異世界転移して出会っためちゃくちゃ好きな男が全く手を出してこない

春野ひより

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時価1000万

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 アオイはこの部屋に来て初めて大きく目を見開いた。

「それ、は、どういう……」

 声が掠れている。常に空波蒼という仮面を被って生きているアオイが、初めて見せた素だった。

「お前さん、まだ誰とも寝ていないだろう?」

 アオイは一瞬眉間に皺を寄せると、即座に短い息を吐き再びいつもの表情を作った。

「――だから、どうしたっていうんです」

 足を組むと膝の上に手を置き、先程の動揺は幻かと思うほど自然な表情で優雅に首を傾げる。

「僕はそれでも稼げているでしょう?」

 文句があるなら言ってみろ。と、言わんばかりのデカい態度だ。並の人間ならその気迫にたじろいでしまうところだが、アオイの動揺を見ていた魔女は「そうだねえ」と余裕そうな表情を崩さない。ジリジリと背を這う焦燥に、アオイは手の甲に爪を立てた。

「確かに並の坊やよりも稼いでくるからここまで見逃してやったけど。ここは娼館だ。いい加減、他の男娼に示しがつかないのも、分かっているよねえ?」
「……」

 言葉に詰まったアオイを見て、魔女は笑みを深めた。

 娼館には様々な事情を抱えた青年がいる。半分は成り上がろうと自らここに来た者で、もう半分はアオイと同じように否応なく体を売っている者だ。体を売らずにナンバースリー座を手にしたアオイの存在は、当たり前だが在籍する青年たちの反感を買った。たぶん、ノヴァだってアオイの売り方を快くは思っていないはずだ。知っていたけど、アオイは全部分からないフリをしていた。

「これでもアタシは人を見る目はある方だ。お前さん、一度抱かれたら使い物にならなくなるだろう?」
「………………」
「だから、抱かれてきな」

 ちょっとそこまでお使い行ってきて~、と全く同じ軽い言い方にアオイは言葉を失った。魔女の話はアオイを追い詰めるように続いていく。

「何がそこまで嫌なのかは知らないが、本来のお前さんは体を売ることくらいどうってことないはずだ。そうだろう? だってお前はノヴァのような人間だ。自分を売るためならなんでもできるし、仮面を被ることに今更躊躇いもないはずだからね」

 ――魔女の言うことは正しい。

 顔が売れると知ったからアイドルになった。学歴が売れると思ったら学歴を公開した。身体が売れると分かったら脱いだし、NGはほとんどなかった。

 アオイはそうやって、自分に値段をつけて生きてきた。全ては金のためだ。

 自分でも、どうしてこんなに春を売るのが嫌なのかは分からない。でも、確かに、魔女の言うように一度抱かれてしまえばどうでもよくなるんだと思う。

「そこそこ稼いでくるとはいえノヴァの足元にも及ばないお前さんと、ちゃあんと頑張ってる坊や達なら、アタシは坊や達をとる」
「……ええ、そうでしょうね」
「けどね、戸籍もないお前さんは借金を完済したところで路頭に迷うだけだ。お前さんのような坊やはここでしか生きていけないのをアタシは知っている」

 魔女の言葉は重かった。借金を返済しきったらどうするか、という問題は敢えて考えないようにしていたことだ。魔女によって明らかにされた事実は、アオイの心に暗い影を落とした。

「借金はそのままで放り出したっていいところを、チャンスをやって、その上最後まで面倒見てやるって言っているんだから、アタシは優しいだろう?」

 アオイは虚な瞳で魔女を見た。顔を見て、気づいた。

「お前さんに2000万出すと言う男がいる」

 ――魔女は待っているのだ。アオイが全てを諦め、新しい仮面をつけることを。

「あのエトワールでさえ1000万だった。アタシはお前さんに期待してるんだよ」
「知ってます。……でも、いまさらどうして?」
「そりゃ、アレのお気に入りだからだろう」
「ああ……」

 アオイは目を伏せた。腑に落ちると同時に、ヘドロのような不快感が腹の中で渦巻く。

 力のある人間から気に入られることも売れるための一つの手段だ。テレビに取材された店の客足が伸びることと同じように、世間から見て立派な人が評価するから好きになる。当たり前だ。無名時代に散々使った手である。虎の威最高~!と言ってマネージャーをドン引きさせた前科のあるアオイは、僕自身を好きになって欲しかったのに、なんて殊勝なことは少しも思っていない。

 ただ、あの美しい男が利用されたことが許せなかった。

「そうですか。……分かりました」
「分かったんなら話は終わりだ。さっさと行きな、開店時間だ」

 魔女はそう言って煙管を扉に向けた。アオイが一礼し扉に手をかけたとき、魔女が追い打ちをかけるように一言。

「水揚げは明日だ。――逃げるなよ」

 アオイは痛いほど唇を噛み締め、目の前の扉を睨みつけ吐き捨てた。

「逃げるかよ」
 
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