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追いかけてきた攻めにつかまった受けの話
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「お疲れ様です、マスター」
「お疲れ様、直巳くん」
お先に失礼します、と声をかけてロッカールームを出たのは午後8時を回る頃だった。とっくの昔に日も落ちて真っ暗な中、街灯の光がチラチラと揺れている。
午後の仕事もいつものように忙しくて恵さんのことを考えるような余裕は少しもなかった。なかったはずだけど、いつもより上の空だったみたいでマスターには心配をかけてしまった。不甲斐ない自分にさらに気持ちが下降していく。俺は小さくため息を吐いた。
とりあえず、酒買って帰ろう。前回みたいに一晩中泣けば気持ちもスッキリするはずだ。
今ならギリギリスーパーも開いてるし、と頷いた俺はスーパーの方へと足を向けた。冷たい風が頬を撫でてぶるっと体を振るわせる。両手を擦り合わせながら視線を前に向けて、そこにいた人を見て思わず足を止めた。
「――え?」
そこにはガードレールにもたれ掛かり流れる車を眺めている恵さんがいた。……なんで?
頭が真っ白になって、バクバクと心臓が暴れ出す。俺は無意識のうちに胸元をギュッと握った。ジャリ、と足元の小石が音を立てる。小さな音であるはずのそれがやたらと大きく聞こえた。ピクリ、と恵さんが肩を揺らす。俺は何もできず、ただ息を潜めていた。
恵さんは流れる車から視線を外し、ゆっくりと振り返った。視線が絡む。顔から一切の表情をそぎ落とした彼はいつか見た釣書の姿を彷彿とさせた。じと、と背中に嫌な汗が伝う。
「お疲れ様」
「あり、がとうございます」
「今日の仕事は終わり?」
口調は昔のように優しいのに、その顔には何の表情も浮かべていなくて何も読み取ることができなかった。…でも、多分怒ってる。なんて言えば許してもらえるかも分からなくて、俺はただ無言で頷いた。
「じゃ、行こうか」
どこに、とは聞けなかった。
歩き出した恵さんの後ろをついて行く。いつもの癖で隣に並ぼうとして、すぐに我に返った。俺なんかが横を歩いていいはずがない。
迷った末に俺は恵さんの3歩後ろにつけた。そっと恵さんを伺い見ると、彼は不機嫌そうにスッと目を細めて俺の手を取った。驚いて手を引こうとする俺を逃さないとでもいうようにギュッと握られる。驚いて恵さんの顔を見るとすぐに目を逸らされた。3ヶ月の間にできてしまった距離を目の当たりにして、俺は下唇を噛んで俯いた。
恵さんが再び歩き出す。繋いだ手は離されることなく、さっきより近づいた距離にこんな時なのにドキドキしてしまう。ふわり、と彼が好んで付ける香水が香った。懐かしいそれにギュッと胸が締め付けられる。
繋いだ手を眺めながら、そういえば、婚約者だった時からこういう体が触れ合うことはそんなにしたことがなかったな、と思った。しっかり触れ合ったのは最後の…えっちの時ぐらいだろうか。だから恵さんはこういう、手を繋ぐのとか、嫌いな人だと思ってた。こんなことを考えている場合じゃないのはわかっているけど、少し嬉しかった。
しばらく歩いていると、近くのコインパーキングに着いた。パシパシと目を瞬かせていると、一台の車の前で恵さんの歩みが止まる。以前一度だけ乗ったことがある恵さんの愛車だ。
恵さんが手を離した。名残惜しくて彼の手を視線だけで追っていると、恵さんが後部座席のドアを開けた。もしかしなくても、乗れということだろうか。俺は恵さんに促されるまま後部座席に乗り込んだ。
俺がシートベルトまでしたのを確認してから、恵さんは運転席に乗った。車が滑らかに動き出す。
運転の上手い下手はよく分からないけど、多分上手いんだと思う。赤信号で停まる時もブレーキの存在をほとんど感じなかった。
恵さんは何も言わない。手慰みにシートベルトを弄っていると、バックミラー越しに目が合った。運転している姿もかっこいいなあ、と現実逃避しているのにもいい加減耐えきれなくなった俺は迷った末に口を開いた。
「あの、」
「事故らせたくないなら黙ってて」
口を開いた途端ピシャリとそう返されて俺は顔を伏せた。普通に泣きそうだった。
居心地の悪い沈黙をひたすら耐えて、ようやく車が停まったのはそれから大体30分後だった。マンションの駐車スペースに車を停めた恵さんは、
「待ってて」
と、それだけ言って車から出て、まるでエスコートをするようにドアを開けた。慌ててシートベルトを外した俺が急いで車を降りると、再び手を繋がれる。まさかもう一度繋がれるなんて思ってなくて心臓が跳ねた。じわじわと顔が熱を持ってくのが分かって、気づかれないように慌てて顔を下に向ける。
「……」
「…?」
何か考えているのか、恵さんの視線が頭頂部にビシビシと感じる。今顔を上げたら多分、絶対目が合う。俺はそのままじっと地面を見続けた。俺たちの間に沈黙が流れる。恵さんが歩き出した。それに安心して俺を引っ張る手に素直に従っていると気づいたらエレベーターの中で、気づいたら玄関の前に居た。マンションの駐車場に入って行った時点でそうかな、とは思ってたけど、ここ、恵さんの家だ。多分。多分というのも俺は神崎家の本邸含め恵さんの家に一度もお邪魔したことがないのだ。
恵さんに促されるまま彼より先にドアをくぐり抜けると、彼の香りが体を包んだ。予想が確信に変わる。
本当になんで? ここにきて再び同じ疑問が頭の中をぐるぐると回り出す。キャパシティを完全に超えた俺が半泣きで振り返ると、恵さんが後ろ手で鍵を閉めるところが見えた。
「話をしようか、直巳」
まるで死刑宣告だ。
「お疲れ様、直巳くん」
お先に失礼します、と声をかけてロッカールームを出たのは午後8時を回る頃だった。とっくの昔に日も落ちて真っ暗な中、街灯の光がチラチラと揺れている。
午後の仕事もいつものように忙しくて恵さんのことを考えるような余裕は少しもなかった。なかったはずだけど、いつもより上の空だったみたいでマスターには心配をかけてしまった。不甲斐ない自分にさらに気持ちが下降していく。俺は小さくため息を吐いた。
とりあえず、酒買って帰ろう。前回みたいに一晩中泣けば気持ちもスッキリするはずだ。
今ならギリギリスーパーも開いてるし、と頷いた俺はスーパーの方へと足を向けた。冷たい風が頬を撫でてぶるっと体を振るわせる。両手を擦り合わせながら視線を前に向けて、そこにいた人を見て思わず足を止めた。
「――え?」
そこにはガードレールにもたれ掛かり流れる車を眺めている恵さんがいた。……なんで?
頭が真っ白になって、バクバクと心臓が暴れ出す。俺は無意識のうちに胸元をギュッと握った。ジャリ、と足元の小石が音を立てる。小さな音であるはずのそれがやたらと大きく聞こえた。ピクリ、と恵さんが肩を揺らす。俺は何もできず、ただ息を潜めていた。
恵さんは流れる車から視線を外し、ゆっくりと振り返った。視線が絡む。顔から一切の表情をそぎ落とした彼はいつか見た釣書の姿を彷彿とさせた。じと、と背中に嫌な汗が伝う。
「お疲れ様」
「あり、がとうございます」
「今日の仕事は終わり?」
口調は昔のように優しいのに、その顔には何の表情も浮かべていなくて何も読み取ることができなかった。…でも、多分怒ってる。なんて言えば許してもらえるかも分からなくて、俺はただ無言で頷いた。
「じゃ、行こうか」
どこに、とは聞けなかった。
歩き出した恵さんの後ろをついて行く。いつもの癖で隣に並ぼうとして、すぐに我に返った。俺なんかが横を歩いていいはずがない。
迷った末に俺は恵さんの3歩後ろにつけた。そっと恵さんを伺い見ると、彼は不機嫌そうにスッと目を細めて俺の手を取った。驚いて手を引こうとする俺を逃さないとでもいうようにギュッと握られる。驚いて恵さんの顔を見るとすぐに目を逸らされた。3ヶ月の間にできてしまった距離を目の当たりにして、俺は下唇を噛んで俯いた。
恵さんが再び歩き出す。繋いだ手は離されることなく、さっきより近づいた距離にこんな時なのにドキドキしてしまう。ふわり、と彼が好んで付ける香水が香った。懐かしいそれにギュッと胸が締め付けられる。
繋いだ手を眺めながら、そういえば、婚約者だった時からこういう体が触れ合うことはそんなにしたことがなかったな、と思った。しっかり触れ合ったのは最後の…えっちの時ぐらいだろうか。だから恵さんはこういう、手を繋ぐのとか、嫌いな人だと思ってた。こんなことを考えている場合じゃないのはわかっているけど、少し嬉しかった。
しばらく歩いていると、近くのコインパーキングに着いた。パシパシと目を瞬かせていると、一台の車の前で恵さんの歩みが止まる。以前一度だけ乗ったことがある恵さんの愛車だ。
恵さんが手を離した。名残惜しくて彼の手を視線だけで追っていると、恵さんが後部座席のドアを開けた。もしかしなくても、乗れということだろうか。俺は恵さんに促されるまま後部座席に乗り込んだ。
俺がシートベルトまでしたのを確認してから、恵さんは運転席に乗った。車が滑らかに動き出す。
運転の上手い下手はよく分からないけど、多分上手いんだと思う。赤信号で停まる時もブレーキの存在をほとんど感じなかった。
恵さんは何も言わない。手慰みにシートベルトを弄っていると、バックミラー越しに目が合った。運転している姿もかっこいいなあ、と現実逃避しているのにもいい加減耐えきれなくなった俺は迷った末に口を開いた。
「あの、」
「事故らせたくないなら黙ってて」
口を開いた途端ピシャリとそう返されて俺は顔を伏せた。普通に泣きそうだった。
居心地の悪い沈黙をひたすら耐えて、ようやく車が停まったのはそれから大体30分後だった。マンションの駐車スペースに車を停めた恵さんは、
「待ってて」
と、それだけ言って車から出て、まるでエスコートをするようにドアを開けた。慌ててシートベルトを外した俺が急いで車を降りると、再び手を繋がれる。まさかもう一度繋がれるなんて思ってなくて心臓が跳ねた。じわじわと顔が熱を持ってくのが分かって、気づかれないように慌てて顔を下に向ける。
「……」
「…?」
何か考えているのか、恵さんの視線が頭頂部にビシビシと感じる。今顔を上げたら多分、絶対目が合う。俺はそのままじっと地面を見続けた。俺たちの間に沈黙が流れる。恵さんが歩き出した。それに安心して俺を引っ張る手に素直に従っていると気づいたらエレベーターの中で、気づいたら玄関の前に居た。マンションの駐車場に入って行った時点でそうかな、とは思ってたけど、ここ、恵さんの家だ。多分。多分というのも俺は神崎家の本邸含め恵さんの家に一度もお邪魔したことがないのだ。
恵さんに促されるまま彼より先にドアをくぐり抜けると、彼の香りが体を包んだ。予想が確信に変わる。
本当になんで? ここにきて再び同じ疑問が頭の中をぐるぐると回り出す。キャパシティを完全に超えた俺が半泣きで振り返ると、恵さんが後ろ手で鍵を閉めるところが見えた。
「話をしようか、直巳」
まるで死刑宣告だ。
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