異世界転移して出会っためちゃくちゃ好きな男が全く手を出してこない

春野ひより

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時価マイナス2000万

4-7

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 スタッフに必要事項を伝達し、簡単な打ち合わせをしていたら屋敷に帰る頃にはすっかり日が沈んでいた。
 普段は劇場近くの宿を取っているのだが、今日ばかりは危ないからとハトリの猛烈な反対にあい、アオイはジスランと共に屋敷に戻ってきたのだった。オンとオフの切り替えを自宅に帰ることで行なっているので正直帰りたくなかったのだが今回ばかりはしょうがない。
 元々ジスランの部屋ではあるが半年も使っていれば馴染んでいく。寝室はアオイが最も落ち着ける場所だった。 
 簡単な夕食を済ませたアオイは足取り軽くドアを開け、いつものようにソファにダイブした。既にジスランが座っていたがお構いなしだ。ジスランも慣れたように無言でアオイのスペースを開け、クッションを手渡した。

「色々あったけど今日も楽しかった! ね、ジスランはどうだった?」
「ええ、今日も素晴らしかったです。ペンライト? を振るのも楽しかったです。実は最初は少し恥ずかしかったんですけど」
「ふふん、でしょ? 一緒にライブを作ってるって感じするもんね」
「はい。あれ、何本まで持っていいんですか?」
「1本か2本。それ以上は要相談」

 真顔で伝えると、ジスランは「冗談ですよ」とくすくすと肩を揺らした。

「それにしてもどこから漏れたんだろうね?」

 クッションをもみくちゃにしながら首を傾げると、ジスランは「そうですね」とどこか上の空で相槌をうった。

「ジスラン僕の話聞いてる?」

 心がこもってない!とめんどくさい彼女のような絡み方をするアオイに、ジスランは微笑を浮かべたかと思うと、ふっと視線を宙にさ迷わせた。いつになくぼんやりしているジスランを見て、アオイは眉を寄せた。

「ジスラン?」

 ジスランはおもむろにアオイの名前を呼んで、両手を広げた。

「……なに?」
「おいで」
「えっ」

 アオイは目を見開いた。人の目がないところで、ジスランは基本的にアオイに一切触れようとしない。そのことを承知しているアオイは、敢えて人目がある場所にジスランを連れて行ったりしていたのだがそれは今関係ない話だ。アオイは目を見開いたままジスランの顔を凝視した。ジスランは揶揄いもなにも含んでいない、真剣な顔をしている。
 固まったままでいると、ジスランに抱き締められた。

(――エッ?!)

 ドッと心臓が大きな音を立てる。全身の血管が脈打ち、アオイははくはくと口を動かした。声にならない声が吐息として吐き出される。いつの間にか、アオイはジスランの膝の上に乗っていた。男はゆっくりと、まるであやすようにアオイの背中を撫でている。

「今、私は何も見ていませんよ」

 ジスランの穏やかな声。

「……え?」
「今は、笑わなくていい」

 アオイは目を見開いた。

「な、に、それ……」

 まさか慰められてる? 瞬間、怒りにも似た衝動が腹の中から湧き上がる。思わず身を捩ると、それ以上の力で抱きしめられた。アオイは腰に回ったジスランの腕を引っ掻いた。それでも男はびくともしない。

「何してるんだよ、こんなの、なんで……!」

 涙声だった。アオイは小さく「クソ」と毒づくと、もう一度身を捩った。拘束は緩まない。

「おれ、こんなことされたって泣けないし……それに、嬉しくも、ない」

 嘘だ。本当の気持ちなんてもう分からない。ただ、ジスランに同情されたと思うと耐えられなかった。
 可哀想で、慰めたいと思われるような、庇護されるだけの人間になんかなりたくない。慰めて欲しいならそういう演技をする。一方的に与えられるなんて真平だ。低い声で「やめろ」と言っても、ジスランは何も言わなかった。抱きしめられているから、どんな顔をしているかも分からない。

「別に泣かなくてもいいんです。泣く必要もない」

 と、ジスラン。どうにか隙を見て逃げ出せないかと様子を伺っていたアオイは、その言葉に動きを止めた。

「アオイにとって、感情を表に出すことがどういうことなのかくらい分かっているつもりです」

 ジスランの声は穏やかだった。まるで全てを見透かしているような、そんな優しい声をしている。

「泣くにせよ笑うにせよ、表に出した時点で価値がつく。価値をつけているのは私であり君だ」

 わかりますよ、とジスラン。アオイは抵抗するのをやめ、その声に耳を澄ませていた。

「見せたくないものは見せなくていい。見たいとも思いません。これからもアオイが見せたいアオイを私に見せて欲しい。私はアオイが作るアオイが好きです。でもね、無理なら無理だと言っていいんですよ」
「なんだよ、それ……」
「私が君の顔を隠してあげます。私は君より大きいから、きっと誰にも気づかれませんよ」

 もちろん私にも、とジスラン。アオイは脱力すると、力なく笑った。 

「何それ、むちゃくちゃだ」
「そうでしょうか」

 と、ジスラン。本気で言っているのだ。アオイはくすくすと肩を揺らすと、ぎゅっとジスランに抱きついた。

「それなら、今夜はずっとこうしていて」
「ええ、もちろん」
「そしたら、僕は明日からも頑張れるから」

 そのとき、ジスランの胸元が濡れたが、彼は何も言わなかった。
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