ようこそ奇妙な世界へ

小木田十(おぎたみつる)

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また、会いにゆきます

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 大勢の人々が行き交う夕方の駅前で、ユウスケはこの日もティッシュ配りのバイトをだらだらとこなしていた。先々週までは、キャバ嬢のシノブのマンションでヒモ生活をしていたのだが、浮気がバレて追い出されてしまい、今は残り少ない手持ちのカネでマンガ喫茶やカプセルホテルで寝泊まりしながらこのバイトをして、新たに寄生できそうな水商売ギャルを物色しているところである。
 ユウスケは以前から、生活能力のないダメ男の面倒を見てくれそうな女を見つけ出すことが得意だった。女性の中には「私が面倒見てあげないと」という母性本能みたいなものがとりわけ強かったり、捨てられていた子ネコを見たら飼いたくなるタイプがいるものだ。だから、身ぎれいにして、ちょっと上目遣いで機嫌を伺うような態度を取っていると、広げた網に引っかかる女はいるのである。
 しかしこのところは空振り続きだった。水商売をやっていそうで、恋人がいない女は、何となく直感で判るので、そういう女性にはティッシュを渡すときに「お疲れ様でーす」「昨日も会いましたよね?」などと笑顔で声をかけるようにしているのだが、釣りと同じで、かからないときはかからないものである。
 そろそろ宿主になってくれそうな女を見つけないと、所持金も底をついてしまう。ユウスケは焦りを募らせていた。
 カネのために、以前やっていたホストの仕事に戻りたくはなかった。体質的にアルコールに弱いせいで、シャンペンの一気飲みは地獄だった。たちまち頭はフラフラになり、吐き気に襲われ、翌日はひどい頭痛でうめいていた。そのホストの仕事を辞めるときに、オーナーからキャバクラのホールスタッフの仕事を紹介してもらったが、その店のキャバ嬢とデキてしまったことがバレて、他の先輩スタッフたちからボコられてクビになった。その店では、スタッフ同士がつき合うことは御法度で、ユウスケも最初に、手を出しませんという内容の誓約書にサインをしていたのだから、当然の結果だった。バレないだろうとタカをくくっていたのだが、つき会ったそのキャバ嬢が自分から他のキャバ嬢にべらべらとしゃべるおバカだったことが誤算だった。
 地下鉄の駅から出て来た、薄着の日焼けギャルにユウスケは目をつけ、「こんちはー、よろしくー」と笑顔でポケットティッシュを差し出したが、受け取ってもらえずガン無視された。ユウスケは心の中で、オメーはそこまでお高く止まれるタマかよ、と毒づいた。
 その後も、可能性がありそうな女性には愛想よく声をかけながらポケットティッシュを渡し続けていたが、脈のある反応は得られなかった。少しでも会話につなげられそうなとっかかりをつかめればと思うのだが、さまざまなキャッチセールスが横行している今の時代、女性たちも鎧をまとっていて、簡単には隙を見せない。
 今日もダメかー、とため息をつき、やる気を失いかけたそのとき、駅に向かってこちらに歩いて来た女性を見たユウスケは、はっと息を飲んだ。
 水商売の女性が多いこの辺りの雰囲気にそぐわない、ビジネスタイプのスーツスカート姿の女性だった。形よくとがった鼻、切れ長の目、薄めの唇、サラサラと風になびくショートヘア、そして控え目な化粧……なぜかその顔や雰囲気に、記憶の奥の何かに触れるものがあった。
 気がつくと、その女性が目の前を通り過ぎようとしていたので、ユウスケはあわててポケットティッシュを差し出しながら「こんにちはー、お疲れ様でーす」と笑顔で声をかけた。何とかこの女性との接点を作りたかった。
 すると幸運なことに、彼女は「あ、助かったわ」と控えめな笑顔を見せて受け取ってくれた。「鼻がちょっと、むずむずしてたところだったから」
 その笑顔に後押しされたユウスケは、ティッシュを入れた段ボール箱をその場に置いたまま、「あ、ちょっと」と彼女の後を追った。
 彼女は足を止めることはなかったが、追いすがるユウスケに「何?」とやや困惑した感じの横顔を見せた。無理もない。ただのティッシュ配りが追いかけてきたのだから。
「あの、すみません。できたら連絡先の交換なんかを……」
「どうして?」
 彼女は歩きながら、受け取ったティッシュを開けてすぐさま鼻をチンとかんだ。
「いや、何つうか、電気が走ったような、何だか運命的なものを感じちゃって。あ、あの、俺、全然変な人間じゃないっすよ。確かに今はこんなバイトやってるけど、前科もないし、このままじゃ終わらないぞって思ってるし」
「そう」彼女は冷めた目を向けてから前を向き、歩くスピードを上げた。「悪いけど、あなたと話してる時間ないのよね、急いでるから」
 その後はユウスケが「名前、教えてもらえませんか?」「LINE交換とか、ダメっすか?」などと追いかけながら話しかけたが、彼女はもう無視モードに入っていて、つかつかと駅の構内に入ってしまった。
 ユウスケはあきらめて足を止めたが、その場から大きめの声で呼びかけた。
「次に会うとき、俺、変わってるから。君とは必ず、もっかい会うから、待ってて」
 ユウスケは、何でこんなことを大声でと、自分のことながらちょっと不思議に思った。しかし、ティッシュの箱がある場所に戻る途中で、「あっ」と声を漏らした。
 なぜ彼女のことがそんなに気になったのかが判ったのだ。
 幼稚園の年少組と年中組を受け持ってくれたイズミ先生と、顔や雰囲気が似ていたのだ。もちろんさっきの女性は別人である。でも、重なるものがあったことも確かだった。
 幼稚園児だった頃のユウスケは、かんしゃくを起こして物を投げたり壊したり、他の園児を叩いたりといった問題行動が多かったのだが、イズミ先生は頭ごなしに叱ったりせず、「大丈夫、大丈夫、ユウスケは我慢ができる子だよー」というおまじないのような言葉と共にいつも優しくハグしてくたれ。そのお陰でユウスケは、イズミ先生に嫌われたくないという思いから、問題行動を減らすことができたのである。ユウスケにとっては、生まれて初めてほのかな恋心を抱いた相手というだけでなく、人生の恩人でもあった。
 そうか、自分の心の奥にあった、本当の理想の女性像はイズミ先生だったのか。それが突然、掘り返されたのだ、さっきの彼女との出会いによって。
 思えばこれまで、女性は性の対象としてしか見ていなかった。だが、そんな気持ちでは本当に愛せる女性と出会えたりはしない。さっきの彼女は直感的に、イズミ先生と同じタイプの、ユウスケがずっと潜在意識の中で求めていた女性だったのだ。だから一瞬息が止まったし、自分でも不思議なぐらいに追いかけてしまったのだ。
 ユウスケは駅の方を振り返って再び「近いうちに必ず再会するぞ」「そのときまでに自分は必ず変わってやる。そして堂々と再会するぞ」と声にした。彼女はさっき、ノーとは言わなかった。ということは約束は成立したということだ。
 ――約二時間後、その日のティッシュ配りのバイトを終えたユウスケは、いつものようにパチンコ店には寄らず、牛丼チェーン店で夕食を摂り、日暮れどきの街を歩いた。サウナ店にもマンガ喫茶にも向かわず、河川敷へと向かい、オレンジ色に変化した夕日を浴びながら川沿いをぶらぶらと歩いた。これから自分はどう変わるべきかについて、歩きながら考えてみたかったのだ。こんな新鮮な気分になったのは初めてのことである。
 それにしても、魅力的な女性だった。こっそりあとをつけた方がよかったかも、と少し後悔した。それほどに運命的なものを感じたのだった。
 気がつくと、辺りはいつの間にか暗くなっていて、気温も下がり、肌寒さを感じた。ユウスケは不意に急に尿意を催して、周囲をきょろきょろと見回した。
 古びた神社の前だった。鳥居の奥を覗き込んだが、無人の小さな神社のようで、トイレらしきものはなさそうだった。
 いよいよ我慢ではなくなり、ユウスケは、神社の裏側でこっそり用を足すことにした。幸運なことにそこは濁った水路に面していたので、おあつらえ向きだった。彼は周囲に誰もいないことを確かめてから、水路の前でジーンズのファスナーを下ろした。
 そのとき、足もとの積み石が急に崩れ、ユウスケは「わっ」とあお向けに倒れて、その際に後頭部をしたたかに打って、そのまま水路へと落ちてしまった。
 水は冷たく、深かった。後頭部を打ったせいで意識がもうろうとして、身体を制御できない。這い上がろうとしたが、水底のぬかるみに足を取られて、立つことさえできない。
 ユウスケはしばらくもがいていたが、身体は沈むぱかりで、やがて体力が尽き、意識が遠のいていった……。
 ――その男性の遺体が監察医務院に運ばれて来たのは翌日の昼前だった。無表情に水死体を見下ろす監察医に対し、中年の男性刑事が事情を説明した。
「散歩をしていた付近に住む高齢男性によって発見されたのが早朝です。現場に争った形跡はなく、後頭部以外にこれといって外傷はありませんでした。ジーンズのファスナーが開いているところからすると、立ち小便をしようとして足を滑らせて転倒、後頭部を打って水路に落ち、そのまま溺れてしまった――というところでしょうか。財布の中に車の免許証があったので身元は判ってます。事件性はないだろうと思ったのですが一応、確認だけしていただこうというわけで……どうかされましたか、先生」
 監察医の怪訝な表情を見て取ったのか、刑事はそう尋ねた。
「ええ……何となくこの人に見覚えがあるような気がするんだけど……気のせいね、きっと。肺を調べれば溺死かどうかはすぐ判るわ」
 彼女はそう言って切れ長の目で何回かまばたきをし、形よくとがった鼻をすすった。このところ、花粉症が続いている。
 いや、やっぱりどこかで……いや、そんなことより今は仕事に集中。彼女はメスを持ち、慣れた手さばきで水死体の胸を切り開いた。
 そのとき、かすかにどこかから妙な声が聞こえたような気がした。
「次に会うとき、俺、変わってるから。君とは必ず、もっかい会うから、待ってて」

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