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最果ての少女
しあわせなナナシ
しおりを挟む陽の光の温もりが差し込むと、朝を感じてナナシは目を覚ましました。
すると、隣から吐息の音が聞こえます。
ひょっとしてと思って手を伸ばせば、吐息の音源にふにっと触れる事が出来ました。
そして、その感触をナナシは知っています。
「まあ、妖精さんね! 起きて、起きて。 もう朝よ」
「ん………んん、ねかせてくれよ」
体を揺すって声を掛ければ、妖精さんは眠たそうにそう答えました。 そして布の擦れる音が聞こえてから少しくぐもったような声になったので、布団を深く被り直したのでしょう。
お寝坊さんな妖精さん。 でも、きっと昨日はナナシが眠った夜遅くに屋敷へ来てお仕事で疲れていたから、そのまま眠ってしまったのかもしれません。
だから、寝かせておいてあげましょう。
さて、妖精さんはまだ寝ていてもいいけれど、ナナシはそうはいきません。
今日も、屋敷のお務めに励まなくては。
そう意気込んで、寝る時はいつも枕元に置いている杖を探します。
けれど、杖はいつもの場所にはありません。
「杖、杖、杖……あいたっ!」
だから枕元をまさぐって、どこにも無いから探していると、ベッドから落ちて顔を強打して、濃い鉄の匂いと一緒に生暖かい液体が鼻から滴ってきました。
「ふぁぁ……。 何さ、朝っぱらから騒がしいなぁ、って、ちょっと大丈夫かい!? 鼻血が出てるよ!」
ちょっと騒がし過ぎたのか、よく眠っていたお寝坊な妖精さんも目を覚ましてしまいました。
疲れていたのでしょうに、悪い事をしました。
「おはよう、妖精さん。 騒がしくして起こしてしまってごめんなさい。 あと、今日はとても暖かな日差しね」
「いやいやいや、それより鼻血がだね……あーもう! ほら、顔」
むにゅっと顔を掴まれると、妖精さんは鼻から口元まで優しく拭ってくれました。
鼻筋を摘んで下の方を向いているように言われたのでその通りにしていると、抱き抱えられてドタバタと洗面所まで連れていかれました。
妖精さんは水で濡らしたタオルで私の顔を拭いて、やがて血が止まるとため息を吐きました。
「まったく、ナナシはそそっかしい子だな。 ベッドから降りる時は気を付けないと駄目じゃないか」
「ごめんなさい。 でも、いつもなら枕元の杖を使ってゆっくり降りるのに、なのに今朝は杖が無くなってて。 きっと、どこかに置き忘れてしまったのね」
「……あー、そうか杖か。 ごめん、うっかりしてた」
「……? なんで妖精さんが謝るの? ナナシのうっかりという事じゃないのかしら」
どういう事かと聞いてみれば、昨夜のナナシは廊下の隅で倒れていたらしくて、妖精さんがそこから1番近い客室に運んでくれたという事でした。
きっと、お客様をお迎えして、その後疲れて廊下で寝落ちしてしまったのね。
身に付けていた衣服の感触も違うから、多分、妖精さんがちゃんと寝巻きに着替えさせてもくれたのだわ。
「ありがとう、妖精さん。 おかげで風邪を引かずに済んだわ」
「ああ………ナナシ。 君、昨日は何があったのか覚えているかい?」
「昨日? 庭園の手入れをしてー、お客さまをお迎えしてー……んー? あとは覚えていないわ。 きっと、疲れて廊下で寝落ちしてしまったのね」
「そっかぁ……。 次からは気を付けなよ。 疲れたら、廊下で寝落ちするくらいヘトヘトにならないようにしっかりと休むようにしなよ。 いいね?」
「ええ、分かったわ」
心配性で過保護な妖精さんは、私のためにお説教した後は、ずっと付きっきりでいてくれました。
杖を取りにナナシの寝室まで行く時には腕を貸してくれたし、寝巻きから着替える前に「廊下に転がってたんだから体中埃まみれだろう」と朝からお風呂まで用意してくれました。
体を清めたお風呂上がりには妖精さんの不思議な力で髪を乾かしてくれて、櫛で梳いてくれました。
「さて。 一昨日のナナシは、屋敷の中の手入れをした。 昨日のナナシは、庭園の手入れと掃除をした。 それじゃあ、今日のナナシは何をするのかな?」
後ろでナナシの髪を梳く妖精さんが、そうナナシに聞きます。
「今日は、そうね……。 掃除は大体終わってるし、庭園も軽く落ち葉を掃いたらおしまいだし、洗濯物も洗って干すだけだし。 久し振りに、ナナシの寝室の掃除かしら」
「いや、それは大丈夫さ。 さっき杖を取りに行った時に見たけれど、床はおろか窓の桟にだって埃の一つも無いくらい綺麗だったからね。 掃除なんて必要ないさ。 布団もシーツも、洗い立てみたいにフカフカだとも」
「そう……だったの? なら、いっか」
普段から屋敷の手入れには特に力を入れているけれど、ナナシの寝室だけは別で、最後に掃除したのはだいぶ前だった気がするのだけど……でも、妖精さんがそう言ってるのなら、まだ大丈夫かしら。
目の無いナナシより、目の見える妖精さんの話の方が確かだものね。
だったら、さっき言った雑事と、後は……
「お客様が来たら、お相手をするくらいかしらね」
「じゃあ、お客様が来なければ、雑事を終えたナナシは暇になるんだね。 ようし、それなら善は急げだ。 さっさと雑事を終わらせてしまおうか。 今日は僕も手伝うよ」
「でも、悪いわ。 ナナシのお仕事だし、お客様だっていついらっしゃるか」
「大丈夫だとも! 今日はナナシとアフタヌーンティーをキメたい気分なのサ。 だから来るかも分からないお客様なんかより、僕の事を気にしてくれる方が嬉しいなぁ。 それに、前にナナシが聞きたがってた外の世界の話だってしてあげようじゃないか」
「まあ、それは素敵だわ! ええ、ええ! 妖精さんの言う通り、善は急げね!」
それからは、髪を梳き終えた妖精さんに連れられて、2人で一緒に残った雑事を終わらせました。
早くに終わって、妖精さんが言うには太陽が真上に登ったくらいには全部が完了したらしい。
綺麗にした庭園に、妖精さんがどこからかテーブルと椅子を持ってきて、これまたどこからかティーセットをテーブルに並べました。
「お茶会なんて久し振り。 この紅茶も、いい匂いだわ」
「喜んでもらえたようで、用意した甲斐があるというものだよ。 さて、それじゃあ約束だったね。 まずは何処から話そうか」
そうして妖精さんが話してくれるのは、絶対に私が行けない屋敷の外の世界の事。
ねだれば詳しく話してくれて、立ち寄った町の様子や人々の営み、プレゼントしてくれた指輪を売っていたお店や、たくさんの人々が行き交う大通り。 そんな、私が忘れた世界の話。
たくさん聞いて、たくさん話してもらって、お昼の穏やかな語らいの時間はすぐに過ぎていきました。
あと、この日、お客様は1人もおいでになりませんでした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「素敵な1日だったわ。 このまま眠ってしまうのがもったいないくらい」
「そうかい、それなら僕としては喜ばしい限りさ。 でも、もう夜遅いから、早く寝な。 明日も仕事はあるんだろう?」
「ふふっ、そうね………ふあぁ。 おやすみなさい、妖精さん」
「ん、おやすみ。 ナナシ、どうか良い夢を」
平穏な1日。
大好きな妖精さんとの、なんでもない幸せなその日を終えて、ナナシは眠りに着いた。
ナナシの眠りを見届けて、妖精さんは繋いだ手を離した。 そして彼女の頭を一撫ですると、音を立てぬようにナナシの寝室を去る。
「……ま、たまにはこんな日があったっていいだろうさ」
そんな、なんでもない幸せな1日の最後だった。
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