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文芸界の新兵器
しおりを挟むスキップ書房はいわゆる中堅出版社で、社屋ビルも大きくはないが、セキュリティはしっかりしていて、入館許可証がない部外者は一階のエントランスにある喫茶コーナーまでしか立ち入ることはできない。そのせいで編集者は簡単には会えない特別な存在――あまり売れていない小説家の大北充は、そんな感覚を植えつけられているように感じていた。
喫茶コーナーにやって来た大北は、担当編集者である本村の姿を探したが、やはりまだ来ていないと知って、小さくため息をついた。約束の時間はもう過ぎているのに。
大北は十年ほど前にスキップ小説新人賞を取ってプロデビューを果たし、これまで一応は食える程度には作品を発表してきたが、ベストセラーを出すこともなければ大きな賞を獲得することもなく、何とか食えているという状態のため、アラフォーになっても独身のままである。担当編集者の本村はきっと、そんな売れ損ない作家を下に見て、約束の時間など守る気はないのだろう。実際、これまでに何度かこの喫茶コーナーで打ち合わせをしてきたが、会うたびに本村は態度が大きくなっていて、最近は露骨にああしろこうしろと指図をするようになった。言葉遣いは一応敬語なのだが、こいつに好きなように書かせてもどうせヒットしない、担当編集者がコントロールしなければダメだと考えているらしいことが、言葉の端々から伝わってくるのだった。
トイレにでも行くか、と思ったときに、警備員がいる通路の奥に、ノーネクタイのシャツにネームタグを首からかけた本村がようやく姿を見せ、大北を見つけて手を振って、こちらにやって来た。
「お待たせしましたか? どうもすみません」と本村はあまり申し訳なさそうに言い、大北は「いえいえ、ちょうど今来たところです」と愛想笑いで応じた。
本村は「コーヒーでいいですか?」と尋ね、大北の返事を待たずにコーヒー二つ、と注文した。
本村は、届いたコーヒーに口をつけてすぐに「メールでいただいた新作のプロット、拝見しましたよ」と切り出した。「いわゆる近未来ものの警察小説ってところですね」
「ええ、まあ、そうですね」
「刑事捜査にAIが導入された結果、事件と直接関係のない被疑者のプライバシーや子ども時代の出来事までほじくり返されるようになって、それらの情報が作為的に有罪の立証に使われてしまう、と」
「はい。AIが刑事捜査に大幅に取り入れられるようになった結果、市民が監視下におかれて次々と冤罪事件が発生するという恐怖を描きたいと思いまして」
「それで、主人公のジャーナリストがAIの暴走を問題視して調査を始めると、AIの反撃に遭って、どうでもいいようなささいな微罪で逮捕される」
「ええ」
「基本的にはキャッチーな内容でいいと思いますよ」と言いながらも本村は少ししかめっ面を作って後頭部をかいた。「ただ何ていうか、こう……全体に堅くないですか。社会派の作品であることがダメだとは言いませんが、もっとハラハラドキドキのシーンや、コミカルなシーンなどを盛り込んでいただきたいのですがね」
大北は「はあ」とうなずきながら、そらきたと思った、本村は編集者の中でも、カーチェイスや格闘シーン、殺し屋につけ狙われるような設定を入れたがるタイプだ。
「で、主人公は世間を味方につけて反転攻勢に出るが、最終的にはAIを監視するためのAIを導入して暴走を止めるシステムを政府が再構築することとなり、主人公もそのための審議会メンバーに選ばれる。要するに体制に取り込まれてしまう、と」
「ええ。そういう暗示的な結末の方が、忍び寄るAI化の恐怖を読者に伝えられるだろうと思ったんです」
「うーん」本村は片手であごをなでた。「大北さんがもともと社会派の作品を好んで書いてこられたことは承知してますが……失礼ながら、あまりいい数字が出てませんよねえ」
それを言われるとなかなか反論できない。ときどき、一部の評論家が書評で取り上げてくれたり、ネット上でほめてくれる読者はいるのだが、売り上げはいつもたいしたことがなく、多くは初版止まりに終わっている。
「それって」と本村は続けた。「気に障ったら申し訳ないんですけど……」
「どうぞ、遠慮なくおっしゃってください」
「では申し上げますが、自分が書きたいことを優先してばかりで、多くの読者さんたちを置いてけぼりにしてるってことだと思うんですよね。もっとこう、スカッとした終わり方にしてはどうでしょうか」
「はあ……」
「話は変わりますが、今年のスキップ小説新人賞、AIが書いた作品が二次選考に残ってるんですよ」
「本当ですか」
「ええ、本当です。スキップ小説新人賞の応募規定では、応募者の国籍やプロアマを問わない、となってるだけで、生身の人間じゃないとダメだとは書いてないので、AIでも応募できると解釈できるんですよ。まあ、応募したのはそのAIを利用した人物ってことにはなるんですがね」
「どんな内容なんですか」
「それが、大北さんが今回プロットを作ってくださったものと、設定はそっくりなんですよ。でも内容はかなり違ってます。ざっくり言うと、AIが自身の優秀性をひけらかし始めて暴走するところは共通していますが、主人公とその仲間たちは地下に潜って戦いを挑み、AIが仕掛けた原発のメルトダウン計画をギリギリのところで阻止し、最後には逆にAIを完全掌握、ついにはその背後にいる権力者の陰謀を暴くという内容でした。あと、美人のヒロインも登場して、主人公と対立しながらも一緒に戦い、最後はハグとキスでめでたしめでたし」
「冗談じゃないですよ」と大北はあきれ顔で村本に言った。「こんなの、過去に作られてきたハリウッド映画の焼き直しじゃないですか。AIが暴走して人々を脅威に陥れるという設定の映画なんてごまんとあるし、ぎりぎりのところで核爆発を阻止なんていうのもさんざん使い回されてきたタイムリミットもののパターンじゃないですか」
「でも、こういう話の方が売れるんですから、現実問題として」と本村は冷めた表情で言い放った。「もちろん、AIが作ったこの小説をまんま発表したら、そりゃいろいろ問題はあります。AIはウェブ上の文章を学習してチョイスしますから、盗作問題も発生します。でもね、大北さん、AIは大切なことがちゃんと判ってるんですよ、最後は強力な敵を倒してよかったよかったという着地点の作品が統計的に売れるんだってことを。ですから、AIが作った作品を参考にしつつ、そこに作家がオリジナリティを付与する描き方をすれば、理想的な小説が生まれるんじゃないかと私は思うんですがね」
「…………」
「大北さん、今後、作家さんたちの仕事は聖域じゃなくなってきますよ。現にAIがこういう小説をささっと作っちゃう時代になったんですから。今後さらにAIが学習してゆけば、もっと完成度の高い小説を書くようになりますよ」
「じゃあ何ですか。生身の作家は絶滅するとでも?」
「どうでしょうね」本村は嫌みな笑い方をした。「私は予言者ではないので断言はしませんが、今いる作家さんたちの何パーセントが十年後に生き残ってるんだろうなー、なんていう心配はさせてもらってますよ」
大北は何も言い返せなくなって、結局、今回提示したプロットは、本村の要請を容れて、ラストに敵を打ち倒してよかったよかったというスカッとさせるように手直しし、さらには美人のヒロインも登場させて恋愛要素も取り入れるという宿題までもらって、すごすごと帰ることとなった。
その数日後、編集部から変なメールが届いた。
それは、突然のメールで失礼致します、という文言から始まる、スキップ書房編集部が新たに導入したというAIからの連絡だった。相手は、「私をスキップくんと呼んでください」と自己紹介した上で、スキップ書房がAI化改革を進める上でまず手始めに、編集の仕事をAI化しました、という説明をした。
大北が返信メールで「本村さんはどうなったんですか」と尋ねたところ、編集部員のほとんどを解雇しました、と返ってきた。理由は、編集者は自身の立場を勘違いして、多くの作家さんたちの仕事環境を悪くしていたという事実が判明したからだという。
あいつ、クビになったのか。大北は笑いをこらえきれずに「くっくっくっ」と漏らした。
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あいつを追い出してくれたAI編集者とは、息が合いそうな気がした。敵の敵は味方だ。
大北がスキップくんに対して、今後ともよろしくお願いしますと送信すると、すぐにまた返信がきた。
――さっそくですが、大北さんが先日、本村に提示された新作のプロットを拝見しました。力の入ったプロットをいただき、感謝いたします。ただ、もっとこう、スカッとした終わり方にしてはどうでしょうか。たとえば最後には敵を打ち倒してよかったよかったという形にし、美人のヒロインを登場させて……。
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