最果ての少女は祈れない

ヤマナ

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終わる世界

再カイ

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「それにしても困ったものだわ!」

暖かな日の照る庭園での、お茶会の一幕。
そんな「穏やか」と形容されるようなシチュエーションで、しかし憤慨した声音でそのように文句を仰っているのは、ティーテーブルを挟んでナナシの向かいに座るカルネ・レイスラーク様、もといカルネです。
彼女は茶器を「ガチャリ!」乱暴に置くと、それでも収まらないのか擬音で言うなら「プンプン」というよりも「カンカン」といった具合であって、とてもお怒りになられています。

「まあまあ、そのようにお怒りにならなくてもいいではないですか。 ナナシは何も気にしてなんていないのですから」

「だからと言って、あんまりよ!」

ちなみにカルネは、別にナナシを罵倒しているのではなくて、ここには居ない別の方に怒ってらっしゃるのです。
それで、そのお相手というのが……。

「だって貴女、『最果て』からこっちに来てずっとお城にいたんでしょ。 お城を出るとしてもお仕事の時だけだなんてレイド殿下は何を考えているのかしら、まったく!」

「んーー……えと。 それは、なんとも……」

怒りの矛先は、なんと不敬にもシンル王族の長子であり王太子殿下であられるレイド様。
階級制度の敷かれている王国において今のカルネの発言は、当然ながら許されるものではなく場合によっては重罪モノでしょうから、今のナナシは内心ヒヤヒヤです。
それに、カルネがそのようにレイド様の事を言うのはまだ良いとしても、さすがに生活面でお世話になっている方に対するその言葉にナナシが同調するわけにはいきません。 なので、興奮気味のカルネに対して、事の当事者ではあるけれどそんな事なんて全然まるで気にも留めていなかったナナシはそのように曖昧に笑うより他にありませんでした。 
そもそも、これまでの王城での生活に不満なんて全然無かったのですから。
根本的に、文句も何も無いのです。
ーーーそれにしてもと、お怒りのカルネを宥めつつ、今に至るまでの流れを思い返します。
まさかグラウブ様の婚約者様というのが、かつて、といってもそこそこ最近に『最果て』へと特殊な事情でいらっしゃったカルネであった事には初めは本当に驚いたものです。 
なにせ、生霊として迷い込んだカルネと河に流されて辿り着いたグラウブ様、どちらも実に珍しい事例での出会いだった御人なのですから。
しかもカルネ曰く、2人は生霊のカルネが『最果て』から生身の肉体に帰ってすぐに婚約関係になられたそうで、それはなんとも奇縁があったものだと心の底より思いました。
人の縁とは何処に繋がるか予想も出来ない、何とも面白いものですね。

「あの時は弱音を吐いてしまったけれど、今はもう大丈夫よ! ランド様ったら、婚約者としての責務は果たす、だなんて言ってわたくしの事をよく気遣ってくださるの。 真面目で、でも時々可愛くって……おかげで、今はとても幸せよ」

「それはとても良かったですね! その、カルネは……本当にすごく、大変そうでしたから」

あの日の夜に見た夢……カルネの記憶は、それはもうとても虚しいお話でしたから、尚の事そう思います。
夢の中で見た彼女の記憶が映した貴族社会は、虚飾と形容すべき寒々しい灰色の世界。
そしてそれは、その血筋が故に逃れられない宿命の中を寄る辺無く進むより他に無い孤独な道行きでもあったのです。
素顔を隠す仮面を被って、周りを偽り周りに偽られる。
それはまさしく、虚の地獄。 だから、そんな世界にきっとカルネは辟易していて……いつしか、心が疲れ切っていたのでしょう。
だから逃避のために、魂だけでも逃げ延びた。
いっそのこと死んでも構わないと、死んででも逃げ出してしまいたいと思うほどに追い詰められていた……。
でも今のカルネには信じ愛する寄る辺がある。
死んでも構わないくらいに逃げたいだなんて、もう2度と考えられないくらいに頼れる存在に出会えたのです。
そして、それは心の支えでもあるのですから。
だから、カルネはもうきっと大丈夫でしょう。
その事に、熱い語りが止まらないカルネのグラウブ様との惚気話を聞きながら安堵する事、暫く。 
いつの間にか惚気話は終わってナナシの近況の話に変わっていて、それでも始めは普段ナナシがどのような生活をしているかなどの世間話程度に収まっていたの………ですが。
カルネが噂程度に出回っているというナナシの話を始めた辺りから、何故だかだんだん雲行きが怪しくなっていったのです。
挙げ句、最終的にはカルネがレイド様に対して怒り始めて、そうして現在に至ると……。
以上が、冒頭に至るまでの経緯となります。

「でもカルネ、ナナシは十分お世話になっておりますよ? 良い部屋で寝かせてもらえているし、大丈夫だと言ってもレイド様に美味しい料理をたくさん食べさせてもらってますし」

「そんなの、お客様をもてなす最低限の礼節でしょう! ナナシの聖女としての噂は聞いているけれど、伝え聞く功績だけでもナナシがもっと欲張ったとしても王族だって文句は言えないくらいこの国に貢献しているじゃない!」

「いえ、でも……ナナシはこれといって欲しいものとか無いですし」

「だったらレイド殿下がもっと気を遣って色々としてあげるべきなのよ、それこそ洋服とか宝飾品とか。 それに貴女、ずっと『最果て』にいたせいで外の世界を知らないのでしょう? 王都にだって『泥』の騒ぎで大変な時にしか行った事ないのでしょうに、勿体無いわ!」

なんとか宥めようと思っても、ナナシが一言かける度に二言三言と返してきて、むしろどんどんヒートアップしていくカルネ。
以前会った時には、まるで剥がれかけの張りぼてのように覇気の無い尊大な態度で疲弊し切った心を誤魔化していたというのに、今はこんなにも心の底から元気いっぱいになられているのは喜ばしい限りではあります。 カルネという人物は、あの『最果て』の時とは違って本来はこんなにも明るくて、とってもお喋りな人物だったのでしょうね。
けれど……これは、あまりにもエネルギッシュに過ぎると思います!!
いかに『最果て』のお仕事で喋る事自体に慣れているとは言ってもナナシの基本的な性質は隠の者であるので、このままではカルネの陽の気に圧殺されかねません!
なのでここは、仕方のない事だってあるのだとハッキリ言って分かってもらいましょう。

「でも自由に外に出て、もしもその時に何処かで『泥』が発生してナナシが役割に遅れてしまっては被害が大きくなってしまうかもしれませんから。 カルネが怒ってくれているのはとても嬉しいのですけれど、でも、ナナシは国の厄災を祓うために此処にいるので。 そのナナシが遊び呆けているわけにはいかないのです」

「ッ! ……でも、それじゃあんまりにも」

貴女が可哀想よ。
その憐憫の言葉は、今のナナシにかつてのご自身を重ねてのものでしょうか。
……役を羽織り、そして幾重にも積み重ねる偽りの全ては己の為でなく別のものの為にあり、己という個は使い潰される駒に等しく。
そんな、かつての自分自身の姿に。
確かにあの日『最果て』で夢に見たカルネの記憶は、そのような憐れまれるべきものでしたから。 この辛さと痛みを味わってきてよく知っているが故に、カルネはそのように思ってくれているのでしょう。
でも、ナナシの役目が替えの利かないものである以上、そもそも、そう易々と遊びに外へと出られよう筈もないのです。
それこそナナシの場合、緊急時には即座に被災地への出張に対応出来るよう、待機の意味を込めての王城への滞在でもあるのですし。
何より、役目があって必要とされているからこそ、本来ならばシンル国の部外者である筈のナナシがこうして王城だなんて大層な場所に招かれて、こうまで持て成されてもいるのです。 
それにカルネには悪いのですが、そもそも「可哀想」と評されるような痛苦だなんて事は、ナナシにとってとうの昔に喉元を通り過ぎているお話。
だからこそこのお話の全ては、もう既に無用な心配でもあるのですから。

「大丈夫です、ナナシは無理なんてしていませんし、嘘もついてないですから。 だから、そんなにも気になされなくていいのですよ、カルネ」

結局のところナナシは、こちらでの『泥』を祓う仕事と『最果て』での死者の魂の未練を祓う仕事に、さしたる違いなんて感じてなどいないのです。
体感では、せいぜいやって来るか向かって行くかの違いでしかなく、そこには精神的にも肉体的にも耐え難い程の差異などありはしません。 元より仕事とは、往々にして辛くて厳しくて、そして全くもって楽しくなんてないものでしょうし。
……でも、まあ、そんなのもさすがに今更が過ぎるというか。
これでも、伊達に何年も何年も何年も……『最果て』にて務めてきたわけではないのです。
それに、今までも泣きたい時や辛い時だってあったけれど、あの時も今もひとりぼっちだったというわけではないのですし。

「ナナシはこうして、レイド様やカルネが話し相手になってくださっているだけでも十分なのです。 だからこれ以上は、過分な待遇に思うのですよ」

過分なんて与えられるべき身ではありません。
それに、きっと『最果て』での妖精さんと同じように、レイド様もカルネもいざという時にはナナシに手を差し伸べてくださるのでしょうから。
だったら、怖いものなんてそう多くはありませんとも。

「……ああもう、ナナシは健気ね! そんなふうに言われたら、わたくしはもう何も言えないじゃない!」

「せっかくのお気遣いをごめんなさい。 でもナナシは過分を望みませんし、それに……」

「いいわ、気にしなくても。 今のはわたくしの我儘みたいなものだったのだし。 それに別に怒ってなんかもいないわ、ただ自分の不甲斐無さが情けないだけ」

そう言ってカルネは一息に茶器の中身を嚥下すると、大きなため息を一つ吐かれました。
それで気分が落ち着かれたのか、カルネはさっきとは違ってコトリと穏やかに茶器を置くと、今度はため息とは違った「はぁーあ!」という声を漏らして、更に言葉を続けます。

「ナナシの言い分は分かったわ。 ……でも、やっぱり納得いかないものは納得いかないの! だからもしナナシがしたい事とかあったら言ってね、貴女の友達として協力するから」

「……お心遣い、ありがとうございます。 でもナナシは、そのお気持ちだけで」

「そういうのいいから。 遠慮しないで、せめて人並みくらいには欲張りになりなさいよ、まったく!」

その後、カルネが「用事が出来たから今日はこれで失礼するわ、またね!」と去っていって、この日のお茶会は終了する事と相成りました。
後に聞いたお話なのですが、カルネのお家であるレイスラーク公爵家とは、シンルの政の中でも中立派の筆頭貴族であられるそうでして、今の国内勢力を二分する二大派閥であるレイド派とロイド派のどちらにも与していないお家だそうです。
なので当然ながら、その家のご令嬢であられるカルネも立場だけで言うならば同様に。
本来ならば、国外からの余所者の協力とは言えども、目に見えてレイド様側に大きく力を貸しているナナシとはあまり関わらない方が良い立場であられる筈なのです。
それでも、カルネはナナシに会いに来てくださった。 派閥とか打算とか関係なく、カルネはナナシの事を『友達』と呼んでくださったのです。
かつて『最果て』では朝を迎えられず、目覚めの約束は果たされなかったというのに。 
だからナナシは、それがとても嬉しくて……。
だからその話を聞いたナナシは今朝までの大きな悩みなんて一旦どこかにうっちゃって、友達第一号である妖精さん以来の友達が出来た事にはしゃぎにはしゃいで浮き足立った末に盛大に滑って転んで、いつかのように鼻血を出して。
最後には、ナナシが怪我をしたと聞いて心配して駆け付けてくれたレイド様に「はしゃぐにしても怪我しないよう気を付けろ!」とガミガミ叱られるのでした。
まさに、おっしゃる通りです……。
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