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追いかけてきた攻めにつかまった受けの話

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 何か考えるその前に、ボロッ、と大粒の涙が一粒溢れた。驚いてとっさに瞬きで誤魔化そうとしたけど、俺の意思に反して涙はどんどん溢れてくる。泣くつもりなんかなくて、でも止められないそれにどうしたらいいか分からなくなって俺は唇を噛み締めて俯いた。

「…ふっ、うぅ…」

 堪えきれなかった嗚咽が漏れる。ぼたぼたと溢れる涙が落ちてズボンに染みを作った。

「ああ、泣かないで、なお」

 会った時の刺々しい声でも、さっきまでの悲しそうな声でもなく、ただ焦ったようなそれだった。落ち着かせるように背中を撫でられる。優しくされるとますますどうしていいか分からなくて、俺は背中を丸めて呻った。

「う、う~っ」
「ごめんね、ごめん、怖かったよね」
「ちが、ちがっくて、」
「違うの? ね、その体勢は苦しいでしょ、こっちにおいで」 

 そう言って恵さんは俺の両脇に腕を差し込むと軽々と抱き上げた。されるがまま体を委ねた俺は彼の体に凭れ掛かるような態勢になる。恵さんの体温が暖かくて、気づいた時にはぐずぐずと鼻を鳴らしながら彼の肩口に顔を埋めていた。そんな俺を恵さんは咎めるどころかいい子、というようにぽんぽんと背中を叩いた。

「ね、ちゃんと教えて」

 何が嫌だったの? と、そう優しく聞く声に、今まで堪えていたものが溢れ出た。

「め、恵さんが好きな子が居るってえっ…!」
「……、…………俺ッ!?」

 恵さんが素っ頓狂な声を上げた。勢いよく肩を掴まれて引き剥がされる。いつも穏やかに悠然と微笑んでいる彼にしては珍しい反応に、思わず俺の涙も引っ込んだ。すんすんと鼻を啜りながら俺は顔をあげて、小さく頷いた。

「ちょっと待って……。俺が? いつ? というかそもそも好きな子って」
「……可愛くて、綺麗で頑張り屋さんの好きな子が居るって」
「…………うん? そうだね?」
「ほらあ…!」

 じわ、とまた涙が溢れ出す。まるで駄々っ子だ、と冷静な自分が呆れていたけど、一度緩んだせいで涙腺がバカになっているのかぼたぼたとこぼれ落ちる涙は止められそうになかった。

「ああごめん、ごめんね、お願いだから泣かないで」

 呆れられて放っておかれてもおかしくないのに、恵さんは慌てたように俺の目尻を親指で拭って、それでも止まらない涙を見てわわ、と小さく呟いてから立ち上がってバタバタと部屋の奥へと消えていった。いつもの落ち着いた彼からは想像できない忙しない姿に呆気に取られていると、すぐにティッシュの箱を持った恵さんが戻ってくる。もう一度ソファに座った恵さんにティッシュで涙を拭われながらあやすように頭やら背中やらあちこち撫でられているうちに俺の気持ちも落ち着いてきた。
 ずず、と鼻をすすっていると恵さんがあのね、と口を開いた。

「何か勘違いしているようだけど、俺の好きな子は直巳だよ」
「……俺?」

 俺のどこが可愛くて綺麗で頑張り屋さんなんだ。俺は眉間に皺を寄せた。恵さんは俺の眉間をぐりぐりと伸ばしながら、皺になるよ、とどこか楽しそうな声で言った。俺の勘違いじゃなければもう怒ってはいないようだった。というか、むしろ機嫌がいい。どういうことだろう。

「ねえ、直巳は俺が好きな子がいると思ったから俺の前からいなくなったの?」

 恵さんの言葉に俺は小さく頷いた。今更取り繕ったって仕方ない。けれど何となく気まづくって、俺はぼそぼそと小さな声で彼から離れた理由を話した。

「……恵さんは優しいから、俺が邪魔でも婚約破棄はしないと思って」
「君が邪魔に思ったことなんて1度もないけど…。というか、俺は君がいいって言ったでしょう」

 と、恵さん。俺はでも、ともごもごと口を動かした。

「7年も前のことだし…」
「あー」

 恵さんが天を仰いだ。珍しい姿に俺はきょとんと首を傾げる。今日は俺の知らない彼の顔をよく見る日だ。

「こんな歳上の男に言い寄られるなんて可哀想だと思ってたんだけど、そうだよね」
「……?」
「言わなかった俺も悪いよね。ごめんね直巳」

 うんうん、と頷く恵さん。何か納得したようだけど、全然、少しも、よく分からない。
 目を瞬かせる俺を見て、恵さんが直巳、と俺の名前を呼んだ。さっきまでとは変わって真剣な声音に思わず居住まいを正す。

「好きだよ、直巳」

 砂糖に蜂蜜を垂らしたような甘い声だった。俺は小さく目を見開いた。

 恵さんが、俺を好き?

 いや確かにさっきも似たようなこと言ってたけど、信じられなくて思わず口を開こうとしたら恵さんがぎゅ、と俺の手を握った。その手の熱さに体が跳ねる。視線が絡む。熱を孕んだ瞳に見つめられて頭がクラクラした。

「7年前からずっと君が好きだよ」
「あ、え…」
「ね、お願い、信じて?」

 頬が熱くなる。火照った顔を何とか冷まそうと頬を擦る俺をニコニコと眺めながら、

「直巳はどうなの? 俺のことどう思ってる?」

 と言った。悪戯っ子のような笑みに揶揄われていることが分かって俺は口ごもる。

「それ、は」
「お願い、言って?」

 促すように頬を撫でられる。表情こそおどけたものだったけど、握られた手に込められた力の強さとか、熱の篭った瞳に後押しされて俺はおずおずと口を開いた。

「好き、です」

 言った途端、ボロ、と止まっていた涙がまた溢れた。

「ず、ずっと好きだった」

 幸せになって欲しくて、そのためなら俺なんかどうでもいいと思うくらい好きだった。ぐしゃぐしゃの顔で、つっかえながらそう言うと、恵さんは眉根を下げて、困ったように、でも嬉しそうに微笑んだ。

「俺もだよ、直巳」
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