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時間と記憶(エッセイ)

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    産まれて約18年が過ぎた。過ぎ去ったと言う方が正しいかもしれない。至極当然だが1度過ぎた時間は戻ってこない。学校での楽しい出来事や友達と遊びに行ったことなど、思い出としては残っている。しかし、その時見た景色や匂い、すれ違った人達の顔などを憶えていることは少ない。大して重要ではなさそうなことに感じるかもしれないが、大切な思い出を作り上げた1日の一部に変わりは無い。
    このように考えたのは、共通テストで3年ぶりに友人達に再会したことがきっかけだ。皆、顔つきや体つき、性格まで変わっていた。高校三年間丸ごと顔を合わさなかったのだ、当然である。あの当時一緒に遊んだ友人の姿ではない。少年から青年に変わっていた。一般的に考えると、時が経ち成長することは喜ばしいことなのかもしれないが、私はとても寂しさを感じた。話をしながら、ふと彼らがあの頃のような笑顔を見せてくれたが、あの頃のようなあどけなさは見る影もなく、私の目の前には「大人」の笑顔があった。寂しさを感じていたのは向こうも同じだったようで、友人の中の1人が「お前もめっちゃ変わったな~。もう一緒に走り回って遊ぶこともないやろうな~。」と口走った。彼の力の抜けた様な、懐かしむ様な息遣いから寂しさを感じ取ることができた。きっと、その言葉は小学生の頃、熱中していた「鬼ごっこ」を指しているのだろう。私も変わってしまったらしい。この出来事をきっかけに小学生時代を思い出してみたところ、楽しかったということと、特別な行事が会った時のことしか思い出せなかったのだ。あれだけ走り回ったおにぎり山(小学校にあった砂山)の形や大きさ、教室の中、体育館、存在は憶えているのに雰囲気しか思い出せない。とても悲しい、でも戻れない。きっと高校時代も思い出の一部として「なんとなく」記憶に残っていくのだろう。しかし、よく思い出せないからこそ思い出になるのかもしれない。時間と記憶の儚さに心打たれる日々である。
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