最果ての少女は祈れない

ヤマナ

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終わる世界

蠢動の兆し

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「ーーーと、いう事があったの」

とある夜更け。
ナナシは寝室のベッドに腰掛けて、自らの隣に同じく座る者に向けて語った話をそう締め括った。 
そして彼女が話したのは、話した相手の知らないこれまでの事。
レイドと意見を違えたり、弓で射られたり、そうしたような今に至るまでの経緯である。

「へぇ、そう……そうかい。 それは、僕がいない間、すごく大変だったね」

そして、そんなナナシの話に対して不機嫌を隠そうとしてまるで隠せていない話し相手……妖精さんは、声音を一つ明るげな調子でそう言って、ナナシに見られていないからと面に不機嫌を表しながら、しかし同時に慈しむような視線をナナシに向けて、そのまま会話を続ける。

「それで、ナナシは平気だったのかい? その王子様と意見を違えたり、野蛮な生者達に襲われたりしてさ。 気持ちや身体がしんどかったり、全部嫌になったり、そんな風に思い詰めたりしなかったかい?」

「ええ、大丈夫だったわ。 ナナシのお世話をしてくださる人は良い人が多いし。 それに、生きている人の世界なんだもの、理不尽とか悪い事だってあって当然だもの。 それに理不尽なら尚更、此方でも『最果て』でも変わらないでしょう? だってどっちにしても、ナナシは死…なないんだもの」

「……そっか」

目を伏せ、妖精さんは瞠目する。
いつも、目の前の彼女の、こういう反応を見せる時に彼はどうするべきか。 どう接して、どう言葉を掛けるべきかが彼には何も分からないし、思い付かない。
そうなってしまった原因の、おそらくは最たる一端である彼にはナナシに対する罪悪感もあるが故に、尚更である。
そしてそれ故に、つい話を逸らしてしまう。

「ああ、そういえばさ……その髪飾り、可愛いね。 あの王子様からの贈り物かな?」

「いいえ。 これは、ナナシと仲良くしてくれている子がくれたの。 カルネとハンナって子達なのだけど、それぞれナナシに似合う髪飾りをプレゼントしてくれてね、今付けてるこの髪飾りはハンナがくれた方なの。 それでねそれでね、ちょっと待って……あった。 ほら、こっちがカルネがくれた方よ。 それぞれ、赤と青の綺麗な宝石が付いているんですって!」

「……そっか、それは良かったね。 その2人からのプレゼントがそんなに嬉しかったんだ。 それにしても、装飾品の類が僕のあげた指輪の他にも増えてしまっただなんて、ちょっと悔しいなぁ……そうだ、僕もナナシのお友達2人に負けてられないし、この際だから僕も贈り物でもしようかな」

そう言うと彼は、ナナシに「指輪をしている方の手を出してもらってもいいかな」と尋ねる。
ナナシも、彼に言われるがまま「こっち?」と指輪をしている右手を差し出した。 

「ああ。 じゃ、失礼するよ、お姫様」

そして彼はナナシの手を取ると、そのまま薬指にはめられている、かつて自分がナナシに送った指輪へと口づけを落とす。

「あら、なあに? また悪戯か何かかしら」

「いやいや、これはそんなんじゃないよ。 ほんのちょっとしたおまじないをその指輪にかけたんだ。 ……この先、もしもナナシが困った事になったなら、指輪を握り込むように手を組んで、僕の名前を呼んだらいい。 そうしたら、例えナナシが何処に居ようと、どんな状況だろうとも、必ず僕が助けに行く。 これは、そのための呼び鈴みたいなおまじないさ」

「まあ、ありがとう。 じゃあ、これで妖精さんといつでも会えるのかしら?」

「…うーん。一応、緊急時の連絡用のつもりでおまじないをかけたんだけどなぁ……ま、いっか。 ああ、ナナシが退屈な時の話し相手として呼んでくれても、もちろん構わないとも。 ナナシと会えるのは、僕にとっても嬉しい事だからネ!」

彼本人的には実利と、それに伴うほんの少しの罪悪感を拭うため。
そんな打算から施したまじないだったのだが、それに対して心の底から素っ頓狂な喜び方をしているナナシに彼は「まあ、こっちのがまだマシか」と内心、安堵の吐息を漏らしていた。 
何せ、彼にどれだけ罪悪感があろうとも、どれだけ相手の抱く思いが分かろうとも、さりとて彼には絶対に、人の心ばかりはどうしたって理解し得ない。 
それ故に、そうした機微こそが彼の指標となるのだから。

「さて、と。 それじゃあ、そろそろ僕は失礼させてもらうよ。 明日もまた、あっちこっちと東奔西走って具合でね。 もう暫く、忙しくなりそうなんだ」

「そう……それは、大変ね」

「まあね。 ま、あと少し頑張ったら、忙しい事は全部終わる。 そうなったら、暫くはまた一緒に居られるようになるからさ。 それまでは、ナナシも元気でね。 それと……ああ、そうだ、最後に一つ。 僕は、もう1人の子の方がくれたっていう赤い宝石が付いている髪飾りがナナシには似合うと思うよ。 ほら、赤って色が明るいし、何より僕の(姉の)瞳と同じ色だからサ。 ナナシには、是非そっちだけを付けていてほしいかな」

「そうなの? でも、せっかく2人から貰った物だから、日毎に付け替えてるの。 だから、ごめんなさいね」

「そっか……いや、いいんだ。 僕のワガママなんだしさ。 それじゃあナナシ。 もう遅いから、僕が帰ったらすぐに寝るんだよ」

「ええ、そうするわ。 妖精さんも、お仕事ばかりで大変だと思うけれど、無理はし過ぎないでね。 それじゃあ、おやすみなさい、妖精さん」

「ああ。 おやすみ、ナナシ。 よい夢を」


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


ナナシの元より去った後。
しかし彼は、ナナシに言ったように東奔西走と何処かへ飛んで行くでもなく、王城内に留まっていた。 それで何をしているのかと言えば、窓より灯りの漏れる一室の窓に張り付いて、諜報活動の真似事である。

「ナナシを狙うよう依頼したというフードの男について、あの元文官から何か情報は得られたのか?」

「いいえ。 証言の通りに依頼を受けたという酒場にも調査員を送りましたが、いかんせん現場は大衆向けの酒場でしたので日毎の人の出入りも多く、店員は客の様子などいちいち覚えていないという事でしたので…」

「そうか……いや、それは仕方がないな。 こればかりは、敵方が上手だったというだけの事だ。 だが、主犯が野放しになっている以上、再犯の可能性は否定し切れない。 ならばせめて、警備だけは徹底しておかないとな」

「ええ、そうですね。 ですので、当面は城内警備強化のための編成見直しと、登城時における危険物の持ち込み検査の強化に努めようと思います」

「ああ、頼む。 もう2度と、ナナシに手を出しを許すなどという轍は踏みたくないからな」

今宵、彼が覗き見たのはそんな会話であった。
内容としては、ナナシの安全のためになる事。 そして、それに対して彼は「ふーん……そう」と漏らして、腕を組んで納得したとばかりに頷いた。

「ま、だったらもう暫くナナシを任せてもいいか。 少なくとも、あの王子様にはナナシを利用したり、ましてや危害を加えたりする気は毛頭無いみたいだしね」

彼が確認したかったのは、ナナシが随分と懐いているように見えるレイドサマとかいう王子様が、人間的にどういう奴かという事であった。
前に此処に来た時は、普段からあまり我儘を言わないナナシが珍しく「まだ帰りたくない」と意志を示したのでその想いを尊重して引き下がったが、こうも立て続けにナナシが面倒事や荒事に巻き込まれるなら話は別である。 だから彼の心境としては、今すぐにでもナナシを『最果て』へと連れて帰りたい気持ちでいっぱいであった。
けれども、ナナシはそれを良しとはしないだろう。
だから、せめて彼が妥協できるラインを引くために、レイドサマとやらがどんな奴かを見ておきたかったのだ。
それでいざ実物を見てみれば、思ったよりもナナシの事を考えているようである。 それは言葉の上でも、思いの中でも、だ。
ともすれば、彼にナナシの意志を曲げてまで彼女を連れ帰るだけの道理は無い。
そもそも彼とて、今は忙しいとナナシに話した事に偽りは無く、故にナナシを他の誰かに任せられるのならそれに越した事はないのだ。 
何せ事が事だけに、あまりナナシを『最果て』に置いておきたくない故に。
だから、今この時ばかりはあの王子様の事を一旦は認める事としたのだ。

「今だけは君にナナシを任せるよ、生者の王子様。 ……うちのお姫様の事、くれぐれもよろしくね」

そう呟いて、彼は闇夜に飛び出していく。
いち早く自らの役割を果たして、そして今度こそ、さっさとこんな生者の国から彼の大切なお姫様を連れ帰る事の出来るその時を迎えるために。
そんな、何故か自らの内に湧き出ている焦燥感にも似た感覚の意味も、まるで理解出来ないままに。

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