公爵令嬢の辿る道

ヤマナ

文字の大きさ
上 下
1 / 139
5度目の世界で

5度目の朝の絶望

しおりを挟む


  寒空の広がる夜。 
その牢獄の中で冷えきった手足に、それを繋ぐ冷たい足枷を付けられ、囚人用の薄いボロ布のような服を着た私は、薄れゆく意識の中でずっと見ないようにしてきた、でももう避けることも誤魔化すことも出来ない現実に直面してしまった。

「私………どうやっても、何をしても、頑張っても、結局は誰にも愛されないのね」

冷たい風が牢獄に備えられた小さな鉄格子の窓から入り込む。 あまりの寒さに、両手両足を抱え込む姿で身を縮めた。
既に決定している自らの死を受け入れる覚悟はできているけれど、それでも身体は本能的に、襲い来る寒さから身を守ろうとして肉体の熱を逃がすまいと肌同士を触れ合わせる。
私の決定している結末のために与えられた罰 ーー牢獄での終身刑はそう長いことは続くまい。 なにせこの寒さなのだから、きっと私は明日の朝には凍死していることだろう。
それでも、身体は私の意思に反して生きようと足掻く。 私としては、早くこの苦しみから解放されたい故、人間の生存本能というものを少しだけ恨んだ。

私が、終身刑という罰を与えられたのは、当然ながら私が罪人だからだ。
罪状は、『現王太子殿下の想い人であり婚約者候補筆頭の令嬢を害した傷害罪と、それに付随する国家叛逆罪の疑い』である。
私の罪とされている内容の、前半部だけならば確かに自覚はある。 事実私は何度も、かの令嬢に対して陰湿かつ残酷な仕打ちをした。 
たった一人の令嬢を、私の取り巻きとともに囲み、口々に罵った。 私物を荒らし、中身をズタズタに切り裂いてゴミ箱に捨てた。 下人に集めさせた虫の死骸を箱一杯に詰めて頭から被せた。 殿下を誑かす声で文句を言うその口を黙らせるために頬を叩いた。 
そして、階段の踊り場から突き落とした。
その一件が、私がこの牢獄にて罰を与えられるきっかけとなり、今に至る。

あの令嬢を虐めていた理由など、実に稚拙でありがちな理由……ただの嫉妬だった。
彼女は、私が欲しくとも手に入れられなかったものを全て持っていた。 
両親からの愛、友人らとの友情、そんな人達と送る他愛のない日常。 そして、殿下の心さえも……。
私の周りにいるのは、公爵令嬢たる私を取り巻き、そして甘い汁を啜ろうと画策するような者ばかり。 
まるで獲物を狩らんとする獣のような目をした取り巻き達との日々。腹の探り合いや、いかに言葉にまぶした毒を以って相手を制するかというやり合いは気の抜ける暇などない、息の詰まるような時間でしかない。 
加えて、上辺だけなら華やかで仲睦まじく見えるように気を付けなければならず、あの令嬢と比べて今の自分自身が酷く虚しいものに思えた。
そしてそんな取り巻き達も、最終的には私を切り捨ててあの令嬢に擦り寄っていったのだから、もういっそ惨めなものだ。

「寒い……」

この場所は、酷く寒い。
でもそれは、今までいた場所も変わりはしなかった。
母は父への偏愛に狂い、最期まで私の事を見ることなく、幼い頃に気の病によって死去した。 
そして父は私のことを嫌っているのか、それともあの母の娘だから忌避しているのか、私自身をしっかりと見てくれない。 
幼少期からの付き合いである唯一の拠り所だった侍女も、最後まで私のことを『ただ仕えるお嬢様』としてしか見てくれなかった。 それでもその侍女のことは、他の人と違ってずっと一緒に居てくれていたから好きだったけど、それでも使用人と主人の関係だったからと、どこか距離を感じていた。
母が死んだ後に父が連れてきた義母のことは、母を捨てた父への反発心からかどうにも受け入れられなかった。 向こうも、明らかに私の事を避けているようだった。
義母の連れ子である義弟は、最後の最後まで私を嫌悪していたっけ。 まあ、仕方があるまい。 私とて義弟の母を嫌っていたのだから。
そして、出会ってからずっと恋心を抱き、お慕いしていた殿下もいつしか私を避けるようになった。

私は、幼い頃から頑張ってきた。 
淑女教育に始まり、教養からダンスに馬術に料理など、手当たり次第に手を付けては身に付けた。
始めは父と母に家族として認められたくて、それ以上に褒めてもらいたいがために必死になって頑張った。 
それが殿下にお会いしてからは、自身が殿下に見合う令嬢になるためにと教養を広げて、通っていた学園では成績上位者の中に常に名を連ねていた。
でも、それでも、誰も私を見てくれない。 
受け入れてくれない。

ーー私はただ、誰かに愛されたかっただけなのに。

「………かわいそぶるのはやめましょう」

どう言い繕ったって、それは罪人の言い訳。
どれだけ頑張ったって、どれだけ一生懸命に積み重ねたって、一度罪を犯せば信頼は失墜する。 
私が悪いのだから。 私が悪い子だったから、愛されなかった。
それだけのことなのだろう。
もういい、疲れた。 
だから、もう眠ろう。
ここは冷たくて、凍り付いた、生きていくには辛すぎる場所だ。
だから眠って、終わらせよう。

ああ、神様。 
どうかこの罪人の言葉を聞き入れてくださるならば。 
どうか、もしも生まれ変われたなら、その時は富も名誉もいりません。 ただ、貧しくても両親に愛される家庭に生まれたい。
そして誰かと愛し合って結婚して、男の子と女の子を一人ずつ産んで、家族で慎ましくも愛情芽生える暖かな家庭を築きたい。
そして、最期はこんな冷たい牢獄ではなく、ベッドの上で家族に見守られながら、人生に充足感を得ながら逝きたい。

……そんな夢想は、きっと叶わない。
気紛れに、そんな願望を想ってみただけだ。
でも、それでも私は、そんな甘い未来を夢見て、夢見て、夢に見続けた。
そして心臓が凍り付く最期の瞬間まで、私は愛に満ちた世界に生まれ落ちることを祈りながら、静かに夢に溺れていった。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


 どこからか光が覗いて、視界に広がる暗闇が少しだけ薄れた。 
それは所謂、肉体の睡眠状態から覚醒までの合図のようなものだ。できればもう少し眠りたいが、しかし、意識すればするほど眠気はどこかへ消えていく。
仕方なく目を開けば、そこには見慣れた藍色の天蓋が広がっていた。
そのまま身体を起こして辺りを見回すと、さっき感じた光は何だったのかと思うほどに窓の外は薄暗く、まだ陽が昇り始めたばかりのようだった。

「そう、なのね………」

少し掠れた私の声が響く。
諦念をはらんだ、絶望さえも通り越してしまったような気分だ。

「終われないのね……」

ベッドから降りて姿見の前に立てば、そこには寝間着を纏った私の姿がある。
長く伸ばした銀糸の如くあるようにと手入れをしている髪に、日々苦労して整え続けている努力の賜物と言うべき女性としての理想に限りなく近いと自負していた身体。 そして、それらに不釣り合いなほどに暗く沈んだ私の顔。 
こんなにも動かぬものかと思わせるほどに、私の顔からは表情が失せていた。 目もどこか色を失くし、母親譲りの藍色の瞳もくすんで見える。

私は、これまで4度死んだ。
今迎えているこの朝は、私にとっては既に5度目。 もっとも、いつもは陽が昇った後の起床なので、まだ外が薄暗い時間での起床はレアケースだが。

1度目に死んだ時、牢獄での望みは転生ではなく繰り返しという形で訪れた。
2度目の朝を迎えた時には、神様が私に人生をやり直す機会を与えてくださったのだと喜んだものだが、それはとんだ思い上がりだった。
2度目こそはと意気込み、1度目同様に愛を求め続けて、より慎重に暗躍した。 しかしそれでも一つのミスで企みが露見し、2度目の罪人の烙印を押され、牢獄での終身刑ではなく毒杯を煽っての死刑を迎えた。
そして3度目の朝を迎えて、私は周囲に怯えるようになった。 
愛を求めれば求めるほど愛は遠ざかってしまった1度目と2度目の生。 そして、それらは最後には破滅をもたらしてきたからだ。
だから誰からも距離を取り、できる限り自室に篭った。 それでも怖くて、家を逃げ出した私は暴漢に攫われて、強引に純潔を奪われ、どこかの辺境伯の元に奴隷として売られた。 そして最後には首を絞められて殺された。
4度目に朝を迎えた時には、私はもう精神が限界を迎えていた。
意味不明な自らの生の繰り返しに、内容は違えど迎える残酷な死。 だから、それから逃げるために学園の屋上から飛び降りて、自殺した。
そして、今が5度目の朝。 
私は2度目の朝を迎えた時、この瞬間を神様から与えられたチャンスとして生の繰り返しを受け入れた。
しかし、今はそれに対して真逆の意味を感じていた。

ーー死を以って裁くことさえも生温い罪人である私への罰ーー

それが、この繰り返しの真実なのだと思う。
罪人に救いはない。
罪を犯し、裁かれて、そして………そして?
そして、裁かれた罪人はいったいどこへ向かうというのだろう。
迎える死のシナリオに震え、怯え続けるだけの人生が罰ならば、断罪後にはどうなるのだろう。
尽きぬ疑問に、未来への不安。 そもそも、私に未来はあるのだろうか。

この矮小な罪人たる私には、神の御意向など分かりはしない。
また一つ味わう得体の知れない恐怖に私は ーーーエリーナ・ラナ・ユースクリフは1人、薄暗い部屋の隅で震える手を握ることしかできなかった。
しおりを挟む
感想 22

あなたにおすすめの小説

【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~

胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。 時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。 王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。 処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。 これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

なんで私だけ我慢しなくちゃならないわけ?

ワールド
恋愛
私、フォン・クラインハートは、由緒正しき家柄に生まれ、常に家族の期待に応えるべく振る舞ってまいりましたわ。恋愛、趣味、さらには私の将来に至るまで、すべては家名と伝統のため。しかし、これ以上、我慢するのは終わりにしようと決意いたしましたわ。 だってなんで私だけ我慢しなくちゃいけないと思ったんですもの。 これからは好き勝手やらせてもらいますわ。

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒― 私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。 「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」 その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。 ※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています

さよなら、皆さん。今宵、私はここを出ていきます

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【復讐の為、今夜私は偽の家族と婚約者に別れを告げる―】 私は伯爵令嬢フィーネ・アドラー。優しい両親と18歳になったら結婚する予定の婚約者がいた。しかし、幸せな生活は両親の突然の死により、もろくも崩れ去る。私の後見人になると言って城に上がり込んできた叔父夫婦とその娘。私は彼らによって全てを奪われてしまった。愛する婚約者までも。 もうこれ以上は限界だった。復讐する為、私は今夜皆に別れを告げる決意をした―。 ※マークは残酷シーン有り ※(他サイトでも投稿中)

姉の所為で全てを失いそうです。だから、その前に全て終わらせようと思います。もちろん断罪ショーで。

しげむろ ゆうき
恋愛
 姉の策略により、なんでも私の所為にされてしまう。そしてみんなからどんどんと信用を失っていくが、唯一、私が得意としてるもので信じてくれなかった人達と姉を断罪する話。 全12話

結婚結婚煩いので、愛人持ちの幼馴染と偽装結婚してみた

夏菜しの
恋愛
 幼馴染のルーカスの態度は、年頃になっても相変わらず気安い。  彼のその変わらぬ態度のお陰で、周りから男女の仲だと勘違いされて、公爵令嬢エーデルトラウトの相手はなかなか決まらない。  そんな現状をヤキモキしているというのに、ルーカスの方は素知らぬ顔。  彼は思いのままに平民の娘と恋人関係を持っていた。  いっそそのまま結婚してくれれば、噂は間違いだったと知れるのに、あちらもやっぱり公爵家で、平民との結婚など許さんと反対されていた。  のらりくらりと躱すがもう限界。  いよいよ親が煩くなってきたころ、ルーカスがやってきて『偽装結婚しないか?』と提案された。  彼の愛人を黙認する代わりに、贅沢と自由が得られる。  これで煩く言われないとすると、悪くない提案じゃない?  エーデルトラウトは軽い気持ちでその提案に乗った。

【完結】私を捨てて駆け落ちしたあなたには、こちらからさようならを言いましょう。

やまぐちこはる
恋愛
パルティア・エンダライン侯爵令嬢はある日珍しく婿入り予定の婚約者から届いた手紙を読んで、彼が駆け落ちしたことを知った。相手は同じく侯爵令嬢で、そちらにも王家の血筋の婿入りする婚約者がいたが、貴族派閥を保つ政略結婚だったためにどうやっても婚約を解消できず、愛の逃避行と洒落こんだらしい。 落ち込むパルティアは、しばらく社交から離れたい療養地としても有名な別荘地へ避暑に向かう。静かな湖畔で傷を癒やしたいと、高級ホテルでひっそり寛いでいると同じ頃から同じように、人目を避けてぼんやり湖を眺める美しい青年に気がついた。 毎日涼しい湖畔で本を読みながら、チラリチラリと彼を盗み見ることが日課となったパルティアだが。 様子がおかしい青年に気づく。 ふらりと湖に近づくと、ポチャっと小さな水音を立てて入水し始めたのだ。 ドレスの裾をたくしあげ、パルティアも湖に駆け込んで彼を引き留めた。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 最終話まで予約投稿済です。 次はどんな話を書こうかなと思ったとき、駆け落ちした知人を思い出し、そんな話を書くことに致しました。 ある日突然、紙1枚で消えるのは本当にびっくりするのでやめてくださいという思いを込めて。 楽しんで頂けましたら、きっと彼らも喜ぶことと思います。

処理中です...