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ベーゴマの神様
しおりを挟むおじいちゃんが住んでいた田舎町の古い家は、床や階段を踏むとぎしぎしと鳴り、暗くなると周囲からいろんな虫の鳴き声が聞こえていた。
明日はお盆に合わせておじいゃんの七回忌の法要をするとのことで、ハルカはお父さんお母さんと一緒に、その前日の土曜日に、この古い家に泊まることになった。おじいちゃんが亡くなった後この家は、お父さんのお兄さんであるタツオ伯父さんとフミコ伯母さんの夫婦が住んでいる。同年代の従姉妹がいないせいで、小五のハルカにとっては、今日と明日は退屈な時間となりそうだった。
夕食のときから、伯父さん夫婦とお父さんお母さんはビールを飲み始め、昔話に花を咲かせていたが、ハルカには全く興味のない内容だったので、途中でこっそり抜け出して、以前おじいちゃんが使っていたという二階の和室に行ってみた。
おじいちゃんは、亡くなる前は病院のベッドに寝ていたのだけれど、ハルカはそのころまだ三歳か四歳だったので、ほとんど記憶がない。何となく、病室で頭をなでてもらったり、笑顔で話しかけられたことをおぼろげに思い出す程度だった。ただ、おじいちゃんにとってはハルカがただ一人の孫だったそうで、元気になって一緒に遊びたかった、と悔しそうに言っていたらしい。
おじいちゃんが使っていた部屋は片付けられていて、殺風景そのものだった。でも、念のために押し入れのふすまを開けて中に潜り込んでみたところ、ほこりっぽい匂いがする布団と壁の隙間に、小さな金属物が落ちているのを見つけた。
それは灰色にテカっていて、ちょっと平べったくて三角すいの形をしていた。ハルカはそれをハンコかな? と思った。なぜかというと、平面の部分に〔神様〕という文字が立体的に彫られてあったからだ。でもハンコだったら文字が鏡映しになっていなきゃいけないと気づいて、だったら何なのだろうと考えながら、ハルカは何となくそれが欲しくなって、ハーフパンツのポケットに入れた。別にこっそりもらったとしても誰かに怒られるようなものではないだろうと思った。
そのとき、一階から「ハルカ、フミコ伯母さんが縁日に連れてってくれるってさ」とお父さんが呼びかけた。階段を下りて「縁日、やってるの?」と聞くと、お酒で少し顔が赤くなったお父さんは「といっても、神社の境内にいくつか露店が並んでるだけなんだけどね。焼きそばとか、くじ引きとか金魚すくいとか、そんなところだろう」と言った。
ハルカが「行きたい」と言うと、フミコ伯母さんが笑って「じゃあ、ちょっと行ってみよっか?」と座卓に両手をついて腰を浮かせた。
フミコおばちゃんのTシャツにジャージ姿はボンレスハムみたいだ。でも、基本的にはいつもにこにこしていて優しい人なので、ハルカにとっては心許せる大人である。
縁日をやっている神社の境内は、歩いてほんの五分ぐらいの距離にあった。お父さんが言っていたとおり、それほど広くない場所に、わたあめ、かき氷、くじ引き、金魚すくい、焼きそばなどの露店があるだけで、大にぎわいというほどではなく、地元の家族連れや子どもたちがそこそこ集まっている、という程度だった。女子の中には浴衣を着ている子もいたけれど、男子たちはTシャツ姿が多かった。
境内に入るなり、フミコ伯母さんが「ハルカ、ごめん、ちょっとトイレに行かせて。これで好きなものを買ってていいから」と財布を丸ごと渡された。えーっと思っているとフミコ伯母さんは「境内からは出ないようにね」と言い残して、行ってしまった。
小五の女児を放置するのかよ。ハルカはため息をついたけれど、とりあえずは露店を見物してみたかったので、中を歩き始めた。
だいたいは、どこでもやっているお祭りや縁日の露店と代わり映えしなかったけれど、一か所だけ、興味を覚える場所があった。
けん玉、竹製の水鉄砲、ビー玉、千代紙、おはじき、メンコなどの、昔のおもちゃを売っている露店があった。ハルカにとっては珍しいものが多くて、へえ、と思いながら眺めるうちに、見覚えがあるものが紙箱の中に入っていることに気づいた。平べったい三角錐で灰色に光る、ハンコみたいなやつ。それが箱の中に何十個もあった。見ると、それらの平べったい部分は、家紋や手裏剣らしき模様のものなど、さまざまだった。
「おじさん、これって、おもちゃなの?」とハルカが聞いて見ると、露店をやっていたおじさんというよりおじいさんは、「それはベーゴマっていう昔のおもちゃさ。ひもで巻いて、専用の土俵で戦わせるんだ」と答え、「ここの裏で対戦やってるから、興味があったら見て行きなよ」と、親指で後ろの方を示した。
ベーゴマという名前は聞いたことがある。へえ、これがそのベーゴマだったのか。ハルカはどうやって遊ぶものなのか、ちょっと興味を覚えて、露店の裏に回ってみた。
そこは電球の照明があまり届いてなくて暗かったけれど、小学校の高学年らしい男子数人が集まって、ベーゴマ遊びをやっていた。なぜか示し合わせたかのようにみんな坊主頭で、よれよれのランニングシャツに半ズボンという、社会の教科書の写真にあった昔の子どもたちみたいな格好だった。
遠巻きに見物しているうちに、ある程度のルールは理解できた。大きなバケツみたいなものの上に布を張って土俵を作り、ベーゴマをひもで巻いて、コマ回しの要領で投げて、その土俵の上でぶつけ合うのだ。ベーゴマは金属でできているせいで、ぶつかると火花が出る。薄暗い場所で見ると、ちょっとそれが神秘的に思えた。
ぶつかって、ベーゴマが外にはじき出されたら負け。しかも、負けたらそのベーゴマは勝った子のものになるらしい。男子たちは対戦の度に「よっしゃー」とか「あー、くっそー」などと歓声を上げていた。
すると、坊主頭の男子の一人が振り返って、「あれ、見かけない顔だな」とハルカに言った。さらに「転校生か?」と聞かれたので、ハルカは頭を横に振り、「おじいちゃんの法事で来てるだけ」と答えた。
別の男子が「よう、ヒビキ、女なんか放っとけよ」と言ったけれど、ヒビキと呼ばれた男子は「ベーゴマのやり方、知ってるか?」とさらにハルカに聞いてきた。
ハルカは再び頭を横に振って「やったことないけど、一個だけ持ってるよ」と、ポケットから出して見せると、ヒビキと呼ばれた男子は顔を近づけて「わっ、プロレスの神様、カール・ゴッチのを持ってるぞ」と大きな声で言った。
他の男子たちが「うそだろ」「どれどれ」などと言いながら集まって来て、「わっ、本当だ」「初めて見た」「すげー」などと騒ぎ出した。
「カール・ゴッチ?」とハルカが尋ねると、ヒビキが「必殺ジャーマンスープレックスの使い手でプロレスの神様と言われてる無冠の帝王だよ。もう一人、鉄人ルー・テーズっていう世界チャンピオンがいて、この二人には力道山も苦しめられてるんだ」
「鉄人のベーゴマなら、ヒビキ持ってるよな」と男子の一人が言い、ヒビキは「ああ」とうなずいて、半ズボンのポケットからそれを出して見せた。確かに〔鉄人〕とあった。
「でもはっきり言ってよぉ」とヒビキが続けた。「鉄人はまあまあ出回ってるんだけど、神様は珍しいんだ、製造数が少ないらしくて。おめぇ、すごいの持ってるな」
そんなにレアなベーゴマだったのか。ハルカは、男子たちが欲しそうに見てくるので、何となくそのベーゴマを握って引っ込めた。
「何だったら、回し方、教えてやろうか?」とヒビキが言った。「カール・ゴッチのベーゴマを持ってるのに回せないなんて、宝の持ち腐れだぜ」
他の男子はともかく、ヒビキという子は何となく信頼できるような気がした。また、実際に自分で回してみたいという気持ちもあったので、ハルカは「うん」とうなずいた。
他の男子の中からは「そんなことしてたら勝負できねえじゃねえか」などと文句も出たが、ヒビキが「すぐに終わるって」となでめ、ひもの巻き方や投げ方を教えてくれた。
最初の何回かは、全然回らなかったり、土俵の外に投げてしまったりしたけれど、ヒビキが丁寧に教えてくれたお陰で、十分ぐらい経ったら、そこそこできるようになった。
そこで、男子の一人が「じゃあ、こいつにも参加させようぜ」と言い出し、ハルカはその男子と対戦することになった。
一応、回すことはできたけれど、回転力が足りず、すぐに相手のベーゴマにはじき飛ばされて外に落とされてしまった。その男子は「へっへっへっ、もーらいっ」と、〔神様〕を拾って自分のポケットに入れた。あーあ、レアなベーゴマだったのに。
何だか急に悔しくなって、ハルカは泣きたくなった。
そのとき、ヒビキから肩をぽんぽんと叩かれて、小声で「心配すんな、俺が取り返してやっから」と笑いかけてきた。よれよれのランニングシャツで坊主頭のサルみたいなヒビキが、一瞬だけ騎士のように思えた。
「おい、ヒデ、俺と対戦だ。逃げるなよ」とヒビキが言うと、ヒデと呼ばれたその男子は、「ああ、望むところだ。ただし〔神様〕を出すのは最後だからな。その前にお前の〔鉄人〕もいただくことになるぜ。吠え面かくなよ」と不敵に笑った。
ヒビキとヒデの対戦が始まった。実力はヒビキの方が上のようで、次々とヒデのベーゴマをはじき飛ばして獲得していったが、ヒデが〔力道山〕というベーゴマを出すと、逆にヒデが取り返し始めた。他の男子たちが見物しながら口にしていることを総合すると、力道山は日本を代表するプロレスラーで、鉄人ルー・テーズや神様カール・ゴッチと勝ったり負けたりというライバル関係らしい。
しかし、ヒビキが〔鉄人〕のベーゴマを発動させると、〔力道山〕との激しいぶつかり合いを制して、ついに勝利した。ハルカもさすがに興奮して、「やったー」と飛び跳ねた。
その後は、いったん奪われたベーゴマが、次々とヒビキのところに戻っていった。他の男子たちが「やっぱりヒビキと〔鉄人〕のコンビは特別だぜ」「必殺バックドロップは空手チョップより上ってことかな」などと言っていた。
そしてついに、ヒデのベーゴマは、ハルカから奪った〔神様〕だけになった。ヒビキが「決着のときがきたぜ」と言うと、ヒデは少し引きつった顔で「本当の勝負はここからだぜ」と返した。
勝負は大激戦だった。ヒビキの〔鉄人〕とヒデの〔神様〕は何度も激しくぶつかって、そのたびに火花を散らせたが、どちらも土俵内にとどまった。三回、四回とぶつかり合った後、五回目に両方のベーゴマが同時に外に飛び出した。
ヒビキがそれを片手でキャッチ。ヒデもキャッチしようとしたが、手のひらの上でお手玉のように跳ね、取り損ね、地面に落ちた。見物していた男子たちが「おーっ」「やったー」「ヒビキが勝ったー」などと歓声を上げた。どうやら、両方が外にはじき出された場合はキャッチした方が勝ち、というルールがあるらしい。
そのとき、「ハルカー、どこー?」というフミコ伯母さんの声が聞こえたので、「ここにいるよー」と返事をし、声がした露店の方に小走りで向かった。
「ああ、ごめんね」とフミコ伯母さんは苦笑いで両手を合わせた。「急におなかの調子が悪くなっちゃって」
「大丈夫?」
「うん、もう大丈夫だから。何か欲しいもの、あった? 遠慮しなくていいからね」
「ありがと。あ、ちょっと待ってて」
ハルカは言い置いて、さっきの場所に戻った。
ところが、さっき集まっていたはずの坊主頭の男子たちは、忽然と消えていた。しかも、ベーゴマの土俵として使われていたはずの布を張った大きなバケツもなくなっている。ただただ薄暗い、土がむき出しのスペースが残っていただけだった。試しに「ヒビキーっ」と呼びかけてみたけれど、応答はなかった。
念のため、境内の中をあちこち探し回ってみたけれど、ヒビキたちは見つからなかった。それだけではなく、あの昔のおもちゃを扱っていたはずの露店も消えていた。フミコ伯母さんが「どうかしたの? 何を探してるの?」と聞いてきたけれど、説明しても信じてくれないと思ったので、「ううん、何でもない」とごまかしておいた。
結局、その後はアメリカンドッグを一つ食べて、水風船釣りをやって、獲得した水風船を片手でバシャバシャとはじきながら、帰ることになった。
翌日、おじいちゃんの法要の後、タツオ伯父さんが、「ハルカ、おじいちゃんが持っていた子どもの頃の宝物箱があるぞ」と笑いながら言って、あちこちにサビが浮いた四角い缶の入れ物を出してきた。「欲しかったら、持ってっていいぞ」
中を見たハルカは「あっ」を声を上げた。古いメンコやビー玉などと一緒に、十数個のベーゴマが入ってた。〔神様〕も〔鉄人〕もその中にあった。〔力道山〕まである。
「これ、ほんとうにおじいちゃんのものだったの?」
「もちろんさ」と伯父さんはうなずいた。「天井裏に隠すようにしてあったんだ」
「そういえば」とお父さんが言った。「ベーゴマが得意な人だったんだよね。入院中は、退院したらハルカに昔のおもちゃ遊びを教えてやりたい、みたいなことを言ってたなあ」
その後、おじいちゃんのアルバムをみんなで見たときに、あの坊主頭のヒビキの顔が映っていても、ハルカはもう驚かなかった。おじいちゃんの名前は響太郎だった。だからヒビキというあだ名だったのだ。
ハルカは、ベーゴマの練習を一人で続けてみようと思った。そうすればいつかまた、何かのきっかけで、少年時代のヒビキに会えるかもしれない。
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