最果ての少女は祈れない

ヤマナ

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終わる世界

秩序のための犠牲

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ーーー王太子レイドは自らが正義であると、自らの憎悪を正当化して正義を名乗りながら、敵対存在である悪を裁き、滅ぼしてきた。
悪は滅ぼさなければならないと、剣を取った。
それによって多くの悪人達の血が流れ、幾重にも屍山は積み上がり、そうして、王太子レイドは正義を謳う事に狂っていった。 その様は、まるで獣の如くであった。
しかし、あくまでも此処は人の世界。 
人が群れ、国を成し、法と秩序の基に生きる場所である。
故に、この王太子レイドの振る舞いは、人の国でやがて人を統べる王となる者として相応しいものであるとは到底言えず。 ましてや、その候補に並ぶ事さえも烏滸がましい程の過ちであった。
例え今、そんなだった有り様が多少は改善されていようとも、その前科を見過ごせよう筈もない。
なぜならば、人の世を治めるという事は、即ち人の世の秩序を司るという事。
そう成ろうとしている者が、人の在り方のほんの一側面にばかり眼を眩ませているのでは、平らかなる秩序など敷けよう筈もない。
何せ、王太子レイドの忌避する悪しき側面も、また人の在り方の一つであるのだからーーー


そんな自論を浮かべながら、ロイドは自室から窓の外の景色を眺めていた。
その視線の先には、昨今の貴族社会においてまるで噂の尽きない聖女ナナシと自らの兄である王太子レイドの姿があった。 その様は何とも仲睦まじく見え、人の口に上がる数ある噂の一つである「かの2人は恋仲である」というそれの、まさに具現のような光景であった。
しかし、ロイドはそのような噂には踊らされない。
何せ彼は、2人が恋仲ではないという事はおろか、聖女はやがて『最果て』へと帰ろうとしているという事も知っているのだから。
故にロイドには目の前の光景は、噂とは違う、まるで別の物に映っていた。

「……何とも。 あれでは、僕ではなくナナシの方が兄上の兄妹みたいじゃないか」

吐いた言葉は、響きはまるで妬心のもの。
けれどその本質は、虚。 ロイドは最早、そこには既に心の何も置いてなどいないが故。
なにせ、そんな事はもう、とうの昔に過ぎ去った事であるのだから。
ともあれ、感情論やらセンチメンタルやらのくだらないものを排斥して、そこに漠然と存在する事象のみを汲み上げて並べるのであれば、その光景はロイドにとってまさしく理想的な展開を示すものであった。
暴力的で血生臭い噂の立つ王太子と、それを鎮め理性をもたらした聖女。
それは、何とも実に良い取り合わせであろう。
あれほどまでに扱い辛かった兄が、理性的で、しかし以前より純正な正義感でもって自らの定める『悪』と向き合っているのだから。 ……根幹にある想いは何一つとして変わらぬまま、その指向性だけを変えて、だが。
それはもう、何とも哀れなまでに愚直なもの。
だがロイドとしては、レイドはそれで良い。
兄は正しい、兄は間違っていない、兄は常に正義を為す者である。 
それこそが、これから先のこの国を回していくための片翼たる要素であるが故に。
もっとも、レイドが善であろうが、それともただの偽善であろうが、そのような事は別にどうでもいい。 
そもそも、善と悪とがそれぞれ、レイドと悪人達のどちらにあろうとも、そんな事はロイドにとっては何の意味も無い事なのだ。 何せ、そのどちらもこの世に存在している概念である事に違いはないのだから。
ロイドにとって最も重要な事は、この世には人間の中に善と悪とが共に存在しながら、それらは相反し、相容れずとも、けして偏在化してはならないという事である。
何事にも、秤が釣り合う事こそが肝要なのだ。
過激な正義も、行き過ぎた邪悪も、秤を揺らし均衡を崩す不安定な乱数でしかない。 
そんなものに振り回される乱世など、秩序とはまるで程遠い。
そしてそれは、現状もまた同じ事。
だからこそ、つい最近まで続いていた災厄による動乱の世が過ぎた今、乱れ歪んだ世情を整えるには、人間社会を構築する要素たる秩序の鋳型でもって整頓してやる必要がある。 
そうでなくとも、秩序とは本来、人間社会において常在的に敷かれていて然るべきもの。 それが乱れる事など、到底許される事ではない。
だから………。

「絶対に『最果て』へと帰らせはしないよ、ナナシ。 君にはこれからも、兄上の傍に居てもらわなければならないんだ。 すまないが、この国のために『また』犠牲になってくれ」

兄の理性の安定と、この国の秩序を盤石のものとするために、ほんの些細な犠牲として彼女の存在を贄とするのだ。 口では「すまない」などと言葉を吐きながら、実に平然と。
聖女に、ナナシにレイドの妻でも愛人でも補佐役でも、どのような形でもこの国に残って、兄を正常に運用するための駒になれと望むのだ。
そこには心や想いの一切が篭る事は無く、在るのは行いに伴う意義と合理性のみ。 
ただその為だけに、あらゆる犠牲を許容する。
冷酷で、しかし同時に合理的な判断である。
全ては、やがて自らが王として統治する事となるであろう、このシンル国の秩序と平穏のためにこそ。 その為であれば、ロイドは何にでも手を染める覚悟はとうに済ませているし、既に幾つかの悪事には手を染めている。
何せ、悪を纏めるには、自らもまた悪に徹するより他にないが故に。
そしてこれからも、その在り方もやり方も、変えるつもりは毛頭無く。
自らでさえも、人の世の機構と徹すのだ。
全てはシンル国のためにと、そう嘯きながら。
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