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時価2000万
3-14
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「ジス、ラン……」
口の中がカラカラに乾いている。
咄嗟に逃げられる場所はないか周囲に視線を走らせたが、そんな場所あるはずがない。
アオイは張り付けたような笑みを浮かべ「ちょっとね」と早口で言った。
「ジスランこそ、早いね」
帰りは夜じゃなかったっけ、とアオイがつぶやくと、ジスランは唇の端を僅かに痙攣させた。
「……ええ、まあ。夜になると言っておかないといつまでもアオイは私を待ちそうだったので。でも……その、あまり歓迎されてないようですね?」
ジスランはそう言って寂しそうに微笑んだ。ああしまった、言葉を間違えた。罪悪感がアオイを襲う。アオイは青ざめた顔で助けを求めるようにハトリの顔を見たが、ハトリは目を瞑って存在を消している。南無三。アオイは項垂れた。
「……練習」
小さな声だった。
「え?」
「ジスラン帰ってきて欲しくなかったのはその、間違ってなくて……」
ジスランの口元がきゅっと結ばれる。アオイは顔を伏せたまま、小さな声で続けた。
「……でもそれは、見られたくなかったから」
「……練習を?」
アオイは小さく頷いた。
「ハトリさんから、明日の予定を聞いたんだ。でも僕は踊れないから、練習をしようと思って」
「それぐらいなら、私が教えたのに」
のろのろと顔を上げる。笑顔を作ったつもりだった。でも、たぶん泣きそうな顔をしてるんだろうな、とアオイは思った。
「……幻滅した?」
「まさか」
ジスランは膝をつきアオイに視線の高さを合わせた。
「アオイが……アオイが、最初からなんでもできるような子だとは思っていません。……人の子は、そういうものでしょう?」
アオイは呆然とジスランの顔を見つめた。
「……ほんとに?」
ジスランは微笑を浮かべた。
「ほんとに」
信じられなかった。ジスランは、完璧なアオイにしか興味がないと思っていた。
ジスランが右手を差し出す。
「練習、付き合いますよ」
差し出された右手を見ながら、アオイは考えた。
ミスなく踊りきる自信はまだない。「アオイ」という偶像を守りたいなら断るべきだ。でもさ、と殺しきれない恋心が囁いた。大丈夫、失敗も愛嬌だって。
何より、ジスランの手を取りたかった。
アオイは差し出された右手に左手を重ねながら、伺うようにジスランをしたから覗き込んだ。
「きっと足踏んじゃうよ?」
「構いません。それより、私がリードしていいんですか?」
「ジスラン以外に誰かが僕をリードしていいの?」
「さっき言ったことは撤回します。アオイをリードするのは私しかいません」
アオイは満足気に息を吐いた。ジスランが時折見せるこの独占欲のようなもの好きだ。彼の執着が自分にあるところを見る度に安心する。
よくないな、とアオイは思った。よくないけど、やめられないのだからどうしようもない。
「どうぞよろしく、僕の王子様」
「ふふ、神様と呼ばれたことはあっても王子様は初めてです」
「あ、そうなの? 嫌だった?」
「いいえ。ただ不思議だなと……。ワルツはハトリから習っていたのですか?」
「そう。ステップはだいたい覚えたよ」
「それなら私が教えることはそうないですね。とりあえず、1度踊ってみましょうか」
「ん」
ジスランに引っ張られて立ち上がる。
「まずは姿勢からですね」
「あ、そう。なんか立ち姿が綺麗じゃないんだ」
「力が入っているのかな。まずはホールドを張ってもらってもいいですか」
「ホールドって、あのなんか抱き合う姿勢みたいなあれ?」
「抱き合う……まあそう。重心の置き方と手の位置が重要なのはハトリから聞きました?」
「聞いた……けど」
アオイは口ごもった。すると、横に控えていたハトリが口を挟んだ。
「わたくしがリードしていましたが、その、あまり近づきすぎないようにしていたかもしれません……」
ハトリは申し訳なさそうに眉を下げた。ジスランが小さく頷く。
「ああ、なるほど……。別に、それくらいじゃ怒りませんよ」
「いえしかし……。あの、わたくし、お水を持ってきますね」
ハトリはそう言って慌ただしく姿を消してしまった。その姿を見送りながら、アオイはつぶやいた。
「行っちゃった」
「悪いことをしました」
と、ジスラン。アオイはジスランの顔を見た。
「どういうこと?」
「……竜人の話、聞きましたか?」
「ん? うん。少し」
数日前にされた話の記憶を手繰り寄せながら、アオイは頷いた。
「何だっけ、竜人は執着が強いとかどうとか」
アオイの言葉に、ジスランは頷いた。
「そう。執着の対象を誰にも……肉親にさえ見せないようにするのは竜人の性です」
「ふうん」
精一杯興味がないように装いながら、アオイは、いいな、と思った。ジスランが執着する人はいったいどんな人なんだろう。どうすれば、それに慣れるんだろう。アオイは気づかれないように拳を握った。
ジスランは「ですが」とハトリの影を追うように遠くへ視線を向けた。
「私は、そういうのが薄い性質だったんです」
「薄い?」
「執着すべき対象が分からないんですよ」
ジスランは寂しそうに微笑んだ。
口の中がカラカラに乾いている。
咄嗟に逃げられる場所はないか周囲に視線を走らせたが、そんな場所あるはずがない。
アオイは張り付けたような笑みを浮かべ「ちょっとね」と早口で言った。
「ジスランこそ、早いね」
帰りは夜じゃなかったっけ、とアオイがつぶやくと、ジスランは唇の端を僅かに痙攣させた。
「……ええ、まあ。夜になると言っておかないといつまでもアオイは私を待ちそうだったので。でも……その、あまり歓迎されてないようですね?」
ジスランはそう言って寂しそうに微笑んだ。ああしまった、言葉を間違えた。罪悪感がアオイを襲う。アオイは青ざめた顔で助けを求めるようにハトリの顔を見たが、ハトリは目を瞑って存在を消している。南無三。アオイは項垂れた。
「……練習」
小さな声だった。
「え?」
「ジスラン帰ってきて欲しくなかったのはその、間違ってなくて……」
ジスランの口元がきゅっと結ばれる。アオイは顔を伏せたまま、小さな声で続けた。
「……でもそれは、見られたくなかったから」
「……練習を?」
アオイは小さく頷いた。
「ハトリさんから、明日の予定を聞いたんだ。でも僕は踊れないから、練習をしようと思って」
「それぐらいなら、私が教えたのに」
のろのろと顔を上げる。笑顔を作ったつもりだった。でも、たぶん泣きそうな顔をしてるんだろうな、とアオイは思った。
「……幻滅した?」
「まさか」
ジスランは膝をつきアオイに視線の高さを合わせた。
「アオイが……アオイが、最初からなんでもできるような子だとは思っていません。……人の子は、そういうものでしょう?」
アオイは呆然とジスランの顔を見つめた。
「……ほんとに?」
ジスランは微笑を浮かべた。
「ほんとに」
信じられなかった。ジスランは、完璧なアオイにしか興味がないと思っていた。
ジスランが右手を差し出す。
「練習、付き合いますよ」
差し出された右手を見ながら、アオイは考えた。
ミスなく踊りきる自信はまだない。「アオイ」という偶像を守りたいなら断るべきだ。でもさ、と殺しきれない恋心が囁いた。大丈夫、失敗も愛嬌だって。
何より、ジスランの手を取りたかった。
アオイは差し出された右手に左手を重ねながら、伺うようにジスランをしたから覗き込んだ。
「きっと足踏んじゃうよ?」
「構いません。それより、私がリードしていいんですか?」
「ジスラン以外に誰かが僕をリードしていいの?」
「さっき言ったことは撤回します。アオイをリードするのは私しかいません」
アオイは満足気に息を吐いた。ジスランが時折見せるこの独占欲のようなもの好きだ。彼の執着が自分にあるところを見る度に安心する。
よくないな、とアオイは思った。よくないけど、やめられないのだからどうしようもない。
「どうぞよろしく、僕の王子様」
「ふふ、神様と呼ばれたことはあっても王子様は初めてです」
「あ、そうなの? 嫌だった?」
「いいえ。ただ不思議だなと……。ワルツはハトリから習っていたのですか?」
「そう。ステップはだいたい覚えたよ」
「それなら私が教えることはそうないですね。とりあえず、1度踊ってみましょうか」
「ん」
ジスランに引っ張られて立ち上がる。
「まずは姿勢からですね」
「あ、そう。なんか立ち姿が綺麗じゃないんだ」
「力が入っているのかな。まずはホールドを張ってもらってもいいですか」
「ホールドって、あのなんか抱き合う姿勢みたいなあれ?」
「抱き合う……まあそう。重心の置き方と手の位置が重要なのはハトリから聞きました?」
「聞いた……けど」
アオイは口ごもった。すると、横に控えていたハトリが口を挟んだ。
「わたくしがリードしていましたが、その、あまり近づきすぎないようにしていたかもしれません……」
ハトリは申し訳なさそうに眉を下げた。ジスランが小さく頷く。
「ああ、なるほど……。別に、それくらいじゃ怒りませんよ」
「いえしかし……。あの、わたくし、お水を持ってきますね」
ハトリはそう言って慌ただしく姿を消してしまった。その姿を見送りながら、アオイはつぶやいた。
「行っちゃった」
「悪いことをしました」
と、ジスラン。アオイはジスランの顔を見た。
「どういうこと?」
「……竜人の話、聞きましたか?」
「ん? うん。少し」
数日前にされた話の記憶を手繰り寄せながら、アオイは頷いた。
「何だっけ、竜人は執着が強いとかどうとか」
アオイの言葉に、ジスランは頷いた。
「そう。執着の対象を誰にも……肉親にさえ見せないようにするのは竜人の性です」
「ふうん」
精一杯興味がないように装いながら、アオイは、いいな、と思った。ジスランが執着する人はいったいどんな人なんだろう。どうすれば、それに慣れるんだろう。アオイは気づかれないように拳を握った。
ジスランは「ですが」とハトリの影を追うように遠くへ視線を向けた。
「私は、そういうのが薄い性質だったんです」
「薄い?」
「執着すべき対象が分からないんですよ」
ジスランは寂しそうに微笑んだ。
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