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知性の神殿

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 ――会議は躍る、されど進まず。
 ウィーン会議を皮肉った言葉だが、踊るだけマシだな、と潤はこっそり天を仰いだ。
 
「言い訳があるなら聞こうか」
 
 会議は地獄の様相を呈していた。秀斗の機嫌が最悪だったからだ。
 会議室には6人の男女がいた。上座に秀斗が、秀斗から見て右手には3人の男女が、左手には潤が長方形の机に向かって座っている。雅峯は秀斗の後ろに控えていた。
 秀斗に1番近い席に座っている若い男が気まずそうに視線を泳がせる。秀斗は男を無表情で見つめながら、彼のプロフィールを思い返していた。
 ――35歳、Dom、今回の企画のリーダー。日夜苛烈な出世争いが繰り広げられている九条グループの中では順調にキャリアを積んでいる方だ。今回もその手腕を見込んで企画のリーダーを任せたのだが、期待しすぎていたらしい。秀斗がつまらなそうに鼻を鳴らすと、男はおずおずと口を開いた。
 
「言い訳というか、その……」
「へえ?」
 
 秀斗の冷たい声に男は素早く口を噤んだ。判断が早くて結構。秀斗は左手の1番奥、会議が始まってからずっと小さくなっている女に目を向けた。小柄で、長い髪を緩く巻いた可憐な女性である。
 秀斗は女に顔を向けると、意識して優しい顔を作り、穏やかな調子で問いかけた。
 
「君も、そんなとこで小さくなってないで何か言ったらどう?」
「えっ……」
 
 女が驚いたように顔を上げる。秀斗は彼女の瞳を真っ直ぐ見つめながら、左手に座る2人の男を指差した。
 
「君が従うべきはそこに座っている海馬が機能していないようなボンクラ共じゃない」
  
 会議室の空気が張り詰める。秀斗の右手に座る2人の男が原因だった。だが、秀斗は構わず続けた。

「――僕だ」


 九条グループでSubが昇進することは滅多にない。上にいくほどハイランクのDomで構成されている九条グループは、普通のSubでは萎縮してしまうからだ。Subの中でもハイランクのDomの支配を跳ね除けることができるハイランクのSubか、そもそもSubとしての欲求が極端に薄いSubぐらいしか役職に付くことが難しいのである。加えてそのSubの存在によりDom同士の争いが起こることも珍しくなく、九条グループの中でSubは長らく排斥されていた。
 変えたのは秀斗だ。現在、九条グループはSubの積極的な登用と昇進を進めている。その方が秀斗にとって都合が良かった・・・・・・・からだ。
 秀斗は女を見ながら優しく微笑んだ。眉を下げ、目を伏せながら微笑む秀斗はさながら慈愛に満ちた天使のようだった。右手に座る三人の男女は息を飲み、潤は呆れたように瞳をぐるんと回した。「まあた誑し込んでら」と小さく呟いた潤の脛をこっそり蹴り上げる。

「イ゙ッ……!」
「いいかい。ここでは、少なくとも僕の前では性別に囚われることはないよ。重要なのは性別ではなく能力でなんだから。君だって、そう思うでしょう?」
「……!」

 女が目を見開く。女はSubだった。秀斗は、彼女をSubらしいSubだと思った。華奢で、控えめに微笑んで周囲の空気を上手に読むような、どこにでもいる凡庸なSub。
 女は目を見開き、拳をぎゅっと握った。こくこくと何度も頷く彼女の瞳はキラキラと輝いている。
 ――堕ちたな。秀斗は表情を隠すように口元を手で覆いながら唇の端を歪めた。
 性別に囚われることはない――本心だ。DomもSubも等しく圧倒的支配者の前では無様に傅くしかないのだから。そしてこの場合の圧倒的支配者とは、秀斗のことである。
 秀斗は目を細め右手に座るリーダーの男を見た。「ねえ」と秀斗が口を開く。男は唖然とした顔で秀斗と女を交互に見ている。無様だな。実に気分が良い。
 秀斗は見せつけるように足を組みかえた。

「見ての通りそこの彼女のご主人様はお前たちではなくこの僕だと理解できたと思うけど、お前たちだってそうだよね?」
「は……」

 男が目を見開く。まさか、と音もなく唇が動いた。

「性別なんか関係ない。僕の前では僕が絶対だ。お前は誰のもので、誰に従うの? 言ってごらん、認めれば今回の不手際は見逃してやる」
「………………」

 長い沈黙の末、男がゆっくりと口を動かした。

「九条……さん、です」

 もう少しだ。秀斗は獲物を狩ろうとする猫のようにいやらしく目を細めた。

「いけないな、“九条さん”だけじゃあ分からない。この会社に九条が何人居ると思ってる?」

 男の顔が苦しそうに歪む。秀斗は構わず笑顔と共に「言え」と無言の圧をかけた。

「く、九条……秀斗さんです」
「よろしい。次の会議までには僕のために馬車馬の如く働くんだよ」

 男は敗者のように項垂れた。さて、ここまで躾ておけば次回まではちょっとはマシな成果を出してくるはずだ。秀斗は何も言わずに席を立った。雅峯が当然のようにその後ろに続く。残された潤は、今しがた秀斗によってバッキバキにプライドをへし折られ再起不能になりかけているDomのフォローをしようか考え、すぐにやめた。面倒だったからだ。
 少し先を歩いていた秀斗に追いつき横に並んだ潤が言った。

「しかしまあいつ見ても鮮やかなお手並みで」

 秀斗はチラリと横目で潤を見ると、「当たり前だ」と切り捨てた。

「僕を誰だと思ってる?」
「蛮族」
「潤」
「それよりさあ、やりすぎじゃない? あのリーダーの男しばらく使い物になんないよ」

 潤の言葉に、秀斗は「そうだろうな」と頷いた。潤が「うわ……」と頬を引き攣らせる。

「そもそも仕事そっちのけでSubを取り合ってる方が悪いだろ。やろうと思えば僕の靴を舐めさせることもできたんだ。むしろ手加減してやったことに感謝して欲しいくらいだけどね」

 Subである秀斗がDomを支配しようとする場合、最も簡単な方法がその場に居るSubを支配下に置くことだ。
 Subは1人のDomに従うのに対し、Domは複数のSubを従わせることができる。そのため、Sub同士の上下関係は存在しない一方でDom同士は上下関係が存在するのである。支配者は一人しかいないから支配者なのだ。
 そして、Dom同士の優劣を決めるのに重要になるのがSubの存在であった。より多くの、よりハイランクのSubを従えることがDomの地位を決めるのだ。
 そしてこれが秀斗がSubの登用と昇進を積極的に進めている理由である。
 秀斗はSubの権利だとかそんなものは少しも考えちゃいなかった。なんなら心底どうでもいいとすら思っている。
 秀斗の本音を知っている潤がやれやれと肩をすくめる。
 
「まああの2人はこの際どうでもいいけどさあ。あのSubの子、秀斗クンのこと知っちゃったせいでしばらく普通のDomとじゃプレイできないと思うんだけど、そこら辺は大丈夫そ?」

 秀斗はついさっき利用したばかりのSubの顔を思い出すように緩慢な仕草で首を傾げた。

「……あのそこそこのDom2人に迫られても落ちなかった女なんだから元々普通のDomなんかじゃプレイできない程度にはハイランクのSubなんだろう。よって僕は悪くない。悪いのは僕より弱いDom。気になるなら潤がケアしてやればいい」
「オレ、仕事とプライベートは分けたい派なんだよね。雅峯サンは?」
「五十嵐くん」

 と、今まで静かに秀斗と潤の会話を聞いていた雅峯が潤に向かってにこりと笑いかけた。ギャッと潤が短い悲鳴をあげた。不思議に思った秀斗が雅峯の方に視線をやると、なるほど、まったく目が笑っていない。潤はすぐさま白旗を上げた。ハンズアップの姿勢で「黙ります」と一言。雅峯は「よろしい」というように鷹揚に頷いた。

「私は秀斗さん以外のSubには興味がありませんので」
「さいですか……」

 潤がげんなりと肩を落とす。その様子を見ながら、秀斗は当然だろうと胸を張った。
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