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勇気のカード 11

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  再びシートベルトを締めようとすると、また教官が「待てっ。飛行機が着水するということの意味が分かっとるのか、貴様っ」
「飛行機が滑走路の変わりに、海面に下りるってことでしょう」
「そんなことを聞いとるんじゃない。海面に着水するときの衝撃というのは、アスファルトの上に胴体着陸するのと同じぐらいあるぞ。ちょっとでも操縦を誤れば、海面に叩きつけられて、こんな飛行機ぐらい、ばらばらに吹き飛ぶっ」
「僕が操縦してるんじゃありませんよ。そういうことはパイロットに言ってください」
「減らず口をたたくなっ。上手く着水できなかったときのことを考えろと言っとるんだっ」
  僕は、そのときの様子を考えてみた。きっと、今以上に機が揺れて、激しい衝撃に襲われるんだろう。頭の中で脳味噌がぐわんぐわんと揺れて、内蔵もかき回されたみたいになって、吐いてしまうに違いない。
「想像しましたっ。激しい衝撃があって、飛行機が今よりももっと揺れて――」
「馬鹿者。その程度で済むと思っているとは、おめでたい奴だ。いいか、場合によってはな、座席を固定しているボルトが折れて人間が椅子ごと吹き飛んだり、機内のさまざまな金属部品が壊れて猛スピードで飛んできたりするんだっ。シートベルトはどうなる?」
「ちぎれるんですか」
「シートベルトはちぎれん。衝撃に耐えられないのは人間の腹の方だ。シートベルトによって、人間の身体が腹からまっぷたつにちぎれることもある。飛行機墜落事故では、そんな死体がいっぱい出とる。どうだ、すごいだろう」
  何がすごいだろうだ、こんなときに。
「じゃあ、シートベルトはしない方がいいんですか」
「馬鹿者。そんなことしたら、身体を固定できないから着水時の衝撃で吹っ飛ぶぞ。壁や椅子や床に身体をぶつけて、折れた肋骨が内蔵に刺さってあの世行きだ。うまい具合に頭を打てば苦しまずに天国に行けるかもしれんが、運次第だ」
  僕は涙声になって「だから、どうしろっていうんですかっ」とわめいた。
「腹がちぎれないようにシートベルトをするんだ」
「どうするんですかっ。今から腹筋運動でもして、腹を鍛えるんですか」
「こんなときにくだらんことを言うとは、余裕だな。じゃあ、腹筋運動、始めっ」
「取り消します。教えてくださいっ、どうすればいいんですかっ」
「衝撃があったときに身体を傷つけるようなものを外せっ。交通事故などでも、ネクタイピンや胸のポケットに入れてあったペンが刺さって死んだとか、ネックレスが引っかかって首がちぎれたとかいう事例は結構あるぞ。硬いもの、とがったものはすべて外せ」
  僕は自分の身体を探ってみた。身につけていたのはベージュのチノパンとシャツ、それとスニーカーだった。胸ポケットに例のカードがあと一枚入っていただけで、他に所持品はなかった。
「ありません」
「よし。では次。上のボックスから毛布と枕を出せっ」
  僕は椅子の上に乗って、荷物ボックスのふたを開けた。また機体が大きく揺れて、一度椅子の上に尻もちをついた。教官が「もたもたするなっ」と怒鳴った。
  毛布と枕を引っぱり出した。
「腹に枕を当てて、その上にシートベルトを締めろ。それから、ベルトは腹に当たるようにしないで、腰の横骨に当たるようにするんだっ」
  僕は指示どおり、枕をおなかの上に置いてシートベルトを締め、ベルトの位置が腰の横骨に当たるようにした。
「枕をはさむのは何のためだ」
「おなかへのベルトの締めつけを少しでもやわらげるためです」
「ベルトを腰に当てるのは」
「腰の骨に当たっていると、おなかがちぎれるのを防げるからです」
「そのとおり。さあ、腹は一応守った。後はどこを守る」
  人間の身体で特に重要なのは……やっぱり脳味噌だ。
「頭ですっ」
「そうだ。着水時の衝撃で何が飛んで来るか分からん。貴様が座席ごと吹っ飛ぶことも考えられる。そんなときに備えて頭をできるだけ守る体勢にしておくこと。どうすればいい」
「ええと……」僕は隣の座席に置いておいた毛布に目を止めた。
「毛布を頭からかぶります」
「よし、かぶれ」
  僕は毛布を二つ折りにして分厚くし、それを頭からかぶった。毛布のせいで視界が塞がれ、ほとんど真っ暗になった。下の方にだけ、かすかな明るさがあった。
「毛布はしっかりつかんでおけ。絶対に放すな」
「はいっ」
「両足はあぐらをかくようにしろ」
「はいっ」
  ぼくは両足を上げて、座席の上であぐらをかいた。
「それは何のためか分かるか」
「分かりません」
「衝撃で座席ごと吹き飛ばされたときに、椅子からはみ出ている部分が傷つきやすいからだ。他の座席の金属部分にぶつかって貴様の足が折れたりちぎれたりしたら、困るだろう」
「困りますっ」
「できるだけ身体を小さく縮こませろっ。頭もできるだけ低くしておけっ」
「分かりましたっ」
「いよいよ着水だ。覚悟を決めろっ」
「はいっ」
「何か言いたいことはないかっ」
「助けてーっ」
「馬鹿者。もっと生きる気力が湧いてくるようなことを大声で言えっ」
「僕は……助かってみせるぞっ」
  直後、それまでよりもいっそう激しく機が揺れたかと思うと、今度はふーっと身体が浮くような感覚になった。次の瞬間、僕の身体はどこかに吹き飛びそうになり、おなかがちぎれるんじゃないかというぐらいのひどい苦痛に襲われた。
  吐きそうになったけれど、その感覚さえはっきりしなくなった。頭がぼやけてきていた。上下とか前後とか左右とかがさっぱりわからなくなるぐらいに、あっちこっちに身体が引っ張られたり押しつけられたりした。
  どれぐらい時間が経ったのかよく分からないけれど、僕は「目を覚ませっ」という怒鳴り声で目を開いた。でも、真っ暗で何も見えない。僕はきっと失明したんだ。
「さっさと毛布を取れ」
  そう言われて僕は、毛布をかぶっていたせいで真っ暗だったんだと気づいた。
  毛布を取ると、僕は飛行機の座席に座っていた。すぐにおなかが苦しいということに気づいて、シートベルトを外した。
  おなかが楽になったとたん、吐き気に襲われて僕は床に少し吐いた。そして椅子の背もたれをつかんで、よろよろと立ち上がった。
  機内はそのまま、整然と座席が並んでいた。教官が脅かしたほどの衝撃ではなく、うまい具合に着水できたということらしい。もし、座席が吹き飛ぶほどの衝撃だったら、どれぐらいの苦しさを味わうはめになったんだろうか……。
「幸運にも貴様は助かった。窓の外を見ろ」
  窓から外を見ると、緑色の海がどこまでも続いていた。既に太陽が昇ったらしく、外は明るい。青い空、そしておだやかな波。飛行機は波に揺られていた。

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