!!」

ギョッとして声のした方を見ると、エルマが半泣きでワイリーを指差していた。
当のワイリーは素知らぬ顔でそっぽを向いて口元をもごもご動かしている。 多分、エルマからとった苺を咀嚼しているところなのだろう。 というか自分の分はもう食べたのだろうか。

「ワイリー、人の物をとってはなりません! 前からずっと言っているでしょう!」

「だって、いっこじゃぜんぜんたんなかったんだもーん!」

「それは貴方がいつも噛まずに呑み込んでしまうからでしょう。 それに、きちんと噛んで食べないと体にも良くないのですよ!」

反省する気のなさげなワイリーに、口を酸っぱくしてワイリーを叱りつけるピューラに、2人の様子に半泣きを通り越して今にも大泣きしそうなエルマ。 
私はなんだか大変なことに、と内心オロオロしていたのだが、他の3人の子は呆れたようにしていた。

「ワイリーがエルマにいやがらせをしてピュー姉ちゃんにおせっきょうされるのはいつものことです。 だからきにしなくてもそのうちおさまりますよ」

タルトをもぐもぐと口に含んだままそう言うのは長い髪を一束に纏めた落ち着いた雰囲気の女の子だった。
ちなみに、他の最年少らしい少年と少女はお互いにあーんと食べさせあって、

「おいしいです兄さん!」

「うん! おいしいね!」

と微笑ましいやりとりをしていた。
と、そんな風に和んでいる場合ではない。
とりあえずは、エルマを泣きやませようとピューラに声をかける。

「まあまあピューラさん、どうかその辺で。 ワイリーくんも、あまりエルマちゃんをいじめないようにね」

「ああ、すみませんラナさん。 せっかく来ていただいて、タルトもご馳走になっているのにこんなみっともないところを……」

「いえ、お気になさらないで。 ねえ、エルマちゃん。 私のタルトとエルマちゃんのタルトを交換しよう? そうすれば、ワイリーくんにとられた苺も元どおりよ」

エルマは私の提案に少し遠慮がちに、いや、あれはどちらかと言えば私に怯えているようで、目線を合わせてくれない。 確かに、仏頂面の知らない女にこんな風に言われても戸惑うだけかと納得した私は私の分のタルトをエルマの前にそっと置いてエルマの反応を待つことにした。

「………いいの?」

「ええ。 元々は、教会への差し入れとして持ってきた物だから。 みんなに美味しく食べてもらえた方が嬉しいわ」

「うん。 …………ありがとうラナおねえ………ラナさん」

お礼を言ったきり、エルマは俯いたままタルトを食べ始めた。 これは、心を開いてくれるまでだいぶかかりそうだ。
わざわざ苺を退けているのは、嫌いなのではなくて好きなものは最後に食べたいからだろう。 多分、それでワイリーにとられたのだろうけど。

「はい、どういたしまして。 さて、ワイリーくんもコレどうぞ。 でも神様に誓って、もう人から物をとらない、人の嫌がることはしないって約束して? そうしたらこのタルトを食べてもいいわ」

「はいっはいっ神さまにちかう! だからタルトちょーだいっ!」

「ふふ、約束よ。 はい、とうぞ」

嬉しそうに私から差し出されたタルトに手掴みでそのままかぶりつくワイリーは先ほどのピューラの言葉を早くも忘れたのか、僅か二口で平らげてしまった。 と、思ったら今度は喉に詰まらせたのか胸をドンドンと叩きだしたので水を差し出すと、それも一気に飲みほして「ぷへぇ~」と気の抜けるような声を漏らしている。

「むぅ~~~……」

「エルマちゃん、どうしたの?」

「なんでもないです、むぐもぐ……」

ややむくれた様子のエルマは、その感情ごと呑み込むようにタルトを口いっぱいに頬張った。 私がその様子に気付くとすぐに俯いてしまったけれど、一瞬見えたその目には嫉妬の色が見えた気がした。
もしかして、と今のエルマの態度に思い当たることがあった。 それは、今は可愛らしいただの嫉妬心で、かつては私も同じだった。 
だからこそ、今はまだ純粋無垢で、可能性を秘めたその気持ちが羨ましくもある。
そう思いながら、出されたカップに口をつける。

「そのハーブティーは、うちの庭で栽培したものをエルマが淹れてくれたんですよ。 ね、エルマ」

「うん……」

エルマが今度は顔を真っ赤にしてさらに俯いた。 多分、照れているのだろう。 
そんなエルマに頰が緩むのも抑えられず、淑女にあるまじき緩みきった情けない顔にならないように気を付けながらエルマにお礼を言う。
するとエルマも頷いて返してくれる。
私はふと、もしかしたらこれまでの人生の中で最も幸せなティータイムを過ごしているのではないかと感じた。


 ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


  時間というものは、無情にもあっという間に過ぎ去ってしまう。
穏やかなティータイムを過ごした後は、子供達に引かれるまま教会と孤児院のあちこちを案内されて、最後にはワイリーの提案で追いかけっこまですることになってしまい、普段から走ることもあまりない運動不足な令嬢の私はすっかりとヘロヘロになってしまった。 逆に元気な子供達を見て、私も少しは運動をしようと心の中で決心した。
もう少し子供達と遊んでいたかったけれど、そもそもここに来た理由は父から領地視察を命じられたからで、父へ提出する報告書の作成と明日からまた学園があるという理由からまだ陽があるうちに帰らなければならなかった。
帰り際にはすっかり懐いてくれていた子供達が私から離れないのをまた来るからと約束することで解放してもらい、最後にピューラに挨拶をしてお暇することにした。

「ラナさん、来た時よりも顔色がとても良くなりましたね」

「そうですか?」

「はい。 それはもう酷く心がお疲れのように見えました。 ラナさん、普段から無理をなさっているのではありませんか? あまり無理をなさらないよう、心身ともに健やかであるようお気を付けください」

「……はい」

「それと、またここにいらしてくださいね。 子供達もラナさんにとても懐いていますし、それに子供達との触れ合いは心のコリをほぐしてくれますから、きっとラナさんにもいいことですよ。 それではまた……あ、最後に。 ラナさんに幸福が訪れますよう、わたし達は祈っていますよ」

「はい……はいっ、また来ます」

深くお辞儀をして、ピューラの前から急いで立ち去る。 抑えの効かない、溢れてきそうな涙を見られたくなかった。
……ここまで、人に心配してもらえたのは久しぶりだった。 
とても嬉しかった。 
胸いっぱいに、温かさと嬉しさがあった。
それは帰りの馬車の中でも、まるで夢のように私の心の中に甘美な余韻を残し続けた。
領地に向かう時と同じ道を辿り、陽が沈んだ頃に王都の屋敷に帰った私は、少しだけ浮かれていた。
それこそ、普段は険悪な仲のマルコに帰宅の挨拶をするくらいには。

「ただいま、マルコ」

「……何ですか、姉上」

そう不機嫌そうに返事をするマルコに、私は漸く目が覚めた。 
あれは夢……そう、幸せな夢だ。
ここは、私が生きる現実だ。

「何でもないわ。 ただ、帰ってきたから挨拶しただけよ」

訝しげに私を見るマルコを置いて、私は自分の部屋へと向かう。
生徒会を休む一週間の間に領地視察の結果と改善点を纏めて父に報告するための資料を作らなければならないのだから、これからも忙しいのだ。 何せここは、寒くて冷くて辛い現実だから。
私が温かい夢を見られるのは、まだ先だ。


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