異世界転移して出会っためちゃくちゃ好きな男が全く手を出してこない

春野ひより

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時価マイナス1000万

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 男は思案気に目を伏せた。

「ソラハアオイ……」
「旦那様?」
「いえ、何でもありません」

 顔を上げた男は、アオイに同意するように小さく頷いた。

「そうですね、確かに、貴方の言うように見たいのは歌じゃない。……歌も、もちろん素晴らしかったですけど」
「ありがとうございます。……だから、今日はおしまいです」
「残念です。アオイの歌、本当に良かったのに。本当に今夜は見せてくれないんですか?」

 アオイはつんと澄まし顔を作った。

「僕、高いんです」
「これはまいったな」
「……でも、次はもっと凄いのをお見せすると約束します」

 正直、これ以上歌うのは限界だった。まずアオイはこの国の歌を“夜明け”以外知らないのだ。どう考えても元の世界の歌を歌うのはマズイし、ここは上手いこと男を言いくるめて情報を集めたいとこだった。大事なのは今夜抱かれないこと、そして次に繋げることである。
 アオイは頬を染め、男を上目遣いで見上げた。

「それに、僕は旦那様ことが知りたいんです。……たとえば名前とか」

 好きな色とか物とか趣味とかちょっと人には言えないような性癖とか。

 男は「名前ですか」と眉を寄せた。隠されると知りたくなるのが人の性だ。アオイは身を乗り出すと「ダメですか?」と言葉を重ねた。男が唸る。迷っているようだ。もう一押しか、と考えたアオイは悪戯っぽく片目を瞑った。

「それなら、ゲームならどうですか?」

 男は不思議そうにぱちくりと目を瞬かせた。

「ゲーム?」
「そう、ゲーム。名前を当てるんです。ほら、おとぎ話でもあったでしょう?」
「おとぎ話?」
「あっ」

 しまった、とアオイは口元に手を当てた。訝しむ男にどうやって誤魔化そうかと考えて、やめた。これくらいなら正直に話しても構わないだろうと思ったのだ。アオイは照れくさそうに頬をかきながら「実は」と口を開いた。

「僕の国に伝わっているおとぎ話なんです」
「ああ、そういえばアオイはこの国の民じゃないんでしたっけ」

 男は得心がいったように頷いた。アオイも「そうなんです」と頷き返す。正しくは日本昔話ではなくイギリスかどこかの昔話だが詳しく説明する必要もあるまい。

「それで、その昔話というのが、名前を当てるお話なんです。悪魔の名前を」
「……へえ。詳しく聞いても?」
「そんなに面白い話じゃないですよ? それに、僕も詳しく覚えているわけじゃないし……」
「それは聞いてみなければ分かりませんよ。大まかなあらすじだけで構いませんから」
「それならまあ……」

 アオイはぎこちなく頷くと、記憶の糸を手繰り寄せながら話し始めた。

「ええっと、ふつうの娘がひょんなことから王さまの妃になることになりました。ただしそれには“ある条件”があったんです。その条件とは、一晩でたくさん糸を紡ぐことでした。できなかったら娘は殺されてしまいます……」

 アオイはチラリと男の様子を伺った。男はじっとアオイの話に耳を傾けている。アオイは視線を酒に入ったグラスに移し、再び話し始めた。

「困り果てた娘は突然現れた悪魔のチカラを借りて無事にピンチを乗り切ります」
「悪魔は何も要求しなかったのですか?」
「さすが旦那様。悪魔は、娘に自分の名前を当てるように要求しました」
「ああ、そこに繋がるんですね。それで、当てられなかったら?」
「娘は悪魔のものになってしまいます」
「なるほど」

 なかなか面白い話ですね、と男。アオイは口元を緩ませた。

「そのおとぎ話と今の状況が似てるなって思ったんです。……でも、やっぱり違いますね」
「そうですか?」
「そうですよ。だって名前を当てなくても――」

 ――貴方は僕のことなんか欲しがらないでしょ?

 喉元まで出かかったその言葉は、小骨のように引っかかって吐き出されることはなかった。ギシギシと軋む胸に、アオイは眉をひそめた。

「アオイ?」
「い、え……」

 不快感にも似ている違和感を振り切るように頭を振ると、アオイは話題を変えるように殊更明るい声を出した。

「何でもありません。つまらないことを提案しちゃいました。他の話をしましょう?」
「いえ、いいですね。そのゲーム」
「え?」
「そのおとぎ話、どれくらいの期間だったんですか?」
「えっ期間? ああ、えっと……確か1ヶ月くらい、だったと思います」
「なら私たちも1ヶ月にしましょう。1ヶ月以内に、私の名前を当ててみてください」

 アオイはまじまじと男の顔を見た。男は涼しい顔をしている。言うべき言葉を探して視線を彷徨わせていると、男は楽しそうに言葉を続けた。

「当てられたら……そうですね、何でも一つ、アオイのお願いを何でも聞いてあげます」

 アオイの目がギラリと光った。

「何でも?」
「ええ、何でも」
「本当の本当に、何でも?」

 連帯保証人になってくれますか?と、聞くのは寸前で堪えた。

「ただし、当てられなかったら……そうですね、その時のお楽しみということで」

 世の中そうそう上手い話は転がってないものだ。

「えっちょっ、待って、旦那様、待って!」
「大丈夫、痛いことはしませんよ」
「痛いことは?!」
「ははは、冗談です。大丈夫、アオイの不利になることはしません」

 男は軽快に笑い飛ばしているが、7桁借金に加えてトイチの利息を背負い社会の底辺の遥か底を這いずっているアオイの生殺与奪の権は目の前の男が握っていると言っても過言ではない。
 しかし、どうしようと迷ったのは一瞬で、直ぐに待てよと思い直した。

「……次も僕を指名してくれますか?」

 大事なのは今夜抱かれないこと、そして次に繋げることである。当てられなかったらその時はその時だ。
 男は挑発するように目を細め、首を傾げた。

「次はもっと凄いモノを見せてくるんでしょう?」
「それはもちろん!」

 アオイは力強く頷いた。男が嬉しそうに「楽しみにしています」と頷く。

「絶対絶対、次も来て僕を指名してくださいね」
「――ええ、約束です。私は、約束を破ることは決してしませんから」
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