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ゾンビ村騒動記

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 昼食終にソファでまどろんでいた善三は、玄関戸を叩く音に気づき、「何じゃ、いったい」とぼやきながら起き上がった。
 以前は玄関チャイムがあったが、あまり使われることがないまま壊れてしまった。この山村ではそもそも、チャイムだとかインターホンなどというものは必要がない。みんな、勝手に戸を開けて「おーい、いるかー」と呼びかけてくる。
 なので、こうやって戸を叩く人間は、よそ者だと判る。
 善三は玄関戸の前に立って、「どちらさん?」と尋ねた。
 すると相手は「すみません、映画『ゾンビ村騒動記』の助監督、古館です」と言った。なぜか動揺しているような、焦っているような口調だった。
 古館なら、昨日あいさつに来て、少し話をした。今日、村のあちこちでゾンビ映画の撮影をするので、できるだけ不要手急の外出は控えてください、と頼まれたのである。
 外出といっても、最近はスーパーの移動販売車がやって来たときに買い物をするか、裏で畑仕事をするぐらいのものなので、別に撮影の邪魔をするようなことはないだろうと思って了解してある。その何日か前には、村役場の職員がやって来て、「村の中でゾンビ映画の撮影をすることになったので、できる範囲でご協力を」と頼まれてもいる。映画の内容はシリアスなホラーではなく、パロディものらしいが、善三にとってはどうでもいいことだった。
 善三が「古館さん、何かね」と応じると、戸の向こうから古館が「ちょっと開けてもらっていいですか」と言ってきたので、「ああ」と応じて戸を引いた。
 えらが張っていて眼鏡をかけた、いかにも神経質そうな男がいた。そういえばこんな男だったなあと善三は思い出した。最近はもの忘れをしやすくなったが、昨日会った男の顔ぐらいは覚えている。何があったのか知らないが、古館は目が血走っている感じで、ただ事ではなさそうな雰囲気があった。
「申し訳ありません」と古館は頭を下げた。「撮影にご協力いただけないでしょうか」
「判っとる。役場のもんも何日か前に来て、撮影に協力してやってくれと言われてとる。外をうろつくなってことだろう」
「いえ、違うんです」古館は大きく片手を振った。「外をうろついてほしいんです」
「はあ?」
「ゾンビが交通事故で来られなくなってしまいまして」
「ゾンビは交通事故ぐらい、何でもないだろ。そもそも最初から死んどるんだから」
「いえ、違うんです。ゾンビ役をしてもらう予定の役者さんたちが乗ったロケバスが、ここに来る途中でカーブを曲がりきれずに斜面から滑落してしまいまして」
「えっ、本当かね」

 さらなる古館の説明によると、そのロケバスには監督やカメラマンなどのスタッフも一緒に乗っていて、幸い死亡者は出なかったものの、多くが怪我をして、麓の病院に収容されたという。監督は首を痛めて、しばらくは起き上がれそうにない状態らしい。
 古館が「外をうろついてほしい」と言ったのは、撮影の遅れを最小限にとどめるために、ゾンビたちが村の中を徘徊するシーンだけでも撮っておきたいので、ゾンビになって外を歩き回ってほしい、という意味だった。
 善三が「わしらにゾンビの格好をしろというのかね」と尋ねたところ、メイクも衣装もなしで、ただゾンビっぽくよろよろと外を歩いてもらえればいい、とのことだった。顔や服装は後でCG処理できるから問題ないのだという。善三は映画界のことに詳しいわけではないが、最近は実際には存在しないものをリアルに登場させたり、誰もいないのに群衆がいるかのように処理したりする技術があることは知っている。要するに、人をゾンビ風に歩かせて、それを撮影して、後でそれをゾンビの顔や格好に加工する、ということだ。古館は具体的な金額は言わなかったが、会社に交渉して、相応の謝礼を後で払いますから、とも言った。そして、「本社の方もパニクってて、何とかしろ、何とかしろばっかり言ってまして」とつけ加えた。
 善三は、あんたも結構なパニック状態のようだがね、と冷やかしたい気持ちを抑えて、「判った。できることがあるんなら言ってくれ」と了解すると、古館は「ありがとうございます。では十五分後に、村役場裏の公園に集合していただけますか」と深く頭を下げ、他の村人にも頼みに行きます、と言い置いて走り去った。
 傘寿を過ぎて、映画出演とは。もちろん顔が映るわけではないらしいから、出演とは言えないかもしれないが。まあ、たいしてやることもない日々を過ごしている身にとっては、暇つぶしにちょうどいい。善三は浅くしゃがんでから立ってみて、ときどき痛む右ひざの具合を確かめた。
 すると、家の奥から姿を見せた連れ合いの恵美が「どうかしたんですか」と尋ねたので、さきほどの経緯を説明すると、恵美は「じゃあ、私も行きますね。あなたは最近、段差もない場所でつまづいたり、ひざの具合が悪くなったりするから、後ろからついて行くことにします」と言った。

 村役場裏の公園には、十人弱の村の面々が集まった。多くが七十代以上で、善三よりも年上も二人いる。六十以下の作業ジャンパー姿の連中は、手が空いている村役場の職員が駆り出されたようだった。善三は幼なじみの者たちと互いに「何かしらんけど、まあ協力してやろうや」「謝礼も出るそうだから」「どうせ暇だからな」などと言い合った。
 古館が大声でみんなに説明した。村のあちこちでゾンビが出現したり、近づいて来たりするシーンを撮りたいので、その都度指示したとおりに動いてください、何をやっているのか意味が判らないとは思いますが、編集で映画の場面としてちゃんと組み入れますので、とのことだった。スタッフは古館しかおらず、ハンディカメラで撮るという。
 最初はゾンビっぽい歩き方について全員がレクチャーを受けた。とにかくよろよろと、身体の具合が悪そうな感じでやってほしいと言われ、片足を引きずって歩いたり、身体を傾けたり、両手で宙をひっかくような動きをしたりした。善三と同年代以上の村人たちは、普段通りの歩き方をするだけで充分にゾンビに見える気がした。
 途中、古館はスマホに向かって「判ってますから。やれることだけやっときますって。そんなに怒鳴らなくてもいいでしょ」と怒鳴り返していた。通話が終わったところで善三と目が合い、「すみません。事故のせいで会社の方もまじてパニクっちゃってて」とバツの悪そうな顔で頭を下げた。

 撮影が始まり、古館の指示で、家の角や植え込みの陰から現れたり、集団で農道を徘徊したり、山道に分け入って木々の間を歩き回ったりした。善三は途中から右ひざが痛み出して、自然と片足をひきずる歩き方になり、カメラを回す古館から「おー、いいですね、その動き。上手い、上手い」とほめられた。
 恵美は常に善三の後ろにいて、「右ひざ、大丈夫ですか? あんまり痛いようなら、これ以上はできないって、言った方がいいですよ」「その先、段差がありますから気をつけてくださいよ」「もっと身体の力を抜いてやらないと。それじゃあゾンビというよりロボットみたいですよ」などと言ってきた。恵美は昔からこまごまとしたことを言ってくるところがあるので、善三は「ああ、判ってる」「そうか? これでどうだ?」などと応じながら、ゾンビの役を続けた。
 休憩をはさみながら撮影は夕方まで続き、さすがに腰が重くなった。集合場所の公園に再び集められて古館から「大変お疲れ様でした、お陰で撮影スケジュールの遅れをある程度は取り戻せそうです」「ありがとうございました、後日必ず謝礼を払います」などと言われ、善三は村人たちと互いに「お疲れさん」と声をかけ合って、解散した。

 自宅に向かう途中、後ろから恵美が「山林の中で撮影した場所、昔は二人で山菜採りをしましたよね」と言ってきた。
「ああ。そういえばお前は、キノコに詳しかったから、みそ汁の具にいろんなのを入れてくれたよな」
 善三は照れくさかったので、いつも旨かったよ、という言葉は省略した。
「結婚する前は、あの山道の先の展望台に行って、ベンチに座っていろいろお話をしましたよね。好きな音楽の話とか、映画の話とか。麓のボウリング場に行こうって誘われたのも、あそこでした」
「そうだったか?」
「あら、覚えてないんですか?」
「いや、覚えてないっていうか、村の連中に気づかれずに会うとすれば、あそこしかなかったから、そういう思い出はたいがい、どうせあそこだろうけど」
 恵美は「確かにそうですね」と言ってほがらかに笑った。
「思えばお前には、何もしてやれんかったなあ」善三は前を向いたまま言った。「温泉旅行とか、行こうと思えば行けたのに、そのうちにと思って結局はどっこも行かずじまいで」
「いいんですよ、そんなの」
「息子たちが独立した後は、時間があったんだから、しゃれた店にでも行って、旨いものでも食っとけばよかったな。こんな甲斐性なしの男で申し訳ない」
「いえいえ」
 善三はふと、振り返って恵美の顔を見たくなったが、思い直した。長い間、ろくに顔を見ないままで会話を続けてきたので、急に変なことをするとびっくりさせてしまう。
 家の前まて来たとき、恵美の「私、幸せでしたよ」という声が聞こえた。思い切って振り返ると、恵美の姿は消えていた。
 あいつはときどき、あんな感じで急に現れる。夫が転んで怪我をしないか。ひざの具合は大丈夫か。心配になると姿を見せる。
 家に入ったら、遺影に向かって、今日の出来事についてもう少し話すとするか。善三は玄関戸を開けて、「ただいまー」と無人の家の中に声をかけた。

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