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雨の放課後
しおりを挟むやばそうだなと思っていた曇り空が、ついに持ちこたえられなくなったかのように、ものすごい雨を降らせ始めた。外は夜みたいに暗く、激しい雨音が校舎内に響いていた。
5年B組の笠木ミオは、放課後の誰もいない教室に戻ったところだった。放送委員として、給食中に校内放送で朗読する話のネタになる本を、図書室で探していたのだ。
図書室で借りたその児童小説集をランドセルに入れて帰ろうとしたとき、教室のドアが開いて「あーあ、急にこの雨かよ」という声が聞こえた。振り返って、ギョッとなった。
清水ミツルだ。ミオが四月に転校してきて、ずっと避けていた男子。みんなを笑わせるのが得意で、女子にも人気があるが、ミオにとっては、かかわりたくない相手だった。
清水ミツルが飼育委員で、火曜日の放課後は来客用窓口の前にある水槽の掃除を担当していたことを思い出した。今日がその火曜日だった。
ミオが教室から逃げ出そうと席を立ったとき、校内放送が始まった。
「全校生徒にお知らせします。雨が強いので、すぐには帰宅せず、あらためて校内放送があるまで、しばらく教室に待機してください」
このだみ声は、教頭先生だった。帰りたいのに帰れない。最悪だ。
「お前……笠木だったよな」と清水ミツルが呑気に言った。何で残ってたんだ?」
ミオが「ちょっと」とだけ答えると、清水ミツルは「ちょっとって何だよ」と言ったが、それ以上のことは聞いてこなかった。
居心地の悪い時間だった。ミオは図書室で借りた児童小説集を読むことにして、ランドセルから出したとき、不意に清水ミツルが「大雨が水曜日だったら許せるけど、火曜日って、何かモヤモヤするんだよなー」と言った。「燃えるゴミの日が火曜日じゃなくて水曜日だったら何か気持ち悪いのと一緒でさ」
ミオが返事をしないでいると、雨の音にまぎれて、チッ、という舌打ちが聞こえた。
「笠木よぉ、お前らがやってる給食時間の放送、はっきり言って、つまんねえな。イソップとかグリムとか、とっくに知ってる話ばっかで、退屈すぎるぜ」
その言葉にはさすがにむっとなり、ミオは児童小説集をぱたんと閉じた。
「何のアイデアもないくせにっ」とミオは言い返して振り返り、キッと睨みつけた。すると、頭の後ろで両手を組んでいた清水ミツルが一瞬だけひるんだようだったが、「じゃあ、一つネタを提供してやろうじゃねえか」と、不敵な笑い方をした。「ムカデのおつかい、なんてどうだ?」
ミオが「は?」と顔をしかめると、清水ミツルはにやにやしながら、「ムカデの家に、バッタとカタツムリが遊びに来てて、三人でお菓子食べながら一緒にゲームしてました」と話を始めた。「でも、すぐにお菓子がなくなってしまいます」
何だ、その話は? と思ったけれど、ちょっとだけ話の続きが気になった。
清水ミツルは、思わせぶりにしばらく間を取ってから「で、バッタがコンビニに買いに行くよって言ったけど、あとの二人は反対した。なぜなら、バッタはぴょんぴょん跳びはねるから、袋からお菓子が飛び出しちゃう」と続けた。「なのでカタツムリが、だったらボクが買いに行くって言ったけど、やっぱり残る二人は反対した。なーぜか?」
ミオは無視しようかどうか迷ったが、「カタツムリは歩くのが遅いから」と答えた。すると、清水ミツルは「ピンポーン」と笑った。
まずい、あいつのペースに引き込まれそうだ。でもさらなる続きを知りたくなった。
清水ミツルは「で、結局ムカデが買いに行くことになって、バッタとカタツムリも、じゃあ頼むよってなった」と続けた。「ところが、三十分経っても一時間経ってもムカデは帰って来ない。バッタとカタツムリは、いったいどうしたんだろうって心配になって、探しに行くことにした。さて、ムカデはどうなっていたでしょう?」
知らないって、そんなの。ミオは振り返らないで「車にひかれてた」と答えた。
「そんな結末、何が面白いんだよ。てか、お前ひでえな、ムカデがかわいそうだろう」
「そこまで言うんだったら、面白い答えがあるんでしょうね」
清水ミツルは「ムカデはねー」と言ってから、わざとらしく長めの間を取り、「玄関でまだ靴をはいてるところでした」と言い、「へへっ」と笑った。
たくさん足があるムカデが、一足ずつせっせと靴をはいている様子を頭に浮かべたミオは、不覚にも、ふっ、と笑ってしまった。
清水ミツルが「この話、給食中の放送で使っていいぞ」と言ってきたので、ミオは「気が向いたらね」と、そっけない口調を心がけて答えた。
しばらく間ができた後、不意に清水ミツルが「笠木は結構いい声してるよな」と言った。「頑張ったらプロの声優とか、なれんじゃね?」
ミオはどきっとした。誰にも言ったことはないけれど、声優になれたらいいな、と思ったりはしていたのだ。自分から放送委員を希望したのも、そのせいだ。でも、女子の友だちでなく、今まで避けていた清水ミツルから、こんなことを言われるとは。
ミオは、お返しとして、清水ミツルのユーモアセンスとか、サッカーが上手いことなどをほめようかと思ったけれど、ためらっているうちに、清水ミツルが「お前、何でか知らないけど、俺を嫌ってるよな。別にいいんだけどよ」と言った。
気がつくと、雨音が急に弱まってきていた。窓を見ると、空も少し明るくなっている。
ミオは、どうする? と自問してから、よし、と心の中でうなずいて言った。
「ある男子が、転校してきた女子から、なぜか避けられて、無視されていました。その男子は別に悪いことをしていないのにです。理由は何でしょう」
清水ミツルは「はあ?」と言ってから「顔が生理的に無理だった」と答えたので、ミオは前を向いたまま頭を横に振った。すると彼はさらに「がさつで声が大きいところが苦手」「おならをして男子を笑わせたのが下品だと思った」「教室内で紙ヒコーキを飛ばしたりピンポン球で野球ごっこをするのがうっとうしい」などと続けたが、ミオがことごとく頭を振ったので、「おい、自分で自分の悪口を何回も言わせるなよ」と文句を言った。
ミオは一度深呼吸をしてから、「今までごめん」と大きめの声を心がけて言った。
ミオの脳裏に、いくつかの場面がフラッシュバックしていた。グループからの無視、くすくす笑い、上履きがなくなったり、机に足跡がついていたり。理由は今も判らない。
ミオは振り返って、「私、前の学校で女子グループにいじめられてたんだ」と続けた。
「そのいじめの中心人物が、清水ミツルって名前の女子だった」
すると清水ミツルの表情が、次々と変化した。驚き、あきれ、そしてちょっと怒ってる。
「はあ? 嫌いだった女子の名前とかぶってたから、俺のことも嫌ってたのか?」
「だから、ごめんって」ミオは両手を合わせて、顔をしかめながら頭を下げた。「だって、転校して嫌なやつと会わなくて済むようになったと思ったら、転校先にまた同じ名前のコがいたら、何か呪われてるんじゃないかってなるじゃない」
「その清水ミツルって女、俺とは別に似てないんだろ」
「似てない。あいつはユーモアのかけらもない、面白みのないやつだった」
「だったら……ちょっとひどくねえか。ほんとは俺、結構気にしてたんだぞ」
「だから、ごめんって」
「かーっ。こりゃ、参ったね。全く予想できなかったオチだわ」
幸いなことに、清水ミツルは片手で自分の額をバチンと叩いて苦笑いをしてくれた。
雨音が消えていることに気づいて窓を見た。どうやら雨はやんだようだった。
そのとき、清水ミツルが「おっ」と窓を指さした東の空にはうっすらと虹がかかっていた。それを眺めてから顔を見合わせ、何となく、自然と笑い合えた。ミオはおなかがじわっと温かくなるのを感じた。
校内放送が再び聞こえた。雨が止んでいるうちに、すみやかに帰宅するように……。
――その後、清水ミツルとは学校内でちょいちょい視線が合うようになった。廊下ですれ違うときなんかは「よう」と言われて、うなずき返したりもした。でも、いつも互いの友だちが周囲にいるせいで、二人だけで話をする機会はなかった。
ミオは、ムカデの話を文章にまとめて給食中の放送で朗読した。すると、予想以上にウケて、話をしたことがなかった別のクラスのコたちからも「あの話、またやってよ」とリクエストをもらうようになった。
そのまま夏休みが過ぎ、九月に入った。厳しい残暑が続く下旬の火曜日の放課後、急にいつかのような大雨が降り始めた。
ミオが図書室から教室に戻り、帰り支度をしていると、後ろのドアが開く音がした。
「よう」というあの声が聞こえて、ミオは心の中で祈った。
しばらく教室に待機するように、というあの校内放送が早く始まりますように。
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