異世界転移して出会っためちゃくちゃ好きな男が全く手を出してこない

春野ひより

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時価マイナス1000万

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 翌日、アオイは“サロン”に居た。
 サロンは男娼達が集まる一面ガラス張りの美しい空間だ。鳥籠を模した造りをしており、娼館内に複数存在した。男娼達はここで指名され、別室で客と一夜を共にする。昨晩アオイがいた場所はサロンとは別の控え室だ。あそこは水揚げが済んでいない初モノがいる場所である。

 サロンには入るだけで莫大な金がかかり、その最奥ともなれば途方もない額を費やすことになる。人気の、そして高値が付けられている男娼ほど奥のサロンに配置されているからだ。

 アオイはその、最奥に居た。

「ここにいるの、許可取ったの」

 と、ノヴァ。辛うじて語尾は上がっていたが顔には「取ってないだろうな」と書いてある。真っ赤なソファの背に気だるげに垂れかかる姿はその幼い容姿とのギャップも相まってどこか背徳的な色香を放っていた。
 アオイが今いる場所は、売り上げ上位3位までのトップ層が居るサロンだ。高級男娼の中でもほんの一握りしか入れない特別な場所。アオイはそこにシレッと自分の席を作っていた。

「僕なら許されるでしょ」
「あーあー、オレ、知らないからな」
「大丈夫、ノヴァさんに迷惑はかけません」
「かけた瞬間アンタのことは見捨ててやる」

 ノヴァはふい、と顔を背けた。アオイは眉を下げ「またまた」と苦笑を浮かべた。

 夜の世界は非情だ。そしてかつていた芸能界よりずっと生々しい人の悪意に満ちている。嫉妬や羨望の眼差しには慣れていると自負していたアオイですら、最初の2週間は具合が悪くなったほどだ。
 けれど、その中でノヴァだけは違った。小柄な体格の割に態度がデカく口も悪いくせに情に厚く、突然異世界に飛ばされ途方に暮れているアオイを誰よりも気にかけて世話を焼いたのがノヴァだったのだ。おかげで甘え癖がついてしまったが、それはそれとして彼が窮地に陥るようなことは何があっても絶対にしないとアオイは心に決めていた。
 アオイは「信じてください」と訴えた。

「それに、昨日の売上だけで5番目くらいには入っているはずなので、怒られるにせよ大事にはならないと思うんです」

 ノヴァはチラリとアオイを横目で見ると、小さなため息を吐いた。

「……5番目どころかもう少しでシュテルの今月の売上に追いつきそうだってさ」

 ノヴァは「魔女が高笑いしてた」と肩を竦めた。
 シュテルは売り上げ3位の男娼の名前だ。体調不良という名目で今日は休んでいる。
 アオイは驚いたように小さく口を開けた。

「えっ、ほんとに?」

 これは「あの人いつの間にそんな大金を落としていったんだ?」の「ほんとに?」である。ノヴァは頷いた。

「ほんと」
「つまり、僕がノヴァさんの席に座る日も近い……ってこと!?」
「バカ。言っておくけどオレの売上はシュテルの3倍はあるから」
「化け物じゃん」
「黙りな」

 じろりと睨まれアオイはさっと顔を逸らし、代わりに辺りを見渡した。
 開店から数刻、サロンには複数人の男と、女がいたが、彼らは皆んな遠巻きにアオイ達を眺めているだけだった。サロンに入るだけで精一杯の者たちなのだろう。

 アオイが拾われた娼館は王侯貴族も利用する高級娼館だ。彼ら彼女らに気に入られ妾になった男娼の多くは、歌手や俳優として華々しい表舞台に立つようになる。歌手や俳優になるためには金が、パトロンが必要なので、夢を叶えるため男娼になる青少年も多い、らしい。
 そういった事情もあり、この娼館のトップ層といえば金の卵として下手な英雄より知名度が高い上に、一部ではカルト的な人気も誇っていた。 

 美しい花を一目でいいから見てみたいと望み、大金を払う客は珍しくなかった。ノヴァは「動物園じゃないのにさあ」とキレていた。アオイも概ね同意している。
 しかし、サロンに入る際に払う金、“物見料”は、その半分が男娼のものなのだ。もちろん売り上げの差も加味されるため平等に山分けというわけにはいかないが、男娼にとって大事な収入源の一つであることは間違いない。アオイがいる最奥のサロンに至っては莫大な物見料をたったの3人で分けるのだから、あの気の強いノヴァが文句を言いつつ大人しく受け入れているのも当然と言えば当然であった。

 物見料かあ、と思考を巡らせていたアオイは「もしかして」とノヴァの顔を見た。即座にノヴァの眉間に深い皺が刻まれる。

「これ、僕にも物見料入りますか?」
「は?」
「冗談でーす」

 “マジ”のトーンだった。本能が、これ以上ふざけるのはやめておけと警鐘を鳴らしたので、アオイは再び客に視線を戻した。
 今入ってきた痩身の男、僕よりもノヴァさんの顔が好き。ナシ。
 客の値踏みするような視線を受け流しながら、気づかれないようこっそり観察していく。寝ずに済む都合の良い客がいれば粉をかけておくつもりだった。
 扉のそばに立っている背の低い男、僕の不安そうな顔が好き。ナシ。
 僕とノヴァさんを交互に見ている女、僕の脚が好き。目が合うと緊張してそわそわと落ち着きがなくなる。アリ。

「で、うまくいったわけ」
「ん? ……ああ、うーん……。どうでしょう?」

 客に向けていた意識のいくらかをノヴァに向けたアオイは、横目で彼の顔を見ながら微かに首を傾げた。「まさか歌ったの?」というノヴァの言葉には大きく頷く。丁度いいと思って「ありがとうございます」と続けると、ノヴァは「本当にやったんだ」と頬を引き攣らせた。

「ノヴァさんが言ったんじゃないですか」
「言ったけどまさか本当にやるとは思わないだろ。頭おかしすぎ」
「ハー失礼すぎ。でもおかげで上手くいったのでここは水に流します」

 隅にいる男女、ボクに興味なし。というかここにいる男娼の誰にも興味なし。いったい何しに来たんだ。

「……オレも別にこの世界が特別長いわけじゃないけど、初モノを買って抱かない客なんて初めて聞いた」
「それは僕も驚きました。本当に不思議な方だったな。……だからなんとなくなんですけど、温情かなって」
「魔女の? あの、不朽の魔女の? ないない、あの守銭奴ババアにそんな人のココロみたいなのがあるわけないだろ」
「そりゃ僕もそう思いますけど」

 昨晩の美しい男を思い出しながらアオイは眉をひそめた。魔女の存在しない良心を疑ってしまうほど、男の言動は奇妙で矛盾していた。人の好意に敏感なアオイが、好かれていると確信が持てないくらい、男は掴み所がなかったのだ。

(昨日の“夜明け”で十分興味はひけたと思うけど……。なんかなあ……違うんだよなあ……)

 アオイはこめかみを揉んだ。
 正直、一晩経っても何が男の琴線に触れたのかが全く分からない。初めは自分の顔に興味を持たない変わった男だと、そればかりに意識が向いていたのだが、改めて考えてみると、きっと男は同じくらい色事にも興味がなかったのだのだ。周囲に対する驚く程の無関心さの理由は分からない。分かるのは、上手くいけばアオイにとって都合のいい客を作ることができる、ということだけだ。

「今日、来てくれないかなあ」

 男は「近いうちに」と言っていたが、それっていつだろう。アオイは無意識のうちに唇を尖らせていた。その場の雰囲気に流されて嘘をつくような人には見えなかったし、いつかは来てくれるんだろうけど。
 できるだけ早く来て欲しい、とアオイは思った。一通りサロンに来た客を観察して確信したが彼以上の客はいない。まさに理想の金蔓、間違えた、理想の客だ。
 もういっそ今日は抜け出してしまおうかな、とアオイが腰を浮かせたとき、影が差した。
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