最果ての少女は祈れない

ヤマナ

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終わる世界

友誼の代償

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人の噂に戸は立てられない。
そのような格言が、生者の世界には存在すると言います。 
その言葉の意味は、どう隠してたとしても噂は広く多くに知れ渡ってしまうものである、というものだそうで。
これまで、王太子レイド様の庇護下にあり、国を脅かす厄災を鎮める手助けをした『聖女』という評だけでもナナシは貴族間での噂の的にあり、それが故に少し前には貴族の方が声をかけてくるという事もありました。 
しかし、それはあくまでナナシが賓客、もしくは国外からの協力者という立場にあっての事が故に、いくらでも避けようのある話ではあったのです。 それこそ、誰かに一緒に居てもらうだけでも効果はありましたし。
それに大前提としてナナシは、政治は愚か、シンル国にとっての部外者である事には違いなかったのですから。
『聖女』と呼ばれたりしていても、実際のところレイド殿下の客人というだけで特に後ろ盾も権力も無く、政治的にはせいぜいがレイド殿下に取り入るための駒くらいの価値しかなかったのですし。 
しかしこの度、2人の友人のためにとの行いによって、そんなナナシの立ち位置は少々面倒な方面に変化したのです。
カルネの懸念していた、そしてその上でナナシがカルネとハンナさんの2人の仲を取り持つために甘んじて受け入れたデメリット。
対立派閥の主要人物同士の橋渡し。
そして、その一連が元より話題性のあった『聖女』の行いであったという事。
そんな一連の末、迎えた結果というのが……。

「聖女様、貴女の事を愛しております。 どうか、僕と婚約して頂けないでしょうか」

杖を持たない方の手を取られ、そして跪いているのかナナシのみぞおちより下の辺りから聞こえるその言葉は、所謂プロポーズの言葉というもの。
カルネの惚気の中でも度々話題に上がるので、そのプロポーズなるものの意味が分からないナナシではありません。 要するに、今ナナシはナナシの手を取り跪くこの男性に、男女の仲で番う事を望まれているという事ですね。
……とまぁ、このように。
ここ最近、まるで知らず今まで会った事も無いような貴族の子息の方からプロポーズを受けたりするようになったのです。
しかし、此処は煌びやかな表皮の内に一物抱えた者達の魔窟も同然。
ならば当然、彼らの行いには大凡において裏があっての事でしょう。
そして、事をタイミングより合理的に推察すれば、ナナシに近付く貴族達の考えには簡単に至れると言うもの。
即ち、自らの所属派閥への勧誘です。
最も、全てのケースが例に漏れずというわけではありませんでしたが。
中にはカルネと同じように、かつて最果てに魂だけで迷い込んできて、その際にナナシと交流があったからと交際を申し込んでくる貴族のご子息などもいたりしましたが、それはあくまでレアケース。
ナナシに声を掛ける殆どの方のプロポーズの目的は、口先から出た「愛」だの「恋」だのではなく、ナナシを取り込んだ先にある実利を見据えての事でしょうから。 まあ、元より貴族間のそうした交わりとは、当事者同士での「愛」や「恋」よりも家同士の実利を優先するものなのだそうですけれど。
どうあれ、貴族たちにとって今のナナシにはそういう需要がある、という事。
だからこそ、こんな貴族でもないようなただの小娘にさえ群がる。 群がり、喰らい、骨の髄まで利用し尽くし得た利を貪る。
本当に、いつまでも、まあ……。

「………」

しかし、それとて彼らの生きる手段。
生きるとは他を取り込む事であり、取り込む以上は命を犯し殺すのは至極自然な生命のサイクルの在り方でしょう。 
命はそうして生きて、死んでいくのですから。
……まあ、そういう訳で。
その理に当て嵌めるのならば、今尚ナナシの手を取る彼の行いは、『貴族』という人種としては当然の事なのかもしれません。
そして、あくまで生者の国の人同士の問題であった政治の話に、友人同士の仲を取り持つ為とはいえ、余所者であるナナシが関わりそれまであった流れを掻き乱した事もまた事実。 
であれば当然、派閥の争いに巻き込まれる事も仕方がない事でしょう。 元より、お世話になっている恩返しとしてレイド様の力になりたいと思っていたので、それ自体は別に構いませんし。
けれど、真偽を問わず、このプロポーズばかりは流石に受け入れられません。
誰からの想いでも、誰からの願いであっても、です。
勿論、選り好みとかそんな贅沢な理由からではなく、そもそも好きとか嫌いとかそんな人らしい感情論でもなくて。
もっと立場的な理由で、ナナシは誰をも受け入れられないのです。
だってナナシは所詮、この国の中においては部外者で、やがては『最果て』に帰るべき身。 生者の方々が言うところの忌み地の住人なのですから。
打算に満ちた婚約で、忌み地にまで着いて来るような物好きなんて、いないでしょう?
ナナシが此方に残る、などという選択肢もありません。
だって、ナナシは『最果て』の葬送人。
いつか、この身が臨終るその時まで、死者の魂を満たし送る役目があるのです。 ……まあ、今はちょーっと休業中ですけれども。
そもそも、今こうしてナナシの需要が高まっているのもどうせ一過性の出来事に過ぎません。
やがては皆さん、こうしてナナシを囃し立ていた事さえ忘れてまた別の流行りに推移して、需要の廃れたナナシの事など棄て去り忘れるのでしょう。
だって、誰もが一様に打算ばかりで、ナナシを口説く言葉の通りに愛しているような人なんていないのでしょうから……。
なのでいつも、誰のプロポーズも受けないし婚約もしない、というような事を理由と共にお伝えして断らせていただいているのですが、それでも今のようにナナシの元へとプロポーズをしに来る貴族の方は絶えません。 
貴族の間では、正しく『人の噂に戸は立てられない』のではなかったのでしょうか。 元々はそのせいで現状に陥ってしまったというのに、なんと都合のいい『戸』なのでしょうかね。

「……申し訳ありません。 ナナシは、貴方のお気持ちにお応え出来ません」

なので、城内を少し出歩くだけでも呼び止められる機会が増え、そしてその都度断りの言葉を告げる事となります。
移動の際には常に行動を共にしているメイドさんによる抑止など有って無いようなもので、自分の方が貴族であり身分が上だからというただそれだけの事で誰もがズケズケとナナシの元へやって来るのです。
多い日ではその数、ほんの少しお庭へお散歩に出た行き帰りだけで、なんと三度も。
そのなんと、まあ、気疲れする事でしょう。
それに、中には断りの言葉を告げた時点で諦めてくださらない方もいらっしゃって、そうなると非常に厄介なのですが……。

「なんだと!! この僕の何が不服だと言うんだ、この余所者の平民未満め! いいか、聖女だからと言い気になっているようだが、貴族よりも偉いだなんて思い上がるんじゃないぞ!」

このように、ただプロポーズを断っただけで激昂し、挙句は澄ました貴族の態度を忘れて暴言を吐く。
そんな凶暴な豹変をする方ばかりではないにせよ、大凡はこんな感じの似たような事を仰います。 身分差による優位でもって、ナナシに従属と要求の承認を強要しようとするのです。
……結局のところ、そのようなもの。
貴族という立場に胡座をかいて、友好の態度を装おうとも内心では相手を見下し、求めた全てが通らなければ化けの皮が剥がれて傲慢に文句と暴言と侮蔑を吐き散らかす。
ナナシに愛を囁いた殆どの方は、そうなったのです。
愛とは、そんな欺瞞の言葉なのでしょうか?
……まあ、そんな考察は後にして。
先ず向き合うべき問題は、未だナナシの手を取り離してくれないこの男性。 がなり立てるに飽き足らず、力一杯握り潰さんばかりに腕まで掴んでくるのですごく痛いのです。
しかし、逃げる手立ても無いですし、話も聞いてくれそうにないし………どうしましょう。
などと考えながら、一先ず握られている手をどうにかしなければと考えていると、男性が「ヒュッ」と息を詰まらせたような音を漏らすと急に強く握られていた腕が解放されて、ナナシはその隙にサッと手を引いて男性から距離を取ります。
あんなにしつこかったのにいきなりどうしたのだろうと思っていると、今度は背後から誰かに肩を掴まれてそのまま後ろに引かれ、その背後の誰かにナナシがもたれ掛かる形で受け止められるのでした。

「大丈夫か?」

「……もしかして、レイド様ですか?」

「ああ。 またナナシが身の程を弁えない輩に捕まっていると、メイドが呼びに来てな。……だが、もう少し早く来るべきだったな」

レイド様は掴まれていたナナシの手を普段より優しく取ると、何処か痛ましげな声音で「痣になっているな」と呟きました。
そうして、一瞬だけ不穏な気配を漂わせ、けれどそれを誤魔化すかのように言葉を続けます。

「……痛かっただろう。 部屋に戻って、メイドに冷やしてもらうといい」

そう仰るレイド様の声音だけは、ただナナシを気遣って下さっている優し気な音の響きと羅列ではありました。
しかし、それでも隠し切れない程の不穏な気配は増すばかりで、そんなレイド様に嫌な予感さえ覚えたナナシは、ナナシの付き添いに近くのメイドさんを呼ぼうとするレイド様を引き止めます。

「レイド様、どうかナナシをナナシの部屋までお送り願えませんか?」

「……そうか。 分かった、付き添おう。 またコイツのような者が出ないとも限らないし、俺が送り届けた方が安全だろうからな。 おい貴様、次はないと思えよ」

「……申し訳ございませんでした、殿下」

そうして、レイド様に警告を受けた男性は去っていき、その足音が響かなくなった頃になってナナシ達も歩き始めます。
形としては、以前までの散歩と同じくナナシがレイド様の腕に掴まって介助されながらゆったりと歩を進めていくというものですが、けれども此度は両者共に無言のまま。
重苦しい、という程でもないにせよ、居心地の悪い空気がナナシとレイド様の周囲には漂っていました。

「ナナシは、あんな者にまで優しいんだな」

しかし唯一、部屋まで送ってもらう道中で、レイド様はそのような事を呟きました。

「どうしてだ? なぜ、自らの害になる者まで許せる」

次いで、疑問と不理解の言葉を吐きます。
優しい、許す。
ここでそのような単語が出てくるという事は、レイド様も先のナナシが付き添いを請うた真意にもお気付きになっていらっしゃるという事なのでしょう。
ならば、ここで誤魔化す意味も無く、ナナシはレイド様の問いに対し思うままに答えました。

「別に、優しさではありません。 許すともまた違うと思います。 ナナシだって嫌なものは嫌ですし、迷惑な事は迷惑だと感じますから。 さっきだって困っていたのは事実ですし、もうあの方と関わりたいとは思いません。 でも、許すとか、恨むとか、そこまで深くも思えません」

だって、結局は赤の他人の事でしょう。
そのような誰かにどれだけ迷惑を掛けられていようと、どれだけその誰かにされた事が嫌だろうと、ナナシにはただのそれだけに伴う赤の他人への深く昏い感情なんて面倒なしがらみを抱え続けているだけの自分の余剰容量などありませんし。
それに、人と人との縁など大抵の場合はすれ違うだけで終わるというのに、そんな一瞬程度の事で都度思いを溜め込んでいては、やがて心が潰れてしまうだけですから。

「悪意も迷惑も面倒も、全部受け流してしまう方が楽なんですよ、すごく。 それにナナシは自分の事だけでもいっぱいいっぱいですから、許す許さないだなんて他人事になんて付き合ってもいられません。 だから、ナナシが優しいだなんて事もないのです」

貴族の方達が自分の利得のためにナナシを取り込もうとしているように、ナナシにはナナシの理由があって『最果て』のお仕事に従事しているのです。
そして、言い方は悪いですが、ナナシにとってそれ以外は特段に必要でもないものなのです。
それこそ、『最果て』のお客様でもない限り、他者の抱える悪意も害意も関わる意味など無いと切り捨て素知らぬ顔をするくらいには。 まあ、たまに内心で色々と感想を抱いたりはしますが。
しかし、それはそれ。
基本的に、他者に対して関心は無い。
それが、ナナシという存在なのです。

「ナナシの言う自分の事とは、『最果て』の仕事とやらの事か?」

ナナシの一連の話を締めくくると、レイド様はそのように尋ねられました。

「はい。 ナナシが果たすべきお仕事です」

そして、とても辛くてしんどいけど、日々頑張って励んでいればきっといつかナナシに救いをくれるであろう吉兆でもあります。
まあ、結構長く勤めに励んできてそれでも未だに救いは訪れていないので、まだまだこの道のりは長く続いていくのでしょうけれど。 

「なら、何故ナナシは俺達に協力してくれるんだ? 『泥』の件は巻き込まれる形だったとはいえ、それ以降は『最果て』の住人であるナナシには関係の無い事だったろう。 それこそ、ロイドと俺の関係を気にしたりな。 それは、ナナシにとって無駄な他人事じゃないのか?」

「ナナシにだって情はあります。 お世話になった人、親しくなった人、普段から交流のある人。 そんな人達に心を砕くなら、それは無駄でもなんでもありません。 まして、そんな人達が困っていて、ナナシにそれをどうにか出来るのであるなら、それは勿論お力になりますとも!」

「そうか。 やっぱり、ナナシは優しいな。 だが……此処で生きるには、考え方が危なっかし過ぎる」

さあ、着いたぞ。
そうレイド様に言われて、いつの間にやらナナシの部屋の前まで来ていた事に気付きました。
そして、相も変わらずレイド様に連れられる形で誘導されるとナナシはそのままベッドに座らされて、レイド様にまるで壊れ物でも扱うかのように痣になっているという方の腕を取られます。
どうやら腕の様子を診て下さっていたようで、そっと腕から手を離されるとレイド様は「俺では手当出来ないから、メイドを呼んでくる」と言って部屋から去って行かれました。

「…………」

1人部屋に残された静寂の中、ナナシはただ沈黙して、やがて来るナナシの腕を手当しにメイドさんを待ちます。
そしてそんな沈黙の中で、背後の窓から「コンコン」とノックするような音が聞こえました。

「はい、どなたですか?」

ナナシは、誰が来たのかと思いノックの主に応じます。
すると、窓の外から更に声がしてきます。

「やあやあ、僕さ。 この窓を開けてくれないかい」

そんな、随分と久し振りな声に「まあ!」と歓喜したナナシは、ピョンっとベッドの上を跳ねて窓の方へ向かうと、手探りで錠を探して開放して、窓の外のお客様をお迎えします。

「お久し振りね、妖精さん!」

「うん、久し振りー。 ナナシの妖精さん、颯爽登場! なんてね」
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