異世界転移して出会っためちゃくちゃ好きな男が全く手を出してこない

春野ひより

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時価マイナス1000万

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 アオイはクロスを持った左手を胸の前に持っていくと、おもむろに右手を左手に重ねた。

「ワン、ツー、……はいっ」

 掛け声と共にパッと手を開く。次の瞬間、何もないはずのクロスから、男が贈った花が現れた。男は驚いたように目を瞠ると、アオイの手元と顔を交互に見た。
 先ほどの男と同じようにパチン、と片目を瞑ってみせると、やや間を置いて、男もアオイと同じように拍手を送った。

「……今のは、どうやって?」

 アオイの手元を凝視しながら、男が尋ねた。

「ふふん、どうやったんでしょう?」

 アオイは両手で花を持つと、そっと唇を寄せた。
 アオイの手元を追っていた男が顔を上げる。目が合うのを待って、アオイは話し始めた。

「本当は、ネタバラシしちゃったらダメなんです。タネは拍子抜けするほど簡単だし、建前はタネも仕掛けもないことになっているし……」
「……?」
「でも、僕は最初に魔法が使えないと言いました。なので、ちゃんとタネと仕掛けがあることを証明しないといけない。そうでしょう?」
「ええ……そうですね。確かにアオイに魔法を使った気配なかったですし」

 アオイは澄ました顔を作ると、上品な所作で体を正面に向けた。男とは並んで座っていたので、アオイの身体の左側面が男の眼前に晒されることになる。

「まずどうやって花を出現させたがですが……。実はここに」
「袖の中!?」

 男が驚いたように声を上げた。アオイは満面の笑みを浮かべながら「そうです」と頷いた。

「前もってここに花を隠していたんです」
「そんなまさか」
「ホント」
「だってそんな素振りは少しも……いつの間に?」
「ん~旦那様がこの部屋に入ってくる前?」
「でも、その後アオイは両手で酒を注いでくれたでしょう?」
「ほんとに両手でしたか?」
「それは……しかし普通は両手で注ぐものでしょう? アオイのような……――いえ、貴方たちは、そういった所作には特別気を配っているものです」
「そうですね。ふふ、ごめんなさい、ちょっと意地悪しちゃいました。確かに僕は両手で注いでます」
「では……」
「尚更、気づかないはずがない?」
「ええ」
「でも、僕に本当ににそうでしたか?って尋ねられたとき、旦那様は迷いませんでしたか?」

 男は難しい顔で眉間に皺を寄せると、「ええ、まあ……」と歯切れ悪く頷いた。

「大事なのはいつ袖に仕込んだか、ではありません。――いつ、どこに注意をひくか、です」

 アオイはそう言うと、男に見せるように両手を前に出した。右手にはクロス、左手には花を持っている。

「花を出現させるのは簡単です。用意するのは出現させたい花。花じゃなくても袖の中に隠せる大きさならなんでも、そう、この酒瓶でも構いません。そしてこれくらいの大きさの布。透けなければこれもなんでもいいです」
「私が持っているハンカチでもできますか?」
「もちろん。やってみせましょうか?」

 男からハンカチを受け取ると、そのまま端を持ち片手で広げる。

「ありがとうございます。ここからは簡単です。大事なのはハンカチに注目させることと、花を持っている手の方……今回は左手を絶対見ないことです」

 俗に言うミスディレクションである。アオイは言葉で、仕草で、視線で、男の視線を何度も誘導していた。

「絶対?」
「絶対。見たらバレちゃいます」

 アオイは神妙に頷いた。

「それじゃあ、ゆっくりやっていきます。まず右手を前に持ってくでしょう? そしたらおもむろに左手を重ねて……このときに、花を袖から出します。そして最後にハンカチを下ろして――はい、できた」
「……確かに簡単な仕掛けです。気づかなかったのが不思議なくらい」

 アオイはでしょ、と頷いた。

「それじゃあ、タネが分かったところでもう1回やってみます。場所を変えてもいいですか? 今度は正面から見て欲しいんです」
「もちろん」
 アオイは男に気づかれないように目を細めると、男の正面に置いてあるソファへ移動した。

「それじゃあさっきと同じように」
「左手を見てても?」
「もちろん、よぉく見ててください」

 アオイは微笑を浮かべると、先程と同じように、今度は男のハンカチを胸の前に持ってきた。おもむろに左手を重ねる。

「ワン、ツー、……はいっ」
「……?」

 男が首を捻った。アオイの手元から何も出現しなかったからだ。

「……よく見ててって、言ったのに」

 アオイはわざとらしく口をとがらせると、チラリとテーブルの上に視線をやった。つられて男も視線を落とす。

「……!」

 男は大きく目を見開いた。テーブルの上には酒瓶と、空のグラスが2つ。――その1つに、一輪の花が挿さっていた。男が贈った、アオイがマジックに使っていたその花である。

「アオイっ」

 男が大きく身を乗り出す。アオイはクスクスと肩を揺らした。

「んふふ、びっくりした?」
「それはもう、だって……アオイっ、今のはどうやって? 一体いつの間に?」
「今日のネタばらしはここまでです。知りたかったら、また僕を指名してね、旦那様」

 ハンカチを綺麗に畳みながら、アオイはパチンと片目を瞑った。
 男は忙しなく視線を動かしている。僅かに頬が紅潮している気がしたが、薄暗くてよく分からない。アオイの願望のようにも思えた。
 どうだったかな、楽しんでもらえたかな。そわそわしていると、男はおおむろに自身の袖を手繰り出した。
 不可解な男の行動にアオイは眉を寄せた。

「旦那様?」
「アオイ、手を出してください」
「え? はい」

 ハンカチをテーブルに置き、両手のひらを男に差し出す。男は目を細めると置いたハンカチをアオイのそっと手のひらに乗せ、その上にカフスを置いた。指先ひとつアオイには触れない繊細な仕草だった。

「これは……?」
「差し上げます」
「えっ」
「私の使い古しではありますが、宝石がついているので売ればきっとそれなりになるでしょう」

 アオイはまじまじと手に落とされたカフスを見た。なんの宝石だろう、赤く光るそれはとても綺麗だ。

「私に夢のような時間をくれた貴方に。今日はこんなものしかおくれませんが、次は必ず貴方に相応しい物を」

 男はそう言って、晴れやかな笑顔を浮かべた。
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