最果ての少女は祈れない

ヤマナ

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終わる世界

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「これまで何通も手紙を送りましたがことごとく無視されてしまっていたので嫌われているのかと思っていたのですが、ようやく聖女様が僕の誘いに応じてくださり嬉しい限りですよ。 しかし……」

何度も何通も送り続けられていた密会を求める手紙が形だけでも功を奏しての事か、ロイド様は喜ばしげに、まるでナナシの存在を歓迎しているかのように、そう仰いました。
けれども、その言葉尻に「しかし」と続くように、きっとロイド様の思惑通りの形とは成らなかったようですが。 なにせ、不服そうな雰囲気を多分に含んだ「しかし」の言い方だったのですから。
そして、それはきっと今日のナナシの共をしてくれている方に向けた、悪感情でしょう。

「僕は彼女だけを誘った筈だが。 この会談の場に無骨な騎士の存在なんて場違いだとは思わないのかな、グラウブ卿?」

「聖女様の護衛をレイド殿下より拝命致しております故、平にご容赦頂ければと存じます」

「相変わらず、融通の利かない男だなぁ。 そんな石頭では君の婚約者はさぞ苦労するだろうに」

「ご心配には及びません。 婚約者とは、今も良好な関係にございますので」

刺々しく指摘するロイド様に、ナナシの背後に控えるグラウブ様は淡々と返答なさいます。 
そしてロイド様も、その意にも介さずと言ったその様子に、それ以上を言い返す事はありません。
けれども、両者共に相手に向ける敵意をまるで隠そうともしないので場の空気は一気に重苦しく、そして澱みきって息苦しくなりそうな程に居心地の悪いものへと変わっていきました。 
もっとも、そこは互いに敵対派閥の人間同士。 争うのは、もう理屈としては理解しているので仕方がないと割り切れるのですけれど……せめて、お話をするのならばもっと良い空気感、良い雰囲気の中で話したかったです……。
さて、この度レイド様がナナシに付けて下さった騎士ランド・グラウブ様は、以前『最果て』まで河に流されてやってきた、あのグラウブ様に相違ありませんでした。 
なんともまさかの再会で、ナナシも初めは仰天したものです。
そして再会してそう長い時間は経っていませんが、それでもグラウブ様は『最果て』での事にお礼を言ってくれたり、ロイド様との会談の場までにもナナシが転ばないよう迷わないようにしっかりと介助して下さったりと、短時間の付き合いの中での事ではありますが、とても気さくなお方だという事はとてもよく伝わってきました。
……でも、そんな方でも、やはり敵対関係にある相手に対しては争うのです。
だって、今も淡々としていらっしゃるようでいて、ロイド様に向けている感情は先日のレイド様のそれと類似した雰囲気を醸し出しているのですから。 故に、やはりこの2人も敵対しあう人同士で、グラウブ様もまた人と争う人であられる。
結局のところ、この国の人々を見境無く誰も彼もがとは言いませんが、それでもこの国の人達は争う事を是としていて、そこに何の疑問も持ってはいないのでしょう。 
それでも、ナナシが呼ばれて出向いただけの事でさえ争いの要因になりかねないなんて、やっぱりそれはおかしな事……だと、ナナシは思いますけれど。
だって、少し考えれば今の内輪揉めに意味も利も無い事なんて誰にだって分かりそうなものですから。
でも、現実にはそうではありません。
だから、ナナシはロイド様の争う理由を聞きに来たのです。 そして、あわよくばレイド様との仲を取り持って仲直りさせるためにも。
そのためには先ず、ロイド様と話さなければ。
なのでナナシは、今だ剣呑な雰囲気を醸し出す2人の間の空気を裂くために「グラウブ様」と名を呼びます。

「今は、ナナシがお話します。 ですからどうか、心をお鎮めください」

「……失礼しました、聖女様」

「もう、ナナシと呼んでくださいと言っているではありませんか」

「い、いえ。 それは……」

名前呼びを要求すれば、グラウブ様は先の様子とは打って変わって、困ったようにしどろもどろと言葉を詰まらせます。
その反応はナナシとしては不服ですが、グラウブ様はすっかり大人しくなったので今のこの場では良しとしましょう。 
……しかし、お城の人はみんな本当に、ナナシを名前で呼ぶ事にいったい何の抵抗があるというのでしょうか。 
レイド様は呼んでくださるのに、今のグラウブ様や身の回りのお世話をしてくださるメイドさん達はどうしてそうも嫌がるのでしょう。 身分がどうのと皆様は申されますが、そもそもナナシは余所者で、この国での身分など皆無な筈なのですけれど……。

「まさか、あの堅物がこうも形無しになるとはね。 ああそうだ、ところでどうでしょう聖女様、僕も貴女をナナシと呼んでもいいですか? 僕の事も、ロイドで構わないので」

「それはもちろん構いませんよ、ロイド様! ……は。 んんっ、ところでお聞きしたいのですが、ロイド様はなぜナナシをお呼びになられたのでしょうか。 何かナナシにお話でも?」

話の流れで、少し名前呼びの件でしょぼんとしたり、ロイド様はどうやら気さくに「ナナシ」と呼ぶ事に抵抗はまるで無いらしいようで嬉しみを覚えたりしてしまいましたけれど、しかし、それはそれ。
本来の目的を瞬時に思い出し、和もうとする頭を切り替えて本題に移ります。 
ナナシは頭が良くないですし、この国での当たり前や習慣についても無知なのでまだるっこしい事は抜きにして、お話は単刀直入に。
レイド様曰く、ロイド様がナナシを呼んでいるのはナナシの事を自身の派閥に取り込みたいからだという事だったのですが、実際にはどうなのでしょう。 言葉巧みにナナシを言いくるめて、ナナシを騙したり利用しようとしたりするのでしょうか。
そのように、何を言われるのかと身構えて、ロイド様の返答を待ちます。
けれど、いざ返ってきたのは予想外の言葉。
なんとも拍子抜けするくらい軽い口調で「別に何も?」とロイド様は仰られたのです。

「えっと……それは、どういう」

「僕はね、ナナシに話があるんじゃなくて、ナナシと話がしたかったから呼んだんですよ。 もしも僕から話があるとすれば、先ずは貴女がどんな人物かを見極めてからだと考えているものでしてね」

「……それは。 ナナシの事を信用していただけていない、という事でしょうか?」

「いえ、別にそんな事はありません。 兄上が気に入ったというのなら、きっとナナシは『良い人』なのだろう、とは思っていますよ。 それに何より、シンルの民を『泥』から守ってくれているという実績もあるわけですし」

ならば、先の話は何だったというのでしょう。 
ロイド様は、いったいナナシの何を見極めようとしているというのでしょうか。
そんな疑問に首を傾げれば、ロイド様は「素直な人ですね、ナナシは」と可笑しそうに笑って仰います。 その揶揄うような調子だけは、なんともレイド様にそっくりでした。
今のところ話してみた感覚では、少し経路は違うけれど、ロイド様の根っこはどうにもレイド様と同じようには感じます。
……でも、ナナシに対して本心なんて、これっぽっちだって晒してなどいらっしゃらない。
そこだけは、はっきりとレイド様とロイド様は違います。
レイド様から事前に聞いていた『悪人』の人物像に合致しない印象、自身の内面を悟らせない徹底した話術、けれどその中で時折見せる子供じみた言動。 
全てがちぐはぐで、掴み所の無いお方です。

「聞いた話によれば、ナナシの助力のおかげで既に何度も『泥』による被害を免れたとか。 ですが……その様子はまるで、ナナシを生贄にでも捧げているかの様だそうではないですか。 兄上も酷い方だ。 こんなにも華奢な少女を忌々しく恐ろしい『泥』の前に立たせ、あまつさえ生贄に、だなんて。 ナナシも、そんな扱いをされるのは嫌でしょうに」

しかし、如何にちぐはぐであっても、それはナナシがロイド様の本心や思考、思惑を測れないというだけの話。
自身を測らせず、内面を悟らせず。 
けれども、攻めの手は一切緩めない。
辛い事、苦しい事、そして不満は、相手に寄り添いながら絡め取るには打ってつけの要素の一つであるのです。 だって、それはその人の弱い部分なのですから。
そうすれば、後はずぶずぶと引き込むだけの事なのですから。
今のロイド様の言葉は、そうした甘言の類の前触れなのだとナナシは直感しました。

「でも、それしか対抗手段がないのですから仕方がありませんでしょう。 大丈夫です! 少し恐くはありますが、お世話になっているレイド様やお城の皆さんに恩を返すため、頑張りますとも!」

そして分かっている以上、ナナシも負けてはいられません。
言われっぱなしでは、この場に赴きロイド様と会談している意味がありませんから。 
なので、反論を出来るところはしっかりはっきり相手に伝わるようにして、感情を込めて言葉にするのです。 そうすれば、間違いなく想いは伝わるのですから。
貴方の手には乗りません。
だからきちんとお話をしましょう、と。
そして事実、ロイド様にナナシの想いは伝わったようです。 
もっとも、ナナシの言葉を受けてなぜかまたも「くくく」と小さく笑い始めたので、ナナシの言葉をどんな風に捉えていらっしゃるのかはまるで想像出来ませんが。

「……そうですか。 いやぁ、本当にナナシは素直な人ですね。 本当に素直で純真で、そして比較的、兄上側の人間だ。 だったら、ナナシは兄上の元に居るべきです。 きっと僕とは兄上同様に相容れないでしょうからね」

そしてあっけらかんと、ロイド様はそのように言い放ったのです。
それにはナナシも、口をあんぐりとして驚きを隠せません。 だって、あんまりにも話の流れがあっさりとし過ぎているのですから。
なので思わず、戸惑いを隠せないままナナシは疑問を口にしました。

「え……? ロイド様は、ナナシをご自身の派閥に引き入れるために呼び出したのではないのですか? まさか、そんなに簡単に諦められるとは……」

「誰がそんな事を……と、聞くまでもないですね。 ナナシにそんな入れ知恵するのなんて、兄上くらいのものでしょうし。 まったく、信用ないなぁ。 ま、当然ですけど」

そうしてロイド様は、カラカラと笑う。
感情の篭らない笑い声はなんとも空虚な響きをもって。
こればかりはきっと、ロイド様の本心の写しなのだと感じさせるような寂寥感に満ちたものとなって。
もっとも、それもすぐに止んで「失礼」とロイド様は元の風に戻られましたが。

「まあ、要するにナナシに僕が話す事は無くなったという事です。 なので、さっきまでの話はどうかお忘れになってください。 その代わりと言ってはなんですが、ナナシの聞きたい事には可能な限り答えますから」

さ、どうぞ。
そんな感じにロイド様は気軽にあっさりと、そう仰られたのでした。
そうして、話は振り出しに。
相も変わらず掴めないこの御人に振り回されている感覚が否めないままに、当初の目的を果たすための会談は仕切り直されるのでした。
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