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見守る者たち

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 受話器を耳に当てるなり、「ハルカ、これは絶対に秘密だからな」とおじいちゃんは言った。ハルカが「えっ、何が?」と聞き返すと、「誰かそばにいるか?」と逆に尋ねるので、リビングでテレビを見ていたお父さんとお母さんを見ながら小声で「うん」と答えると、おじいちゃんは「だったら電話ではこれ以上のことは教えられん。今からこっちに来てくれ。お前のその目で確かめてもらいたいんだ」と言い、ハルカの返事を聞かないまま通話を切ってしまった。
 おじいちゃんは、海辺の丘の上に住んでいる。お父さんの方のおじいちゃんだ。ハルカが幼稚園のときまではおばあちゃんもいて一緒に住んでいたけれど、病気で亡くなってしまってからは一人で暮らしてる。
 ここからおじいちゃんの家まで、三十キロぐらいあるので、自転車で行くに遠すぎた。行くならバスだ。今は午後二時前ぐらいなので、夕食までに行って帰って来ることはできそうだった。
 こういうときにスマホがあれば、自分の部屋で〔絶対に秘密〕だという話を聞くことができたのに。小五のハルカはまだスマホを持たせてもらっていない。クラスメイトたちはもう持ってるからと頼んでも、お父さんからもお母さんからもダメだと言われた。それでも根気強く交渉した結果、残る二学期と三学期の成績が上がったら、六年生の誕生日に買ってもらえることになった。だから最近は割と勉強も頑張っている。
 それにしても、どうして急におじいちゃんに呼びつけられて、従わなきゃいけないんだろうか。ハルカは、ちょっとムッとした気持ちになっていた。
 電話をかけ直して、用事があるから行けないって言おうか。
 でも、行かないとものすごく損をする可能性もあると思った。おじいちゃんがわざわざ孫娘を指名して、絶対に秘密だと前置きして、来るようにと言ったぐらいなのだ。
 迷いはしたけれど、ハルカは行ってみることにした。今日は日曜日で、友だちと特に約束もしてなかったし、この日のドリルのノルマもこなしたから、後はマンガでも読もうかと思ってただけだ。暇つぶしにちょうどいいかもしれない。

 ハルカはパーカーをはおり、財布をジーンズのポケットに入れて、お母さんに「図書館に行って来る」と言って外に出た。自転車でホームセンターまで行き、そこの駐輪場に自転車を駐めて、近くのバス停へ。タイミングよく、おじいちゃんち方面行きのバスはすぐにやって来た。
 車内は空いていた。ハルカは一人用の席に座り、窓から外の景色を眺めた。
 おじいちゃんから電話で聞いた言葉がよみがえった。
 絶対に秘密だからな。お前のその目で確かめてもらいたい。
 いったいどういう意味なんだろうか。
 絶対に秘密で、自分の目で確かめる必要があることって、どんなことだろう。
 もしかして、家の床下か屋根裏あたりから、先祖が残したお宝みたいなものが見つかったとか? でもそれだったら、小五の孫娘じゃなく、お父さんに連絡するんじゃないか。
 いや、おじいちゃんとお父さんは最近、仲があまりよくないんだった。
 お父さんが言うには、おじいちゃんは最近、もの忘れが多くなって、認知症が進んでるんじゃないかという。だからこれまでにも何度となく電話をかけて、診察を受けるようにと勧めたのだけれど、おじいちゃんはお父さんの言い方が気に入らなかったようで、口げんかになったようなのだ。
 だから、おじいちゃんは、お父さんにではなく、孫娘にお宝を渡そうと考えたのではないか。お母さんに話をしても、どうらお父さんに筒抜けになるだろうから、教えるなら孫娘しかいないと思ったのではないか。
 おじいちゃんはそろそろ八十歳になる。八十歳は傘寿ともいう。漢字の傘を草書という崩し字で書くと、八の下に十があるように読めるからだ。最近、辞書をランダムに開いて毎日一つずつ、それまで知らなかった言葉の意味を覚えるようにしている。傘寿はつい先週、その辞書を開いて覚えたものだった。

 ハルカは、お宝以外の可能性についても考えてみた。
 たとえば床下に、大昔に密かに作られた抜け穴を見つけた、とか。近くにある雑木林のどこかにでも出られることが判ったので、孫娘に見せてびっくりさせようとした。
 待てよ。一口にお宝といっても、いろいろあるんじゃないか。財宝的なものだとは限らないではないか。だったら、あまり期待しすぎない方がいいかもしれない。
 もしかしたら、見つかったのが古い木の箱で、ふたを開けてみたらカッパか何かのミイラが入っていた、みたいな。でも、それはそれでちょっと面白いかもしれない。全国的に注目を浴びることになり、ハルカ自身もテレビ出演をして、それがきっかけで、芸能事務所から声がかかって、タレントへの道が開けたりして……。
 ハルカは「バカ、何考えてんのよ。そんなわけないっしょ」と自分に毒づいた。
 ハルカはテレビに出たり新聞に載ったりしたことはないが、おじいちゃんはある。三年ぐらい前に、水路に落ちた地元の小二男児を、たまたま通りがかったおじいちゃんが助けて、警察署だったか消防署だったか忘れたけれど、感謝状をもらう様子がローカルニュースで流れ、地元の新聞にも載ったのだ。助けられた小二男児は、虫取り網を使ってエビや水生昆虫を捕っていて、足を滑らせたのだという。
 そういえば、おじいちゃんとお父さんの仲が悪くなったのは、そのときのことも関係してるんじゃないか。お父さんは、おじいちゃんの行動をほめたりせず、「お父さんも水路に落ちて溺れてたかもしれないんだよ。もう年なんだから、無茶なことはしないでよね。誰か助けを呼べばよかったでしょ」みたいなことを言ったのだ。おじいちゃんは「誰かを呼びに行っている間にあの子が溺れたらどうするんだっ、バカ」と言い返し、お祝いをすることになって家に呼んでいたおじいちゃんは、ものすごく怒って、途中で家に帰ってしまったのだ。
 そんなことを考えている間に、バスは目的地に到着した。

 おじいちゃんの家は、海が見渡せる、ちょっとした丘の上にある。昔はそこに十数件の集落があって、農地や牛の放牧地があったそうだけれど、みんな年を取って亡くなったり引っ越したりして、ご近所さんは誰もいなくなってしまっている。
 一度、おじいちゃんに「一人で暮らしてて寂しくない?」と聞いてみたことがあるけど、おじいちゃんは「心配してくれてありがとうな。でも毎日、やることがいろいろあるからね」と笑っていた。おじいちゃんのさらなる話によると、ご飯を作ったり掃除や洗濯をしたり、三キロ先の小さなスーパーまで自転車をこいで往復し、夕方にはたっぷり散歩もするから、夜は風呂に入ってテレビを見ていたらすぐに眠くなって、寂しいと思う暇なんてない、とのことだった。
 ただ、そのときに少し気になったのは、おじいちゃんが「ほら、あれが」といった感じの言い方を何度もして、単語が思い出せないらしい場面が多々あったことだった。そのときにハルカも、おじいちゃんは軽度の認知症が始まっているのかも、と感じたことは確かだった。さっき電話で話したときも、声の調子はしっかりしていたものの、話の内容はちょっと変だなと感じた。
 だから、やっぱりもしかしたら、という疑いをぬぐうことはできないでいた……。
 それはともかく、おじいたゃんが言っていた、絶対に秘密で、この目で確かめろというのは、何なのだろうか。

 バス停から一キロほど歩くとやがて、黒ずんだブロック塀に囲まれた、屋根も外壁も色あせた二階建ての家に到着した。きっと、おじいちゃんが亡くなったらここはもう誰も住まなくなって、解体されることになるのだろう。
 そんな家だけれど、裏庭に回ると、海と空のパノラマが広がっているのだ。去年の夏休みに遊びに来たときは、穏やかな海は青い空を反射して波光がきらめいていた。風が心地よくて、空にも海面上にも海鳥がたくさんいた。
 今回の訪問は秋の涼しい季節だけれど、天気自体はよかった。
  出迎えてくれたおじいちゃんは、いつものように背筋がぴんとしていて、元気そうだった。認知症が進行しているようにはやっぱり思えない。ハルカは、ちょっと失礼な想像をしてしまったようだと思い、心の中で、ごめんなさい、と謝った。
 おじいちゃんは「よし、じゃあさっそく見てもらおう」と言い、家屋の横から回り込んで、雑草が低く茂っている庭にハルカを案内した。
 去年の夏と違って、この日は空も海も青というより、全体の色彩は灰色の方が勝っていた。海鳥も今日はどこにもいない。
 それでも、上下左右に広がる空と海の眺めは、何だかこちらに迫ってくるような存在感があって、波光のきらめきも見とれるほどにきれいだった。

 隣に立ったおじいちゃんは、「今日はまだ姿を見せんなあ」と、片手で目の上にひさしを作って、左右を眺め回した。「今頃の時間帯によく現れるんだよ」
 ハルカが「何が現れるの?」と尋ねると、おじいちゃんはあっさり「潜水艦だよ」と答えた。「一隻のときもあれば、数隻のときもある」
「本当に?」
「ああ、半年ほど前から、この目で何度も見てる。どこの国の連中なのかは判らんのだが、今日みたいに天気がいい日には、たいがい現れるんだ。特にあの辺りだな」
  おじいちゃんは海の、沖合の方を指さした。
  日本の潜水艦って、こんなところで演習か何かをしてるんだろうか。
 もし外国の潜水艦だったとしたら、もしかして、大スクープ?
 いや、日本の潜水艦だとしても、国民に内緒で何かをやっているのだとしたら、やっぱりスクープなんじゃないか。
 このことが公になったら、たちまちマスコミが殺到して、ハルカは何度もテレビに映り、芸能事務所から声がかかって……。いや、そんなこと、あるわけないか。
 ハルカは、今ここにスマホがないことを残念に思った。撮影できたら、すぐにネット上に拡散できるのに。
 ハルカは「おじいちゃん、スマホとか、ある?」と聞いてみたが、「いや、持っとらん」とそっけない返事を聞いただけだった。

  しばらくの間、二人で海を見つめていた。潮の香りが鼻孔に届いた。
「でもな」とおじいちゃんは海に視線を向けたままつぶやくように言った。「連中、姿を見せはするんだが、いつもそれだけでな。怪しい動きが全くない」
「そうなの。でも、それって、どういうこと?」
「最初は、オレがここから見ていることに気づいて、警戒してるんじゃないかと思ったんだが、それにしては潜水艦のくせに開けっぴろげに姿を見せるから、どういうことだろうと思ってね。そうするうちにオレはこう思うようになったんだ。連中はもしかすると、海の環境を守るために見回りをしとるだけなんじゃないかって」
  ハルカは心の中で、大きくため息をついた。おじいちゃんの言葉自体はしっかりしているけれど、言っていることの内容がやっぱり変だ。
 お父さんが疑っていたように、やっぱりおじいちゃんには認知症が進行しているようだった。
 どういう理由を作って、もう家に帰らなきゃいけないって説明しようか、とハルカが考え始めていると、おじいちゃんはさらに続けた。
「そうこうするうちに、連中とオレとの間には、暗黙の了解事項ができたんだ。連中と直接しゃべったことはなくても、何度も会ううちに気持ちは伝わるもんだ。オレはこの丘から海を見守る。連中は海の中から見守る。互いにそうやって、宝の海を子孫に残そうじゃないか、とね。ハルカ、お前だけに教えるのは、このことが広く知られてしまったら、心ないやつらがやって来て、連中に迷惑をかけてしまうかもしれんと思ったからなんだ」
  ハルカは本心を隠して、作り笑顔で「なるほど、そうなんだ」とあいづちを打った。用事を思い出したとでも言って、そろそろ帰ることにしよう。
 そのときだった。

「おっ、来よった来よった。今日は三隻じゃな」
  おじいさんが弾んだ声で指さした。ハルカはその方向に目をこらした。
  きらめく波の上に三つの大きな影。ハルカは静かに息を吐いた。
 おじいちゃん、違うよ、あれはクジラだよ。
 でもハルカは、それを口にはしないでおいた。黙ったままおじいちゃんと並んで、三つの黒い影を見つめた。ここからは二百メートルぐらいの距離がありそうなので、はっきりとは見えてないけれど、一頭が潮を吹いたらしかった。その水しぶきはたちまち宙で拡散して、空に溶けていったようだった。
 この辺りにクジラがいるなんて、今まで聞いたことなんてなかった。温暖化の影響ってやつだろうか。
 それはともかく、今のこの眺めが、見る者の心を癒やしてくれることは確かだった。集落から人がいなくなった海辺の丘から、クジラたちを見物。そしてここは特等席だ。
 ハルカは心の中で、おじいちゃんに礼を言った。
 素敵な場に立ち会わせてくれてありがとう。あなたと彼らの秘密は、きっと守ります。
 
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