初夜の翌朝失踪する受けの話

春野ひより

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初夜の翌朝隣を見たらもぬけの殻だった攻めの話

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「で、そんな大事な子を放ってどうしたんだよ。そもそもお前今新婚旅行中なはずだろ。絶対連絡すんなって言ってたよな。海外行くからって。どこだっけ、フランス?」
「ローマ」
「あ、そう。恵、ローマの休日好きだもんな。なんでここにいんの?」
「…………………」

 むっつりと押し黙る俺の顔を、咲久乃は面白そうに覗き込んだ。好奇心に光る瞳が煩わしく逃げるようにグラスに口をつける。
 咲久乃の言う通り、今日から俺たちは新婚旅行に行くはずだった。そう、はずだったのだ。
 それなのに。

「………………朝起きたらいなかった」

 ボソリと呟かれたそれは小さな声だったが、隣にいた咲久乃にはしっかり聞こえていたようで、彼は面白がる顔から一転、痛ましそうに眉を下げ口元を手で覆った。

「それは…………」

 俺はぐしゃりと頭をかき回すとずるずるとカウンターに垂れかかった。外では一切隙を見せないようにしている俺を知っている咲久乃の瞳が驚いたように見開かれる。
 咲久乃は「よしよし、辛かったな」と俺の背中に手を置いた。

「可哀想に。ここは俺が奢ってやるからな」
「1番高い酒ください」
「可愛くね~~ッ」

 もう少し慰め甲斐のある態度をなあ、と絡む咲久乃を無視して渡された酒を煽る。どんなに飲んだって呑まれない体質が今は恨めしい。

 一体何がダメだったのだろう。ずっと考えているのに、いっこうに答えは見つからない。
 やっぱり、初日に手を出したのがいけなかったのかな、と思う。
 経験のない子相手に少し事を性急に運びすぎた自覚はある。それに、俺にとってはずっと待ち侘びた日だったけど、直巳がそうとは限らない。
 そんな当たり前の事実を、すっかり忘れていた。いや、考えないようにしていたのだ。

 俺たちの間にはどう頑張っても埋められない差がいくつも横たわっている。年上の、それも圧倒的に家格の上の男から迫られたら、小鳥遊家の末っ子の何の力も持たないあの子は頷くしかないことくらい分かっていた。
 だから、この7年間、好きだとか、愛してるとか、伝えたい言葉は全て飲み込んで、代わりにたくさんの物を贈ったのだ。俺が直巳にできるのはそれぐらいしかなかったから。

 でも、結婚したら話は変わってくる。たとえ政略結婚だったとしても、結婚相手と体を重ねて、愛を囁いて何が悪い?

 別に体を重ねたところで何が変わるわけでもない。直巳が嫌がるならしなくたって構わない。それでも、「優しい年上のお兄さん」ではなく、「結婚相手」として意識してもらえる良い機会だと、そう考えて体を重ねたのだ。
 けれどそれも全部結局は俺の言い訳で、ただ俺が直巳としたかっただけなのだろう。7年の間で自分でも引くほど劣情を募らせた自覚はある。俺もただの男ということだ。
 黙りこくっている俺を見て何を察したのか、咲久乃がうんうんと頷いた。

「なるほど。で、探したけど見つからずにヤケになって俺に会いに来たわけね」
「探してない」
「は?」
「……どうして、直巳が俺の傍からいなくなったのかが分からなくて、色々考えてたらこんな時間になってた」
「いや婚約者ちゃんが嫌になっちゃう理由は結構揃ってるけどね?」
「………………」

 俺は何も言えず、唇を噛んだ。
 咲久乃の言うことは正しい。やたら家格の高い神崎家に嫁ぐってだけでもストレスだろうし、嫁いだら嫁いだで待ち構えているのはあの時代に取り残された頭にカビが生えてるような爺どもだし、何より結婚相手は8個も上の男。最悪だろ。俺だったらこんな縁談持ってこられた時点であらゆる術を使って潰すか逃げるかしている。
 咲久乃に言われなくなってそんなことは知っていた。知っていてなお、自分の気持ちを優先したのだ。あの子と家族になりたいという俺の身勝手な気持ちを。
 俺に傷つく資格はない。それなのに、いっちょ前に凹んでいる自分にも腹が立つ。
 グラスを握る手に力がこもる。重苦しい沈黙を破るように咲久乃がおどけた声で言った。

「あーごめんて、うそうそじょーだん、あのみんなに優しい恵さんが嫌われるはずないだろ、な。きっとなんか理由があったんだよ、全然見当もつかないけど」
「みんなから好かれたって直巳に嫌われたら意味が無い」
「おっも」
「は?」
「お前マジで情緒安定させろよどう接していいかわかんねえだろ。ちなみに婚約者ちゃんがいる場所の心当たりはあんの?」
「………………ない」
「ほんとか?」
「あるけど、勇気がない」

 俺は大きなため息を吐いた。

「あの、頑張り屋で、責任感が強くて優しいあの子が俺に何も言わずに姿を消したんだ。そりゃ色々考えるさ。俺はこれでもあの子に好かれてると思ってたんだぞ」

 それはきっと俺と同じ「好き」じゃないけど、俺はそれでも構わなかった。

「……小鳥遊の家はさ、俺のとこと違って仲がいいだろ」
「ああ、ね。言葉は悪いけど新興勢力の成り上がりだってのにびっくりするほど仲がいいよな。お前んとこはびっくりするほど泥沼ってるけど」
「うるさいな。それで、だからあの子も家族が好きなんだよ。当たり前だけどさ」

 カラン、と氷が音を立てる。俺はぼんやりと遠くを見ながら、いつかの記憶を手繰り寄せた。

「あの子はさ、そんな大事な家族と過ごす日に、俺も入れてくれたんだ。――家族なんだからって」

 それは普段は大事にしまっている、俺の大切な記憶のひとつだった。

 直巳の「好き」が俺と同じ「好き」じゃなくても、あの子が俺を家族だと思ってくれるのなら、俺はそれだけでよかったんだ。

「でも、好きでもない、8個も上の男と結婚するなんてやっぱり間違ってる。咲久乃だってそう思うだろ?」

 俺は唇の端を歪め、首を傾げた。咲久乃は何も答えず唇を真一文字に結んでじっと俺の話を聞いている。

「神崎家の業績はとっくに回復してるし、あの子が生贄のように差し出される理由はもうなくなってるんだ。あの子が、直巳が、俺との結婚が嫌で姿を消したんなら……俺は追いかけるべきじゃない」

 婚約者として過ごすのと、実際に籍を入れるんじゃ全然違う。俺の前から姿を消した直巳に対して、今になって、と思う気持ちがないと言えば嘘になる。でも、それもそうだ、と納得もしていた。
 そう自嘲する俺に、咲久乃は「あんま思い詰めんなよ」と気遣わしげな視線を向けた。

「業績回復させたのは婚約者ちゃんに苦労をかけないためだろ? 頑張ってたじゃんか。ガチであの業績から回復させたときは怖いしキモかったけど」
「あれは俺だけの力じゃないよ。あのときはお義兄さんの協力もあったし」
「俺は本当に一郎さんが怖い」
「本当にね。厄介だよあの人。味方なら頼もしいんだけど」
「ふうん、だから、恵は婚約者ちゃんのために追いかけられずにいるわけね」
「……あの子のためというより、自分が傷つかないためだよ」
「そっかそっか。で、本音は」
「今直巳に会ったら何するか分からない」

 たぶん俺の目は据わっていた。
 咲久乃が手を叩いて爆笑する。

「ダッハッハッそれでこそ俺の神崎恵、ヒロインを強奪する当て馬」
「俺はお前のものじゃないし次その不名誉なあだ名で俺を呼んだら秘書課にお前のアドレスばらまいてやるからな」
「やることが陰湿なんだよ」

 咲久乃が呆れた顔をした。

「は~ようやく理解したわ。あの執念深い神崎恵がなんでこんなとこで油売ってんのかと思ったらクールダウンのためね。それなら納得。たしかに今のお前、婚約者ちゃんのこと勢いあまって監禁しかねないもんな」
  
 いきなり殊勝なこと言い出すから怖かった、と咲久乃。俺はうるさいな、と顔をしかめた。

「凹んでたのはほんとだよ。さっき言ったことも本当」
「でも追いかけんだろ?」
「……まあね」

 俺は残った酒を一気に煽ると、グラスを置いて、言った。

「俺が直巳を諦められるわけないだろ」
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