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サプライズ
しおりを挟む愛犬ジョンの散歩を終えて帰宅したブレンダは、玄関ドアを顔認証で解錠し、中に入った。ジョンの足をウエットティッシュで拭いてやり、ハーネスを外して、一緒にリビングダイニングへ。ジョンの足爪がフロージョングでカチャカチャ音をさせるのがかわいい。
最近はペットを短期間レンタルできるという商売があるらしいが、ブレンダにはそんなサービスを利用する人たちの気が知れなかった。ペットは家族であり、一緒に人生を過ごすことで初めて絆が生まれるものなのに。
リビングダイニングに入って「ただいま」と声をかけると、リビングのソファに座ってスマホゲームをしていた七歳の息子リチャードが、「お帰り」と顔を上げて笑った。ジョンはリチャードの手前までトコトコと移動して、ごろんと横になった。
「リチャード、あんまり長い時間ゲームしてちゃダメよ」
ブレンダがそう声をかけると、リチャードは「うん、もうすぐやめるから」とうなずいた。リチャードは素直ないい子に育ってくれている。ブレンダは、自分は幸せ者だとつくづく思う。
そのとき、ブレンダは何となく違和感を感じてあらためてリチャードを見て、服装が普段と違っていることに気づいた。いつもならパーカーやジャージ姿なのに、この日はなぜか白いシャツに蝶ネクタイをつけ、その上に紺のVネックセーター、スラックスという格好で、髪もきれいに分けている。まるでこの前の入学式のときみたいだ。
「あら、どうしたのリチャード、そんな格好して」
「え、何が?」とスマホから顔を上げたリチャードは、意味ありげににやにや笑っている。
するとそのとき、階段を下りてくる足音がしたかと思うと、ドアが開いて、懐かしい二人が顔を出した。いずれも大人になって家庭を持ち、最近あまり会えなくなったけれど、大切な二人の妹たち、二歳下のリンダ、四歳下のスザンヌ。
「あれ、いつ来たの? どうしたの?」
ブレンダが聞くと、リンダが「へへぇ、どうしてでしょうか?」と笑い、スザンヌは「何でか判んないの?」と言った。
信じられなかった。リンダはロンドンに転勤した夫と一緒に暮らしているはずだし、スザンヌに至っては東南アジアの途上国で浄化水を提供するボランティア活動をしているはずである。簡単にここに来ることは難しいのに。
戸惑っているブレンダをよそに、リチャードがソファから立ち上がってブレンダの方に近づき、ぴしっと姿勢を正してから丁寧に寧なお辞儀をし、「お母さん、どうぞ部屋の真ん中へ」と手のひらで示した。
ブレンダはようやく、今日が何の日だったかを思い出した。
リチャードのエスコートで進み出ると、妹たちが隠し持っていたらしいクラッカーを出して、「おめでとう」とひもを引いた。パンという乾いた音と共に、髪に細いカラーフープがかかり、かすかな火薬臭がただよった。
「ブレンダ」というさらなる声が背後から聞こえたので振り返ると、ワイシャツの上にカーディガンをはおった夫のダニーが、微笑みながら大きなバラの花束を抱えていた。大手商社の管理職として忙しい毎日だが、この日のために早退してくれたようだ。
「誕生日おめでとう。いつもありがとうね、そしてこれからもよろしく」とダニーから言われて花束を受け取った。
妹たちが「キス、キス。ほら」とはやし立て始め、やがてそれが手拍子になった。ダニーは、かつて初めてキスを交わしたときみたいにはにかんで顔を赤らめている。
ここまでの演出をしてもらったお礼を込めて、ブレンダは自ら顔を近づけて、ダニーと唇を合わせた。みんなが大きく拍手した。
妹たちがダイニングの方に移動し、テーブルの上にかかっていた真新しい白いシーツのような布をめくった。
シャンパン、ワイン、ジュース、ローストビーフ、サンドイッチ、パエリヤなどがテーブルの上に所狭しと並んでいた。いつの間にこんなものを用意してくれていたのだろうか。
みんなでテーブルの席につき、ダニーのかけ声に合わせて乾杯し、あらためて「おめでとう」と言われた。柴犬のジョンも近くにちょこんと座り、口の両端を持ち上げて、ブレンダを見上げている。
乾杯した後、よく食べて、よく飲んだ。妹たちとは互いの近況を話し合い、一緒に笑った。ダニーはかいがいしくホスト役をしてくれて、取り皿を取り替えてくれたり飲み物を注いだりしてくれる。妹たちに向かって、いかに素敵な奥さんであるかというのろけ話もした。リチャードは、お母さんが作ってくれる食事がどれほど美味しいかや、勉強の教え方はお母さんの方が先生よりも上手いとかといった話をした。柴犬のジョンには、リチャードから上等のドッグフードがふるまわれた。
宴もたけなわで、ダニーが特大サイズのケーキをキッチンから運んで来た。三十五本ものローソクを見ると、自分はこんなに年を取ったのかと少々げんなりしたが、いい家族に恵まれたのだから、文句を言ったりしたらバチが当たると思い直した。
リチャードが小型キーボードを持ち出してきて、少々拙い指使いで『ハッピーバースデー』を演奏してくれた。少しつっかえたところがあったけれど、それもご愛敬だ。どうやらリチャードはこの日のためにこっそり練習していてくれたらしい。ブレンダはそれだけでもう涙があふれそうだった。
演奏が終わり、みんなから表情で促されて、ブレンダはロウソクの火を一息で消した。
拍手。のぞみは目尻にたまった涙を指でぬぐった。
妹たちが、封筒サイズの包みをくれた。開けてみると、一年間分のエステ利用券だった。「お姉ちゃん、ますますきれいになって、ダニーとリチャード君を喜ばせてあげてね」などと言われ、涙声で「ありがとう」と答えた。
続いてダニーが、リボンのついた小さな箱を渡してくれた。開けてみると、小さなサファイアのついたチョーカーが。ブレンダの誕生石だ。ダニーが「リチャードも小遣いからお金出してくれたんだ」と言った。ブレンダは最愛の夫と息子いっぺんに抱きしめた。
やがてささやかなパーティーはお開きとなり、「また来るからね」と手を振る妹たちを見送ることになった。ブレンダは「ここに泊まってけばいいじゃないの」と言ったが、二人とも、申し訳ないけれどすぐに戻らなければいけないから、とのことだった。リンダは義母が怪我をして入院中で、スザンヌは東南アジアでの援助活動が自分抜きでは回らないから、とそれぞれ説明した。そしてその代わり、近いうちにまた必ず来ることを妹たちは約束してくれた。
その後、リチャードが風呂に入り、ダニーはトイレに行った。家の中が急に静かになったが、柴犬ジョンが近づいて来てすりすりしてくれたので、ブレンダはしゃがんで愛犬を抱きしめた。
少々ワインを飲み過ぎたようだった。ブレンダはソファに腰を下ろして、大きく伸びをした。
そのとき、ピピッと電子音が鳴った。視界の下の隅にテロップが現れる。
〔体験サービスのご利用時間が間もなく終了となります。後片づけの場面も体験なさいますか?〕
ブレンダは右手を動かして、テロップの左側に表示されている〔YES〕と右側に表示されている〔NO〕のうち、〔NO〕に手をかざした。すると視界は急にフェイドアウトし、真っ暗になった。
ブレンダはバーチャル体験用のヘッドフォン付きゴーグルを外し、「ふう」とため息をついた。目と目の間を指でつまんで軽くもみ、ソファの背もたれに上体を預けた。
誰もいない、薄暗いリビング。壁の時計を見ると、午後十一時過ぎ。リチャードはとっくに眠っている。ダニーはまだ会社で残業中である。本物の妹たちとは、もう五年以上、会っていない。柴犬ジョンは昨年寿命を全うしている。
ソファの前にあるテーブルに、ゴーグルとヘッドフォンを置いた。そこには一年分のエステ利用券、サファイヤのチョーカーの他、メッセージカードが置いてあった。
〔誕生日おめでとう。今日も残業で遅くなるので、代わりにバースデーパーティー体験ができるドリームゴーグルのレンタルサービスを注文しといたよ。楽しんでね。 ダニー〕
これに備えてダニーは、さまざまなデータを業者に送っておいたのだろう。何もかもが違和感なくリアルに再現されていた。
確かに世の中は便利になった。このドリームゴーグルがあれば、実体験よりもかなりの低価格で安全に海外旅行を楽しむことだってできるし、一流のアスリートやミュージシャンになって大歓声を得ることもできるし、ドラマのヒロインにだってなれる。
でも、何なのだろうか、この、もやもやした気分は。
以前はレンタル家族と称する、家族の代理を務めてくれる人たちの派遣サービスがあったが、そんなものよりもはるかに安くリアルな体験が出来るこのドリームゴーグルのレンタルサービスが出現するや、すべてこれに取って変わってしまった。しかもこちらは本物の家族がリアルに登場するのだ。遠くに住んでいたり、既に他界していることなんて関係なく。
最近は、現実世界よりもドリームゴーグルの世界で過ごしていたいあまり、闇業者に依頼して使用制限時間のリミッターを外し、寝食を忘れて仮想空間に入り浸った末に、栄養失調や拒食症で入院したり、衰弱死してしまう人もいるという。
確かにこのレンタルサービスは束の間の幸福を届けてくれるが、人間をダメにしてしまう危険性をはらんでいる。それでもやっぱりまた使いたいと思ってしまう自分がいる。
ブレンダは大きくため息をついてから、メッセージカードをテーブルの上に落とした。
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