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噴石襲来
しおりを挟むヒロシが山道で立ち止まって「ノボル、疲れてないか?」と小六の息子を振り返ると、身体に較べて大きなリュックサックを背負ったノボルは「ついさっきも同じこと聞かれて、大丈夫って答えただろ」と面倒臭そうに答えた。
まだまだ子どもだと思っていたが、こうやってあらためて見ると背も高くなり、身体は細いものの、体幹はしっかりしている。子どもの成長は早いとはよく言ったものである。
「お母さんも大丈夫?」とノボルの後ろに続く妻のミヤに声をかけると「うん、何とか」と少し息切れ気味に答えた。若い頃は地域で催されるハーフマラソンにしばしば出場していたミヤだが、ここ十年ぐらいは明らかに運動不足で、体重もかなり増えているようである。この後、脱落するとすれば、ノボルよりもミヤの方が可能性が高いだろう。
「お母さん、途中リタイアはダメだよ」とノボルが笑いながら言った。「さっき、休憩小屋を見つけたときに休もうかって聞いたけど、年寄り扱いするなって断ったんだから」
ミヤは「判ってるわよ。だからもうあんまり話しかけないで。おしゃべりしてたら息が切れちゃうから」
「おしゃべりした方が気が紛れて体力の消耗を防げるんだよ。ねえ、お父さん」
「ああ、俺の経験上、それは確かだ」
「じゃあ、二人でしゃべってれば」ミヤは不満げな口調で言った。
ヒロシは苦笑しつつ、前に向き直った。そろそろ七合目といったところだろう。さっきまでは木々が茂る山道だったが、徐々に低木が多くなり、岩肌が目立ち始めていた。この美鶴山はたいした標高ではなく、険しい急勾配もない、初心者にはおあつらえ向きの山である。天気予報では今日は夜まで快晴で、風も強くないというので、不安材料は全くなかった。あるとすれば、ミヤがへばったり、ノボルが転倒するなどして怪我をするかだろう。大学時代に山岳部だったヒロシは、そういう場合も想定して救急キットや携帯食をちゃんとリュックに備えているので、何かあったらむしろ〔頼りになるお父さん〕であることを示すチャンスだと、待ち構えている気持ちさえあった。
息子にノボルという名前をつけたのも、ヒロシの登山好きが高じてのことだった。しかしミヤと結婚して所帯を持ち、父親になったことで、一人登山は引退した。ミヤからの無言の圧力もあった。以来、営業マンとして働きながら、たまにジムで筋トレをする程度のことしかしなくなったので体力にやや不安があったが、今日ここまでの行程でで、美鶴山ぐらいなら全く問題ないことを確かめることができ、安堵していた。
今回の山登りは、ノボルが言い出したことだった。もしかしたら、ノボルなりに気を遣って父親を喜ばせようということだったのかもしれないが、それでも悪い気はしない。
空にはいくつもの白い雲がたなびいていた。空気も旨い。やっぱり山登りはいい。それが初心者向きのコースであっても。
そのとき、突然の地鳴りに見舞われ、ヒロシは足を止めた。背後からノボルが「えっ、地震? やばっ」と言い、ミヤは「きゃっ」と悲鳴を上げた。
「とりあえずしゃがもう。上からの落石に気をつけるんだぞ」とヒロシはと二人に指示を出し、みんなリュックを下ろして、三人でそれを囲む形でしゃがんだ。ノボルが「山登り中に地震とはねー」と笑ったが、その顔は明らかに引きつっていた。
地鳴りはなかなか収まらず、ゴゴゴゴっと不気味な音とともに、足もとの揺れは続いていた。だが、バランスを崩して倒れたり尻餅をつくほどではなかった。
地震にしてはちょっと何か変だな、と思っていると、辺りが暗くなってきた。ヒロシは空を仰いで「あっ、違うっ」と叫び、「見ろっ」と指さした。
美鶴山の頂上付近から黒煙が上がり、さっきまで青かった空を覆い始めて薄暗くしていた。そして、ランダムに小さな岩石が飛来し始めた。
「これは地震じゃなくて噴火だっ。そのうちに大きな岩が飛んで来るかもしれん。さっきの避難小屋に逃げよう」
ヒロシはそう叫んで自分のとミヤとのリュックをつかんで持ち上げ、「ノボル、リュックを持って走れっ」と指示した。
走り始めた直後、後頭部や肩に小さな石が当たった。背後でミヤが「痛いっ」と叫んだ。これは本当にまずい。ヒロシが「大丈夫かっ」と声をかけると、「石が耳に当たった。でも大丈夫」と返ってきた。
何とか避難小屋に到着し、中に入った。息を整えながら互いの無事を確認し合い、壁際に固まってみんなでうずくまった。簡易な作りの木造小屋だが、周囲を囲まれているだけでもかなりの安心感を得られる。
ところが、屋根に当たる石らしき音が、徐々に大きなものになってきた。噴石が本格的に飛来してきたようだった。
「美鶴山って、火山だったの?」とノボルが聞いた。ヒロシは「俺もそういうことまでは知らなかったよ。でも頂上がカルデラになってる山だから、もともと火山だったんだろうな。参ったな、これは」
そのとき、避難小屋のドアが乱暴に開かれて、二人の男が入って来た。いずれも登山者っぽい格好でリュックを抱えており、サングラスをかけて、ひげを伸ばしていた。体格も似ていたが、一人は黒いニット帽、もう一人はジャングルハットをかぶっていた。
「ここは危ないから、今すぐに下に向かって避難してくださいっ」とニット帽が叫んだ。「この後、もっと大きな岩がたくさん飛んで来ます。こんな小屋、簡単に潰されてしまいますっ」
するともう一人のジャングルハットが、「彼は火山学者で、私は地質学者です。この山が噴火するかもしれないと考えて調査に来たところだったんです。どうか彼の言ったことを信じて、すぐに下に避難してくださいっ」と野太い声で言った。
二人の形相に押されて、ヒロシは「あ、はい、判りました」とうなずき、「よし、じゃあすぐに脱出するぞ」とミヤとノボルに言った。ミヤもノボルも、素直にリュックをかつぎ直した。
「とにかく下に向かって逃げてください」とニット帽が言った。「転ばないよう、気をつけて。あと、振り返らないで。顔に石が当たると危険です」
ミヤが「お二人は避難されないんですか」と尋ねた。
「我々はこの後、周辺に残っているかもしれない登山客を誘導するためにしばらく残ります」とニット帽が答えた。ジャングルハットも「あなたたちはとにかく下に向かって一刻も早く逃げてっ」と強い調子で促した。
三人で避難小屋から出て、小走りで下に向かった。ヒロシはミヤとノボルを先に行かせ、後ろから「転ばないように気をつけろっ」「歩幅を小さくしてっ」などと声をかけながら後に続いた。途中で一度、うなじ付近に小石が当たって痛みにうめいた。
登山中に見かけた大きな岩の下に避難できたのは、その数分後のことだった。何とか三人がしゃがめば身を守れそうなスペースがあり、肩を寄せ合って成り行きを見守った。
次々と目の前を、大小の岩が降って落ちていった。中にはボウリングの球ぐらいの岩もあった。あんなのが頭に当たったらひとたまりもなかっただろう。
その後は砂粒や煙で視界が悪くなり、目を閉じて顔を伏せて、音と振動で様子を窺うことしかできなくなった。それでも、無数の岩石が衝突したり転げ落ちたりする音で、すさまじさは理解できた。
やがて視界が利いて、噴石の落下も止んだが、ヒロシは「まだ安全とは言えないから、しばらくここで待機しよう」と言い、ミヤもノボルもそれに従った。ノボルが「まさにら九死に一生の体験だったね。やべっ」と軽い調子で言ったが、声は震えていた。
一時間以上が経って、ようやく救助隊の呼びかけがあり、ヒロシたちはおそるおそる岩の下から出た。担架が用意されていたが、幸い怪我人はいなかったので、救助隊にリュックを持ってもらい、徒歩で下山した。その途中、岩の下に逃れた経緯などを聞かれたので、火山学者さんと地質学者さんの忠告で避難小屋から逃げて来たことを説明した。
麓の病院で診察を受けた後、ミヤが「あの学者さんたちのお陰で助かったのよね」とつぶやくと、ノボルも「うん、あの人たちは俺たち家族の命の恩人だな」と応じた。
――家に帰って平穏な日常に戻った数日後の夜、ヒロシが仕事を終えて帰宅した直後に、二人の刑事の訪問を受けた。「避難小屋から逃げるようにと言ってきたのは、この二人ですか」と写真を見せられ、ヒロシは「ええ、そうです」とうなずいた。一緒に応対したミヤもノボルも「そうそう、この人たちです」と答えた。
「この二人は押し潰された避難小屋の下敷きになって、大きな噴石に潰される形で死亡していました」とヒロシと同年代の刑事は淡々と言った。「どうやら、みなさんを避難小屋から追い出して、自分たちだけが助かろうとしたようだったのですが、結果的にはそこに残ったせいで噴石と火砕流によって命を落としたようです」
「えっ」とミヤが言った。「でも、あの人たちは火山学者と……」
「そう名乗っていたそうですが、本当は指名手配されていた連続強盗犯の二人組だったんです。どうやら捜査の手から逃れるために、登山者を装ってあちこちの休憩小屋や駐車場で盗みを働きながら隠れていたようで。みなさんを追い出したのは、指名手配犯だと気づかれるかもしれないと思ったからだろうと」
ヒロシは言葉を発することができなかった。命の恩人だと思っていたあの二人は、本当は避難小屋を占領しようと自分たち騙して追い出しただけだったとは……。
説明と報告を終えた刑事たちが帰って行くのを見送ってドアを閉めたとき、ミヤが「びっくりね。命の恩人どころか、その逆だったなんて」と言った。
「……悪さをしたら結局は報いを受けるっていう、因果応報ってことかな」
するとノボルがぽつりとつぶやいた。
「でも結果的には、ぼくらの命の恩人ってことになるんだよね、あの人たち」
ヒロシは複雑な気持ちを抱えつつ、「まあ、そういうことになるね……」とあいまいにうなずいた。
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