最果ての少女は祈れない

ヤマナ

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終わる世界

広がる世界

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きっと、ナナシが何一つとして気にする事なんてないのでしょうけれど、それでもとても後味の悪い夢を見たその日の正午。
ナナシは、再びナナシに会いに来てくれたカルネとお茶会の席でお話に興じていました。 
それもただの雑談程度のお話ではなくて、カルネがナナシのためにお城の外の世界でのお話をして下さると言うのです。
しかもそれはナナシとしてはとても興味深い、今住まわせてもらっているナナシが1人で散歩をするのにも一苦労するくらいに大きくて広いお城よりも、さらにもっとずっと広く在るこの国の、生者達の街でのエピソード。 
ナナシが知りたかった、生者達の世界でのお話です。
というのも、前回お会いした時にカルネはナナシが自由にお城の外へ出られない身の上である事と、そもそもナナシ自身も役目を思えば易々と遊びになんて行けない、と話した事をとても気にして下さっていたらしくて。
ならばと、お城の外に広がるナナシの知らない生者達の世界でのお話くらいは聞かせてあげたいと思って下さり、わざわざご自身で街まで出向いてリサーチして、こうしてカルネ自身の体験談としてナナシにお話ししに来てくださったのです。

「とは言っても、わたくしも最近になって市井に出てみる事にしたから、まだ庶民の街ともなるとあんまり詳しくはないのよね。 という訳で今日は、少なくとも今のわたくしよりかは市井の様子に詳しくて暇そうなのも連れて来たのよ」

「誰が暇そうだ、誰が。 暇人はお前の方だろう、俺の騎士に休暇を取らせてまで庶民街のリサーチへ連れ回したくせに」

「だってわたくしだけでは市井の事なんて分かりませんし。 それに、ランド様は殿下の騎士であると同時にわたくしの婚約者様でもありますのよ。 デートに連れ出す事に何か問題が? それに、親類でも血縁でもない淑女に向かってお前呼ばわりだなんて、礼儀のなってない人ですわね」

敵意というよりは、どちらかと言えば慣れ親しんだ相手に対する軽口のようにしてカルネはなんとも気楽に、ナナシの隣に座しておられるこの国の『王太子殿下』である筈のジーク様に向かってそのように吐き捨てます。
このカルネの態度には、ナナシも流石に「ひえっ…」と面食らってしまいました。 
だってレイド様はこの国の王族で王太子様なのですから。 そんな偉い立場にある御人に向かってそのような態度を取るなんてと、そんな不遜な態度で不敬だと怒られないのかと。
ですが、なんとお二人の間ではこれで問題は無いようで。
なんでも、ジーク様とカルネは王家と公爵家との政治的結び付きによる政略から幼い頃より交流があって、なんと一時期は婚約話まで出た事もあるような間柄の幼馴染なのだとか。 
それで親しい間柄だから、公の場以外ではさっきのような態度も全然問題にならないのだそうです。

「だいたい、殿下は昔っからわたくしにお忍びで市井に行ったと自慢話ばかりしていたでしょう。 その時の可愛らしい冒険譚でも聞かせてあげればよいのではないかしら?」

「おい、それは子供の頃の話だろう。 ナナシには喋るなよ」

「さあ、どうしましょうかしらねぇ」

「この……っ! はあ、少し前までのレイスラークはもっと大人しかった筈なんだがな。 長寝から目覚めたかと思えば憑き物が落ちたように元気になって、その上急に婚約者まで捕まえて、気付けば随分と豪気になったものだよ本当に」

「これも偏に、ナナシとの出会いと、ランド様と結ばれた事による愛の力のおかげですわ」

「それで貞淑で大人しかったお前がこうまでふてぶてしくなるとは恐ろしいな愛の力!? 確かに陰気だった以前よりも今のレイスラークの方が全然良いだろうとは思うが……。 だがいくら何でも変わり過ぎだ、以前の貞淑さを少しでもいいから思い出せ!」

「ほほほ、貞淑なわたくしでなくともランド様は愛して下さるもの。 ならばそんなもの、必要ございませんわ」

事前にお二人が幼馴染、ないしは友人として親しい間柄である事を聞かれていなければ剣呑な言葉の応酬にしか聞こえない内容であるのに、その実情を知ってしまえば初めの印象は全て反転して、今までのやり取りの全てはなんとも微笑ましいやり取りに聞こえる。
そのような友人関係というものはナナシの知る限りでは類似性のある例さえ認知は出来ておらず、だからこそ、それらはなんとも新鮮な関係性に思えます。
見えているものばかりが全てではなく、尊ぶべきはその中身にこそ。
ジーク様とカルネの関係は、まさしくそのようなもののようで、そして、それはなんて素敵な関係性なのでしょうか。
ナナシもその素敵さと、あとは少しの羨望とで思わず笑みが零れてしまいます。

「ふふっ」

「む……すまないなナナシ、騒がしかったな」

「いえいえ、寧ろ微笑ましいものを聞けたなと思っていますよ。 ナナシ自身の事なのにお城にお世話になってから気付いたのですが、実はどうやらナナシは人の話し声や喧騒が好きみたいですので」

「だったら今日の話も喜んでもらえるかしら。 何から話そうかしら……そうねぇ、あれはわたくしが」

そうして始まったカルネのお話は、先ずは彼女がグラウブ様とのデートで連れられたという、市井の街の商店が並ぶ大通りでの事から始まりました。
はしゃぐ子供や、笑い合う恋仲らしい男女に、長年想い合い連れ添った様子の老夫婦。
他にも多様な在り方、様々な年代の人々が皆それぞれの日常を過ごしながらも、同じ時、同じ場を共有しながら、日々を営んでいる。
そんな街中はどこも人で賑わい活気があって、本来であれば『泥』の騒ぎによって厳しい時勢の中にあるにも関わらずそんな世情の流れにも負けない生き生きとした強さに満ちていると、カルネが話してくれた『生者達の街』とは、そのような場所でありました。

「今までああいった庶民的な場所に行く機会というものはまるで無かったのですけれど、中々に楽しめましたわ。 他にもランド様が街中の巡回時にお昼を頂くというお食事処があるらしくて、今度のお休みに連れて行ってもらいますのよ!」

これはカルネが一つの人気なお店に多くの人が集って長蛇の列を成しながらも、並んでいる人は誰も嫌な顔一つせず、むしろ楽しげに並んでいたと話してくれた時の彼女の感想です。
そのお話のオチは、皆がああまで楽しそうにして並んでいたお店というのは実はただの焼き菓子屋であって、それも買えたのは騒ぐほどに豪奢な品でなく、見た目も味も素朴で、街の散策の最中にグラウブ様とひとつまみふたつまみしながら話しをして歩いていたらいつの間にか2人で平らげてしまっていたというような、そんな他愛の無い普通の焼き菓子だったのだとか。
それを、列を成す程に人が集まって、時間をかけて並んでまで、みんなして欲していたと。
それは、なんともおかしな話だとナナシは思いますが、きっと、それもまた生者の営みの一つなのでしょう。
それにここは、楽しげに語るカルネを思えばこそ、ナナシの疑問を差し挟んで水を差すような真似は不粋ですから、だから静かに、時に相槌を打ちながら彼女のお話を聞くのです。
……『最果て』で見た夢に曰く、カルネの今までの人生は習い事や社交会などに参加して庶民的な場所に興味を持つ暇もない程に貴族社会に忙殺されていたようでしたから。 
そうでないと、いつ足元を掬われるか気が気でなかったから、と。
でも今回、ナナシのためにと機会を得て、そして恋慕っているグラウブ様とデートに出掛ける良い大義名分を得てそれを為し、今こうしてその体験を楽しげに語り、ついでに惚気るだけの自由を得た。  
カルネの過去を思えば、これくらいの報いはあって良いとナナシは思います。
それに、こうして友人の惚気話を聞くのもまた一興でしょう。
なにせ、生きている人の事を知り、そして同時に友人たるカルネの事を知る、実に良い機会なのですから。

「まあ、それは素敵ですね!」 

なので、カルネが語りたいのなら、ナナシもまた耳を傾けるのです。 それはきっと、無知なナナシにとって利となる知識でもあるお話なのでしょうから。 
……たとえこの後、思ったよりも長くお話が続いても、それはそれ、なのです。
カルネが幸せなら……ええ、はい。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「レイスラークめ、わざわざ俺を暇人扱いしてまで呼んだくせに長いこと話したい事を話すだけ話して帰るとは。 まったく、どれだけ豪胆なんだか」

「まあまあ、よいではありませんか。 前までのカルネの事を思えば、今ああして笑っていられるだけでも素晴らしい事ですよ」

そろそろ日が落ちる頃だからとして、今日はこれまでとカルネを見送ったその帰り。
レイド様に部屋まで送ってもらう道中、雑談程度の話題は今日のお茶会でのお話です。 そしてそのお話の中心は、カルネの事でした。
やはり幼馴染であるというレイド様からしてもカルネの態度、と言うよりはそれを表出させるに至った心の在り方の変わりっぷりに心底驚かれているようで。

「なんだ、ナナシも以前のアイツを知っているのか。 ……まあ、そうだな。 今のレイスラークの方が、人間らしくて楽そうだ」

でも、それが悪い変化ではなく、むしら人として良い兆候である事には変わりはないからと、レイド様も口ではあのように仰いながらも心の中では喜んでいるように思えます。
それは、友愛的喜びのそれでしょう。

「ところで、結局レイド様からはお話を伺えませんでしたね」

「ああ。 レイスラークの奴、人を暇人扱いして呼んでおいて自分だけ婚約者との逢瀬を惚気るだけ惚気て帰ったからな。 ……だが、そうだな。 どうせ、今日はもう俺の仕事もキャンセルされているんだ。 どうだろうナナシ、今からもう少しだけ話さないか? だいぶ昔の事だが、俺の市井での体験談を聞かせよう」

「まあ、本当ですか! では、ぜひお願いします。 カルネが言っていたレイド様の冒険譚、とても楽しみです」

「冒険譚と言うほどのものではないから、レイスラークの妄言は忘れろ! まったく、ナナシも言うようになったものだ。 さあ、行くぞ」

「はいっ!」

ナナシのからかいが少し恥ずかしかったのか、どこか急ぐように少し歩調が上がる。
レイド様と一緒の時はいつもの事な、腕を組んで道を行くこの時。 
そんなもはや慣れきった事でさえ、今のナナシには新鮮に感じられるものとなっていました。
それは偏に、カルネから多くのお話を聞いたからか、或いは無知なナナシが知らない世界を聞いて思想の中の『無』が『有』に転じて夢想を描いているからか。 
ずっとずっと、知らず在らずだったのに、ここ最近で知識も友人も立て続けに増えたからか。
……ナナシ自身、気持ちが浮かれているのは自覚しているのです。
でも、それでも……。
恐れ多い事ですが……カルネのお話を聞いていた時も、レイド様と並んで歩く今この瞬間も、これもまた友人とのひと時であると言うのならば。
なるほどこれはとても良いものだ、と。
そう、ナナシは思うのでした。


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